欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

9月2日~3日 復調の原点

9月2日(金)

今朝の目覚めは悪く、いつものように胃の状態も良くなかった。朝食は直近の摂り方を維持するも、その後の収まりが悪い。そして昼までに空腹にならず、昼食でも快く摂れない。

朝食ではアイスを食べたい感じがして、それで少ない量でも負担になったのだろう。それでいて一口をはやったため、間食もまた摂れない。どうしても摂取量を直視したくなく、もうストレスの理論など吹っ飛んでしまった。

 

それでいて、今日の計測でほんの少し増えた。一日の摂取は低調だったのものの、夕食はするすると摂れる。食欲が強かった訳ではないものの、間食でヤクルトを飲んだ後は空腹だった。

食前の漢方後もあまり爽快でなかったものの、早期膨満なく食べられる。それはゆっくりと食べたのが大きかったか?最初から大食をするつもりがなく、一膳も少なめに盛っていた。食欲もあっただろうけれど、少しずつゆっくり食べた体感はある。

 

色々と摂り方を認識してきたけれど、結局は体調によって吹っ飛んでしまう。「無理さえなければ」と捉え直したものの、食事を目にすれば全てが無効だ。

無理が完璧になくなれば体力は満ちるだろう。それで生存の確率を上げ、消化へエネルギーを使えるようにする。これでそれなりの体調になるはずだけれど、ここ何年もそうなってはいないか。やはり社会交流なのか?風邪の病み上がりのようには回復しない。

 

これから秋だから、少しずつ散歩へ出た方が良いか。そうしないと冬の間も体調が変わらない。もう歩くくらいしかストレスの低減方法が分からない。

原点に立ち戻れば、「身体は動けば動くほど楽になる」という言葉を信じて歩いたのが効いたのだった。一昨年と今年の春はそう調子を取り戻したはず。

 

ここからは余白。今は不定愁訴と自活のことしか考えていない。前者の解明と回復、それと後者の達成。

ただ、Amazonのリストには不定愁訴に関連するタイトルがない。『敏感すぎるあなたへ』かポリヴェーガル理論を復習すれば良いか。恐らくはストレス反応でしかないだろう。

自活はとにかく稼ぐ能力を身に付ければ良い。せめてまずその能力を身に付ける行動をしたい。

それとふと思ったのは、「天職を探すことが天職になったりしないか?」ということ。それを探すのが最も楽しいかもしれない。自分を仕事にする生き方。そのための知識は誰かも求めているはず。そのセンテンスや論理立てたものをまとめたら、それなりのコンテンツになるのでは?その発想が有りならば、インプットを高めるのは苦でない。後はそれをまとめるのが苦でないか否か。

9月3日(土)

今日の計測では壊滅状態。いよいよ本格的な体格になってしまう。直近までまだまだ脂肪があったのが分かる。

夕方に祖母宅でアクシデントがあり、ストレス反応状態で夕食を迎える。それでいつもより摂れない。そして計測で大台割り。四百グラムの減は痛すぎる。これから上向くしかないのに、全くすんなり変わっていかない。

朝食では調子が悪く、昼でよく食べられても満腹になり、偶然の出来事でかき回される。そろそろ何もしなくても辛くなりそう。それは明らかな胃の不調が続けばそうなる。すぐ回復はしそうでも、調子が調子だ。

 

また繰り返すけれど、もう体重のことなんて気にしたくない。それはコントロール出来ないもの。ひたすら無理を減らすしかないし、それで上向かないなら万事休す。

不定愁訴から直接の死があるわけでないし、もう執着を手放しても良い。どう推移するかはもう脳か神が決めること。自分は全く介入などしていない。全て偶然の流れ。必然であり偶然。意識がどう捉えるかのみ。

 

そして不運なことに、いよいよ疫禍が忍び寄ってきた。父親の職場で患者が発生。もう数日で発症を迎えるか否かのところ。それで命運が決まるだろう。何というタイミングなのか。

消耗すれば消耗する体力などない。衛生意識の低い人間には本当に腹が立つ。出来ることを完璧にしてから運で嘆け。対人距離!黙食!換気!人を笑うと人から笑われるぞ?責めを負われないことはない。それは普段の行いによるものだ。

 

賽は投げられた。不定愁訴で事切れるか、疫病でそうなるか。更新がなくなったらそういうこと。でも、誰も読んではいない。もう自分でも読み返さない。嗚呼、何なんだこれは。

ここから脳の土壌を肥えさせようというのに、ここで終わるのか。嗚呼、嗚呼、地獄を見て死にたくはない。地獄は死後になどない。残酷な生の最期にあるものだ。

 

今朝のメモ。「勉強するのが飽きてきた感」があるような、ないような。まだまだセルフフィードバックの知識は足りないものの、それなりには満ちてきてきた。後は不定愁訴を解明できれば良いだけ。それはほぼ解明しているけれど、改善が足りないところ。フィードバックと行動の結果が帰ってこない。

学びの刺激や楽しさが薄れた感じがした。それで「強く人助けをしたい」とか、「感謝されたい」という気持ちまではない。ただ、毎日欠かさず何万文字も読むのが飽きたか。

もっと別の刺激を求めたいところ。読むのはもっと遅く気楽で良い。あるいは再読を増やし、真の知識から論理や意見を生んだりする。それが良いと思う。

 

8月31~9月1日 病み上がりとストレス

8月31日(水)

朝の胃の状態は微妙だった。それは夕べに堪えられずアイスを摂ったから。過重な負荷にはならなかったけれど、ただ甘味を摂りたいだけだった。胃の爽快な食欲によるものではない。それが引かなくて微妙になった。

夕べはスポドリで収めるのが最善だったか。でも、それだと寝るまでに空腹になる。翌朝はフラットになるとしても、それでは身体が苦しくなる。ここ最近はそのきつさがあるか。目覚めるとどことなく飢餓感がある。それは回避したいし、抑えすぎても胃が弱る可能性がある。

 

食欲が出ないのは問題でなくて、そこで食べすぎるのが問題。ほんの少し栄養を摂るだけが最も良い。すると胃はフラットになり、次からは食欲が湧く。

早くフラットになりたいところ。そうならなければどうしようもない。摂り方の問題もあれど、食欲のなさが顕著だ。その原因を早く見つけたいところ。

 

理知的に問題を解明しているはずでも、その問題はどんどん深刻になっている気もする。何も解決されておらず、どんどん身体の深部が削られるよう。不定愁訴は仕方ないものでも、今の世界は他に危険が満ちている。余裕がなさすぎるのは問題。

 

今日の計測では微増。もう少し増えても良いかと思ったものの、ここ直近で胃の持久力が落ちているし、当然の結果だろうか。最良の量は摂れたものの、それは無理のない程度のものだった。

今朝の調子は微妙だったものの、そこではっきりと摂る量を抑えたのが良かった。その結果として、昼食までにかなり早く空腹になる。

やはりこれまでは食べすぎていたのか。それは分かったものの、少し前の調子でも持久力が落ちていたということ。パンを収められる量が落ちていた。まだ引き続き摂取量は抑えた方が良さそう。

 

明日の朝食も今日と同じにしようか。目安の規定量は今朝のそれ。もう二口は食べたくなったけれど、それが顕著な差を生むもの。そうやって昼食に繋げた方が良い。

そして昼にスポドリを飲みすぎなかった。昼は間食を摂れ、その後にまず一口のスポドリを飲む。その後にも甘さが欲しくなり、夕食の時間も考慮すべきだと思ったものの、そこで何とか抑えた。それで夕食では美味しさを感じる。

どことなく食べすぎがあるのだろう。それが朝食の二口と夕食までのスポドリ。それをなくすだけでかなり楽だ。これが鍵なのだろう。ようやく気付いた。

 

ただ、食間の空腹で食欲が湧かない。これは変わらずよく分からない。まだ体調が整っていないからか?体調に関わるのは胃と栄養の状態。

胃の状態によって栄養が落ちれば、それがストレスになるというのか?その状態では消化が滞るため、まず胃の状態を整える。きつい満腹は害意から逃れるとすると邪魔だ。

そこから栄養状態を良くし、体調を整える。この状態になれら生存確率が上がるため、消化にエネルギーを割けるようになる。つまり「胃と栄養状態が整わないとたくさん摂れない」ということか。

今はようやく胃がフラットになったところで、この状態でもまだ食欲は出ないのか。体調不良を他のものを置き換えてみればどうなのか?例えば風邪を引いたとすれば、風邪が治ってもすぐには食欲が出ないはず。弱った状態での消化はエネルギーを使う。だからまずは最低限の摂取をし、体力をつけていく。

 

まず「体調が悪くなる」というのがストレスであり、闘争と逃走に近い反応が起こる。例えば陰でしっかり休息するとかだ。

自分の場合は胃の不調と栄養不良で、ここで大飯を食らえないようになるはず。猫も体調が悪くなると隠れるらしい。そこで大飯を摂る体力はないし、摂ってしまえば闘争・逃走へ力を振れない。だから食欲不振になるのは原因がある。それは健全で有り難いものだ。

9月1日(木)

今日の計測では変わらず。ぎりぎり大台に達しない水準だった。体力は顕著に落ちていないものの、だからといって充実している感じもない。

変わらず食間の空腹で食欲が出ない。買い物へは出掛けたものの、散歩へは出られないところ。家の中でもふらつくのはある。まだまだ栄養状態は万全でない。

 

朝は早く目覚め、胃や身体を落ち着かせてから漢方を飲む。それでそれなりの状態になったものの、予定通り規定量をかなり落とす。

それで程よく収まった感じがしたけれど、その後にヤクルトは摂れなさそうだった。そこで何とかスポドリで収めると、昼食はそれなりの状態で迎えられる。

 

昼食と夕食ではぎりぎり満腹になったか。そこで意識の介入が弱まるのは仕方ない。詰めの甘さはあれど、もうどうしようもない。

今日は間食を摂れなかった。それが気掛かりだったものの、夕食までに空腹にはなる。スポドリを飲みすぎなかったのが効いた。それで夕食はよく摂れるも、計測に反映されない。

 

朝食と間食のなさのせいだろう。朝食後と昼食後の収まり。全体としては悪くない感じでも、もっと増量はしたい。かなり調子が落ちている。

でも、まだまだ体力が満ちていない段階か。この段階だとまだストレスがあり、消化にエネルギーを回す余裕がない。まずは全エネルギーを用いないよう、必要最低限の摂取をし、体力を整える。

 

これから中期的なスパンで考えるべきか。今は病み上がりと見て良い。風邪が治った直後のようなもので、徐々に体調を戻すのが肝要。

体力が落ちているのだから、そこで大飯を食って元気になろうとするのは誤り。そうすれば少ない体力が全て消化に使われ、余力を失う。外敵から逃げ延びづらくなるし、そもそも体調不良はストレスだ。ますますストレスが強くなる。

 

自律神経系は飽くまでも伝達のハイウェイ(=高速道路)ではないか。自律神経系の反応もあれど、まず脳がストレス反応を起こし、それによって神経伝達物質が分泌される。それを各器官に届けるのが迷走神経。脳がどんな反応をするかにより、迷走神経か交感神経が活性化する。

今は孤独と体調不良がストレス反応を起こしているはず。それによって背側迷走神経か交感神経が稼働している。社会交流と栄養状態の改善。これが機能性の不調(=器官に異常がない不定愁訴)を払拭する。

それは「生理的欲求・安全の欲求を満たして所属・愛を得る」という順序ではないか。だとすると、何年も変わらない日々を再現するまでか。最低限の体力を満たしたとしても、それでストレスがなくなる訳ではない。先に社会交流できることもないし、どうなることやら。

 

必要最低限の体力があってもストレスがなくならないのは何故?一人で暮らしても食欲が出る人はいるはず。その辺りがよく分からない。家の外で社会交流しているのか?社会交流の有無に原因があるのか、不安による過大なストレス反応なのか、体力がそこまで満ちていないからか。

取りあえずもう二から三キログラムは太りたいものの、そこまで達する手段はないのか?考えられるのは散歩くらいで、それにストレス低減効果があったならつじつまは合う。

ひとまずの目標は、大台を維持しつつ、もっと底上げをしていくこと。体調不良=栄養不良というストレスを着実に低減し、『敏感すぎるあなたへ』にあるトレーニングと、基本エクササイズを欠かさないこと。それが今の対処方法だろう。

 

参考文献

8月29日~30日 体調不良というストレス

8月29日(月)

今日は目覚めが良かったものの、また二度寝をしそうで危なかった。何とか眠りに落ちないようにして、数日振りに早く起きる。

夕べは全く規定量に届かなかったものの、観念して抑えた効果があり、朝の胃はフラットだった。夕べは入浴後にアイスを摂る。胃がきついなら抑えてそうすれば良いか。

 

