欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

無理のしすぎ 過去の人と緩衝地帯

午前から曇っていたけれど、午後になって雨が降り出した。灰色の閉ざされたような雰囲気で、気分も下降していく。ここから晴れてくれたら良い。そうなれば、それだけで心に光が差して明るくなる。

暖房の効いた部屋と厚着した体。秋や冬にも風情はあるけれど、昔の苦い記憶もイメージされてくる。空気の感触や色合い、風、匂い、光、日の長さ、季節ごとの日常とその移ろい。細かな要素の中で、何が浮かんでどう振り返るか。その時の気分で変わってくる。この頃はどうだろう。良くもあり、悪くもある。

夜の寝ている間、どうも歯ぎしりをしてしまっている。夕べは歯が抜け落ちる夢を見た。ありありとした感触の夢だった。歯がぐらぐらしている感触を、確かに感じていたのだった。怖くて涙が出るなか、最後にぐらぐらの歯が抜け落ちてしまう。だらだらと血が流れ出すなか、口を開け、顔を崩して涙を流していた。そんな怖い夢だった。

日頃から感情を抑え込んでいたり、抑え込んだことで生まれる感情すらも抑え込むと悪夢に繋がるそう。そうアーロン博士の本に記されていた。HSPは悪夢にうなされることが多いとのこと。

何かの行動ではなく、ただただ涙が出るくらいに怖がっていて、ぐらぐらの歯が抜けたところで夢が醒める―。

何の原因があるかは定かに閃かない。ただ、何かのフラストレーションが悪夢を引き起こすのは確か。それを表層の自我は理解していて、日頃からそれは認識されている。だから恐らくは、

(あの夢を見るということはフラストレーションが溜まっている。それは解る。それがある。でも、現状はそれを理解しているけれど、何も改善をすることが出来ない。なかなか変われない。変わりたいのに変われない。悔しい。どうすれば良い?どうすれば変わっていく?このまま朽ち果てていくのか?

そう思っている。フラストレーションを晴らそうということが叶わず、それすらもフラストレーションとなってしまっている。無垢な自我は抑え込まれ、見えない所で泣き叫んでいる。焦燥、不安、孤独、暗闇。取り残された感情は、未だに取り残されたままだ。

ずっと人の気持ちばかり感じ取って優先し、その人を喜ばせようとしていた。些末な言葉や言動が頭に残り、それによって意識を左右される。引いては過去の人まで喜ばせようとしていたHSPの認知を得た後、こういったものがあったのだと知った。残像の過ぎ去りし人が離れず、その人の願いをひたすら叶えようとしていた。

答えるべきメッセージはたくさん湧いてくる。内なるものと、それをかき消す周りからくるもの。HSPのことを知り、成されるべきことを理解しても、日頃の癖は大きい。容易には変えがたい事がある。認識が病的に歪んでしまっている。

 

個性の個性化、盤石化が必要。無意識のナチュラルな反応を受け止め、意識のレベルへと押し上げる必要がある。言いたいことは言い、伝えたいことは事前に伝えること。無理なものは遮断し、叶えるべきことは叶える。当たり前の折り合いをつけることだ。そうしなければ、絶えず身体がダメージを受け続けてしまう。

自分の感情を外面に持ち出しすぎることが問題だ。そうなれば、本来の自分の感情が取り残される。それらは歪みとして、身体や心が受け止める。それが由々しき症状として現れてしまう。

きちんと緩衝地帯を設けることが必要。誰かの心音や、雑音が入らないような時間を取ること。自分の感情を意識に引き上げられるようにすること。そうやってバランスを取らなければならない。

これらが出来たら良い。そうしたいし、そうしないといけない。

親を責めることは出来ないけれど、未だに自分は何年も前の親を喜ばせようとしている。親の行動は、自分の中で痛手として刻まれた。親が対処したのは、あるいは対処出来たようなことは、自分の体調を気にすることぐらいだった。

今ならHSPというものに本質的な要因があると解る。でも、以前は解らなかった。自分だけではなく、親も周りも解らなかった。自分自身も、親も、教師も、ドクターも、誰もそんなことを知らなかった。そのなかで歪みはわかりやすく体調に表れ、フォーカスが当たった。

先細る体調のなか、きちんと対応してくれたのは有難いことだった。それは感謝するしかない。でも、それでしかなかった。体調の悪化など、行動の最前線の表面でしかなかった。体調よりも、根本にある大きな問題を見つけてほしかった。自分には、苦しさの原因なんて到底解らなかった。

 

なかば強制的に入院する事にもなった。辛かったし、恥ずかしくて堪らなかった。何とかしたくても何も出来ず、耐えるしかなかった。大きな困難があった。これが今の自分を左右している。強いストレスの原体験だ。

「体調が悪ければ辛いことになってしまう」と、そういった気持ちになっていた。それがずっとあった。恥ずかしいことばかりで誤解だらけ。でも、説明のしようがなかった。学校に行けなくなり、病院に行かざるを得なくなった。でも、正しく診てはもらえない。何も改善することはない。

その中でずっと思っていたことは、本質に何があろうが、「とにかく元気があれば良いのだ」ということだった。元気でいられたら困難に太刀打ち出来た。それがないから何もかも払拭出来ないのだ、と、そう思った。それが自分なりの立脚点だった。生きていくための、自分なりの教訓だった。

親の行動は、こういった感情と相まり、「体調に対してきちんとケアすべきなのだ」という思考に揺れ動いた。そう染み付いてしまった。それは苦しさから脱却したい気持ちと相まり、「体調を上向かせないといけないのだ」というプレッシャー思考に変化した。

 

体調至上思考。良くなるように、悪くならないように、無理をして踏ん張ろうとしてしまう。身体の水準にセンシティブになり、病的に身体の感覚にナイーブになってしまう。とにかく、"食べなければ"、"良くしなければ"、と、そのように無理をしてしまう。そのように身体を治そうとしていた。

その呪縛にがんじがらめになっていた。無理をしてしまい、一喜一憂をし、また無理のしすぎに陥る。その循環から抜け出せずにいた。身体へプレッシャーをかけ続け、ひたすら体調を上向かせようとし続けてしまっていた。

生活の中心に体調はあり、日々は健康という原資の下支えがあってのもの。焦りや不安、フラストレーションなど、体調にまつわる感覚はいつでも顔を出す。悪循環はすぐにやってくる。ナイーブになるセンシティブループ。

身体は破滅への一途を辿るのみだった。ずっと呪縛のようだと思っていた。狂っているようでおかしいと思っていた。

 

それは今、認知が得られてかなり変わっている。でも、なかなか変わらないものもある。

すべきことは、まず一人の時間を設けること。とにかく静かで落ち着ける場所を設け、そこで心のバランスを取ること。それをする必要がある。そこでエネルギーを整えること。

そうすれば、穏やかな心で家族と接したり、元気に活動出来るはず。それが整えば何でも出来る。過去の人という大きな刺激との緩衝地帯を設けること。そこからが始まりだ。そうしないとどうにもならない。

ただただ普通に、元気で、大丈夫でいたい。それだけが望みだ。

健康でいるためには、適当な休息では足りないのだろう。センシティブパーソンのやるべき仕事を完成させないと、生活の基礎は整わない。生きていく上のネックを解消させること。

そして、その先にもたくさんのやるべきことがある。自然と健康になるのではなく、必要な要素を集めること。そうしなければ健康に辿り着かない。

 

そこにいつかは辿り着くだろうか?

すべては自分次第。努力するしかない。

 

参考書籍:

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子

 

近況と雑感 色々と

まだ生きている。辛うじてなのか、案外そんなこともないのか。いや、そのような意識でいるから辛いのか?そこまで精神を張り詰めずとも。

ワクチンを打ってから一週が経つ。これも辛うじて打てたもので、その少し前から調子がくすぶっている。胃の筋トレが出来る状態にはない。

でも、それも正常なストレス反応だとすれば、無理しなくてもよいのでは?程よく摂ることで生命維持できるなら、そこに甘んじて社会交流の準備とする?理想はやはりそれなのか。

 

ワクチンを夕方に打ち、翌日の朝九時くらいに寒気、火照り、筋肉痛が始まる。その後に普通に食事を摂れたのが幸いで、昼と夕はしっかり摂れた。そこで解熱剤を飲んで翌朝に終了。

「風邪を引くにも体力が必要」という風聞のようなものを聞いていたけれど、案外そうではなかった。熱を上げるエネルギーはあった。まだ体力はあるのか?末期状態ではないだろうけれど、宇宙人のような骨皮になっている。

 

その接種後からだろうか、何だか調子が上向かない。というか落ちている。昨日はまたもや底に落ちた。大台まで一・五キロも離れる。正常な体重からは二十五キロほどだろう。身長は平均あるからいけない。

そこから胃の弱さが顕著だ。もちろん食欲不振もあり、もたれが激しくなった。調子が良くとも悪くとも、ほんの少し「ここまで食べておこう」と思ったが始まり。

その許容範囲が狭すぎるし、そもそも食欲もないため、抑えようと思っても少なすぎる。それに耐えられず、なるべくよく摂ってしまう異常さ。それも仕方ないけれど、程よく摂り続けても体重は増えない。

 

とにかく代謝がおかしいのが問題。更にここまで異常なのにも関わらず、何も原因を見つけてもらえない。消火器のドクターは「これ以上入院しないように自分で考えて」と言い、精神科のドクターへ委ねるも、心身症のドクターと共に明瞭なことを言ってくれない。

後者のドクターに関しては、症状を聞いてすぐ「この漢方を」と言う。薬万能主義なのか、これを形容する表現が見つからない。せめて症状の原因を考察してからだろう。

解らないなら「解らない」と言ってくれ。自分で考える用意はあるけれど、何か器質的におかしい可能性もあるだろう。それを診断するのはそちらの畑。それに関しては得意な分野だろうし、こちらはそれを十分に信頼する。

 

頭の辛さはなくなっている。いま考えたらブレインフォグのようなものだった?抗不安薬を飲んでもそうなるのか。その量を減らして二週は経ったけれど、その辛さがなくなった分、早期膨満の軽減も弱まった。もう服薬では望みが薄いのか。

散歩には一度も出ていない。買い物には行っているけれど、そもそも行く気がない。胃がきついときは全く出歩きたくない。食べられるものも限られるし、量も少なすぎる。大食いする人の動画を見れば食費が浮く?それがメリット?

 

体力的にはそこまでな感じでも、直近ではほぼ常に胃がきついし、とにかく体重が恐ろしい。心臓が止まることはないのか。頻脈が起きたら耐えられる?よほど胸を圧迫しなければ大丈夫だけれど、心拍数は上げられない。それに耐えられる体力はない。

一番はやる気だ。ドクターはよくそれについて尋ねていて、次はそう答えざるを得ないか。そうなれば早合点して躍起になるか?とにかくその原因を考えてくれよ。まず悪液質についてはどうなのか。素人が無礼なことを言っている?だったらそう仰れ。

読み書きがきついのが辛い。動画は長く見れるけれど、生産活動はきつい。考えるのは隙間に出来るけれど、コンテンツは作れない。今はせめてものモチベーションでやっている。

 

姉は帰省せず、親戚も誰も来ない。その姉に関しては色々あり、どうやらこの実家の家族を馬鹿にしているよう。「実家は未だに県外をばい菌扱いする」とのこと。まさか身内とそんな軋轢が生まれるとは。母親とは穏便なやり取りをしたようだけれど、胸の内ではそうらしい。

今年の年始は帰省していたけれど、そのときに発生していたオミクロンも軽視していた。こちらの父もそのような節があり、もう腹が立って仕方なくなるときがある。衛生観念はその人だけのものではない。

コロナ楽観論者と悲観論者。これらはどこからどんな情報を仕入れているかで変わる。自分は何ヵ月か前から現場のドクターをフォローしていて、「だからその主義・主張に染まっている」と言われたらそうだけれど、だったら「人に移して後悔しないのか?」と思う。

タフでワクチンも既に打っているのなら、確かにそれはどうしようもない。コロナ病棟の負荷をいかんともし難いし、自宅療養の準備をすれば良い。急病を覚悟すれば、その人たちに経済を回してもらうのもあり。

ただ、この実家や近くの祖母に関して言えば、父親と自分に基礎疾患があり、自分なんかそもそも全身状態が悪い、父親に関して言えば、再度感染することによるダメージが心配だ。祖母は老衰の途中であり、もしもの時に延命するか判断しておくべき頃だ。

そのような人間に移しても良いのか?それで後悔することはない?後悔するなら行動を変えるだろうから、その心がないのか?人間の皮を被った悪魔?悪魔は悪魔の顔をしてくれ。

 

もちろん、どのような主義主張であれ、「コロナで死にたくない!コロナなんてなくなればいい!楽しい人生を奪われたくない!」というのはこちらもある。ただ、その価値観から情報を恣意的に解釈していないか?