朝食でも内部信号を感じ取れ、その後の収まりは良かった。昼食の時間より早くに空腹になる。これは久し振りの良い感触だった。

昼食ではそれなりの量を収められる。食前の漢方はそこまで効かなかったものの、食欲が失われる程ではなかった。更にその後の収まりも良い方で、間食にヤクルトを飲む。

 

今朝の胃はかなり爽快な方だった。前日の調子が収まっているとそうなるか。夕べは一膳を半分にしたものの、それで胃の負荷が取れた。そしてその後の調子が良い。

やはり食べられなくなるのは効果があるよう。そのきつさを許容すれば、身体はきちんと楽になっていく。その収穫があった。以前も考えたけれど、一膳を減らしても良い。食欲がない内はそうだ。

 

今日の計測は意外にも増加だった。何とか大台割りは脱したところ。夕食をよく摂れなかったものの、朝と昼でカバー出来ていたのか。

昼食後は収まりが良く、それで夕食の幸先を思ったものの、食欲が落ちてしまった。これも食べすぎを回避すれば良いのだけれど、またぎりぎりまで収めてしまう。

昼の間食後のスポドリ、それと夕食での満腹。スポドリは飲みたくて飲んだのだけれど、夕食までの食間を意識して収めたのはある。それがなければ摂っていなかったかもしれない。それで夕食までの食欲に影響した気がする。

計測で増えたから良かったものの、夕食ではかなり抑えた方が良かった。そうすればまたアイスを取れたはず。なるべく抑えたのだったけれど、もっと断固たるものにすべきだ。

 

食欲に応じて摂ればすぐに収まる。少しでも無理をすれば全てが残溜する。ここの摂り方は表裏一体だけれど、その差とは何だろう。

食欲が減るというのは、飽くまでもストレスに対する健全な反応。何も摂らなくても良いだろうけれど、食べ進めて僅かでもきつくなりかけたら止めるべき。そうすればすぐに消化され、少しは力が満ちる。

でも、少しでも警告を超えると酷くなる。これは当然の報いなのか。元々の状態が好ましくないなかで、また更にメッセージを無視すると最悪だ。そうすれば本当に消化に手間取られ、更に体調が悪化する。そうなるとますます生存確率が下がる。

 

ふと感じたのは、「体調が悪い状態」というのもストレスなのかもしれない。ストレスを「生存が危ぶまれる状況」と定義するならば、この状況も非常に危ういもの。原始時代と同じような反応になるのだろう。

体調が悪ければ、逃走と闘争に割けるエネルギーが減ってしまう。 まずそこですべきは休養だろう。摂取によって消化にエネルギーを割いてしまえば、よりエネルギーを充満させにくくなる。

「社会交流が出来ないからストレスになる」ではなく、「体調が悪いからストレスになる」ではないか?社会交流のなさが先立つかもしれないけれど、その可能性も出てきた。

少ない摂取で程よくエネルギーを取得し、そこで胃袋の状態が落ち着けば、力がそれなりに満ちる。すると生存確率が上がり、食欲も安定する。

まず何らかの要因で食欲が減り、そこで更に食べすぎてしまえば、上述の体調の悪さになる。最初の体調不良は食欲不振で始まるから、そこを解決してしまえば良い。胃の状態が落ち着けば、体調も回復し、食事をする余裕が生まれてくる。

 

何が不調の始まりか見えないものの、体調つまり胃袋の状態を落とさなければ良い。そうならなければ体調も整い、食事をする態勢が整う。すると健全な食欲が戻るのではないか。

大飯を食らうのではなく、胃を荒れさせないように収めていく。ただら「胃が荒れていなくても食欲が出ない」となれば分からない。真に食べすぎていなくてもそうなるのならば、別のストレスが存在するのだろう。そうなると社会交流くらいしかない。

8月30日(火)

今日の計測では減少。脂肪も明確に落ちている。今日は昼と夕で明確に摂取量が落ちた。それは流石に分かるところ。不運にどちらも食欲がなく、それで一膳の量を減らしはしたものの、それが結果に直結してしまった形。

朝食では抑えが効いたけれど、その後に食欲が出ないのは何故か。そして思いきって規定量を落とせなかった。それでぎりぎり満腹になり、間食を摂り損ねる。

 

胃の負荷がないのに食欲で出ないとなれば、それはもうどうしようもないのではないか。身体が元気でないから食欲がでない線と、胃がきついから食欲がでない線。

身体自体は疲弊がなければ元気。となると、体調不良になるのは胃がきつい時だけ。そして胃がきつくなるのは食べすぎた時。

朝食で食べすぎていたのか?孤独でいるから食欲が出ない可能性と、胃がきついから食欲が出ない可能性。その二つがあるはず。

今日の昼と夕では自覚があって、思い切って摂取を減らせなかった。そこで早く不定愁訴を断ち切れば、今は十分に楽になっていた気がする。食欲が出ないのは胃の疾患によるのではない。問題なのはそれを振り切って食べすぎた時。

 

昼食で食欲が出なかったのはよく分からない。社会交流のなさかもしれないし、朝食がぎりぎり満腹だったかもしれない。

仮に後者だとすれば、胃に負荷があるなかで活動は出来ない。まず休息に務めるべきで、それで体調が戻らないと食欲は湧かない。胃がフラットになり、アクティブに動けるようになれば、そこでようやく消化に手を回せる。

食欲が出ないのは身体の厚意。でも、そこで愚かな意識が発動し、無理に食べすぎてしまえばただの負債。まず胃を休め、身体が元気にならないと食欲は戻らない。

事情は何であれ、食前の状態が微妙であれば、そこでぎりぎりまで収めてはいけない。泣きの諦めが最も賢明。泣くような量が後に倍々で返ってくる。その逆が食べすぎによる負債。

 

参考文献

8月26日~28日 不定愁訴による気遣い いかに食べすぎないか

8月26日(金)

今朝は目覚めが遅く、活動的になるまで時間がかかった。身体が疲れているような感じがして、そうなると食事も受け付けなくなるけれど、そこまで胃の状態は悪くなかった。

それで朝食は快く収められたものの、ぎりぎり満腹になってしまったか。その意識はあまりないものの、規定量に達しようとはしてしまった。それが大きいのだろう。満腹感は食後に遅れてくる。

食後に不快感はなかったものの、スポドリを飲みたくなる感じがない。いま思えば負債がたたっていたか。昼までに空腹感はあったものの、食欲が全く出ない。

それで昼食は規定量にぎりぎり達しない。そして間食を摂れず、負債がたたっている感じが強まった。午後はそんな嫌な感じがあるなかで過ごす。

 

アコファイドの服用を始め、万全の布陣が整った気でいたけれど、根本から治まるものではないか。摂取の大原則は崩せない。そして食間での食欲は変わらず、満腹がたたるとそれは効果が出ない。その現実はあるか。

 

今日の計測ではほぼ変わらず。夕食は快く摂れたものの、まだ腰回りに肉が付いていない。胃の膨らみはかなりあったけれど、下腹部の脂肪がまだない。

今日は昼食で摂取が滞ったけれど、その後に幸運にもスポドリで収められ、夕食は上手くいった。その胃の強さはありがたいけれど、トータルでそこまで摂れていないか。その現実はあるのだろう。

 

ふと知識をまとめたセンテンス。胃袋が食事を受け付けないのは、「消化の手間とエネルギーを費やしてはいけない」と身体が判断したため。それは脳のどこかか迷走神経の叡知だろう。

外敵に襲われるような状態か、不快な人間に苦しめらている時、それか孤独で社会交流をしていない時。すると「消化どころでない」と判断される。必要なのは、ストレスのない環境に変えること。そうしないと神経伝達物質が悪く働くし、迷走神経も機能しない。

8月27日(土)

今日は目覚めるのが遅く、かつ目覚めも悪かった。朝方に感情が高ぶる夢を見る。眠りの波長のタイミングなのか、それとも体温調節が出来ていなかったか。

そうなると本当に食事がストップする。今朝はそこまでだったものの、また食後に腹が空かない。昼は食べるもので失敗したけれど、そもそも食欲に難ありか。

 

朝食は上向いてきたものの、昼食でストップがかかっている。今日は用意したもので変な味がしたものの、別に戻したりした訳ではない。他のものでカバー出来なかったし、そもそも食欲が減退していた。

今朝は理知的に余裕を持たせたものの、それなのに食欲が湧かなかった。考えられるのはとにかく目覚めだ。不定愁訴と違うアクシデントは止めてほしい。何なんだ本当に。

 

散歩にも出られず、身体や胃が重い。胃も爽快になっていかない。ふと「敏感すぎるあなたへ」を読んで再読を始めた。このポジティブトレーニングはそこまで効いていないか。ポジティブになった気はするものの、心身症やパニックには干渉できなさそう。ただ、やり方にはよりそうだから、また試してみる価値はある。

 

今日の計測では減少。また大台ぎりぎりになってしまう。夕食はまた上手く摂れたものの、それだけではカバー出来ていない。

今日も「肥えるだろうな」という感触はなかった。目覚めによる失速と、抑えたにも関わらずの食欲。そして昼はぎりぎりまで収めてしまう。体力に余りはない。そして日常を楽しめない。

 

通院から少し経ったものの、右肩上がりでは推移していない。やはり服薬ではどうにも出来ないか。そうなればかなり窮じてしまう。

身体が「食事をしている場合でない」と判断してくれているのなら、服薬で神経伝達物質をいじるのはかえって逆効果では?より食欲や消化を落としてしまいそうな気もする。

実際に血圧を下げるとそうなるという。血圧が上がるのは正常な反応。何故ならストレス反応を起こしているから。ひたすら外からの干渉に抗うよう。そしてより血圧は上がる*1

 

胃腸に物を入れないとするのは、それによって外敵から逃げられるよう、身体を身軽にしておくもの。それが根本にある機序だろう。何らかの害意が近くにあるか、あるいは孤独を回避しようとしている。哺乳類は孤独に生き延びる体質ではない。

でも、食欲を減らすのは社会交流に繋がるのか?人間的な認識の次元から見るとそう思ってしまう。危機から逃げ延びる機序は解ったものの、そればかりを駆使されても困るところ。流石に食べられなさすぎはしないか。捕食動物なんて近くにはいないし、一人でも食欲がある人間はいる。

それはポジティブな回路が生まれたら変わるのか?あるいは別の情動が関わっているか。『敏感すぎるあなたへ』の一貫するメッセージとして、「意識よりも無意識が賢く、それは絶えず心の声として聴こえてくる」という理解がある。その声を無視していると、無意識は神経伝達物質を使って身体を病気にさせる。そしてストレスから離れさせ、何かを深く考えさせたり、何かを変えさせようとする*2

ストレスの原理からしてみれば、残されているのは閉ざされた社会交流によるもの。外敵によるリスクに対応し、消化を遅らせつつ、社会交流をさせようと変化を促している。それを愚かな意識は感じていて、もちろんそれを切に願っている。

 

唯一ポジティブに考えるとすれば、これも『敏感すぎるあなたへ』にあるメッセージで、「無意識の反応は正常であり、それは身体を守るためのもの」というものがある。

そう考えると、「食べすぎて身重になるのを回避させてくれる」とも捉えられる。そうなれば、ひたすら肥えようとするのは意識の誤りだ。とてもとても愚かなものだろう。

つまり、食べすぎてきつくなる方こそ問題だ。食べられないのは問題でない。それは相応しく正常な反応である。食べられない時は食べられなくて良い。何故なら身動きが鈍重になるから。そしてそこで無理をすればより後を引く。

 

あまりにも摂れなくなれば問題でも、そこまでに達しないのは正常な証か。消化に良い便利な食べ物を摂れば良い。それによってリズムを持ち直していく。その恩恵を受けるのが回復の一歩目か。

8月28日(日)

今朝も昨日と同じように起きれなかった。一度いつもより早く目覚めたものの、その後に二度寝してしまう。十時間も寝たくないし、一日が短くなってしまう。

そして案の定、朝食ではたくさん摂れそうにない。前夜の理解を浮かべ、かなり抑えて収めたものの、その後に全く腹が空かない。本当に何故なのか。パンが原因でなかった訳か。スポドリは飲めたものの、とにかく食欲だ。

 

昼食も抑えようかと思ったものの、想定されるその量を認可できなかった。それでぎりぎりまで収めてしまう。ぎりぎり収めた気はしないものの、これまた昨日と同じで満腹感が強い。

明確に抑えれば良かったのか?すると夕食で補える?食べられないのは身体の優しさ?そのはずでも、程よく収めたつもりがたたってしまう。嗚呼、何でこんなことになるのか。

 

今日の計測では大台を割ってしまう。今日も流石に肥えることはない摂取だった。朝から全ての摂取が滞る。入浴では身体が細くなった感じがした。

昨日からじり貧の様相だ。今日は昼食後の満腹感がきつかった。それが夕方までに収まらず、夕食は半膳しか摂れない。そう考えれば、大台から百グラムの減は良い方か。

 

全く散歩にも出られていない。買い物には行っているものの、見慣れた景色を体感してはいない。ここにきて更に落ち込んでしまうのか?