悲観論者はネガティブにリスクを考えるけれど、楽観論者だってポジティブにリスクを考えすぎでは?これで人類は一定数が生き延びるだろうけれど、それに弾かれる人も多くなる。

楽観論者を迎えて悲観論者が死ぬか、悲観論者が突っぱねて楽観論者が嘆くか。前者の場合、個人においては悲観論者が割りを食う。後者の場合、社会の経済が割りを食う。ここでの主張は個人と家庭の話。社会としては、楽観論者にリスクを考慮して活動してもらうのに同意している。

 

誰にも会わず、日常も変わらない。テレビの特別感すらあまり感じないし、ただの月末といった感じ。いや、ただのいつもの白黒の世界か。特別な休みが始まったのに今、何年か前の高揚がない。田舎で空の星を眺めることなどない。

絶望にうなだれながら生きるのが良いか。その諦めもまた楽にはなる。変に可能性を思うのも辛い。そんなものだ。人生すべてただの日常。特別に仕立て上げられるのはマーケティング?もはや青春マーケティングすらあるか。甲子園なんかそうでは?

青春なんて虚像ラララララ。親が生活費も学費も捻出しているわけで、誰が恋愛なんかに現を抜かせるのか。親はそんな暇も気力も体力もない。定時制や一人暮らしの苦学生が存在するし、そんなものはない。

これから戦争があるかもしれないし、そんなもの打ち壊される。そんな暇があったらスキルかテクニックを磨くまで。大切が人がいない利点はそう。

青春という幸福の前借りをすれば、後に「両親はこんなに大変だったなんて!」なんてことを思いそう。経済的に自立していない人間が恋愛なんか出来るか。まず自活が可能になってからの話。そこからでもよい人生は歩めるはず。

 

ふと直近で思い出したのが、「この人のやつれた顔を見れば、生きるのにストイックだったことが分かる」というもの。ある早世したミュージシャンのMV動画にあったコメント。

フジファブリック (Fujifabric) - Sugar!! - YouTube

自分もそうなのか?目の下はたるんで濃い紫になり、まぶたは重くて目付きが悪い。頬もこけていかにも険しい。

ストイックとは何なのか。調べていないけれど、「真面目」「完璧主義」のようなものでは?そういう節はあるけれど、別に生きるのにストイックではないはず。

ただ、よく考えるとそうなのかもしれない。もう何年も「とにかく死にたくない」という気持ちで生きている。それに助けられたときもあれど、基本的にそれがネックになっている。でも、それも狂ったものではないはず。

「絶対に死なない」というのが真面目なのか?「絶対に生きる」というのが逆に生きるのを辛くしてる?もう何なのか。下手にそう執着するより、もう全てまともに考えず、適当に放り投げてしまえばいい?

確かに画面の向こうの大食いする人は、別に気楽に食事を摂っていそう。生き物の基本はそうで、それがノイローゼなのだろうけれど、そうもいかない生き物がいる。愚かな理性は愚かな保護者と似ている。

 

何で死にたくないのだろう。よく考えると今まで考えていなかった。ただそれは明白で、率直に言ってしまえば、自分は社会から喝采を浴びられるし、称賛されるはずだし、恋愛も性愛も出来る能力があると思っている。だからそれを満たせないのが耐えられない。これも青春コンプレックスだ。

いや、欲求というのは必ず満たせるもの。例えば生理的欲求は必ず満たせないといけないし、だからそれを満たす能力も備わっている。哺乳類ならその満足を吸収できるし、そのための能力もあるはず。

「死にたくない」という雑念。それがコンプレックスとなって縛られているけれど、それが生存を助けたのも確かだろう。慢性疾患はそういうものだし、幸福に繋がるための意味あるものだ。それか意味を見いださないといけない。

 

でも、魂を削ってまで生きるのは格好悪いのでは?ただ、自分はそうなのではなく、とにかく生きようとしている。でも、それが魂を削るようなものになる皮肉だ。何事も程ほどだろうけれど、それが難しい。

もはや精神論で楽になろうかと思っている。あるいは音楽。現象の意味を理解しても何ともならない。というか、それを無感情に説明すべきドクターも教えてくれない。

だったらもう哲学だ。神秘的・超越的な哲学は知らないから、もう諦めるためのもの。輸液やスポドリがなければ死んでいたかもしれないし、結核の時代ならもっとその可能性があった。

「満たされない人生は不幸であり、そのまま満たされずに死ぬのはもっと不幸である」という価値観がいけないのではないか。だから「限りある時間を」とか、「一度きりの人生を」というのが広まり、一分一秒も無駄に出来なくなる。それこそ不幸の元であるのなら、「不幸であるか考えるのが不幸の始まりである!」という前提を建てれば良い。

でも、それすら不幸の元であり、だったら幸せについて考えられず、味わえもせず、努力することもなくなる…。お釈迦様は似た過程で神秘的・超越的な洞察を得たのか?でも、欲求から解脱しようとするのが強い煩悩そのものであり、それがまた不幸の元に…。嗚呼嗚呼。

 

それでも、いつか安穏とした生活を送り続けられるようになれば、それはそれで苦しみすら感じるのではないか。何も代わり映えない日々が続くものの、何も変化する必要はないし、努力もせず、何不自由なく生きていける。そうなると今度は精神の張りがなくなり、ある程度の苦しみがあった頃を羨望する。

生き物は常に渇望と切迫を生きていたとすれば、そのようになるのもおかしくない。地元紙の投稿欄に「貧乏と苦学の頃が絶頂期」という川柳が載っていて、最近になってその意味を理解した気がする。苦しみがあるくらいが生きている実感を得られるのではないか。

でも、それは綺麗事でもあって、後で満たされないと感じられないものだ。そして苦しみを抱えながら生きていくことはできない。腹が減る苦しみとそうでないものはあれど、どちらもその人の身動きを縛ってしまう。

自分もふと、「入院していた少しきつい時の方が生き生きしていたか」と感じたりした。だから味噌はその「ある程度のきつさ」だろう。多少の渇望と多少の切迫、それによる労働の負荷があるくらいがちょうど良い。本当にないものねだりだ。

 

これからはとにかく学ぶしかない。その軸はディスペプシア、トラウマ、ストレス、自律神経。あと栄養などもそう。もうとにかく学ぶこと。自分の人生はそれだけ。与えられたものがそれだ。その分コンテンツの種は枯れなさそう。弱みを解決して強みにするしかない。意味があるとすればそれだけ。そこから人生が始まれば良い。

 

また長くなったけれど、最近は最後の望みとして運動をしている。ただ、外に出る力はないため、屋内で下半身の筋トレをしている。悪液質について調べるとそんなページがあった。その根本的な治療法はないようだけれど、「運動でサイトカインが減る」とあるページもあった。

https://p.onooncology.jp/gan-akuekishitsu/more/keep.html

運動が免疫系に与える影響. Nike 日本

一つ目のページの下肢トレーニングをしている。どうやら体調が良くないときにもした方が良いそう。たしかにほぼ毎日歩いていた頃は体力があったか。日光浴と散歩が最良だろうけれど、寒いなか歩くのは心臓に悪い。

立ってするものが二つ、立ち上がるものが一つ、座ってするものが一つ。全て一巡して一セットは結構きつい。高齢者のトレーニングのようで情けないけれど、まあ似たような状態だ。

 

これが最後の望みか?いや、もっとディスペシアについて学ぼう。まだ何かあるだろう。とにかく「この量まで摂っておきたい」というのを封じ込めること。満腹感がやってくるのにはラグがある。抑えすぎるのもよくないため、その瞬間を見定めること。

そうすれば腹は膨らむ可能性があるし、そこで力はそれなりに満たされる。その体力があればストレスも和らぎ、消化へも力を回せるかもしれない。食べられないのは正常なストレス反応であり、無理しないこと。そこで力を貯めて社会交流に挑む。

問題はそのコンプレックスを抑え続けられないこと。そして社会交流へも挑めないことだ。これが諸悪の根元。でも、それには未熟なところがあるためだ。やはりもっと学ばないといけない。苦しみには原因がある。すべきことを怠っているからそうなる。それについてとにかく学ぶしかない。

 

下らない一年を過ごしてきたから、一年を振り返ることもない。思い出すことなどないし、来年のことも考えない。去年の年末に来年を占った人の中で、多くの重い重い命が失われていった。事件、事故、災害、疫病、不況。たまたま一年を生き延びただけであり、来年もそうなるか委ねるだけ。

鬼に笑われたくなければそうするまで。さようなら。あなたは幸せであれ。そしてそれを自分に分けてくれ。

 

年内最後の診察と諸々。タンドスピロンの減量、悪液質についてなど

まだ今のところ無事のまま、来週にコロナのワクチン接種を控えている。そこを乗りきれば安心できる。今週の月曜に診察があり、当初は記録する気がなかったものの、アナリティクスではアクセスが表示されるし記録しようと思った。

 

月曜より前の摂取と体調はおぼろげ。摂取は上向いてから落ち着いていて、体重も落ちていなかったはず。ただ、依然として頭の辛さなあり、もちろん体力がない。それでも風呂には毎日入れていた。

前日の夕食はそれなりに摂れたはず。でも、翌朝の摂取が低調だった。明らかに身体が緊張していて落ち着けない、食欲もなかった。

朝食のカロリーメイトは一本と一口だけ。それと四個セットのヨーグルト1つ。推定カロリーは百六十ほど。やはり身体に力が満ちない。出発までに腹は落ち着いたものの、ヤクルトは飲まない方が良さそうだった。ポカリで確実に収めたものの、力にはならない。

 

父親の運転する車に母も乗って出発する。三人とも自分のクリニックでインフルワクチンを打つため。「緊張しそうだ」と予測していたけれど、一時的にかなりの波がきた。

ただの緊張だったけれど、「何も知らない家族と狭い箱にいる」ということでパニックになりかける。緊張すると吐気がするタイプでも、かつて皆の前でえずいたのがパニックの元。そうやって恐れていると更に吐気が増す。

でも、それは一過性であるのがいつもで、十分ほどで楽になる。それは診察後も同じ。体力のなさも引き金になるし、今回はドクターと対峙する意識が強かった。「きちんと話すべきことがある」というプレッシャーがある。

吐気を紛らわせるのは難しい。意思の力の外で気が散るか、問題から解放されるか、あるいは問題を感覚で感じ取るか。「何も怖くないではないか」と。外向感覚を用いること。自然と収まるのはそれだから、意識の力でそうするのが理想。

 

病院に到着して車を降りると、かなり身体が重い。背中を伸ばす力がない。栄養失調だと理解していたけれど、今となってはだるさだったかもしれない。一膳を摂れていたのは確かだし、そう考えればつじつまは合う。

インフルの問診表を書き、診察まで待機。それが最近だと長く、三十分以上あった。病院はそのようなものでも、耐えるのがかなり辛かった。診察のプレッシャーがあり、どうしても胸の違和感が拭えない。体力のなさと頻脈の恐れ。胸のとかとかから逃れたくて仕方なかった。

そこで貧乏ゆすりをしたり、首をかしげ回していたのは幼稚だった。スタッフや家族、他の患者へアピールをしたかったのか、かなり醜いことをしてしまう。とにかく「早くしてくれ」という気持ちだった。それを抱えきれない幼稚さ。

居間で食事を摂れないときもそうしてしまう。家族へ同情のアピールなのか、そんなことがある。でも、生きていくのにそうしてしまうのは仕方ない。理性が許容するか教育するかだ。仕方ないものは仕方ないし、恥じているなら次は変わるはず。

 

診察でも苦悶の表情をしてしまう。もっと誠実にすべきだったかと思うけれど、不調の感じは伝わったはず。

まず、先月に飲み始めたタンドスピロンについて訊かれる。いきなりそれだから、「薬頼みか」とわずかに感じていたはず。「ワクチンを打てず、ケトン体が増えたかで不調続きだった」と言う。そこで先月からの流れはほぼ伝えた。

でも、声を張れなかったため、「ワクチン接種後に不調になったのか」と勘違いされる。その後に訂正するも、本当にケトン体だったかのフィードバックもなく、頭が辛いのも何が原因か話してくれない。

考えてくれてはいたはずでも、素人の発言にむかついたのかもしれない。頭の辛さも「貧血か糖分か電解質か、はたまた単純に筋力なのか」と伝えたものの、それすら何も返答がなかった。血液検査をほのめかしたつもりではあった。

ドクターが引っ掛かったのは、「それはタンドスピロンについてでは?」ということ。ここで自分が少しむかついて、「それしか見ないのか」と思ってしまう。

でも、いま考えれば、このときに問題が二つ並行されていた。自分はケトン体後の後遺症のようなものを考えていたけれど、ドクターは「タンドスピロンの副作用では?」と問いを立てている。このことに自分が気付かなかった。でも、ドクターがケトン体の方を却下したのもある。コミュニケーションの齟齬だ。

 

そこで「六君子湯を外そう」と検討されたのもある。「コロナの後遺症にも効果がある『人参』の漢方を」と言われるも、薬頼みにしか見えない。というか、全ての患者に「全て薬ありきで診ているのか?」とも思う。それが限界なのだとも思うけれど。

これもそのときは拒否反応を示した。そもそも六君子湯はディスペプシアに適用されるものだし、それを外すのは論外。ましてやそれが効いていないとも感じていない。それで悪化したわけでもない。そもそも医学的な考察がなかったし、服薬主義すら感じてしまった。

ただ、強要はされない。でも、タンドスピロンについては減量することにした。どこで折れたのかは分からないけれど、「体重に応じて減らしてみよう」というのに拒む理由はなかった。いや、そのとき既にその可能性を考えていたか。

 

そこで話は終わる。人参とやらは「記憶の隅に置いておいて」とのこと。インフルワクチンの予診表に「身体の辛いところ:消耗」と記したものの、それも全く言及がなかった。到着するまでの消耗は確かに辛かったし、それを話の糸口にしたくあった。もう何なのか。

しんどく話してかつ一悶着になりかけたため、そのドクター自身に打たれるのは少し気まずかった。だから幼稚性がある。感謝もしずらいのはいけない。ただ、ドクターはさばさばしているのか、何も気にしていなさそうだった。それを有り難いと思ってしまったのも良くない。

打ち終わって会計を待っていると、途端に胸の辺りが楽になるというか、とかとかとは逆の感じが明らかにある。血が戻っているような感じか。頭の中でそれだけ不安を描いたのだから、その能力を何かに活かしたい。そういう人間はたくさんいるはず。

 

薬の布陣はアコファイド、六君子湯、タフマック、タンドスピロン。タンドスピロンはセディールとも言うそうで、それをTwitterで検索してみたものの、また二件しかヒットしなかった。

『機能性ディスペプシセディール』だったものの、タンドスピロンと入れても同じ。普通にWebで『機能性ディスペプシア 薬』と打ったとしても、あまり出てこないのではないか。『脳腸相関』を読まなければ知らないままだった。そこで知らないと検索・検討すら出来ない。

 

診察後の調子は良い感じがする。診察当日の昼と夕も良かったけれど、それはリラックス効果か。でも、その翌日の朝も良かったはず。漢方後の胸焼けが収まっていた。

更にだんだんと頭のきつさも和らいだか。ドクターはそれをだるさと認めたけれど、身体も楽になってきた感がある。頭の酸素か栄養か、何も出来ない辛さはない。画面を見れば消耗するものの、回復したりする。昨日は1ヶ月振りに買い物へ行った。

 

ただ、いかんせん体重は増えない。それでいて摂取量は悪くないはず。これはどういうことか。ディスペプシアによる摂取と代謝による体重、それらの問題と頭の辛さ。これらにタンドスピロンの副作用が関連している?

摂取は診察前から落ち着いていたため、「ケトン体やら何かの異常が代謝に影響しているか」という考えがあった。でも、摂取が落ち着いても体重は増えない。その点で肥えないことは未だ不明だけれど、タンドスピロンを減らすことで頭は楽になった。つまり「ケトン体やらが頭の辛さにも関わっているのではないか」という問いに関しては、誤りの可能性が浮上する。ケトン体の後遺症は、代謝ではなく頭に関わっていて、更にケトン体でなくタンドスピロンに原因があった線。

その点でドクターは正しいのか。ただ、「身体の異常が代謝に関わっていない」と分かったものの、その問題の解決になってはいない。ケトン体は代謝に関係していなく、頭の辛さの原因がそれだったけれど、体重が増えたりはしない。ともかく代謝の異常の原因が分からず、それが一番の苦しみ。

 

可能性としては、やはり「悪液質」があるはず。これも『脳腸相関』を読んで知ったもので、かなりぴんときた。それでなくとも代謝の異常はあるはず。「ストレスだろう」と抽象的にしか捉えられなかったけれど、やはり何か明確な原因がある。

それをまとめたいけれど、まだその力はないか。Twitterで慣らしたいけれど、一度やめると戻るのが億劫。このブログが伸びることもないし、WordPressを契約するのもためらってしまう。お金の問題もあるし、やるなら本腰を入れないと。その体力と気力はまだだ。

 

それでも簡単に説明するとこうなる。まず「摂食関連ペプチド」というものがあり、それが脳腸相関のループ性調節機構を営んでいる。そしてその中の「レプチン」が発見されたことで、食欲・体重調節機構の解明が進展した*1

そのレプチンは体脂肪量に応じて血中に分泌され、体脂肪の蓄積程度を脳内視床下部に伝えるシグナルとして作用する。他の摂食関連ペプチドは、このレプチンの変化に応答し、食欲やエネルギー代謝を変えることで体脂肪量を調節する。

そのレプチンは主に食欲促進系ニューロンを抑制し、摂食抑制系のニューロンを活性化させるそう。つまり食欲と体重を抑制するのがレプチン。本来は脂肪が増えすぎたときに働くものだ。

一方、生き物が飢えに直面したり、慢性消耗性疾患によってエネルギーバランスが負に傾けば、レプチンは体脂肪量の減少を反映して抑制される。ここまでは本来の正常な生理反応で、すると食欲が亢進され、エネルギー消費は減少する。菓子パン一個で満腹になる少食でも、こうなっていればただの痩身で済むはず。

でも、この飢えに対する応答機構が破綻したのが悪液質だそう。その機序は分かっていて、サイトカインというものがレプチンのようなシグナルとして伝わり、摂食促進系の応答不全、及び摂食抑制系の過剰な作動がもたらされるそう。これが食欲不振、基礎代謝量の減少、持続する体重減少だ*2

 

まさに自分のように思えた。というかこれ以外に何があるのか。ドクターにぼんやりと「癌のようなものですかね」と言うと、虚を突かれたような感じがするも、メモされるだけで終わってしまう。せめて考察くらいしてほしい。でも、後で恥ずかしくなって堪らなくなった。「そこまで言及するものではないか」と。

悪液質については色々と情報があった。

がんによる食欲低下と体重減少 「悪液質」の治療法 | NHK健康チャンネル

がん悪液質と「食べられない」ことの関係|がん悪液質とは|がん悪液質.jp - 小野薬品

『脳腸相関』にも他に記述があり、グレリンの臨床応用に関して、「アナモレリン」という薬がヨーロッパで承認待ちとのこと。服薬で治そうとされているよう。

Wikipediaに「販売予定」とあるけれど、ディスペプシア患者にはまだ使えなさそう。でも、それを期待はしたい。ひとまず基礎的な体力がないと外にも出られない。いや、ストレスへの対処も学ばないといけないけれど。

アナモレリン - Wikipedia

 

ドクターが言っていた「人参」というのは、「人参栄養湯」というもののはず。ドクターいわく、コロナの後遺症にも使われているそう。その「陳皮」辺りが効くと言っていたような。どの成分だったかは覚えていない。

新型コロナ感染症・後遺症の記事 | 渋谷ヒラハタクリニック|内科・消化器内科・糖尿病科・呼吸器内科・健診・人間ドック・胃カメラ・大腸カメラ

https://www.kracie.co.jp/ph/k-therapy/prescription/ninjinyoueito.html

今になって考えると、「それにしてみても良いかもしれない」と思い始めた。六君子湯とアコファイドが第一に選択すべきものでも、必ずしも効くわけではないか?その辺りはよく分からない。マニュアル通りに選択すべきなのか、臨床のドクターは裁量をもって決めて良いのか。有用性が確認されているだけであって、必ず第一の適応にすべきでもない?そもそも身体に合う合わないがある?

 

そこでタイムリーにある動画を見つけた。YouTubeの「ホリエモンチャンネル」で機能性ディスペプシアの回が企画されている。

なぜお腹の痛みは起こる?胃もたれで病院に行くべき?専門医が解説(前編) - YouTube

【特別編】ホリエモン対談「胃もたれ」で病院に行くべきか?後編 - YouTube

一つ目の15分20秒辺りでは治療法についてまとめられていて、「ピロリ菌除去薬やプロトンポンプ阻害薬は効果があるけれど、その他はいまいち」と仰っている。でも、それを飲んだとしても、「偽薬を飲んだ場合とほぼ変わらない」とも仰る。それはドクター自身のデータのようで、二十年前というのに留意したい。

そのドクターによれば、上腹部の運動障害では薬物の効果が薄いよう。六君子湯とアコファイドは少し効果があるけれど、皆が全快するわけではなさそう。「ガイドラインではまずその薬から」ともあり、それを第一に選択するのは誤りでないはずでも、効かなければ他を試した方が良いか。

 

ただ、六君子湯を飲んで損はないし、そこまですべきなのか。コロナ後遺症も自律神経失調状態なら、ほぼ同じようなものなのか。ストレス後に背側迷走神経などが関わっているはず。慢性疲労状態にも近いのか。

そのホリエモンチャンネルの動画では、他にも画像のデータから「真水でも不定愁訴が起こる」と読めたし、やはり自律神経が関わっていること、そして一番重要なのは、「ストレスに対して過敏反応している可能性がある」ということ。これが大きい。その原因として、幼い頃の性的虐待などがあるそう。自律神経はトラウマを記憶する。これも大きな知見だ。

これらの動画は1つのコンテンツにしたいけれど、やはりここでは意味がない。WordPressに移行したいけれど、すぐ記事が書けるわけではなさそう。まだ本調子ではない。徐々に書いたり考えたりできている。

 

ワクチンまで一週を切り、年内の危険地帯を抜けられそうではある。ただ、接種の時間が夕方五時であり、かなりネックだ。頭の辛さがなくなったのは良いけれど、いつもなら夕食の漢方を飲む頃。かえってその方が空腹なのだけれど、少しものを入れておきたい。昼を抑えて三時四十五分にヤクルトか。

そして父親も間もなく接種する。そして思いがけないニュースとして、父親の職場の職員が大体ワクチンを打っているよう。二週間ももう間もないはず。まず自分が打つべきでも、かなり安心できる。問題は子持ちの人だけれど、四回目を打てばほぼ安心。この時期に「風邪が辛い」と言う人は、何故かワクチンの話をしていなかったりする。本当にただの風邪だったの?

でも、前回のキャンセルから接種券が再送されておらず、当日の現場で再記入しないといけないはず。というか、二週以内にインフルを打ったけど問題ないのか?隣市のクリニックではよい認識でも、この町だと違うのでは?