なるべくポジティブにはいたい。こう考えてしまえば、聴力によって脳の回路が生まれる。それが更にストレスを生むのかもしれない。

食べられないというのは、無意識による正常な気遣い。そこで無理さえしなければ良い。それが今日の摂取だったろうけれど、夕食は明確に抑えを効かせた。明日からの摂るものも気を付けようと固めた。

どうせ不定愁訴なんて架空のもの。脳か自律神経があえて生じさせている。その恩恵に預かるというのは、無理をしないこと。それで身体を安全にし、そこから変えたいものを変えれば良い。

とにかく「いかに食べすぎないか」が鍵になるだろう。そのための頭の回路を作りたい。だからネガティブに考えるのも程々にだ。せめて無意識の声をよく聴き、無理をしないこと。それがやがて調子を作るだろう。だから「食べさせてくれなくて有り難う、身体」と言うこと。

 

参考文献

*1:「敏感すぎるあなたへ」P51~

*2:「敏感すぎるあなたへ」P47~

8月23日~25日 アコファイドの本質的な影響

8月23日(火)

今朝の調子は悪くなかった。また夢を見ていて、目覚めも悪かったものの、歯ぎしりはしていない。やはり不安がなければ良いか。

時刻を見てすぐに起き出そうかと思ったものの、ふと「別に良いだろう」とゆっくり出来た。これは今までにあまりなかったこと。ポジティブな脳の回路が生まれ始めたのか?

 

朝食はそれなりに収められる。食前の状態は悪くなく、昨日よりは食べられた。ただ、これまでのパン食に戻したため、今の調子がはっきりと分かる。

今日は以前の八十パーセント程か。どうしても朝は適応弛緩がない。そしてまだ消化不良感はある。昼までにそれは収まったはずでも、それが気掛りなところ。

 

昼食ではそこそこの食欲があり、最良の量を摂れたと思う。早期膨満も薄い方だった。その後の収まりは微妙だけれど、甘味が欲しくてヤクルトを飲む。

夕べからアコファイドを飲み始めた。それから三食での消化管運動は悪くないか。朝食では少し残溜感がしたものの、久し振りに負債がたたらなかった。フラットに昼食を摂れる。

 

今日の計測では久し振りに増えていた。これはアコファイド効果なのか?腹も昨日より膨らんでいたし、肉もほんの少し付いていた。ようやくいつもの感覚が戻ってきたのか。

夕食はそこまで摂れなかったものの、服を脱いだ時点で腹の違いが分かる。昼食でお野菜サラダにある玉ねぎが胃残りしたものの、夕食の打撃にはならなかった。食欲は微妙でも、最低限度を収めてもあまり辛くない。

これもアコファイド効果かと思ったものの、胃残りがすれば違うのか。早期膨満がなくなれば良いけれど、食べ物による残留がないのが最善。そこが本丸であり、そこまでの効果を期待してしまうところ。

昨日今日の調子はアコファイドによるものか否か。ただ理知的に収められただけの気もする。それはこれから分かるのだろう。するすると肥えてくれたら良いけれど、そうは問屋が卸さないか。

 

そのアコファイドの薬理を調べたところ、アセチルコリンの分泌を阻害する物質があり、その物質の分泌を阻害するそう。それによってアセチルコリンが働き、副交感神経が活性化されるとのこと。アセチルコリンセロトニンに関係している*1

やはりそれがターゲットになるのか。今までの学びは的を射ていたよう。ただ、そうなると分かりきった結論が突きつけられる。腹側迷走神経を活性化させるしかない。ストレスに見舞われているのが元凶で、それに対処するため消化を滞らせている。それは変えないといけない生活があるということ。

それについてもう理解しているけれど、誰かと親密になれる場所なんてない。同年代もいないだろうし、そういう人が集まる場所もない。ましてや運転して通える訳でもないし、交流は妨げられている。

次の診察では、デイケアに同年代がいるか確認してみたい。ただ、いたとしても通うのは厳しい。近場で誰かと会うか、通えるどこかに行くかしかない。それはドクターも分かってくれるはず。

8月24日(水)

今朝の便通は特に緩くなかった。アコファイドの副作用にそれがあるようだけれど、今のところ問題はない。これまでもたまに下すことがあったけれど、それは朝に一度で出なかったからでないか。これからちょうど良い水分量になってくれたら好都合。

 

今日の計測ではまた増えていた。尿量の誤差はあれど、腹の膨らみと厚さが違う。まだ腰回りの肉は少ないものの、えぐれ具合は和らいでいた。

昼に少し腹を下したけれど、朝に残ったものかもしれない。今朝は昼前に余裕をもって空腹になっていた。朝食は以前と遜色なく摂れ、その後の収まりも普通に近い。そして昼食は今日も早期膨満が少なく、その後はヤクルトで収められる。

通院後からスイッチが入ったように変わっているはず。これはほんの少し前には得られなかったもの。薬を変えなかったらもっと暗中が続いたか。まだ油断は出来ないものの、かなり楽になってきた。あばらの気持ち悪さも収まっている。

 

ふと思い付いたセンテンス。心身に最もよく効くのは、脳から出る天然の神経伝達物質ではないか。大体はそれが悪さをしているはず。愚かな意識が見るにはそう。

8月25日(木)

今日の計測ではほんの少し減。昼と夜で少し食欲不振だったものの、ほぼ変わらずといったところ。尿量を考えればそうだろう。

夕食はあまり快く摂れなかったものの、腹は十分に膨らんでいた。ただ、まだ腰回りはえぐれている。腹の膨らみから感じるに、もう少し増えても良い気はするけれど、まだ万全の摂取量ではないか。

 

今朝は目覚めが良く、胃が十分に落ち着いてから漢方を飲める。それで爽快に摂れたと思う。朝食は以前と申し分ない程度まで収められる。ほぼ規定量まで達しただろう。

その後に下痢をすることはなかった。もうアコファイドの影響でそうはならないのでは?食べすぎればそうなるだろうけれど、薬を変えない限り下し続けることはないはず。

 

ただ、その後に食欲は出なかったか。食後は早くに空腹感が得られたものの、そこで食欲が湧かなかった。「昼食までの空きが長すぎる」と思ったものの、そこで食欲が出ないのはネック。快く摂れると収まりが良いものの、だからといって食欲が強くなった訳ではない。そこは依然として変わらないのか。

食間での食欲と、ぎりぎり満腹の収まり、そして脂ものなどの耐性。それらが根本にあるけれど、そこまでは影響してくれないか。理知が効き、程よく収められた時にだけ効果がある?それで少しは増量できそうでも、本質的に変わりはしないのか。

 

ただ、ここ何日間で体調について記したいエネルギーが落ちている。これは良い兆しではないか。不調から生まれるフラストレーションは薄い。それは個人的に参照できるもの。

 

参考文献

8月20日~22日 心身症と慢性疾患 一時の恥

8月20日(土)

今日の計測でも大台すれすれだった。ただ、測り方によっては増減したりする。少し肉が付いたような所見でも、腰をくびれさせるとえぐれたままだ。

確かに今日の摂取ではそうなるか。今朝の状態はそこまでで、朝食ではパンを規定量まで摂れたものの、その後の収まりが微妙。不快感はなかったものの、どうにも完全な空きっ腹でなかった。午前はげっぷが出ない感じがして、最良の経過とは違うのが分かる。

 

それで昼食は一膳を収めるのがぎりぎり。無理をしなくてもそれが限界で、その後はスポドリで収めるのが無難。昨日と全く同じだ。夕方には空腹になり、夕食は最良を摂れたものの、やはり腹の膨らみはいまいち。

どうにも栄養の吸収が気になってしまう。それは責任転嫁のようなものだけれど、壊滅的に食べられていない訳ではない。一膳を収められない時はあっても、その後には挽回している。全体的には本調子でないものの、そこまでではないか。もう五百グラムはあっても良い。それがこれまでだったと思う。

 

あばらの違和感はまだある。以前はそこまでなかったものか。あばらの斜め下辺り、脇腹の引き締まった感じが気持ち悪い。それは春頃に散歩へ出だした時も感じていた。それは確かな現実を示しているよう。

ただ、そこまで体力は落ちていない。何もしなくても辛くなれば大台を維持できない。そうはなっていないのは確固たるもの。車に揺られて出掛けは出来る。

ただ、歩いて買い物へ行けば消耗するだろう。その感じはある。元気ばりばりに活動はできない。家でじっとしているのなら平気。そうし続けているから落ち込んでいるのか?

 

明日が通院の前日で、それが最後の計測になる。そこまで気にしなくても良いけれど、大台は維持してほしい。ドクターに大台割りを伝えたくない。その時の反応は焼き付き、後にコンプレックスを刺激する。

 

余談として、今朝の新聞に「胃ガン手術後の食事」という内容の記事があった。そこで胃に負担をかけない摂り方として、「少量を少しずつゆっくり摂る」という記述を見つける。

それは負担を減らすものなのか。以前からそれどこか感じていて、大口で飲み込むときつさが強まったりした。その原因のようなものを認知でき、そこをケア出来ていないのだと分かった。

8月21日(日)

今朝の調子は少し悪めだった。まずいつもの時間に起きれない。そしてガスも溜まっている。そうなると大体調子が悪いもの。食前の漢方を飲むとわずかに胃酸が上がる。そして食欲と対極のむかつきがある。

朝食はぎりぎり規定量に届かず。食後は不快感がほぼなかったものの、またいつもの時間に空腹感にならなかった。以前はそれがきちんとあった。それはバナナ食の時でもそう。スポドリを飲む時に気持ち良く飲めない。ヨーグルトのげっぷが昼近くまで上がってきた。もう何なのか。

 

そして昼食まで微妙な感じが続き、昼食の量に影響してしまう。ここ何日間で全く同じ顛末。更に便通が来てしまい、腰回りは骨だけの感。Mサイズのズボンはぶかぶかで、なるべく気にしないようにしている。紐をきつく縛ったり、クッションで腹を押さえたり。

 

今日の計測ではほぼ大台割り。執拗に二回ずつ測り、二回で大台割り、もう二回で大台ぴったりだった。腰を触ると確かに肉はない。

流石に今日の摂取では肥えた感じがしない。それは理解できたところ。朝も微妙、昼は負債があり、間食はヤクルトのみ。夕食はよく摂れるのだけれど、それで到底カバー出来ない。でも、夕食の一口目を美味しさを感じた。それは久し振りだったと感じた。

体力が落ちた感じはないものの、明日の通院の行程はどうなるか。朝はゆっくり目覚めても余裕がある。というか、少し遅めに摂らないと昼まで持たない。目の前にある菓子パンの半分しか摂れない見込み。それなのにここ直近は胃残りがある現実。明日も溜まったらどうしよう。吐気が増幅される懸念がある。

 

『敏感すぎるあなたへ』を読んで思ったこと。心因性パニック発作が起こるのは、生存の危機を免れるため、身体が神経伝達物質を放出するから*1。では、慢性的なストレスによる慢性疾患はどうなのか?

自分の場合、一人でいることが生存の危機となっているのだろう。それで消化や吸収どころでないと判断され、それらが滞ってしまう。

不安やパニックを解消し、社会交流をしないといけいないのか?ネガティブな思考が頭の回路となってしまうなら、「社会交流しなくても生存可能だ」と頭を回路付けるのも可能ではないか?