やがて集団免疫が形成されるのではないか。そうなると終息に向かうはず。ワクチンの追加接種に加え、自然免疫によるそれと、ワクチン免疫プラス自然免疫の保有者が大半を占める未来。いや、まだ新しい変異株と隣国の感染爆発によるか。とはいえ、「初期のオミクロン株に罹っていれば、その後の亜種にも罹りづらくなる」という情報もある。

新型コロナに感染した人は、その後ワクチンを接種した方が良いのか?(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース

とにかく年末までだ。そしてそこから急性の病気に罹らないこと。医療の現場は災害級の状態だそう。でも、現役世代に呼び掛けたとて、どこまで状況が変わるのか。

 

参考文献

*1:『脳腸相関 各種メディエーター,腸内フローラから食品の機能性まで』 P23

*2:『脳腸相関 各種メディエーター,腸内フローラから食品の機能性まで』 P24

恐らく自家中毒になって危なかった。近況の全て

体調が回復したのかしないのか、余裕があるときに記しておこう。一食ではほぼ一膳を摂っているはずでも、体重は増えない。というか頭ががんがんしたりする。

貧血なのか低血糖なのか、きついときは食間で卒倒しそうな感じもあるか。以前にはなかった状態。まだ摂取量が戻っていないのか、身体がおかしくなってしまったのか。

到底散歩へは出られないし、買い物にも行っていない。その食間のきついときでは、部屋で活動するのもきつかったりする。YouTubeを見るだけでもそうで、次の診察は耐えられるのか。本を読むのもやっと。どうしてしまったのか。貧血か低血糖か、はたまた甲状腺の何か?それとも重大なもの?採血すら勧めないドクター。

 

ブログの最終更新は、先月の12日のことまで。その後はTwitterに書いていたけれど、フローの更新に意味を感じなくなり、こちらに格納しないでいた。その更新は16日まで。コロナのワクチン接種の前日。

14日が診察の日で、その日の夜はよく摂れていた。そして翌朝もよく摂れる。でも、そこからそれを加速させようとしてしまう。いつものそれが始まり、食べすぎから不調の波が生まれる。接種前日の夕は普通に摂れたけれど、その翌朝、接種当日の朝に自家中毒になりかける。

 

よりによってそんなタイミングだ。体力が落ちていたからそうなったのだろう。明け方に目覚め、そこから布団の中でもぞもぞし、いざ起床すると何だか辛い。食欲のなさが拭えないし、座ってスマホを見ていると胸が苦しくなる。その時点でもう全く摂れそうになく、諦めてポカリを一口飲み、ひとまずまた眠ることにする。

そこから一時間ほどうたた寝し、また起きると少しは楽になった気がした。でも、朝食を全く摂れそうにない。ヨーグルトさえ口にも含めない。それくらい強い違和感があり、夕方の接種は諦めがつく。そこで母親に告げる。

 

身体はきついのに頭だけはとにかく働く。ワクチンを打てないこともそうだし、このままだと死ぬかもしれない。もう痩せる肉はない。その現実を鋭敏に客観的に捉える理性。でも、いま思えばそれに助けられたか。そこで違和感の原因を考え、ケトン体が増えた可能性を思い付く。

過去に一度そうなったときがあり、そのときは一週間ほど入院した。その再来がよぎったものの、まず検索して解決策を調べた。そういえばその治し方は調べていなく、点滴しかないと思っていた。でも、それは経口摂取が出来ない場合のことで、口から摂れるなら自己治療も可能だそう。その一つがスポドリをまめに飲むこと。その情報と母による在庫に救われた。

自家中毒症(ケトン血性嘔吐症)は、診断名というより一種の状態の名前ですが、病因は明確ではありません。風邪や疲労・過度の緊張等の外的ストレスが加わった場合に、本来エネルギー源にすべきブドウ糖がうまく利用されず体内の脂肪をエネルギー源とする代謝状態になった時、そのもえかすとして溜まってくる 血中ケトン体が増加した状態です。

こどもの病気について|ケトン血性嘔吐症について|兵庫県尼崎市の小児科(低身長、肥満、糖尿病、小児内分泌など)【徳田こどもクリニック】 尼崎・豊中地域でこども達のサポートをしています。

とくに夕食をとらずに眠った翌朝に起こりやすい、

アセトン血性嘔吐症・周期性嘔吐症・自家中毒 | 那珂川市の小児科・内科・眼科『江副クリニック』福岡県那珂川市

ストレスと栄養不良が重なり、そこで体内のエネルギー源を用いた場合、その燃えかすとしてケトン体が増える。この状態を俗に自家中毒という訳か。以前に入院したときも、ドクターに手の甲の皮膚を触られて、「この肉を使ったから」と言われた。幼児用の点滴室しかない病院だったから、小さなベットで膝を曲げてそれを聞いていた。寝ながら冬の青空を見ていて、どこか心地よいのが複雑だった。

前日も寝る前にポカリは飲んだけれど、布団でもぞもぞしていたのがいけなかった。まさかそれでこんなことになるとは。それが運の尽きだったか。親愛なる人と暮らしていれば元気になる?それですら回復しなかったらもう分からない。所属する場所などない。

 

午前の九時くらいからポカリをがぶ飲みし、昼頃には楽になっていたはず。でも、胃の機能ががた落ちした。固形物は摂れそうになく、メイバランスを飲んだものの、夕方くらいまでそのバナナ味のげっぷがする。その間もポカリしか飲めないし、心臓が止まるのが怖かった。理性はとにかくそれを理解してしまう。

夕食では流石に胃から引いていて、おにぎりを五口くらい摂る。それで少しは落ち着いたものの、まだまだ理性は落ち着かない。寝るぎりぎりまでスポドリをのみ、マウスウォッシュをしてすぐ眠る。こればかりは闇夜が怖かった。頻脈も危なかったし、夜中に怖くて目覚めときも、またスポドリを飲む。

 

そこから二、三日の間は、徐々に右肩上がりで良くなったはず。そこで一度風呂にも入った。でも、これまたコンプレックスの仕業で、すぐに調子を底上げしようとしてしまう。

これは理性の悪いところで、対外的なリスクを考慮したからだった。コロナが怖かった。それに抗う体力をつけようと、頑張って摂ってしまった。結果的にそれが回復をかなり遅らせた。

それでもコロナは施設や病院を麻痺させ、弱い人を殺してしまう。それをわかったうえで議論していますか。 | Books&Apps

はてなで話題になったコロナに関するエントリーに触発された。いや、それを受け止めた理性が悪いか。それにまつわる議論は傍観するだけだったけれど、色々と考えるなかで、あるコメントが目についた。

自分で食事が出来なくなったらそれはもう生き物としての寿命だ、という思いはある。介護職の方にスプーンで口まで持ってきてもらったり、ましてや胃ろうを施してもらったりしてほしいとは思わない。

このコメントは老年性の終末期についてのもの。いま思えばそうだけれど、自分にも深く突き刺さった。広く拡大すれば、生き物の生命力と医療についてでもある。

それでも、ここで「自分の力で食べられないといけない」と解釈したのがいけなかった。自分はそこに問題ないのだし、美醜についても何も思わない。生に執着するからこうなるのだし、筋骨隆々になりたいくらい。死の床に着きかけたからコンプレックスとなり、それが理性の暴走となっている。

徐々に胃の力を戻さないといけないところ、少し良くなっただけで急激に頑張ってしまう。「生命力がない生き物は死ぬものだ」と頑張った結果、それによって生命力が陰る始末。何なんだこれは。

 

おまけにその頃は五重苦くらい立て込んだ。その自家中毒の午前、寝ながら「最悪は地元の病院で点滴すれば良い」と考えていたものの、病院のホームページを見ると、 まさにその日から「クラスター発生による外来停止」とあった。最悪すぎた。おまけにその数日前、母親が祖母の通院でその外来へ行った。これも頑張って摂取することにも繋がった。入院でもしたら本当に死ぬ。それがはてなで話題になったエントリーの内容そのもの。

ワクチンを打てず、いつそれに罹るか分からない。入院は地獄の阿鼻叫喚の入り口。その前のドクターとの診察を後悔したし、ディスペプシアの治療法は誰も教えてくれない。それでケトン体が増え、頻脈が起きたらそれでも死ぬ。父親の衛生意識は低い。そのときの絶望は大きかった。今もたまたま生き延びているだけ。

 

頑張ったことで回復は遅れ、また更に一週間ほど不調だった。その頃は風呂にも入れなかったし、体重も分からない。今は大台から一キロと少しの減で留まっている。以前と数字では変わらないのに、身体の辛さが違う。何がおかしいのか分からない。糖か鉄分が足りないのか、ケトン体の後遺症か。

歩く体力もなく、本も長く読めない。この頭のきつさがなくなれば良い。やはりまだ食べられていない?目の下のくまというか、その部分が濃い真紫になっている。それは何のせい?ただの栄養不良か疲労?よくある自律神経失調?YouTubeを見るのがぎりぎりのときは、目の疲れが強かった。それも関係あるか。

目の下のくま対策!~①紫・青のくま | 名古屋 昭和区 いりなか眼科クリニック

 

今回でまた自立が遠のいた。金銭も稼げないし、自分の世話も出来ない。そもそも食事すらよく摂れない。もう滅茶苦茶だ。

自家中毒の当日の午前、母が買い物へ行くとき、「早く帰ってきてくれ」と言ってしまつわた。情けなくて仕方ない。それに母は「この家に居ても何も出来ない」と言う。それは本当にその通りで、それに頼らないと心細かった。稼げない、世話を出来ない、頼れない。

「自分で金さえ稼げれば良い」と思っていたけれど、それも無理そうだ。これが何を意味するのだろう。オンライで稼げようが、食品を宅配してもらおうが、まともな生存すら難しい。一人暮らしなんて到底できない。かといって、誰かがいてくれても元気にならなさそう。

 

まだ他にも言いたいことがある。言う時期を逃したものもあるけれど、親の衛生意識、そこから考える性格の違い、役所の怠慢、生命力と医療とコロナ、人生の記録、ディスペプシアとがん悪液質、理性と本能・意識と無意識、時代と精神論、生への執着について。

それら全てをここで記したらかさむ。一つ一つをコンテンツにしても良いけれど、もうここで記す意味はなさそう。読んでくれる人も居ないし、場所にも適わない。基本的な文章の訓練にしかならなかったか。それはここで諦めたらそうなる。

WordPressに移行し、色々な情報発信をする。その原液やフローの更新はTwitter。それを格納するのがブログ。コンテンツ製作能力を上げ、市場で評価される。もうそれだけで何とかなるのではないか。後は課金のシステムがある場所に移動する。

発信で得たファンから対価を貰うこと。今までは旧来の尺度で能力を測り、ポテンシャルがあってハイパフォーマンスを出来る人しか評価されなかった。だからそんな人しか稼げない。そういうメジャーシーン以外にも、ニッチなシーンでメディアやコンテンツを作って稼いでいる人がいる。市場と評価が開かれた世界。

市場でフローコンテンツを作り、評価を得られるようになれば場所を変える。ここではそれが出来ない。問題は自分個人にある。

 

辺りは遅い初雪が積もったけれど、一歩も外へ出ていない。そのフラストレーションがないのは消耗の証か。次の診察では全てを出し尽くさないといけない。そして新しく予約したコロナの接種日はクリスマスイブ。父もその前に接種する。そこまで罹らなければ万事良いか。でも、そのクリスマスイブに打てるかは分からない。頭がきつければ駄目だ。

姉が帰省するかもしれないし、それなのに彼女は二回しか打っていない。副反応がきつかったせいか。これだから役所が三ヶ月ペースで接種を進めれば何とかなった。そうなってからも五ヶ月ペースで接種券を送っていた。いい加減にしてくれ。みすみす市民の命を損なっている。何が「年始には打ち終わりたい」だ。

そしてその前に父親は忘年会に招かれたと言う。同じ面子で自分の葬式にも参列することになるのでは?断れない父親に男気がないし、かといって厳重な意識を持っているわけでもない。全て割り切っているのか、悲しみに暮れることになるのか。後者であるなら行動が伴っていない。

 

こうなると時代や生命力、精神論に行き着くけれど、もういい。天命に委ねる。生に執着しているのは情けないですか?はあ。皆さんはどうかご無事で。

 

11月11~12日 頻脈とワクチンと診察

11月11日(金)

今日の計測では大幅減。昨日から五百グラム以上もだ。直近は尿量の誤差が多かったけれど、今日は夕食で不振。それもただ食前に飲む水の量を誤っただけ。

食前は六君子湯とアコファイドを飲むけれど、六君子湯と同時にアコファイドを含むのを忘れていた。それで二口ほど余分に飲んだだけ。はあ。

下腹部が膨らんでいないどころか、脇腹の肉も削げ落ちていた。腕や太ももも細くなった感じで、腰回りのすかすかな気持ち悪さが堪らない。

 

おまけに昼で頻脈が起きてしまう。ベッドの枕元にもたれていて、腕組みをしたときに発作が起こる。やはり胸を圧迫するといけない。電気信号がどうかではなく、心臓か肺の血流が滞るためだろう。

横になって膝を抱え、いきんでいると収まった。前回より早く楽になったけれど、これがワクチンの接種後に起きたら死んでしまいそう。注射後は安静が第一で、そこで息んだら心臓がぷちっといきそう。頻脈の発生源とも被ってしまう。

 