脳による厳重な警告を無視すれば、脳は神経伝達物質を使って危機から遠ざける。これは確かなストレス反応なのか、架空の予期不安による心身症なのか。その辺りが釈然としない。胃潰瘍も効果の範囲内とあったものの、自分にも効果があるのか分からない*2

8月22日(月)

一難あった通院を終え、昼からは落ち着いている。朝の不調と不安は転機をもたらすのか。結果的に機能性ディスペプシアの治療薬、アコファイドを服用することになった。それが吉と出るか何にもならないか。

 

今朝の目覚めは良かったものの、夜中に色々な夢を見た。間近で踏切事故を見て絶叫したり、とにかく変な夢見心地がする。それは寝る前の状態が反映されていたと思う。夕べはよく摂れたのだけれど、腰骨の浮き彫りが際だって不安になった。

そして目覚めると久し振りに歯の違和感がある。胃の状態は悪くなかった感じでも、食前の漢方を飲むと悪化した。まず胃の状態が悪くて食が進まず、少しでも無理をすると吐気を催さないか不安がある。

それでいつもの半分も摂れない。ただでさえ少ないのにそれだ。ただ、かなり冷静に抑えたため、その後にすぐ収まりが来た。まだ出発までに余裕があったため、何口か摂ろうかと思ったものの、これまた不安が上回った。そこでも理知的に収められたのか否か。

 

食べたら気分が悪くなっていたか?ストレスがあればまた収まるとは限らず、その声を聴いたのは効果的だったかも知れない。『敏感すぎるあなたへ』で学んだセンテンスが浮かんでいた。

それでも、便通は来なかったし、栄養不良で腰もすかすか。何だか身体が気持ち悪いなか出発する。親には何も伝えなかったものの、態度や表情で暗に伝えようとしてしまった。それは本当に悪い癖だ。真っ向から共有するか、明るく気丈に振る舞えば良い。それが大人だけれど、未だにそのようには出来ない。

 

車中では何も発することなく到着。不幸中の幸いなのか、待合室には誰も居ない。前の順番の人がすぐ終わり、いきなり診察。

診察では不調のあれこれを伝える。食欲の不振、不定愁訴の頻度、散歩の有無。全ては覚えていないけれど、最終的に薬の布陣を変えようということになり、自分がアコファイドを提案する。

それは「潰瘍などがないか内視鏡の検査が必要」との事だったけれど、ドクターは「何年も慢性だから機能性でしょう」と判断される。それで思いの外するっと服用が決まった。同じ効用のガスモチンとの交換。振り返ると「訊くは一時の恥」といったところか。でも、訊かないでいた時がかなり長かった。

 

そこから会計をしてもう終了。病院へ到着してから三十分足らず。体力を懸念していたけれど、帰りの車中ではすんと楽になった。それで店に寄ってから帰る。

身体の気持ち悪さは不安が生んだのか?それは発作のようなもの?通院のストレスを回避するために神経伝達物質が分泌されたのか。吐気で高ぶっている時は不安のトレーニングが何も出来なかった。その余裕は全くない。

 

帰路の車中では胃が爽快でなかったものの、昼食は不快感なく摂れた。朝食が少なかったのはあれど、久し振りの感触だった。今日の大台割れは回避できなくとも、ブーストやアコファイドの効果を期待したい。

でも、不安があるということは、生活にストレスがあるということ。その生活を変えるのは避けられない。何とかして変えないことがあるため、脳のコアからは絶えずメッセージが出ている。それを受け取らない限り、ストレスが和らぐことはない。それに対処するための伝達物質も収まらない。

 

計測ではわずかに増加していた。昼と夕はよく摂れたものの、やはり腰回りの脂肪は付いていない。今朝に便通がなかったのもあるし、明日の計測からが本番だろう。

計測で脱衣室に向かう時、何でここまで張り詰めているのかと思った。体重なんて気にせず、ひたすら楽観的に生きていたい。人生の何事も深く思い詰めずに生きたい。でも、そうはならないのが顛末。これは定められたもの。

 

参考文献

*1:敏感すぎるあなたへ P13より

*2:敏感すぎるあなたへ P46

8月17日~19日 寸での際 微かな兆し

8月17日(水)

朝は目覚めが悪く、かつ胃の状態も悪かった。夕べの入浴後にヤクルトを飲み、その後にチョコも摂ったのがいけなかった。「空腹の時間が長いだろうから、少しでも摂っておこう」という算段が大外れ。眠るまでに胃が収まらなかった。

それで案の定、漢方後の状態が悪い。無理をするのがいけないのか、食欲がないのがいけないのか。既に胃の状態が悪いなか、直近と同じ量を収める。それだけで打撃となった。

昼食も駄目なのが分かる。ヨーグルトとヤクルトで収めるのが最善だったか。いや、夕べの摂取がたたるのが腹立たしい。どうすれば良かったのか。胃の状態の感じは区分できるだろうから、それを踏まえて摂取量を規定するのが良いか。

 

昼食では気分的な食欲はあり、美味しく頂けたのだけれど、負債がたたって胃が膨らまない。無理をすれば嘔吐を催すような感じ。それでもぎりぎりを収める。

その後の収まりは微妙だったものの、すぐ空腹になった気がする。それでも不快感は拭えない。そのなかで、少しは摂ろうとプロテインのジュースを飲む。それがまた溜まった感じがしたけれど、そこまででなかったのは僥倖か。

 

計測では寸でのところで大台割りを回避。夕食では食欲があったのが幸いした。大台を維持ないと見込んでいたものの、たまたま快く収められる。

でも、じりじりと水準が落ちている。美味しく頂ける時が少ない。早期膨満がなく、かつ収まりも良いような時。何とか上向かせたいものの、前回の診察後ですらブーストしなかった。

 

あまりネガティブでいないようにしたい。考えれば考えるほど悪化しそう。深く考えてしまう程、それによって自分のネガティブな声を聴いてしまう。『敏感すぎるあなたへ』にあるトレーニングでは、まず「これから元気になるのが楽しみだ」と念じる。確かにそれをすると少し元気になる。

その『敏感すぎるあなたへ』から学びを引いてみよう。

心の叫びを聞かないでいると、無意識は強硬手段に出ます。神経伝達物質を使って激しい身体反応を引き起こし、あることをやめるか、あるいはせめてそれについてじっくり考えるよう、あなたに迫るのです

『敏感すぎるあなたへ』P42

考えられるのは社会交流でも、胃腸の不調を発生させたら活動できないではないか?それに何の意味があるのか。こもっていれば生存が確かになるのか?そうなっていないではないか。

自分が誤った解釈をしているのか、それとも別の作用機序があるのか。ポリヴェーガル理論に絡めて理解したいところ。今までの知識を集結させ、一つの答えに辿り着きたい。

8月18日(木)

今朝の調子は予測通り良かった。流石に一昨日のような感じがあると負債になるか。夕べに満腹感の強度を感じ取れた結果。無理せずスポドリで収める理知の力。

食欲をしっかり見極めて摂り、腹に溜まってしまったら大人しくスポドリを飲む。食欲を感じ取れたら良いけれど、それが無理なら満腹感を感じること。

 

それでいて、計測ではほぼ増えていなかった。一日を通してよく摂れた感触でも、腰回りの厚さが変わっていない。夕食はそれなりの量を摂れるものの、下腹部の肉が未だ蓄積しない。

腰をくびれさせると左に胃が寄る。右側はアーチ状にくぼみが生まれる。入浴中も自然な状態の腹を見て触る。身体は飢餓状態の見た目でも、そこまで辛くはない。

 

昼食と夕食では一膳を収められた。そして昼食後には間食を摂れる。「それでも増えないのか」と思っているけれど、単に摂取量が少ないのだろう。朝食ではやはり適応弛緩がない。

不定愁訴があれば大台付近で停滞するものか。それがなくならないともっと肥えはしない。では無理をしなくても良いのでは?否、それが出来ないのがこの身体。夕食もまたぎりぎり収めてしまう。抑えてもヤクルトしか飲めないし、スポドリコースで満腹になってしまう。

 

診察までに回復は見込めないか。いや、その後もそうではある。先月がそうだったのだから、またそれが続くかもしれない。でも、ころっと上向いてくれるかもしれない。不安は的中するのか。

そもそも体重を測らなくても良い気がする。不定愁訴がある以上、意識が介入できる余地はない。そこで体重を意識してしまえば、ただコンプレックスが湧いてしまうだけだ。

 

思考のメモ。勉強が好きなら勉強でマネタイズすれば良いのか。それには何の価値があるのか?知識を活かして学びを勧める?誰かの代わりに勉強をし、何かの利を得る。消費、勉強、行動。それによって得たものを誰かに与える。

とにかく何でも良いから、学んで得たものを言葉にすること。意識的に感じ取り、「何故?」と内省して論理を展開する。それをどんどん公開すること。そこに何かの価値を感じてくれる人がいれば、そこで何かになるはず。それ試してみないと分からない。

 

今日は午前に思考が弾み、色々とアイディアが湧いた。新しいアウトプットの形が何個か浮かぶ。知識や経験をまとめた情報メディアと、気付きを格納する音声コンテンツ、日記と過去のエントリーの紐付け。

既にもう一つのブログでカテゴリーを作った。そこで完成した思考をまとめ、ここに記してきたエッセイと絡める。カテゴリーにするとかなり斬新で有益そうなものが生まれそうな予感。そこでのスタイルも浮かびつつある。

それとSNSも稼働させ、集客して収益を作る。書籍のアフィリエイト、有料の日記コラム、有料の音声、選書。もっとまともで有益なサイトを作れば、家族にも恥ずかしくないものになるはず。そうなれば堂々と自活が出来るだろう。

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8月19日(金)

今朝の調子は良い方か。目覚めはよくなかったものの、ここ直近は歯ぎしりがほぼない。口回りの筋肉のストレッチを検索して、一つ目のサイトのそれを試してみている。舌と上顎のストレッチ。それが効いていると思う。

胃の調子も良い。夕べは満腹になってしまったけれど、算段通り調子は戻っている。過度な無理がなければ、間食を摂れなくてもスポドリで収められる。

 

計測ではまたかろうじて大台を維持する。測り方によっては割れてもおかしくない。今日も夕食はよく摂れたと思ったけれど、下腹部が膨らまなかった。それは不運なのか他に原因があるのか。

何回も捉え直しているけれど、摂取の結果に違和感を持ってしまう。肥えない身体が恐ろしいのか、理知の弱さが恐ろしいのか。好調時の摂取量は忘れてしまう。そんなに食べられていないかと思ってしまう。

それでも理知に上がっているのは、不定愁訴がない時が少ないこと。食欲がないと腹はよく膨らまない。食欲があるなかで気持ち良く収めること。そうしないと栄養も吸収されない気がする。

 

朝食はよく摂れたと思う。少なくとも数日前よりはそうだ。パン食にしてからその変化は分かりやすい。今朝はそれが胃残りになってしまったものの、その後に回復している。

昼食ではその負債があったものの、最良量まではあと数口だったはず。そこから間食は摂れなかったものの、夕食ではここ直近でかなり良い方だった。

それは上向いている兆しではないか。なるべく理知的に把握すれば、摂取量は少しずつ上向いているはず。これからもう何日か負債を抱えなければ良い。それで胃に持久力がつくはず。

 

通院日までには間に合わないものの、その後のブーストは期待できるか。それで良いと思う。当日の朝はパンで満腹になるだろうから、行程の間の体力も維持できるはず。

ドクターからは体調を確認されるけれど、自分が管理できていれば問題はない。それを客観的に判断するまで。もう入院を煽られることもない。そこまで衰弱することもない。最悪は体重なんて測らなくても良い。ドクターに悪気もないし、とつとつと情報を共有すれば良い。

 

8月13日~16日 腰回りの気持ち悪さ

8月13日(土)

今日の計測では微減か。体重コンプレックスがありつつ、前日のそれを覚えていなかったりする。矛盾しているのだけれど、強い意識があるのは確か。

夕食はよく摂れた方で、収まりも良かったものの、腹は膨らまなかった。胃は膨らんだのだけれど、下腹部全体が膨らんでいない。すると体重は増えない。

 

一日の摂取量が低いのだろう。その現実はある。夕食後に腹が膨らんだとしても、腹回りの脂肪は増えていなかったりする。今日は昼と夕の摂取が良かったけれど、どうにも朝が駄目だ。客観的に見ても分かる。そして食間が空いてしまっている。摂り方の問題も大いにあるか。

朝食のバナナはパンに変えようか。健康に良くても体質に合わない可能性はないか。バナナ一本すら収められなくあるため、パンでも多く収められないかもしれない。それだとバナナに原因はないと確定するものの、やってみて損はないか。通院まで時間もなくなってきたところ。

8月14日(日)

今朝の調子は良かった。歯ぎしりはしているようなしていないような。でも、日中に歯茎の違和感があったりする。早く不安を取り除きたい。まだ間に合うかもしれないし、まずは諦めないこと。

夕べは入浴後にスポドリで収めたものの、寝る前に少し何か摂った方が良さそうに感じた。それでヤクルトを飲む。それが腹に溜まった感じがしたものの、眠りに落ちるまでに空腹になった。

程よく収めれば消化されるところ。食欲がないのが問題だけれど、冷静に収めれば影響は最小限だ。するとすぐに間食を摂れ、次の食事も気持ち良く摂れる。それが最も良い摂り方だろう。コンプレックスの影響の方が大きいかもしれない。

 

昼食前はそこまで食欲がなかったものの、案外するすると収められた。早期膨満はほぼなし。食後は腹に溜まった感じがしたものの、それがすぐに引いてくれた。そして久し振りに間食を摂れる。

これもまた引いていくか分からないけれど、身体の状態が変わってきたのかもしれない。何かからだのリズムでもあるのだろうか。そんなことを思う体感がある。たしかそんな生体のそれがあった気がする。

 

今日の計測では流石に増えていた。増えてくれたというところか。夕方の状態はそこまでだったものの、夕食では早期膨満が薄かった。数日前にきつくなったところが楽で、食後の収まりも良い。

まだ腰回りはえぐれているものの、肉は見て触っても増えていた。やはりふと体調が変わった感じがする。昨日から『敏感すぎるあなたへ』のトレーニングをしていて、脳が一気にポジティブになったのかもしれない。その辺りの認知も得られたものの、それを引用する技術がない。まだ表現のスタイルが定まらない。

8月15日(月)

今日は目覚めるのが早く、目覚めも良かった方だった。『敏感すぎるあなたへ』にあるエクササイズみたいなものをしていて、それが効いているのかもしれない。

本当に幸福な人生を文章化し、それを五感の一部で空想しながら味わう。そうやって脳を構造を入れ換える。寝る前にそれをやるのは効果的だそう。

 

胃はほぼフラットで、漢方を飲んでも胃酸が上がらなかった。久し振りにパン食にし、それなりに食べる。バナナよりはぎりぎり収められたか。

でも、早期膨満の手前できつくなる。それはバナナと同じで、状態に変わりはないか。腹に溜まった瞬間にきつくなってしまう。食べ始めてすぐの適応弛緩がない。それではだ。

 

昼食は微妙だったか。まず朝の摂取が微妙だったところ。またも適応弛緩すらなく、すぐ強い満腹感がやってくる。たしかに食後の経過も良くなかったか。

そして早めに満腹になる。早期膨満はなかったものの、万全でない状態による満腹感があった。きつい満腹ではなかったものの、その後の収まりは良くない。スポドリで収めるしかないところ。

 

今日の計測でも変わらず、大台ぎりぎりに微減。夕食はそれなりに収められたはずでも、腰が随分とえぐれていた。入浴中に色々と考えていて、冷静に認識・把握したつもり。

パン食になっても変わらないのか否か。「どうせ来年には悩みを忘れているだろう」と考えても、今年初めの日記は今と変わらない。それは人によるかもしれないけれど、現実での不安は的中したりする。

 

まず一食での摂取量が低い。その現実はある。どうにもその認識を誤ってしまう。朝は上記のそれがあり、それでいて消化も悪い。昼も一膳分よりも多くは摂れず、夕食では食欲が微妙。おまけに腹も膨れなければ肥える訳がない。

朝食で無理がなかったのは良かった。摂取で問題は薄かったけれど、必ず何かしらの不定愁訴がある。今日は無理によるその発生はないから、時の運かストレスによるものか。明日以降の朝食が以前に戻らなければ分かるだろう。体調のリズムなんてないか。

 

考えられるのは散歩の有無でも、そこまでストレスではないはず。歩いた後によく摂れないことも多々あった。だとすれば何なのか。睡眠の質も悪くないし、メンタルによるものか?

『敏感すぎるあなたへ』では神経化学物質にまつわる記述があった。不安や心身症は正常な身体の反応であり、身体の警告を無視したがために発生したもの。身体は何としても行動を変えさようとし、その物質の力を使うことがある*1

身体は何を警告している?どんな行動を変えるべき?一人で生きている人もいるではないか。もう親愛なる人と活動することも叶わない。それは決まっていること。何ともしようがない。なぜ自分だけが食欲の問題を抱えている?嗚呼、上腹部の運動にも問題がある。

 

まだ『敏感すぎるあなたへ』は読み終えていない。そのヒントが最後にあるのかもしれない。また基本エクササイズの本も読み返そう。それら二つの書籍のエクササイズ・トレーニングで何とかするしかない。頼むから何とかなってくれ。

8月16日(火)

今日の計測では減少。切りよく大台ジャストの数字。胃は膨らんでいたけれど、下腹部は全く膨らまなかった。先月の診察から全く上向いていない。

それはコンプレックスのせいなのか、それともストレスによる不定愁訴のせいか。『敏感すぎるあなたへ』にあるテクニックで神経化学物質を制御できないものか。

 

朝食は昨日よりも摂れた気がする。そして食後の収まりも悪くはなかった。でも、いつものようにスポドリを摂れそうな感じがない。それでいて腹は空いている感じがして、それなのにいつもと同じく食欲がない。

昼食では一膳とおかずを残し、気持ちの悪い満腹になってしまう。ただ、無理はしていなかったようで、その後の収まりは良い。久し振りに間食でアイスを食べる。

そこからの収まりも良かったものの、また空腹なのに食欲がでない。とにかくそれが原因ではないか。無理があるのは食欲が微妙な時で、何とか規定の量を食べようとしてしまう。空腹であれば必ず腹が空いてほしい。それが普通であり、そうあれば常にものを摂れるはず。

夕食は快く収められたものの、上述の通り腰回りが削げ落ちていた。一日を通してあばらの気持ち悪さがある。腹や腰とズボンの隙間もそう。ふと触ると肉の厚さが違う。やはり摂取量が落ちているのか。どうにもそれを捉えきれないのが本音だ。

 

怖さに飲み込まれつつ、全ては致し方なしと諦めてもいるか。ここから気を持ち直して変わるものではない。時の運の変動でもあるし、特にやることはない。

きつければ水分は摂り、落ち着いたら少しずつ摂るまで。そうやって調子を整えること。点滴は水分を摂るものでしかない。口からそれを摂れるのであれば、それでしのいでいき、ものを摂れるまで休むことだ。

 

もう一度『敏感すぎるあなたへ』を読もうか。そこにあるトレーニングをしっかり把握する。神経化学物質の件も読み直そう。そして基本エクササイズもそうする。可能性はそれくらいだ。後者で腹側迷走神経を活性化させ、前者で脳を入れ換えて神経化学物質の分泌を変える。後はそれしかない。

 

参考文献

*1:『敏感すぎるあなたへ』P13.41

8月10日~12日 あばらの不快感 命の均衡

8月10日(水)

今朝の胃は悪くなさそうに思えたものの、食前の漢方を飲むと胃酸が上がった。そして何だか吐気もあり、食事を受け付ける態勢にない感じがする。それは拭えなければ確かなものだ。

それが分かって朝食を抑えようとしたものの、小さ目のバナナ一本すら収められない。便も出ず、足の筋肉が震えるような感じがする。身体も何だか気持ち悪く、とても嫌な感じがした。これが肉体の分解による消耗か。嗚呼。

振り返って思うのは、ここで冷静に受け止められたら良いということ。ヤクルトとヨーグルトで収めれば良かった。そういう時はあり、そういう時こそ理知を働かせないといけない。何故ならそこで抑えるだけですぐ楽になるから。でも、体重の意識があってどうしても気を抜けない。抜くことなんて許されないと思ってしまう。

バナナをぎりぎりまで収め、その後の胃は残溜感が強い。そこから楽になったものの、そこでヤクルトを奮発してしまう。それでまたストップが起こる。今度は昼食でよく食べられず、またぎりぎりまで収めて間食を摂れない。

 

計測では昨日とほぼ変わらなかった。夕食は快適に収められたものの、身体はかなりきつかった。入浴前に小便をしただけで、その後は身体から何か溶け落ちたようだった。しゃがんで顔を洗っているとよろめき、温かいお湯を浴びると胸が苦しくなりそうになる。そしてここ直近で最も肉が削げている。

摂取量を客観的に見れば当然だろう。小振りバナナ一本未満、ミニヨーグルト、一膳未満、おかず一品、味噌汁半杯。夕食ではまともに一膳を摂れたものの、それまでの負債を返しきれない。

 

食欲が出ないのは何故か。散歩に出ていないのも拍車を掛けているはず。でも、他に要素はないだろう。生活習慣にほぼ変わりはない。特にストレスも大きくない。あるのはとにかく体重の意識だけ。

それが諸悪の根元か。それさえなければコンプレックスが湧かない?食前の漢方も影響しない?一人前を収められる?バナナを変えるべき?ここまで思い詰めているのがいけない?月が変わればすぐに良くなる?

 

満腹になれず、読書も辛く、雨で歩きに出られない。何も出来ていない。珍しくそんな日を過ごしてしまった。何なんだこの生活は。健康、自活、幸せ、もう頭の回路絡まった。いつ命の均衡が崩れるか知れないし、有り金でほしいものでも買ってしまおうか。

昨日かどこかでそれを一気に処理した。いつ血管や心臓が壊れるか分からず、疫病もあり、命を脅かすものは至るところにある。「八年後には貯金が尽きる」なんて計算しても、そんなものは頭の中にしか存在しない。だったらせめて味わっておきたい。

 

ふと記した短文。自分は小卒ですらない。小学校は数年でリタイアしたし、幼稚園ですら行き渋りがあった。その代わりに身体はダメージを引き受け、世の中へのメッセージを生んでいる。ドクターは働けないと証明してくれるし、最悪それで生きていけるはず。もう頑張らなくても良いでしょう。誰かそう言っておくれよ。

ノート術の本を読み、ふと使っていたノートを開いたところ、今と変わらぬ不定愁訴の記録があった。何も変わっていなくて無情。本当に何も変わらない。更にここから落ちることだってあり得る。その不定愁訴の情報収集もしていない。それをしていないから治まらないのか、治まっていないから励めないのか。

 

色々な書籍・発言を読んでいるけれど、全く稼ぎにはなっていない。その種にはなるだろうけれど、また別の活動が必要だ。それにようやく気付いた気がする。

泥臭くても良いから何でも始めてみようか。既存の収益システムに則って稼ぐこと。何でも良いからコンテンツを作る。そのためのスキルを身に付けること。それが手っ取り早い。そこから読書でフックの種を生めば良い。

8月11日(木)

今日も目覚めが良く、胃もクリーンで動いている感じがした。食前の漢方を恐る恐る飲むも、ほぼ不快にならない。水を勢い良く飲むのがいけないのか?でも、飲むというのはそんなものだ。

朝食ではバナナとヨーグルトを収められる。これが今のベストか。腹八分で収められたらすぐ空腹になる。それを継続するのがとにかく必須。それさえあれば調子は維持できる。

 

昼食では久しぶりに良い感覚があった。食前の状態はそれなりで、控えめの規定量で一膳を抑える。ゆっくりと食べ進め、早期膨満はほぼなかった。

ぐだぐだと何口か余分に摂ったりせず、ちょうど良い腹九部で収めること。そこから胃の不快感は少なく、スポドリ以上のものを収められそうだった。この摂取が出来れば調子は落ち着く。

 

計測ではわずかに減少。少しは上向くかと思ったものの、腰回りはまだまだだった。腹の膨らみも悪かったし、まだ回復途中か。

いや、フラットに持久力を上げていく間が皆無だ。日中や入浴中の体力は問題なかったものの、腰回りの気持ち悪さを感じる。

夕食は状態が微妙で、また満腹になってしまった。ヤクルトを一気に飲んだのが引っ掛かるところ。少し早期膨満もあったのか、用意した量を収められなさそうな感じがあった。それでも、ぎりぎり満腹になれば収められる感じ。調子を戻したくあったし、その満腹に達してしまう。

呆れ笑いをしてしまうというか、異常で病的なのを理解してもらえないだろう。でも、そんな調子が常だから仕方ないか。それで生存が危ぶまれるのは看過できないけれど、他に成す術がない。学んでもどうしようもないし、頓服を常用するなりもない。本当に切羽詰まっているのは今なのか?