朝はシリアルをかなり抑え、ようやく程よい摂取が出来る。ただ、やはりそのぶん早く空腹になる。定時にスポドリを飲めるのは良くとも、そこで何かを摂れるまでではない。

そのときに思ったのは、「昼と夕では食べすぎているのでは?」ということ。朝は限度量がかなり下がるけれど、昼夕だっていきなり上がるわけではない。朝のような抑えで摂るならば、もっと一食を抑えても良い。その分がっつり間食を摂ること。

 

診察は三日後にある。このままの調子であれば、「調子はそこまで悪くないはずでも、先月の診察前後は頻脈があったし、体重は全く増えていない」ということになる。まず頻脈のところで引っ掛かるだろうけれど、それが良いのか悪いのか。

望みはタンドスピロンだけれど、効果は一ヶ月後に分かるそう。それでもどうにもならないのではないか。これまでの復調は散歩がトリガーだったけれの、それは春の日和に出掛けたときで、秋に復活した記憶はない。

 

不定愁訴QOLを下げるだけでも、頻脈なりが関われば話が変わる。その異常とワクチンの必要性。はぁ、それと体重の低下も看過できない。

医者が聞けば厳かな態度をするだろう。それが嫌で堪らない。それで何が出来るというのか。新しいディスペプシアのマニュアルくらい手に入れてほしい。自分が買うべきなのか?え?ははは。

11月12日(土)

今日の計測ではわずかに微増。ただ、大台から一キログラムも落ちたままで、かなり痩せてしまっている。ここがぎりぎりの底。以前はここから上がったけれど、それは春がやってきたから。今はこれから冬に向かう。

 

こうなる摂取量なのだろう。たしかに三食でそんな調子か。朝はシリアルを抑えられたものの、明らかに少なすぎる。かといって食間に何か摂れるわけでもない。

昼は一汁一菜がぎりぎりで、本来なら抑えてその量であるべき。であるのに満腹に近い。朝を抑えたのに食欲が薄い。その後はスポドリで収められたものの、本来ならそこで何かを摂るべき。

夕食でも食欲が微妙。一膳は少し少なめで、おかずはいつも通り。それで味噌汁にあまり手をつけられない。一汁一菜にも達していなかった。そしてまた満腹になってしまう。もう滅茶苦茶だ。

 

診察は二日後。帰りは薬局だけで直帰するけれど、かなり空腹になりそう。まず病院に到着したときに空腹になっている。かといって、なるべく摂っておくとパニックの種になり得る。体調が悪くなって皆の前でえずいたのが元体験。

その更に数日後には某ワクチンの接種。インフルエンザは来月だ。過疎地だと個別接種がない。これだから腹が立つ。都会にあるものがなくてどれだけ損失があるか。

 

まず頻脈がどうなるかだ。打つ前にそれが起こってしまえばどうすべきか。打った後はどうしようもなくて、それを鎮めるのに息張る必要があるのが問題。注射後にそれをすれば心臓がまずそう。

そして最近のワクチンのニュースとして、体調不良でそれを打った人が死亡したそう。それについて情報が錯綜しているものの、「接種前から急性の異常があった」「接種前の異常がアナフィラキシーで悪化した」あるいは「事前の意志疎通が足りなくて直後にケアが出来なかった」とあうのがありそう。

これからの自分の未来のようで怖い。まず、接種前に体調が悪ければ打ってはいけない。これは前提として理解しているけれど、栄養不良はどうすべきか。

打つことで頻脈が誘発されそうだし、打った後のそれで心臓がおかしくなりそう。でも、その亡くなってしまった人の憶測として、「基礎疾患があるのだから接種を急いだのでは」「だから不調でも接種を選んだのでは」というのがあった。これもまさに自分同じ。自分の運命を見るよう。

 

嗚呼、せめて先月の診察で言っておくべきだった。ドクターとの関係が微妙で言えなかった。まずドクターからの質問が少なすぎる。初診で自分が「大体のことは自分で調べられます」と言ったせいもあるか。かといって、もっと確認してくれても良い。診察を早く切り上げられる患者とみている?ははは。

タンドスピロンと頻脈も言っておくべきだ。ワクチンの話をしたいけれど、まず頻脈のそれを零から言わないといけない。でも、そうなれば心電図を撮るかになりそう。親にも言っていないことだし、もうため息しか出ない。そもそもは初診の面談でスルーされたのも大きい。それを盾に取ってみるか。

 

11月9日~10日 負債と吸収 タンドスピロンの望み

11月9日(水)

今日の計測でも変わりなし。昨日よりも腹が膨らんだ感じでも、ほぼ変わらない。何回か計ると増えたけれど、基本的に体重計が正しい。今日も万全の摂取ではなかったし。

 

また朝食のシリアルを見誤っていて、やはりどうしても数口多かった。かなり少なくシリアルを盛ったけれど、そこからヨーグルトを加えるため、目測よりも少し多くなる。

それをかき混ぜたときに思ったけれど、そこで楽観して食べてしまう。パンは恐らく五口ほどだったか、シリアルだと六口くらいか。朝はそれほど限度が低い。

それが負債にはならなかったけれど、またスポドリを飲みたくならない。こうなれば満腹になったサインか。きっとそう。その後は散歩に出たくもあったけれど、やめておいた。

 

昼は食欲が微妙だったけれど、ゆっくりと摂ることでそれなりに摂れる。ぎりぎりを程よく収めたつもりでも、それがぎりぎり腹に溜まる。食後は少し満腹感があったけれど、スポドリで収められはする。それは過度な無理でない証。

夕食はよく摂れるのだけれど、体重は増えない。やはり朝食の影響があるのか。昼と夕も万全の調子ではないはず。直近では程よい摂取にならない。余裕がないから取りあえず摂ろうとしてしまう。

 

それぞれの食欲での規定量を設定し、毎回ほどよく摂ること。まずそれが出来ていない。そして抑えて摂るべきかも分からない。抑えて間食に回すべきか、程よく摂ってスポドリで収めれば良いか。その時その時の食欲も違うし、食間で空腹になるのもきつい。

いや、そのときの食欲において、間食を摂れるように摂れば良いか。スポドリしか飲めないのは打撃。基本的に一食で大食すべきでないし、何回かに分けるべき。

この認識がいつまでもつか。コンプレックスも規定量を落とさまいとするし、変わらず食欲が出ない。その前に食べすぎているとすれば、この決まりを守れば何とかなるか。

11月10日(木)

今日の計測では微増。下腹部は膨らんでいて、みぞおちの左あたりに厚さを感じた。下腹部もそうで、姿勢を正せばくびれるものの、最近で一番だったはず。ただ、大台まで五百グラム以上ある。

 

今日は昼と夕でほぼ最良だった。今朝のシリアルはわずかに多かったところで、昼までにぎりぎりスポドリを飲める。それでいて、昼食前は胃の良いサインはあった。

シリアルの量はかなり落としたけれど、まだ僅かに多かったか。「これ以上は少なすぎる」と感じたけれど、それでもまだ多いよう。やはりヨーグルトと混ぜると多くなる。

昼と夕は程よく抑えられる。それで下腹部が膨らむのは良い。負債がないなかで食べれば吸収される?その線はありそう。昼も夕もそうだった。負債を抱えないことと、程よく収めること。

 

次の診察が近付いていて、ワクチンもあと一週後。タンドスピロンと頻脈が話したいことで、後者はどうなるか分からない。タンドスピロンも変えたいけれど、体重がどうなっているか。

初めの質問で今月の調子をどう答えるか。それが悪ければ両者も言いやすくはある。逆に「大台に近付きました」だと言い出しにくい。どちらも言いたいけれど、タンドスピロンは必ず言いたい。それが服薬の最後の望みで、早く飲み始めたい。

それと頻脈も今は収まっているけれど、先月の診察の後に酷くなっていた。それで「言っておけば」とパニックになっていたし、念のため言っておきたい。ただ、初診のときに看護師と面談があり、そこで伝えはしたものの、簡単にスルーされた。それも言っておこうか。

 

 

11月6~8日 程よい規定量 毎回の見極め

11月6日(日)

今日の計測では減少。夕食はいつも通り摂れたものの、また朝と昼で失速してしまう。尿量もなかったし、かつ気を遣っていたのも響いたか。

昨日から五百グラム減っていて、最近で最も痩せていた。大台から一キログラム以上の減。午後に体力がなかったのはそのせい?ただ、頻脈になりそうな感じがないのは幸い。

 

朝は直近からシリアルに変えていて、それは身体に合っていると思うけれど、今朝は食べすぎていたよう。負債にはならなかったはずでも、食前の状態が悪かったため、ある程度の量が溜まったか。

食後は不快でなかったものの、昼まで食欲が出なかった。それはかなりきつめで、更にまとまった量を摂ってしまい、その後は間食を摂れない。これも響いた。

シリアルの量は一人前の半分ほどでも、それを意識してしまった。いつものパン一本という程よい量は、かなり少なかったのだろう。もっと控え目にしないといけない。

 

それにしても、昼も抑えるには状態が悪すぎた。抑える量が少なすぎると耐えられない。それは朝でもそう。

最近は少しでも無理をすると大打撃だ。負債を返していると気持ち悪く痩せる。ただ、夕食に響くまでではなくて良かった。それは学習が効いている。

11月7日(月)

今日の計測では微増。今日も朝食で満腹になりかけたけれど、昨日ほどの負債にはならなかった。規定の量を少し見誤ったけれど、ぎりぎり問題なかったところか。でも、最良で収められはしなかった。

昨日に捉え直したように、パン一本という程よい量はかなり少ない。シリアルの量は一食の半分程度でも、その量に照らし合わせると多い。今朝はぎりぎり収められたけれど、その後にスポドリは飲めなかった。腹持ちはよかったかもしれないけれど、最良ではなかったはず。

 

昼はゆっくり食べた効果か、程よく収められてはいた。ただ、もう少し伸びがあるのが理想。その後にスポドリは二回飲めたけれど、夕方の早い時間に空腹になった。やはり塩梅が難しい。夕食でもまだ伸びが足りない。

真の程よさは遠いか。規定量の設定と内部信号の感受。これが毎回ベストにはならない。その時その時の食欲を見極め、薬を飲んだらちょうど収まる塩梅で抑えること。

11月8日(火)

今日の計測では変わらず。下腹部はそれなりに厚かったけれど、真にそうではないのか。腰を括れさせればたしかにまだまだ。

やはり大台まで到達しないと余裕がない。意識的に散歩へ出ないでいるけれど、その体力がそもそもないところ。負債がたたらなければ作業は可能。

 

今朝はシリアルの量を落としたけれど、まだ足りなかったか。もっと減らすとなると不安になってしまう。でも、パン一本が程よい量ならそうか。今の調子なら食間で空腹になるくらいが良い。

昼は食欲が足りず、最低限は摂れたものの、それだと一汁一菜に満ちない。ただ、慎重にゆっくりと摂った結果、スポドリで余裕に収められる。でも、ヤクルトを飲めるまでにもならない。

夕食は程よく摂れたつもりでも、何だか腹に溜まっている。直近ではヤクルトも飲んでいないものの、それくらいでないから肥えないのか。

 

今年の夏頃だったか、間食で棒アイスを摂っていた。それを収められても「これではまだ足りない」と思ったくらいで、そうなるのこと調子が酷いのは当然か。そのアイスはデフレサイズだった。

 

ただ、この調子くらいであれば、次の診察で色々と話しやすくある。まずタンドスピロンは飲み始めたい。それについてTwitterで検索してみたけれど、言及しているのは二人くらいで、最新のツイートは何もなかった。

それとトリプトファンサプリメントについてだけれど、それは抗不安薬との折り合いが悪いそう。機序はよく分からないけれど、抗不安薬がしっかりセロトニンに効いてくれるよう。

 

それに頻脈についても触れておきたい。ある芸能人の母親はそれで手術したようだし、念のため少しだけだ。ただ、心電図を撮るような話になりそう。それは両親にすら話していないし、そうなるとどうなるか。日帰りでそれを撮る?それをやって害はないだろうけれど。

それでも、ワクチンの接種までに収まってくれたら良い。今はほぼその気配がないところ。予約まで一週間近くになっていて、まずそれを乗り越えたい。父親は三ヶ月間隔で接種するようだけれど、それまでにもらってくるかもしれない。そのときに消耗していればまずい。

 

11月4~5日 それぞれの状態 タンドスピロンについて

11月4日(金)

今日の計測では変わらず。尿量がまたあったものの、下腹部の厚さは変わらなかった。大台まで五百グラムで、少しは肉が付いているはず。次の診察はまともに迎えられそう。まず最低限の体重に達し、出掛けなどでの強度を維持すること。

今日も三食で程よく摂れた。まだ間食は摂れないものの、それでいて下腹部が膨らんでいる。頻脈の気配もなくなった。体力も少し安定しているか?

 

朝食ではパン一本より摂れそうだった。そこをまた抑えたけれど、昼食まで強い空腹を感じるわけではない。そこでヤクルトは飲めなかった。

ただ、昼食前は空腹になっていて、それが一般的にかなり早い時間になる。それが何とかならないかだ。間食を摂るべきでも、そこまでの状態ではない。

 

今日は昼で無理することはなかった。そこからスポドリで収めると、夕方の早い時間に空腹になる。これがちょうど良いのか否か。昼食の量を抑えれば間食を摂れたのか、もう少し摂れば程よくスポドリで収まったか。一食を抑えて間食を摂るべきか、真に程よい満腹になるべきか。

恐らくどちらも真を突いていて、程よく抑えて程よく満腹にならないといけないのだろう。爽快な食欲がない以上、その時その時で快い満腹は変わる。それぞれの状態で程よく摂るべきだ。

食後感がいまいちなのはその前の摂取による。食欲不振も煩わしいけれど、程よく摂ればすぐ消化されるところ。

 

次の診察で話したいのは、ドグマチールに代わる抗不安薬と、トリプトファンサプリメントについて。『脳腸相関―』で初めて機能性ディスペプシアに適用できる他の抗不安薬を知った。「タンドスピロン」というそう。それはセロトニンの受容体の活性剤のよう。ドグマチールセロトニンにまつわるはずでも、こちらの方が作用機序も理に適うもののはず*1

トリプトファンセロトニンのもとになるタンパク質で、それが効いてくれないかと思う。いわゆるプラセボ効果もありそうで、本当に効くと思っていれば効きそう。それは予期不安の逆のようなものか?アコファイドもアセチルコリンにまつわるもので、それもセロトニンがもとのよう*2

『脳腸相関―』には色々な神経伝達物質が紹介されているけれど、セロトニンにまつわるものが本質の原因だろうか。でも、ストレス反応が真の原因なら、食欲不振も下すのも正常だ。そこを化学物質で制御するのは悪影響がありそう。でも、生活は変えられない。それをどう捉えるか。

11月5日(土)

今日の計測では微減。百グラムの減で、このくらいで収まってよかったか。今日は夕食でよく摂れたけれど、朝と昼では失速があった。恐らく夕べに食べすぎていて、その負債がわずかに残っていた。

食欲が微妙ななかで満腹になっていたか。たしかにその後のスポドリが溜まっていた。朝は抑えたものの、その後の空腹が爽快でない。それで昼の状態が悪かったけれど、そこで無理しなかったのが良かったか。

 

程よく摂ったつもりでも、微妙に満腹になっていたりする。食欲が微妙になることはある。昨日は昼すぎに水を飲んだのが溜まっていた。昼食後はスポドリを二回飲めるときもあれば、一回しか飲めないこともある。水が飲みたくてそうなるのはきつい。そういうときはどうすべき?

夕べの寝るときに考えたのは、「食前の状態を感じ、食後の収まりを見極める」ということ。ゆっくりと摂り進めるなかで、薬で水を飲んだ後を想定する。程よい塩梅で早めに収めておくこと。その満腹感を程よく抑えられた場合、間食を摂れるはず。今ならヤクルトだろう。

 

それが上手くできたら良いけれど、今日は状態が落ちていたから出来なかった。食欲がないときこそそうすべきでも、現実の摂取量を許容できないのは仕方ない。

それはそんなものだ。まずは意識的に食前の状態を感じ取り、真に程よく収める。すると次の摂取に繋がり、今度は食欲が増す。ここでも同じように程よく摂れば、だんだんと胃の力が増すはず。このサイクルでいきたい。

 

話を変えると、あるコンテンツを見ていて知ったのが、某ショッピングモールのネットスーパのこと。近所のスーパーも宅配してくれるけれど、登録して電話注文しないといけない。

その一方、この片田舎でもそのスーパーは届けてくれるそう。それもわざわざ県庁所在地からだ。それでも対象の範囲内にある。決済も先払いのVISAカード(バンドルカード)で済ませられる。送料は数百円で、タクシーや自家用車より格段に安いのでは?

 

買い物も在宅で済み、役所関係もだんだんとそうなりつつある。自立して生活するのにおいて、外出は通院くらいで済むのではないか。それで健康を害さず、かつ稼ぐことも出来れば、もう本当にそうなる。前者に全て持っていかれるけど、最低限の生活さえ出来ればよい。

何を思うかというと、稼げれば自立できるということで、それさえ整えば誰からも侵害されなくなる。その対象は家族で、この家での生殺与奪の権を握られているのが弱み。こちらが関係で不快・不機嫌になった場合、相手は必ずそれを盾に取る。

それが本当に煩わしい。自分の性格はどこから継いだのか、両親とそれが全く違う。知的レベルもそうで、快不快やコミュニケーションの取り方も違う。こちらが不快を与えているかは知らないものの、とにかく色々なことで腹が立つ。会話の回転が違うし、内向と外向が合わない、筋道立てて会話が出来ないなど、もう機嫌が合わない。

「そういうことは止めて」と言うと、それが相手の自然体なため、人格を否定されたと受け止められる。すると「買い物へ連れてやらない」と質にとられる。本当に馬鹿馬鹿しい。これを知ったとしてもむくれて同じことをするだろう。筋道立てて話せば最早ヒステリーを起こす。「講釈が」とか、「ああぐちぐち言うな」とか言うものの、であればまともに冷静な講釈を返してほしい。本当に情けない。

 

今日も昼にサッカーの中継が放送されていて、それについて「二時間も見ていれば疲れてしまう」と言うと、意を得たような間と表情で、「ほら体力がない」と泣かば嬉しそうな感じを出している。本当に腹が立った。

それを責めるように言って何になる?親としても責務をそこまで誇示したいか?少しでも権威を削がれたくないのだろう。だったら何で義母には世話をする?義母は対価を払おうとするくらいでも、それを頑なに拒む母親。

自立自活が出来ないのは自分と同じだ。なのに祖母には無条件で世話をしてあげる。自分の病苦も不自由も知っているはずなのに、こちらでは頑なに自立を煽る。それは自然のことであったとしても、こちらはもうどうしようもない。

口を開けば「買い物が出来ないから」と言う。それは仕方ないのだから責めないでくれ。だけれども、もう買い物へはでなくてもよい。そうなるとやはり残るのは自活。金銭さえ手に入れられたらよい。通院もタクシーを乗りこなせばよい。そういう人生なのだから、もう責めないでおくれ。そういうちくちく発言が堪らない。コミュニケーションが合わない、外向・内向が合わない、機嫌が合わない、プライバシーが被っている。

 

詰まるところ、早く祖母宅に引っ越したいし、早く稼ぎたい。それだけだ。一人で暮らしたいとは言わないものの、それに近い生活をしたい。何とかならないものか。一人暮らしを謳歌している人はどんな心持ちか。自分はそれに適のか否か。それが分かるのは二・三十年後か。

 

*1:『脳腸相関』P89より

*2:アコチアミド - Wikipedia

10月31日~11月3日 最低限の生命維持 不快でない摂取

10月31日(月)

今日の計測では減少。今日も昨日のような調子だったけれど、下腹部の膨らみがもう少し。そして間食も摂れず終い。

程よく摂れてこれならば、やはり一日の摂取量をならすべきか。でも、今日も抑える気にならなかった。食欲がそれなりにあればそうなってしまうか。

 

いや、最低限の摂取で良い。ストレスで代謝が上がってしまっている。無理のない範囲で摂ればよい。というか、それをするしかない。

ストレス反応がなくすことが先決で、それが出来ないなら肥えない。だから可能な範囲で摂ること。そうやって最低限の生命維持をすればよいだけ。

11月1日(火)

今日も計測では思いの外増えていた。それは四百グラムくらいだろうか。気が付けば執着せず入浴していた。安堵したのか何なのか、よく覚えていない。

朝はまたパン一本でも、もう一口摂れそうな感じがあった。今日もまた間食を摂れなかったけれど、一食ではそれぞれ快く摂れた方。それも一汁一菜ほどでも、今日は珍しく肥えた。

 

三食で程よく摂れたかもしれない。食べられるとかえってそれが基準になるし、この調子を維持する制約ができればよい。最低限の生命維持を快くすれば良いだけ。

それと今日はゆっくり摂っていた気がして、それが腹の膨らみに影響した?今日も気を遣ったけれど、それが影響はしなかったか。散歩へ出られなかったのもあれど、やはり全く関係はない。

11月2日(水)

今日の計測ではほぼ変わらず。ただ、下腹部には厚みがあった。思ったより調子が戻っているか?そこまで頑張って食べていないけれど、それが効いているのか。

散歩へは出ていないけれど、連日気も遣っているし、それでこれならかなり良い。大食しようとして肥えていないから、維持すべきは程よい摂取。そうなれば摂取をはやることもないのではないか。

 

朝食は事前にパン一本で抑える。今日もまだ食べられそうな感じがしたけれど、それが微かだったから止めておいた。それもあって前もって決めたのが効いたか。

また間食でヤクルトも飲めないものの、それによって落ち着いているのではないか?それでいて一食では程よく摂っていて、スポドリでなら収められる塩梅。

胸の違和感もほぼなくなり、少し屈んだりしても危なげがない。これは体力によるものか?発作が起きたときの体勢をしても大丈夫。ワクチンの摂取が近付きつつあるから、そこまではある程度の調子でいたい。

11月3日(木)

今日の計測では変わらずか。でも、尿量を溜めてしまってそれだった。ただ、下腹部はかなり膨らんでいた。最近だと最も良かったのではないか。

ようやく念願のそれが戻ったけれど、頑張って摂っているわけではない。それが効いているのか否か。程よい摂取は続いていて、それがこの身体にはちょうど良いのか。

 

それでも、今日は昼に食べすぎの気があった。朝はまたパン一本で抑えたものの、そこからの収まりが微妙。空腹にはなっているけれど、スポドリを飲みたいような感じがない。

それで昼の食欲も微妙で、規定の量を盛って食べてしまう。そこから負債にならなかったのが幸いでも、何とか抑えたかった。

 

今日はアクシデントというか、最近の流れで発生しなかった調子だった。昼は量を抑えてよかったし、その後にアイスかヤクルトを摂るのがベスト。

負債がなければ規定を下回りたくないものの、そこは抑えないといけない。それが出来なかったから今日は肥えなかったか。不快感がないように摂るだけで良い。

 

10月28~30日 直視すべき問題 程よい塩梅

10月28日(金)

今日の計測では微減。ただ、尿量的にみればほぼ変わらないだろう。腹の左は膨らんでいるけれど、右側はすかすか。

今日は調子を取り戻し、最近のレベルまで戻ったところ。ただ、間食は何も摂れていない。それでいて一膳はしっかり摂れている。でも、それなのに全く肥えない。摂取が落ちるのは仕方なくても、栄養の吸収が明らかに悪い。

 

昨日から胸の不快感は減っていて、最近は歯ぎしりも落ち着いている。ただ、依然として調子は上向かない。

いや、やはりこれは正常なストレス反応なのか。だから検査しても異常が見つからない。直視すべき問題があり、それを意識的に解決していないから症状が出る。その症状は病気でも、ストレス反応は正常。

生活の状態が悪くなっているはずで、それが哺乳類としての生存確率を下げている。だから自然な反応を起きていて、生き残ろうと懸命になっている。それが正常なストレス反応。そこを抗うのは本質的でない。意識はいつも愚かだけれど、それが賢明に変われば変わる。

 

まず自責を止め、これ以上の無理をしないこと。そして変えるべきものを変える。食欲が出ないのは仕方ないし、摂取の吸収が悪いのも仕方ない。

まず無理をしないことだし、端的に言って、心に栄養が必要。それだけなのだけれど、どうにかならないものか。本当に助けがないのか、その情報もないのか。それがあるのに朽ち果てても悲しい。

ただ、何かを選択できなくても仕方ない。それが自然と出来るならこうなっていない。こればかりは運が関わっているか。何か幸運の女神でも降り下りてくれないか。そのために出来ることはしたいけれど、その切っ掛けや種すらない。この町も体力もだ。

10月30日(日)

今朝は目覚めると胃がぶよぶよな感じがあった。それで早く物を摂りたかったけれど、漢方を飲むとブレーキになってしまう。それでパン一本が限界。最後の一口では気分が悪くなりかける。夕べは無理をしていないはずなのに、どうしてこうなるのか。逆にもっと摂った方が良かったか?