 

胃がフラットなのに食欲がなく、それで満腹になってしまったりする。かといって状態が良くても漢方で荒れたりする。食欲不振、早期膨満、病的な満腹。これがほぼ常にたたっている。

以前はその頻度が少なかったし、あっても許容範囲に収まった。以前もそんな調子だったのだけれど、もう少し摂ることが出来ていたか。そして快い満腹も定期的にあり、たまに体重が突き抜ける。

 

どれだけ意識しても変えられないし、今の知識だと太刀打ちできないか。この世界に答えがありそうだけれど、未だに辿り着いていない。いや、もう到達しているのかもしれない。捉え直しが核心を突いているのなら、このまま時機が来るのを待つしかない。

勉強と行動しかないのだろう。奇しくも自活にもそんな壁がある。しっかりと学び、ためらわず行動を選択しないと何も変わらない。それは分かっているけれど、何とも出来ません。このまま詩人のように魂を燃やせば良いのか。それも面白そうだけれど、惨めに朽ちて果ててしまうのだろう。それはすぐ来るかもしれないけれど、何も準備が出来ていない。

8月12日(金)

今朝の胃はフラットで、バナナも全て収められる。ただ、それでも腹に溜まる感じがあった。バナナが身体に合わない可能性もあるか。

その後は便通が来ず、水やらスポドリをいつもより飲む。そこまでむかつかなかったものの、昼までに爽快にならなかった。空腹にはっていたものの、そこで何か摂れる感じはない。それが痛手なのだろう。

 

昼食前は水分で爽快でなかったし、食べ進めるなかでいきなり満腹を感じた。そこから何口か最低限度まで収めるものの、今度はそのせいで間食を摂れない。

昼食分を取り返せないということ。腹も不快で肉が絞れていく。考えれば考えるほど追い詰められる。どんな対策も虚しい。どんどん身体が骨張る。

 

腰回りの肉が明らかになくなっている。午前の食間時に腹を触って分かった。最近はその時間の感覚として、あばらが浮き出ているような感じがする。それが気持ち悪く、体力を維持するのがぎりぎりなところ。

身体に悪いと思ってやめたパン食を戻すべきか。それすら収められなかったら問題でも、改善の余地はあるか。やるなら早めにやっておきたい。

 

昼食では嫌な満腹になり、そこから強引にヤクルトを飲んだものの、その後すぐ空腹になった。胃がフラットなのが分かって、何か食べた方が良いと感じる。

それで夕食までかなり時間が空いたものの、夕食はここ最近でもっとも良く摂れる。そしてそれだけで下腹部が膨らんだ。計測では減少していなかった。

こういう時がやってくるのもしばしば。そうなると楽観が大切だと知る。不定愁訴は時の運に変動する。過度に無理をしなければ良い。それをは抑えられているはず。だから程よい腹八分で収め、食間に飲み物くらいを摂る。腹八分だと食間に余裕が湧く。そうすることで総摂取カロリーを底上げできる。

 

8月6日~9日 変わらぬ調子

8月6日(土)

今朝の諸々の調子は悪くなかった。直近で記していなかったけれど、歯ぎしりもほぼない。目覚めて感じる違和感はなし。口回りの筋肉を伸ばすのに効果がありそう。ただ、強くやると顎が外れそうだ。

朝食はまたかなり小さめのバナナ。流石に少ないと感じるものの、それとヨーグルトを収めたら満腹に近くなる。それでちょうど良いと思いつつ、少なすぎるとも思う。

今日の午前は力が満ちず、涼しかったけれど歩かなかった。乗り物で移動はできるだろうけれど、あまり良い状態ではないか。一食を増やすのは微妙でも、ヤクルトは飲んで良かったか。昼までの空腹感が長すぎた。

 

昼食ではまた理知が飛んでしまう。食欲がある時の罠で、勢いで満腹になってしまう。なるべく摂りたい気持ちは抑えられない。胃の弱さが恨めしいものの、規定量を押し付けた自分も悪い。

せっかくのフラットな状態にも関わらず、また気が付けば満腹になってしまう。これは病的なのだけれど、胃の弱さが気になった。以前ならスポドリで収められたような量でも、今ではかなり応えている。朝食の量も少なくなっているし、調子は落ちているか。

 

生活習慣が悪いのか、摂るものが悪いのか。胃の弱さもあれど、胃が弱い内は理知で補わないといけない。直近で痛みを味わったにも関わらず、いつまでも同じことを繰り返す。

もっと懲りないといけないのか?それが足りていなかった?何が原因なのだろう。その勉強を怠っているものの、やはりセロトニン?腹側迷走神経の機能不全?嗚呼、胃に力をつけるには時間がかかる。

 

計測では微減といったところか。いや、減らさないようにトイレを我慢していた。それが大きいだろう。そんなことで帳尻を合わせたくもなる。「それが存続に関わるのだ」と錯覚するのは誰も責められない。責めてくるなら正当防衛だ。まず自分が自分を守り続けること。自分で自分に何も言わないこと。

昼食での負債はあまりたたらなかったか。昼は不快感ずっとはあったものの、夕食前には空腹になっていた。漢方を飲んで爽快にならなかったものの、早期膨満なく摂ることが出来る。

何故かのそんな幸運がある。そんな時が常に来れば良いものの、昼食が収まったのがそれか。たしかに過度な無理ではなく、腹九部くらいに収めたつもりだった。それが今の胃の強さでは収められなかったものの、そこまで負債はたたらない程度だったか。

 

夕食中に奥歯が痛いような感じがしたものの、よく感じると顎の関節の辺りが痛んだ。それも動かすとそうなるから確定だろう。自覚はあるのだけれど、あの前日のストレッチが今たたるものか?

あるいは歯が痛んでいるのか。それなら好都合であれど、日中に顎へ負担をかけた自覚はない。今晩はストレッチ出来ないだろう。原因は何なのか分からない。歯医者なら治療したくあっても、整形外科に通うのは利点がない。安静治療しかないはずだから、激しく動かさないでおこう。

8月7日(日)

最近に引き続き、今朝の目覚めも良くなかったものの、心配した顎は治っていた。ややダメージがあるかと思っていたけれど、一晩で良くなったか。

ただ、気を抜いてあくびをした時に違和感を感じた。気を付けておこう。でも、口回りのストレッチをせずとも歯ぎしりはなかった。方や首の筋肉を伸ばしておけば良いか。

夕べも入浴後はスポドリで収め、胃に負債はなかったはず。また小さいバナナで収めたところ。皮が付いていてその感じだから、めくるとかなり小振りだ。流石にほんの少し大きいものを選ぼう。

 

昼食は最良量を摂れたものの、食欲が微妙で早期膨満もあった。無理な満腹によるきつさではなかったものの、早期膨満による胃の固さがあった。間食は控えたものの、スポドリで十分に収められる。まだ胃に持久力はないだろうし、夕食を上手く収められたら体重は増える。

久し振りに味噌汁をきちんとお椀に盛り、いつも摂っている量を確認した。少な目の一杯分は摂れていたはず。それと少な目のおかず、これまた小振りに盛った一膳。病的な摂取量ではないはずでも、普通の量には達していないか。不定愁訴があってそれだから、摂るべき量はもっとあるだろう。ただの少食でももっと摂らないといけない。

 

今日の計測では減少だったか。夕食はよく摂れ、腹もそれなりに膨らんだものの、予想を裏切られてしまう。でも、腰をくびれさせるとえぐれていた。肉が減っていた所見だ。

今日の摂取は悪くなかったはずでも、間食を何も摂れていない。それが影響してしまっているのか。最近の調子が反映されていそうで怖い。最近だとそうなってしまった。まだ回復途中だとしても、何とも堪らない。最低限の摂取を超えていけない。

 

今日も散歩へ出ることはなかった。歩きたくなる瞬間もあったものの、それは午後のみで祖母に阻まれる。午前も天気は悪くなかったものの、ミニバナナではどうにも力が満ちない。体力が満ちないから外へ出られないのか、外へ出ていないから体力が満ちないのか。

 

今日の思考。特に伝えたいことがある訳ではないけれど、ブログやコラムをまとめるのは面白そう。その意欲はあるかもしれない。noteのあるクリエイターや、著名な方のブログを見て思った。

単純に書きたいことを記すより、自分の知識や見識をまとめ、誰かを唸らせる。経験と知識を記して架空人格を構築し、誰かに感謝される。切れのある言語化はしてみたい。

記事単体に有益な情報・見識があるコラム系か、その人の文章が読みたいと思って読まれるエッセイか。自分はどちらに適しているだろう。「単純にどちらを選びたいか」と自問すると、そもそもその意欲がないという本末転倒。

ただ、思考と学びは常にしていること。それをまとめて格納するのは面白そう。このブログはフローメディアになっているはず。それも良いけれど、もっと完結した思考のパッケージを記したい。フローのソーシャルメディアでフックをかけ、ストックで全体の知見にアクセスしてもらう。アフィリエイト以外ならそのクリエイトがあるか。

でも、その経験や知識、知見がないと始まらない。ただ、それらは獲得可能でもあるはずで、それが一定の量に達すれば、思考がパッケージになると思う。そうなるとストックコンテンツを作れそう。それとプラットフォームも上手く駆使し、誰かを喜ばせる。それが上手く回転すれば面白そう。

インプットとアウトプットの連続。それを遊びの延長で出来たら良い。コンテンツクリエイターは枯れない意欲の源泉があり、とにかく伝えたいことがある。すると簡単に表現も出来るだろう。それに向いていない気もするけれど、それくらいしかないはず。興味があるなら何とかなると信じたい。

8月8日(月)

今朝は何だか身体が疲れていた。痛いような何なのか、とにかく嫌な感じがした。寝すぎたのか、それとも睡眠が悪かったのか。

おまけに胃も不快できつかった。でも、ぎりぎり内部信号は感じ取れていて、少し増やした規定量にこだわらなかった。絶妙なところで抑えられたはず。負債も抱えていないだろう。ヤクルトは飲めなさそうでも、スポドリで良い。

 

午前に散歩へ出たけれど、思ったりより消耗したか。朝食も万全でなく、力も満ちていなかったけれど、思ったより余裕がない。それを体感させられた。

これを毎日続ければ上向いてくるのか?調子が良い時というのは、通院の日の午後に歩いたりした。それくらい力が満ちていたのだろう。ドクターいわく「大台を切ると筋力が低下する」との事だった。単純に糖分不足といった感じでも、たんぱく質も同じく摂れなくなるか。

 

今日の計測では変わりなし。夕食で腹は膨らんだものの、また増えていなかった。腰回りはまだえぐれていた。客観的に摂取量を見たら当然なのだろう。不快感がない時の方が少ない。体重は真の実情を表す。夕食で早期膨満はなかったものの、まだ胃がフラットに戻った程度か。

昼食では多少の早期膨満があったものの、間食の時間に空腹になる。そこでどうするか迷ったものの、「ある程度は負荷をかけても良いだろう」と間食に踏み切る。それに負債はなかったものの、夕方は腹が減っていなかった。ただ、漢方を飲むと不快感が薄れた。

摂食の不良はあれど、たまたま運良く収められることが増えてほしい。何が原因で不定愁訴が出るか分からない。

 

またある方の発信を見ていた。その方は一日に二、三冊の本を読むそう。その読み方は分からなかったものの、自分と比べるとかなり矮小に思える。

学びにかなり励んでいたつもりでも、それは大したものでないのか。ましてや不定愁訴の考察もしていないのだし、もう何のために習慣に費やしているのか。もっと気楽に生きてみたい。

 

ふと考えた思考。現代でお金を稼げる人は、原始時代に生きれば役立たずだったのでは?人間に高度な文明・文化の社会で分業する性質なんてないはず。あるのは哺乳類として相手を喜ばせたいと思う性質のみ。この世界で高度な知的労働が出来たとしても、それは文化に求められているに過ぎない。文化が違えばその価値は失われる。だから人間の価値だなんて不明瞭。

何の背景による発言あるかと言えば、「お金を稼げる人は偉いのか?幸運に恵まれているだけではないのか?」ということ。その人たちの納税に支えられているのはあれど、自活できないのは自己責任なのか?「働けない」と認められた人に対し、最低限の扶助を与えても良いのではないか?長生きするようになれば、いつかは誰もが自活できなくなる。病気で働けない人だっている。公的扶助の間口を柔軟にしても良いのではないか?

8月9日(火)

今朝の体調は良かった。珍しく目覚めも良く、歯ぎしりもほぼなし。歯ぎしりは控えめなストレッチでも良いのか。胃も最近でもっとも良い状態だったか。

朝食での一口ぶん大きなバナナは、今日の調子でぎりぎり収められた。少しむかつきはあったものの、最良の調子に近い収まりがある。昼までに空腹になり、早く腹が空いた。

 

昼食ではぎりぎり満腹になったものの、その後の収まりが良かった。間食を摂れるまでではないけれど、夕方には空腹になる。

定量によって満腹になってしまったものの、その後の影響は少ない。これは胃の力がついてきたからではないか?

 

でも、今日の計測では減少。また大台すれすれとなってしまう。間食は摂れなかったものの、三食を通じて上々だった感じはある。食欲も摂取量も上向きつつあるけれど、夕食で腹は膨らまなかった。

昼に間食を摂れなかったため、腹や脇腹の空白感が強くあった。余計のものが削ぎ落とされていて、断崖絶壁のよう。ただ、一日でころっと変わったりするし、深く考えないでいたい。

 

深く考えたところで、それでかえってコンプレックスが増すのみ。意識が介在できる部分は少ない。摂取の仕方には工夫の余地あれど、食欲が出ないのはどうしようもない。体重もそうで、増えないものは仕方ない。

常にそう捉えていたい。悩みなんて一年後には忘れているはず。何も煩わされず生きられたらどれほど良いか。食事に執着せず、習慣も気にせず、誰の目も気にしない。全てに朗らかで、不機嫌にならない。自分を守る生き方。

それだと独居しないといけなさそうでも、心掛けてはみたい。規定の量を気にせず、時計の針にも縛られず、家族の目なんて尊大に扱わない。そうすれば楽になりそうだ。でも、考えれば考えるほど、近しい人が邪魔なだけに思える。

 

摂取の苦闘 豊かな日々

8月3日(水)

今朝の胃と歯の調子は良い。歯ぎしりは「イー、アー」と口回りの筋肉を伸ばすのが良いかも。それはほうれい線の対策でやるようなもの。ただ、張り切って力むと顎を脱臼しそう。肩も強く回してしまうし、その辺りは気を付けたい。

胃の調子はそれなり。夕べは少し食べすぎたものの、それをしっかり感じてスポーツドリンクで収めた。その良い結果があったはず。ほぼフラットで不快感は少ない。バナナがまた大きかったものの、腹に溜まったの感じてすぐ抑えた。その癖がつけば良い。

ただ、それでは普通の摂取にならない。健康ならそこからもっと摂れる。そのように摂らないと十分な活動はできない。次の食事までにがす切れを起こしてしまう。健康な人の胃は、食べ進めると腹の上部が膨れてくる。それで胃が膨らみ、気持ちよく普通に食べられる。それがないと一定の体重・体力まで落ち込んでしまう。

ドクターから教わったので言えば、胃は筋肉であり、それは袋のようなもの。風船を膨らませてみれば、最初はゴムが固くて伸びないものの、一定の空気を入れるとどんどん伸びていく。その原理と似たようなものがあるそう。

ただ、不定愁訴があるとそうはいかない。きつさがある時になるべく摂ろうとすると、その症状が悪化してしまう。だから正常な食欲がないといけない。その前提が狂っているのがネックだ。そこさえ回復してくれたら何とでもなる。

 

昼食ではぎりぎり満腹になったか。食欲がそれなりにあり、早期膨満がほぼなかったものの、また一膳を以前のように盛ってしまう。「これくらいは摂りたい」という気持ちがあったかなかったか。

そしてするすると食べられたため、なるべくよく摂ってしまった。食後の収まりは運が味方せず。落胆しつつ、気を取り直して安定のスポドリで収める。

 

今日の計測では昨日と変わりなし。大台から少し余裕があるものの、腰回りはえぐれていた。大台からプラス一kg増に達したいものの、なかなかそこに届かない。そうならないとかなり脆弱だし、体力も問題がある。

でも、夕食ではそれなりに食欲があった。一膳を摂ってもまだ余裕がある。昼食では満腹になったものの、その後の収め方で軌道補正できた。これは大きい。食前にしっかり内部信号を感受し、程よい満腹で箸を止め、無理をしてしまったらすぐ負債を払う。これを遂行できればかなり落ち着くはず。理想はそうだ。

 

たしか先月の診察で、ドクターから「摂取が上手くいく時のパターンも分かりますよね?」と確認されたはず。それには首肯できて、おおよその顛末は把握している。以前に比べたら格段にケアできているだろう。

後はコンプレックスが湧かなければ良いけれど、それが出来ていない。どうしても肥えたいし、今の日々を受け入れられない。それを何とかして乗り越えるには、身体に無理をさせる他ない。過去にそう学んでしまったし、今もそれ以外の解決策がない。

それでいて、豊かな日々が何なのか分からなくなった。パートナーはほしいけれど、単純にスキンシップさえ出来たら良いだけ。その渇望しかないだろう。それと年相応の思い出を作りたい。それ以外だと仕事、自然、音楽くらいだ。普通に自立し、生きている実感を得たい。衣食住の営みを出来れば良いだけだ。

 

今日も読書からアイディアが湧かなかったものの、少し著作権について調べた。これまでに色々とブックマークしている。知りたいのは引用と要約のマナーで、それをはっきり学べるページ・教材は見つけていない。

それでも大まかなルールはあるよう。転載ほどのことをせず、常識の範囲内で著作者へ配慮すること。そして大まかなルールは、Wikipediaの引用の項から把握する。それで良いと思う。その信憑性は少し疑念があるものの、記されていることはまともなはず。だからきちんとした引用・要約をして新たに創作しよう。引き続き学んでいきたい。

8月4日(木)

今朝の胃には負債があった。昨日の夕食は程よく収めたはずなのに、実は満腹に近くなっていた。腹が空いていたのに満腹の限度が低いのは何なのか。それが直近で発生している気がする。隠れ限度すら見極めないといけないのか?腹が空いてもっと食べたいと感じているのに。

状態の見誤りがあり、入浴後にヤクルトを飲んで負債を抱える。明らかに気持ち悪く腹に溜まり、げっぷが出ない。横になると胃がきつかった。寝るまでに楽になったと感じたものの、明けて食前の漢方を飲むと雲行きが怪しい。

まだバナナも大きいし、その一本すら収められない。ヨーグルトを食べるのもぎりぎりだ。せっかくフリットに戻ったというのに、あらゆる展開から負債を抱えてしまう。規定量、はやる一口、水分、負債なき食欲不振。

不定愁訴がない日が珍しい。いや、そんな日はほとんどないか。単純に美味しく頂けない。一人前も収められないのだから、体力に影響してくる。仕事が出来るまで満ちなくても良いけれど、買い物くらいは自転車で行きたい。現時点でも乗り物で移動は出来るものの、もっと余裕が必要だ。

 

今日の計測では減少してしまった。夕食でも腹が空かず、今日は三食の全てで不快感があった。体力は落ちていないはずでも、腰回りの変化は確かだった。

昼食でのきつさは夕方に収まったものの、そこで一口の水を摂ったのが響いた。またこんな調子でどうしようもない。昨日のふとした判断でこうも狂った。以前ならそこまで影響しなかったはず。

 

大台を維持するので手一杯。そこに達するだけではどうにも危うい。少なくとももう一キログラムの余裕はほしい。それは普通の摂取が出来れば自然に達する。でも、それが最も遠い。ただ健全に腹が空けば良いというのに、それが出来ないと何も始まらない。

好調コンプレックスもあれど、やはり不調コンプレックスの方が強いか?体重を保ちたい情動が強くある。それはいかんとも制御しがたい。でも、少し調子が上向けば、今度はそれを維持しようと躍起になる。豊かに生きたいという気持ちの詳細は何か。最低限度の死にたくない生活か、それとも恋愛を出来るような生活か。

 

今日も思考はなし。ブログの種として考えれば、やりたいこと探しは有益なのか。そのために自己啓発系の書籍を読めば、何らかの気付と思考が生まれる。そうしている方が記すことは生まれる。その遠回りがあれば何かが伴うかもしれない。

嗚呼、とにかく金があれば良い。本と音楽を買えないのが嫌だ。それがなかったら本当に空虚。何で年金は貰えなかったのか。ただ、今月は誕生日があり、お祝いで手持ちのお金が生まれた。そしてポイント還元の手続きもしたため、多少のまとまった額がある。それなりの欲しいものを買えるだろう。それでどう使っていこうか考えている。でも、全ての欲しいものを挙げてみれば、額が足りなくなってしまう。

 

仕事とは何だろう。稼ぐとは何だろう。それは青臭い思考かもしれないけれど、大体の人はそれに生涯を左右される。であればまとまった観念を構築しておくのが良い。でも、そんなことを考えられるだけ幸福か。

世の中を様々に見渡すと、頑張らないといけない苦役のようなものにも見えるし、遊びの延長にあるようにも見える。それが得意な人もいれば、苦手な人もいる。人によって向いているものがあれば、向いていないものもある。

向いている仕事を誰かに啓示してほしいものの、それでは実力が伴わないのか。いや、そもそも仕事なんてものは人間に組み込まれていないはず。ただ狩猟と採集、雑事と集団生活をするのみ。そこに「高度な社会生活での仕事をする」という生き物の仕組みはない。現代で稼ぐことが出来る人とは、たまたま意欲が文化と融合したに過ぎないのでは?

学問のすすめ』にあるように、尊ばれる仕事をこなせるよう、実践的な学びをするしかないのか。意欲や志を重視しなくとも、それだけで稼ぎは大きくなる。他は肉体を用いるもの、誰でも出来るもの、それか意欲や満足感に付随するものか。このどれに向いているかが大きい。そのどれかに向いている人がそれぞれの観念を表している。稼ぎは役に立つ人助けか、意欲的な社会貢献か、創作や自己満足なのか。

自分はそれらのひとつも当てはまらない。もう困った。稼ぎたいと言うにも関わらず、実践的なものは学びたくない。かといって、学びを創作に繋げられない。解決したい問題もないし、遊びにも熱心でない。もうどうしようもない。

でも、自己啓発系の勉強をすれば、それが産出に繋がるのでは?やりたいこと探しでもがいていれば、その過程で何かが伴うのでは?いや、そのための原資がないのだ。その話だった。それでも、知識を得るために活字を読むのは簡単。それは延々と続けてきた。それと暗中模索のもがきに必然性があれば良い。何か向いているものはないのか?何でも良いから教えてくれ。

今朝の胃はほぼフラットだったはず。夕べは入浴後のヤクルトを控えようかと思ったものの、意外と食後の収まりが良かった。そこで朝食までの腹塩梅が浮かぶ。丁寧に内部信号を感じ取り、ためらわず飲むことにした。

それで負債はなかった。バナナはかなり小さめの物を買ってもらい、かなり余裕をもって朝食を収める。摂取量は心配になったものの、胃の持久力はまた落ちたところだ。まずはそれで良い。

食後は身体の軽さを感じた。前日とはかなり違い、前日の自分に同情したくなる。何故そんなに辛い選択してしまうのか。正負のコンプレックスも強いし、家族の目に対するコンプレックスもある。

一人暮らしをしたらどうなるのだろう。病気などでのリスクはあれど、ストレスが減るのではないか。いや、完全な個室があれば良いか。それと隣近所の居ない家に住みたい。

 

昼食の摂取は上手くいったのか否か。悪くはなかったけれど、かといって良くもない。食前の腹は不快でなかったものの、漢方を飲むと微妙になる。こういう時は何があるのか。水を飲みすぎるといけないのか?あるいは朝食が隠れ満腹だったのか。その食前の状態を感じてはいたものの、気分的に食欲はあって勢い良く食べてしまった。

間食は摂れそうになく、スポーツドリンクで収めた方が無難だった。その感覚がどこかであるというのは、その前の摂取が自然でなかったという事。

嗚呼、一食がかなり小振りだし、それでいて間食を摂れていない。長く不定愁訴に悩まされているとて、爽快な調子だった時もある。並みの一食分を収められたり、すぐに腹が減ったりもしていた。でも、その詳細を思い出せない。何か生活習慣に違いがあるのか?深く悩まなくても良い?

どうせ月が変わり、年も変われば薄れていくのか?悪い事もよい事も。今もそう考えてみれば、去年とはかなり違う苦しみがある。去年はまだマズローを学んでいたか。それは別人に近いものがあるかもしれない。となると来年はどうなる?何も執着しなくて良いのか?嗚呼、分からない。

 

計測では急増していた。やはり夕食を快く摂れると良い。夕方の腹は絞られ締まった感じがしたものの、摂取の良さで一気に腹が膨らんだ。

これが理想ではあるだろう。ただ、これは普通の摂取をしたにすぎない。これが平常でないと始まらない。それでも収穫を考えるとすれば、間食をはやらなかったことが良かった。冷静に食後の内部感覚を感じること。そして無理をしないこと。摂取の規定量を定めなくても、それに専心すれば結果は上向く。その癖をつけていきたい。

 

珍しく最高気温が夏日にならなかった今日。午前に歩こうかと思ったものの、力はそこまで満ちていなかった。午後も風に当たろうかと思ったものの、祖母の目が嫌でだった。外にすら出られない事情があるのです。

ひたすら活字を読んでいて、途中から頭が痛くなりだした。頭を使うのは数時間までか。太古の狩りの時間がそれくらいだったそう。つまり集中力はそれしか備わっていない。娯楽で頭を使うならば、疲れるのは体勢によるものくらいだろう。ただ、根を詰めて頭を使うバアイ、数時間で済ませないと身体に差し障る。仕事は半日まで。それ以降は遊びやリフレッシュだ。その余裕がないと創造は生まれない。

 

直近である方のノート術の書籍を読んでいる。読み進めると分量を多く感じ、あまり刺さらない部分が続いたものの、途中から面白く感じてきた。

そのノート術とは、意見を持つためのものだった。今日になってアウトプットの章に到達し、ようやく学びたい知識に当たった。かなり斬新な切り口もあり、習慣化したら面白くなりそう。

やはり興味があるものを学ぶのが良い。それはどこかで繋がるし、興味が湧くものからは何らかを得られる。それが体系化すると教養や見識に確立される。すると面白い表現を生めるようになる。それは上述のノート術に近いものがある。今の自分に最も適したものかもしれない。

 

参考文献

身体の傷つき 人生のスパンと幸福

7月31日(日)

夕べは少し負債を感じたものの、今朝の胃はほぼフラットだった。ここから本調子に戻りたいけれど、今度は歯の違和感が増してきた。それは歯ぎしりによる違和感なのか、歯茎にまで達したような感じだ。ふと鏡で見てみると、下の歯の歯茎が白くなっている。