午前は晴れたから散歩に出たものの、強度がなさすぎてきつくなる。頻脈の不快感は消えたけれど、わずかに心拍が上がっただけできつくなる。その胸の危ない感じがして、かなり冷やひやした。

これはなかなかの状態。次の診察はどうなるかで、買い物へ遠出する予定も難しそう。不定愁訴で死ななくても危うい。

 

以前に切り抜いていた、胃がん手術後についての記事をまた見る。やはり胃が弱ければ何回かに分けて摂るべきか。 一食で大食しようとすると大概いけない。

三食のタイミングはそのままで、昼と夕の間食を摂りたい。ただ、朝の摂取が低調なため、どうしても午前の早い時間に空腹になってしまう。そこで軽く摂って昼夕をずらすか。

 

今日の計測では増加。まだまだ下腹部はえぐれるものの、今日は少し膨らみがあった。朝の散歩後にきつかったのを除けば、そこから落ち着いていた。昼に間食を摂れなかったものの、スポドリで余裕をもって収められ、夕食はよく摂れる。

この摂取で肥えたら有難い。それとも一食を抑えた方が良いのか否か。仮に抑えるとなると、一膳とおかずを減らさないといけない。今日も昼と夕では満腹に近くなっていて、その量に抑えるとなると不安に思ってしまう。いつも五口くらいは不快でも摂っててしまう。

不快感が出る前に抑えれば、そこからすぐに空腹となるはず。そこでまた間食を摂れば良い?一食で大食もできないのだし、不快感が出始めてすぐ抑えるのが良いか。間食後もすぐに空腹になるといけないから、程よい塩梅が一番良い。いや、これは何日か前にはっきり考えたことか。

 

10月26日~27日 極めて悪い生活 正常と異常の範囲

10月26日(水)

今日の計測では微減。百グラムのそれがあった。ただ、尿量を加味すれば、直近とはさしたる差がないはず。下腹部の膨らみは昨日よりましになった。

それで左の脇腹付近は膨らんでいるものの、下腹部全体がすかすかだ。腰を左にくねらせると全て持っていかれる。膨らむときとの差がよく分からない。

 

今日も朝食が不振で、パン一本摂るのが危うかった。直近だとそれが続いている。これが普通になったけれど、以前はそうでなかった。そこからスポドリも飲めなかったし、散歩にも出たくならない。頭を使う体力はあるけれど、到底強度をもって歩けはしない。

その一方で、昼はよく摂れる。いや、こう思っていると落とし穴にはまるか。今日も早期膨満がなく、かなり食べたけれどそこまできつくない。間食は摂れなかったけれど、程よく胃が膨らんだはず。

 

そこからスポドリで収められ、夕方には空腹になる。そこでそれなりに食欲があり、程よく摂れているものの、腹がほぼ膨らまない。

もう本当にどうしようもない。病人としてそういうものと受け止める?それは良いかもしれないけれど、いかんせん死にたくない。それに別の病気に罹ったら本当に終わりそう。手術とかを耐えうる体力などない。

 

やはりよく摂れていないのか?朝のそれと間食のなさはあれど、一食でまともに一膳は摂れている。それを意識していて、そのぶん間食が摂れないところ。

少食な小柄の女性くらい食べているはずでも、そうなると実際そのくらいの数字か。大台はそういうこと。この身長があるからいけないのか。案外平均の高さまで成長したけれど、それは生理的な誤りだったのでは?遺伝子は後天的に改変され得るそうだが。

 

『脳腸相関』をちょくちょく読んでいる。そこで二つほど食欲不振にまつわる学びがあった。そこをノートにとりたいものの、まだ読書術・ノート術が身に付いていない。ノートをもったいなく思ってしまうし、アウトプットの力もない。

自活の方も全く成果なしだ。コンテンツもメディアもちんちくりん。微塵も広告価値のないものを記している。はてなに自分の読者もいないし、検索から誰か来ても何も与えられない。書くというスキルは身に付いたけれど、肝心のインプットに中身がない。それをどんな種類のエントリーにするか、も。

インプットさえ極めれば良い。物事を楽しむ力であり、楽しむスキル。それがそのまま発信の種になる。好きなことには名詞と動詞があり、実は後者の部分が得意だろう。

ある惹かれるものをそれで楽しむ。そして自分にあったやり方で表現する。表現とテクニックを磨いても仕方ない。肝心なのはその中身であり、動詞のことを楽しむこと。体調についてあまり考えていないし、学ぶことと考えることを楽しまないといけない。

10月27日(木)

今日は直近で最悪の摂取があったものの、計測では増えていた。ただ、尿量の誤差はあったか。それでいて久しぶりに下腹部が膨らんでいた。ここでそうなるのか。

 

今朝は目覚めたときから胃が不快で、嫌なげっぷも溜まっているような、むかついて吐気もあった。明らかに状態が悪く、まともに摂れなさそうな感じがある。

それで朝食はヨーグルトのみにするものの、その後にすぐ収まってくれない。しっかり抑えたところで、すぐ空腹になる見込みでいた。

そこから少し楽になったけれど、スポドリしか収められなさそうな感じがした。そこでどうしても堪えられず、二百ミリリットルのプロテインを飲んでしまう。それが明らかに腹に溜まり、昼食に影響する。

 

それが母親との雰囲気も悪くしたから、それもあってかなり応えた。散歩にも出られず、買い物に出るのがぎりぎり。

慢性的なストレス、片寄った食事、体調コンプレックスによる無理。もう滅茶苦茶だった。生活は極めて悪いけれど、もちろんそんな生活はしたくはない。鶏が先か卵が先か。

何がこんな生活をもたらしているのか、全く分からなかった。ただ、昼は抑えられていたようで、夕方の早い時間に空腹になる。それで夕食は快く摂れた。その効果で下腹部が膨らむ。そこでようやく安心できた。

 

朝から昼は絶望、夕食以降は心地よい希望。「気楽に収めれば良い」というのは何遍も新鮮に浮かんでくる。それが出来なくなるのは何故か。トラウマ由来で情動が狂ってしまう線がある。

ただ、今朝の不調は顕著だったし、朝はヨーグルトだけで収めれば体力が落ちる。夕べはヤクルトを飲んだ後にスポドリも飲んでいて、それが溜まったのかもしれない。でも、寝る前に溜まっていたわけではない。

こればかりは不運なのか。それでいて、程よく収めればすぐ空腹になる。それによってある程度は生命維持が出来るから、どこが正常・異常の範囲なのか分からない。

 

10月24~25日 病的な下腹部 胸の不快感

10月24日(月)

今日の計測でも変わりはなし。でも、計測時に全く腹が膨らんでいない。それでいて減っていなかったのは何なのか。夕食はよく摂れ、腹が膨らんだ感じもあったけれど、厚着していたからか?

 

今日も朝食で不快感があり、パンを一本収められない。更にぎりぎりまで摂ってしまった感じでも、そこまでにはならなかった。

そこから早くに空腹になり、ヤクルトを飲める。昼と夕は不快感なく摂れ、程よい塩梅で収められる。だけれども、下腹部は最近で一番病的な感じがある。

 

何もしなくても辛くはないけれど、早く安全圏に抜けたい。食間でヤクルトは摂れるようになったけれど、まだ回復していない。無理もあるし、早期膨満と食欲不振もあり。

程よく食べないといけないし、そういう不定愁訴もある程度は収まってほしい。かつて上向いたのは運ではないか?散歩へも出られないし、まさに運しか要素がない。

 

そして今日はずっと胸の不快感があった。記していなかったけれど、昨日もそんな感じがあり、入浴時は危なかった。頭を下げてシャンプーするだけで頻脈になりそう。

それは今日もだった。食事を摂っても楽にならない。胸から喉にかけて苦しい感じがある。その頻脈になったときのような、若干血の気が引いているような感じがある。少しでも顎を下げると怖い。

 

前回の診察でドクターに言えばよかったか。そんな後悔をしつつある。いや、であれば診断を確定しなければならず、心電図を録ることになったはず。そうなれば親に告げないといけないし、隠しているから驚かれる。

かといって、いきなり死んでしまうかもしれない。数年前から発生しているのだけれど、それは関係ないか。ここまで不快感があるのは最近になってから。

「上室性頻拍」を調べていたら、学校での突然死の記録を見つけた。それが実は世の中に溢れているよう。何が自分とその人たちを分かつ?いつどうなってしまう?大きい病院で検査すれば良い?嗚呼、もう時の流れに任せようか。これが遺言になるかもしれない。

10月25日(火)

今日の計測でも全く変わりなし。ただ、やはり下腹部の厚みがない。もちろん腰回りも骨張っているし、全く余裕がない。今日も夕食はよく摂れたはずだけれど、どうしてなのか。

 

今朝の調子もよかったのだけれど、食べ進めると雲行きが怪しくなる。それでパン一本が限界だった。ここでこの調子はまずいだろう。

その後にスポドリも飲めなかったものの、昼では食欲があった方。そこで一汁一菜を収めるも、今度はなるべくよく摂ろうとしてしまう。

直近でマニュアルを確かにしたのに、またも無理をしてしまう。ただ、食後はきつくなったものの、夕方には空腹になっていた。恐らく昼で食欲があったからだろう。それがあるとぎりぎりまで収められるか。でも、間食は摂れない。

 

昼の摂取ではふと内部信号を感じていて、一膳の残り四口くらいでそれがった。腹に溜まり始めたところで、「ここで抑えれば良いのか?」と感じられる。

でも、それだと摂取量を気にしてしまうところ。そこから二口くらいが適度な限度だろうか。そこで抑えればすぐ間食が摂れるはず。でも、今度はすぐに腹が空きそう。

 

胸の違和感について、今日は昨日より楽になる。昨日は入浴にかけて怖かったものの、寝るのが近付いた頃にすんと楽になった。そこで割りとはっきりその感じがある。

今朝は肉体的に楽なサインもあったし、昼にかけてまた違和感がしてきたけれど、そこまでではない。どちらかというと喉の詰まりのよう。昨日は首を下げるのも危うかったけれど、今日はまだ挑戦できる。

これも頻拍の症状なのか、栄養不足で貧血なのか。どちらにせよ体力は関係あると思う。体調がよければ静まる体感。まだ早い話だけれど、体調がよくなっても発作が起こってしまうのか?そうなれば検査しないといけないだろうか。どうしたものか。

 

10月22~23日 食間での胃酸のサイン 完璧な摂取

10月22日(土)

今日の計測では増加していた。尿量の誤差はあれど、下腹部の厚さが戻っている。一食を抑える意識を控え、なるべく摂るようにしてみたところ。

午前と午後にヤクルトを飲み、一食もそれぞれぎりぎりで収める。それに効果はあったと思う。昼に満腹の感があったけれど、その後に収まってくれたのがよかった。

 

意識していたのは、空腹になったときのサインを感受すること。そこで変わらず食欲が出ないものの、胃酸が出るような感じはあった。そのサインは悪くないのか?

そこに不快感やもたれがなかったため、スポドリ以上のヤクルトを摂る。その後も収まりがよかったため、一食にほぼ影響がなかった。この戦略なら上向いてくれるか?

 

一食がたたらなかったのはよかったけれど、何があってそうなったのだろう。それを分析しておきたい。一食の無理は依然として厳禁。ただ、昼は満腹に近かったはず。

早期膨満がなかったからよかったのか?となると、一食も間食も無理は厳禁。程よく胃を広げつつ、間食を潰してはいけない。

うん、それが出来ないて困っていたところ。直にまた満腹で苦しくなってしまう?基本的になるべく無理を避けつつ、食間で胃酸が出たら何か摂る。そのサイクルが続けば胃が強くなるか。

10月23日(日)

今日の計測では変わらず。腹は膨らんだ方だけれど、下腹部の厚さはなくなっていた。朝と昼の摂取が低調だったものの、夕食で持ち直したところ。

朝はまたパンを一本を収められなかった。それはまた負債がたたっていたのか。前日は入浴後にヤクルトを飲んだけれど、スポドリで収めるのが無難な感じはあった。だからその線だろう。

 

昼では早期膨満があり、ぎりぎり満腹にもなったため、間食を摂れない。立て続けにヤクルトを飲めていたけれど、そのリズムは崩れてしまう。やはりそんなところだ。

腹は程よく膨らませないといけなく、多少強引だと負債がたたる。この絶妙なラインはどうしようもない。一気に状態が傾くことはないけれど、長く全体的に低調だ。

食欲を見極めつつ、可能な範囲で程よく摂って、間食へ繋いでいく。それが完璧なら徐々に上向くだろう。それがないから食欲不振になる線がある。夕べも無理の感じはあったし、やはりそうなのか。

 

ふとこのブログの更新について。体調について、特にそれを記したくはない。前からずっとそうで、なぜならそれについて考えていないから。考えたことでないと書けない。物書きならそういうことを書いても仕方ない。

だから考えていること書くこと。体調はそれが悪ければ考えるけれど、本の良し悪しを考えてはいない。全ては医学、身体、自活の本質を学びたいまで。ジャンルはそれであり、向いている得意な作業は書くこと。

書くのが得意であったとしても、興味のあることを書かないときつい。興味のないことは自然と考えないから。だから無理する必要はないはず。もっとメディア運営とコンテンツ製作を工夫しないといけない。

 

フローとストックの更新も分けないといけないし、それをどんなメディアでするかも重要。全てはインプット・アウトプットの質、ある情報発信のプロにならないといけないけれど、届け方も同じくらい大切。基礎となる順序はあれど、適切なフィードバックがないと変化できない。

仮にこのブログで収益を挙げようとしても、付加価値がほぼないところ。場所として直接の課金は不可能で、販促できるような情報発信にもなっていない。そもそもアクセスが少ないし、集めるために本気で工夫していない。

もっと根本からやり方を変える必要がある。自分はどんな消費と生産が可能なのか、それを煎じ詰める。まず消費を楽しむ力を身に付ければ、そこに好きと得意、名詞と動詞がある。前者で知見を貯め、後者を極めれば生産に繋がる。その土台さえしっかりしていれば、後は自然と付加価値が付いてくるはず。

 

10月20~21日 一食の抑えと補い 真の底

10月20日(木)

今日の計測は変わったのか減ったのか。何回も計ると昨日より減ってしまう。夕食はよく摂れたはずなのに、全く肥えていない。

今日は不調の兆しが多かった。散歩に出たら早くにきつくなり、図書館の手前で折り返してしまう。そして昼には二回も頻脈になる。後者はそれが収まってもまだ違和感がする。何だか不快で不安だ。もうよく分からない。

 

このまま全く肥えないのか?冬場は特に上向かないし、どうなってしまうだろう。春までこの調子か?散歩に出て調子を上げるのも難しくなった。

一食を抑えて間食を摂ろうとしているものの、それが上手くいきだすとこうなる。一食でそれなりに摂った方が良いのか。かといって、それが噛み合うと満腹になりだす。

 

無理をしないようにすれば、ほぼ一汁一菜を摂れる。それだと小柄な女性の一食か、小学校低学年の給食くらいになる。それだけでも摂れたら良くないか?これ以上はどうしようもない。不自由のある人生としては十分だけれど、とにかく死にたくはない。

10月21日(金)

今日の計測では更に減少していた。大台から一キログラム減で、ここが大台のように錯覚してしまう。真の最低の底がここだ。

以前はここから数百グラム落ちたはずでも、それはとても危険。午前は到底歩きに出られず、胸の不快感がずっとあった。昼と夕方は楽になったものの、肝心の夕食後に腹が膨らまない。

 

問題なのは朝食で、久し振りに負債がたたってしまう。それは寝る前の摂取によるもので、牛乳を余分に摂ってしまった。

入浴後の腹は空腹に近かったものの、そこまでではあった。多少の摂取ならよかったはずでも、コップに注ぐ量を見極められない。ほんの一口のはずでも、それが寝る前にはきつく溜まっていた。

 

翌朝は最悪の状態でなかったものの、パンをいつもの八割しか収められない。いつもは細いそれ一本のみ。それが影響したと思う。

それでいて昼は早期膨満が全くなく、食後の余裕はそれなりにあった。そこから気を遣れたのが影響した?どれほど栄養がなくとも、全精力は至上の生命活動に捻出される。

ただ、栄養がないと身体を分解してしまうようだ。もう次世代さえ残せたら良いのか。この身体は捨てても良いと。生きるのは常に綱渡りであり、そんな人が今もいる。直接それで事切れずとも、この世界は未だ脅威がある。

 

一口をはやれば影響が大きく、懲りて抑え続けても痩せる。常にほどよく収め続けなければならない。それが出来ない疾患だというのに、もうどうしたものか。

一食を抑えるというのは、それ自体に効果があったとしても、その分を間食で補ってこそのもの。そこを意識すればよかった。でなければただのダイエットでしかない。

昨日も記したけれど、そのような病態は仕方なくとも、せめて廃人のままでいたい。そこから本当に死んでしまうのは嫌だ。これからよくなるか心配。

 

10月18日~19日 食欲による限度と間食

10月18日(火)

今日の計測は昨日と変わらず。ただ、最近の調子だと高止まりではある。今日の三食の体感はそこまででも、腹は膨らんでいた方。

それでも、まだ腰をくびれさせるとえぐれる。まずは大台へ復帰したい。散歩へは出られなかったものの、肥えも痩せもしない。何が切っ掛けになるのか。

 

今朝は夕べに食べすぎなかったからか、食欲があった。それでよく食べたくなったけれど、以前の失敗の感覚が浮かび、意識して抑えようとした。それで結果は奏効する。

それはよかったものの、今度は食間で早くに腹が空く。それでいてヤクルト以上を飲めそうにない。抑えの摂取と間食が鍵だけれど、昼ではまた満腹に近くなる。

 

まだ食間での強度は感じられない。晴れていたら歩きたくなったはずでも、それが叶う体力はあったか。午前はその空腹で歩けなかった。まず大台の半ばまで肥えたい。それは今から一キログラム増。

アコファイドを食前に飲みだしたけれど、まだ効くわけではないか。あまり期待していないけれど、実は効いたりしないか?でも、今朝はいつもの癖で飲み忘れる。予想外があればだ。

今日の計測では減少。かなり減った体感で、下腹部の厚みはほぼなくなっていた。余分な肉が全くなく、最低限の生存にしかエネルギーがなさそうな感じ。

三食では無理がなかったものの、間食でなにも摂れなかった。寝る前にはなにか摂っておきたいところ。

 

今日も朝食の摂取が上手くいき、午前の早い時間に空腹になる。九時半くらいにはその感じがあったけれど、悪い線だと歩きに出られない。

そこから十五分くらいで真に何かを摂りたくなる。ただ、その選択は控えておいた。今朝も腹に溜まった瞬間に摂るのを止める。だから真に腹が空く。食欲のなさは無理による線が強くなったか。

 

朝食で摂取は抑えが効くところで、それを昼夕でも実行したい。まず食欲を見極め、ある程度の限度量を定めておく。そしてそれを下回るよう抑える。

そこから空腹になった場合、そこでしっかりと摂ることが大切。当たり前のことだけれど、次の摂取を考えて無補給になりがち。それは不定愁訴とコンプレックスが入り混ざるから仕方ない。その三要素だ。

どんな要素があるときつくなるかを解明したい。おおよそは無理か不定愁訴によれど、無理の方は意識の介入できる余地を見いだしたい。食前のどんな食欲が影響するのか、あるいは食間の長さとタイミング。それがまた食欲に影響して繋がりそう。

 

午後にスーパーへ行き、カルシウムや鉄分やらが含まれる謎の粉を買う。何にでも入れるとよいそう。粉末の栄養補助食品。変わった食品を摂りたいけれど、買うのも作るのもどうすればよいか。

三食で抑えが効けば、三回の間食が摂れるはず。そうなればかなり栄養が底上げされる。食費はかかるものの、今はかからなすぎるくらいだろう。気にせずどんどん買っていきたい。

 

10月16~17日 腸内細菌による代謝

10月16日(日)

今日は特に体調を記したくなかった。かといって、変わらず最高に調子がよいわけでもない。

朝は散歩に出たくなったものの、力が満ちていなくてすぐ折り返す。昼では早い満腹があり、間食を摂れない。夕食はよく摂れたものの、食後に薬を飲むと少し気分が悪くなる。ただ、体重は思ったより増えている。何なのだろう。

やはり食間に腹が空かないし、そこでガス欠を起こしてしまう。そのときは強度をもって身体を動かせない。以前はそれでも耐えられていたし、それが今の調子の限度だろう。

 

散歩後には胸の違和感のようなものがあったし、余裕はないか。明日が通院日なのだけれど、何も進展はなさそう。薬にも期待していない。化学物質はかえって逆効果すらあり得るし、もうなんともならなさそう。

ストレスをなくして食生活を変える。それが脳腸相関の本から読み取れる。単純に社会交流のなさがストレスであり、それが慢性的に続いているため、ストレスに過敏反応しているのではないか。

あるいは腸内細菌まで狂ってしまったため、滅茶苦茶なシグナルが出ているかだ。何が始まりかは分からないものの、ストレスと神経伝達物質が鍵のはず。大本のストレスと脳腸相関。

10月17日(月)

今日は午前に診察を終えたものの、帰宅して昼食を食べすぎる。そして案の定、夕食にも影響してしまう。それを少量で済ませ、嫌な気分で意欲なく記している。

診察でも案の定、何も得られなかった。それどころか五分診察が極まる。体力の状態も怖くなってきたし、もうよく分からない。何なんだこの人生は。

 

誰が読んでくれるのか分からないけれど、感情を吐露するのは面白くなってきたか。自分のコアな部分を表現すればするほど、同じコアな魂に響くかもしれない。

もうそれくらいしかないだろう。全てに何の意味があるのかと思うし、やはり世界は生き物を幸せにするものでないか。全ては正しいのか?

 

診察の最初の質問で、最近の調子を答える。「極端に悪くはないけれど、もちろん良くもない」。それで体重を答えると、「大台は維持した方が良い」とのこと。それはもちろんその通り。

更に先月と変わらず「食間で腹が空かない。それは無理か不定愁訴のせいなのか」と答えるも、「生き物は冬にかけて肥えるのに」という返答がある。

そこで自分は「春に肥える傾向はあり、神経伝達物質や自律神経がおかしくなっている線を考えている」と打ち明けるも、もうそこでの返答を覚えていない。そこからアコファイドについて検討され、ドクターがおもむろにスマホで調べると、「食後ではなく食前に飲む薬だった」と言われる。

嗚呼、せめて消化器科に罹るべきか。それを問いかけもしなかった薬剤師。もう滅茶苦茶だ。まともに知性がある人間はいないのか。もうそんな従事者はこりごりだ。そんな人間とは一秒も関わりたくない。本当に下らない。自分たちの行いの根底を考えようよ。薬について考えようよ。治療を何だと思っているの?

 

負債がたたっていたのかいないのか、朝食はパン一本と一口。それで抑えられたはずでも、出発までの収まりが悪い。せめてものスポドリも摂れない。それでいて、出発して少しすると空きっ腹になる。

そこから行程で無補給が続く。ようやく帰宅して昼食を摂るも、用意した量が中途半端だった。あれは少なかったのか多かったのか。結局は食べすぎになってしまう。

 

昼食の時間が遅くなったし、満腹を避けようと意識していたのにも関わらず、気が付けば意識から飛んでいる。食後の気持ち悪い腹とげっぷ。夕食では無理できなかったし、風呂にも入らない方が良い。

どうにも食間のガス欠の感が強まった気がする。三食で摂れる量が少ないため、それを何回かに引き伸ばせもしない。だから飲みたい栄養のジュースも摂れない。鉄分もタンパク質もヨーグルトも、野菜ジュースも何もかも。ここからなんともならないのではないか。

 

『脳腸相関-』は専門家へ向けた内容に思えてきたし、異常がどんどん列挙されていて萎えた。それでいて不定愁訴の原因が釈然としない。効果的な改善方法は記されているのか?

一つ思い当たる節があるとすれば、摂取が応えないように同じものばかりを摂っている。そうすると腸内細菌による代謝が狂うよう。でも、一般的に胃へ負荷がかかるものは控えるべき。摂取が滅茶苦茶だから滅茶苦茶なのか、ストレスで滅茶苦茶だから摂取が滅茶苦茶なのか。

 

参考文献