もう診察が勧められる状態だろうか。嗚呼、かれこれ学校でパニックを起こした以来だから、久しく歯医者に通っていない。若い内に全ての歯がなくなるかもしれない。それは怪我の功名になんかならないだろう。どんな人生でも身体は傷ついていくけれど、このように不可逆になったらきつい。それでも、症状が出るまで通うことはないだろう。ましてや移動の自由などないのだから。

 

夕べは夢を見ていて、おぼろ気ながら祖母と母へのフラストレーションが爆発していた。いつになったら束縛なく生きていけるのだろう。そうなってもまだ苦しいのかもしれないけれど、今もそれなりにきつい。

自活したい、自立したい、自然に触れたい、パートナーがほしい。仕事、環境、親愛なる人。祖母宅に住み、隣人に煩わされず、自然に触れる。家で自活し、生活のために出掛け、パートナーがいる。そんな日々が来るのだろうか。人生は長いだろうけれど、何も変わらないこともあるのではないか。人生のピークが後半にあれば幸福になる。でも、前半の過ごし方も重要だろう。将来は何を考えているのか。

 

今日の計測では減少。昼と夕で食欲の失速があった。昼は食欲を感じ取れ、規定量を下げて上手く収めたものの、夕方に謎の食欲不振があった。間食も軽く収められたのに関わらず、夕方に一口の水を飲んだところ、それでげっぷが出なくなった。胃が固くなって動かなくなる。夕食はぎりぎりの量しか摂れず、また単純に美味しく頂けなかった。

そんな時もあるだろうけれど、そのそんな時が多すぎる。あと数キログラムの増加があっても余裕はない。そこにもまだ到達していないのだから、本当に最低限度に達しているだけ。摂取が安定しないと体力も安定しない。まだ出掛けるのに余裕がない。食間や食前にがす切れを起こしてしまう。

 

『NATURE FIX』、ただ学びを引用するだけでも問題ないのではないか?生活の記述が主であれば、学びの「へぇ」だけでも良い気がする。それをまとめられるなら楽になる。

いや、引用する必然性はないか。書評のルールを学びきれていない。それを調べてはいるものの、考えるのが大変だ。まとめて記事にするのも良さそうだけれど、その記事をまとめる意欲もない。情報メディアの運営は面白そうでも、誰かのためにまとめたり、過去の記事を活用するのは面倒だ。

そのメディアのカテゴリーは、エッセイ・コラム、セルフフィードバック、書評、考察 、雑記、引きこもり、福祉などが良さそう。自分の持っている知識や情報を、経験と絡めて分かりやすく伝える。邪魔にならないように広告を貼り、書評から書籍の販促をする。独自サイトでも良いだろうけれど、通販以外で商品やサービスを宣伝することはないはず。ならば無料ブログでも良い。アフィリエイトをするとしても書評くらいだろう。

8月1日(月)

今朝は歯の違和感がなかった。暑さで寝苦しさはあったものの、睡眠状態も悪くなかった。明け方から雨が降って涼しい。もやがかっているのも風情で良き。

朝から読書をしているものの、楽しくもないし、それが表現にも繋がらない。でも、それ以外だと動画を見るくらいしかない。するともっと虚無感がする。

 

何が幸せなのだろう。好きなことや情熱がない。生活に必要な金銭を配給されたとしても、そこで何に費やすか分からない。そんな日々でも励むものが満足をもたらす。その生活が今にあるのだけれど、特に面白いことがない。

読書は真に学びたいものを学べない。お金がないし、なるべく思考に繋がるようなものを選んでしまう。思考と言語化、それは性に合うものだろうけれど、常に湧き出るものではない。生活の全てをそれに割こうとしていて、もはや辛くなってきた。自然と音楽は足しにならない。

まだまだ習慣の束縛がある。自活のためにとにかく産出を止めないこと。学び、考え、言葉にする。それは面白くなくなってきたか。何かを人に伝えたくなくなったし、金銭のために創作をするものではない。嗚呼、やりたいことがなくてつまらない。どうすれば良いのか。人助けか、趣味か、遊びか。仕事もほしいし、満足もほしい。どうにも堪らない。

 

今日の計測では増えていた。尿量の誤差はあれど、見た目の肉付きは良くなっていた。これで直近の不調の負債はなくなった。規定量を落としているものの、腹は十分に膨らんだ気がする。間食も摂りやすいし、程よく収める習慣がつけば良い。

腹は元に戻ったものの、一日がつまらなすぎた。この日々は何なのかと思う。表現も湧いてこず、何も伝えたくない。読書はするものの、何にも結実していない。なるべく読書で学んでいるものの、朝から頭が重くなるだけだ。つまらないし苦痛。どうしたら良いか分からない。

8月2日(火)

今朝の胃はフラットだった。目覚めが少し悪かったものの、睡眠時間は八時間ほどか。ぎりぎりしっかり寝たところ。寝すぎている訳ではない。歯の違和感はなし。

食前の状態はそこまで悪くなかった。  ただ、またバナナが少し大きかった。それは僅かだったけれど、それが大きな影響を及ぼしてしまう。用意した母を恨めば良いのか、胃の脆弱さを恨めば良いのか。

そのバナナをほとんど収めたところで腹に溜まった。そこから小さいヨーグルトを食べてしまう。それはいつもの規定量だけれど、バナナ一本で収める訳にもいかない。バナナは一口を残したものの、ヨーグルトでぎりぎり満腹になってしまう。何なんだこの腹は。

 

朝食後は負債がたたるかと思ったけれど、案外そこまで苦しくなかった。昼食の時間までに楽になり、普通に昼食を収められる。基本エクササイズも何もしなかったけれど、十分に回復してくれた。

食前の状態は微妙だったのにも関わらず、昼食では早期膨満がなかった。これはなかなか珍しい。こんな調子が常であれば有り難い。

 

今日の計測では微減だったか。体重に執着しているのかいないのか、昨日の数値を覚えていない。とはいえ、なるべくよく摂ろうとはしてしまう。それでいて、体重が増えても特にしたいことはない。パートナーがいてくれたら良いけれど、出掛けも食事もしたくはない。

珍しく夕食では食欲があった。昼食後の収まりが最近で最も良く、食前の漢方を飲んでも不快にならなかった。それで夕食も快適に収められると思ったけれど、今度は早期膨満があった。これで増減がなしになる。昼とは真逆だったものの、スポーツドリンクで収めれば良いか。

 

今日もほとんど気付きがなかった。表現も何も湧かないし、勉強も疎かになってきたか。不定愁訴の考察も面倒だし、書評と著作権の学びも小面倒くさい。NATURE FIXの学びもあるけれど、学び以上の産出がない。

Twitterのあるツイートで、「色々な本を読み、それでも記憶に残ったものがあなたの知識です」と記されていたのを見た。確かにポリヴェーガル理論でも何でも、人に話せるような知識は何個かある。それは自然と身に付いたものか。

それが蓄積してアイディアや意見にスパークしてくれば、まとまったコンテンツになるはず。後は経験なりと絡めること。そうすればニュースなりに私見を述べられる。その線のコンテンツクリエイターしかないと思う。教養のコラム・音声と、書評アフィリエイト

 

暇人は仕事を求めている。でも、言葉を繰って思考し、ものの本質を語るのは性に合っているか?訓練で楽になったりする?でも、稼ぐために創作をするのは見当外れだ。

必要なのは何かを伝えること。

それがなければ何をすれば良いのか。物品を仕入れるか、現物の何かを作るしかない。でも、個人にそれは難しいだろう。となると、メディアを運営するしかない。コンテンツや芸術は、何かを伝えるものだ。では、何を伝える?

 

参考文献

摂取の鉄則 満腹の内部信号

7月28日(木)

今日も目覚めた時間は早かった。目覚めは悪いものの、ほぼ歯ぎしりの違和感もない。やはり適当なストレッチに効果があるのではないか。

ただ、母いわく、夜中に自分が大声で叫んでいたそう。それで隣家の飼い犬が鳴いていたという。ほぼ夢も見ていないというのに、何だというのか。

 

昼食後の収まりは微妙な感じか。食欲が薄かったものの、無理をしてはいない。ただ、その食欲が落ちたのは、朝食でこれまたバナナが大きかったから。それがたったの一口で影響してしまう。胃の状態が落ちればどうしようもない。とにかく食欲だ。

久し振りに味噌汁をお椀に盛ってみたところ、一杯分を収めることが出来なかった。こうしてみると客観的に認識できる。普通の七割ほどの摂取量だろうか。調子が悪い時なら、一膳と少量のおかずを収めるのできつくなる。その手前で雲行きがおかしくなってくる。とにかく一汁三菜はしっかり摂りたい。それを快く収められたら力は満ちる。

 

今日の計測では急減。昼食は不振だったものの、その後の収まりがそれなりで、間食を摂りたくなる。またその後の収まりは悪かったものの、夕方にまでは空腹になる。

夕食前の漢方を飲むと、それなりの調子にはなっていた。それで量も最良に近く摂れたけれど、腹があまり膨らまなかった。そして計測でかなり減っていた。

 

もう気楽に摂らせてくれ。朝食では些細な摂取が尾を引き、昼食と夕食に連鎖してしまう。体力は落ちていないものの、この身体は耐えられない。四肢が異様に細すぎる。今は願望にないけれど、普通に物を摂れるのなら、パートナーと出掛けたくもあるだろう。人生の全てが制限されている。このままだと一生このままだ。

とにかく社会交流が必要なのか。それは近所でないと無理だ。通い慣れたであろう病院もまだ緊張する。国に養ってもらいつつ、何とか移動して自立するかだ。自活が叶ったとしても、人と出会う場には出られない。身体に負荷が掛かるし、会いたい人に出会えるのか。

念のため付け加えると、人間と関わることを望んでいない訳ではない。自分の事は自分で説明する。そして既存のラベルに頼らないためには、自活をするしかない。どうしようもない不自由があるだけだ。それは今までで記してきた。環境次第では何とでもなる。買い物も会計も出来るし、相応しい人と出会えないだけ。これはいつか証明してやりたい。

 

今日は色々と読書をしたけれど、思考は生まれなかった。知識の種はあるだろうけれど、それを経験と絡めたり、まとまったコンテンツにする作業をしたくない。もう本当にそうだ。伝えたい意欲が全くない。自活の意欲があるだけで、とりあえず言語化の習慣をつけようとしているだけ。

もう限界なのか。『NATURE FIX』の学びも記せず、著作権についてもそう、脳腸障害の勉強と考察もしていない。真に意欲的に学べるものがあれば、自ずとそれを伝えたくなったり、まとめようとメモしたくなる。

コンテンツの更新はフローですれば良いから、アウトプットやその頻度を意識しなくても良い。だから朝から何の努力もしなくて良い。努力がきつくなるのは向いていないから。もっと簡単に続けられるものを見つければ良い。そうすれば自然に伝えたいことが湧くかもしれない。

7月29日(金)

昨日はよく考えると一汁一菜を食べていた。食前の調子が微妙でそれだった。食後はそれなりの収まりがしたのに、入浴後にヤクルトを飲むと僅かに気分が悪くなった。その時に既に翌朝の調子が思いやられ、何か物を摂れそうな気がしなかった。

今朝の胃にむかつきは少なかったものの、食前の漢方を飲むと胃酸が上がった。これといった不快感はないものの、どこか胃が受け付けてくれない。小さいバナナ一本も摂れなかった。

もう本当に堪らない。昨日の朝に一口余分を摂ってしまっただけだ。それが全ての尾を引いている。おまけに夕べは体重ががた落ち。今日はどうなるという。

せめて飲み物で収めれば良かったけれど、その判断は出来なかった。一晩で何とかなってくれよ。本当にやってられない。糞ったれだ。いや、糞も出てこない。

 

夕食はぎりぎり最低限の量を収められる。朝食では無理がなかったものの、その後に中サイズの乳酸菌飲料を飲んでしまい、また調子にブレーキが掛けてしまった。二口くらいなら良かったけれど、三口目が余計だった。ヤクルトなら問題なかったはず。それで昼食も負債ありで迎えてしまう。

昼食はいつもの半分ほどだった。ゆっくりとぎりぎりまで摂る。その後にアイスを摂りたくなり、どうしても収めたくなったものの、何とか堪えた。微妙に不快感があったためで、何とかスポーツドリンクで収める。ぎりぎりで理知的に制御できた。

その結果、夕方には胃が完全にフラットになっていた。それでいつもの八割くらいを摂れる。いつもなら腹が膨らんでいたはず。今もヤクルトを飲みたいものの、昨日の反省を活かしてスポドリにした。まだ少し不快感がある。

 

満腹の内部信号を受け取れなくなっていた。夕べと今朝にそれがあり、久し振りに調子が傾いた。食欲を感じられないのはまだ良い。ただ、きついのに胃に放り込んでしまえば、本格的に不調にはまる。長期で足を取られるのが一番のダメージ。

ただ、裏を返せばそれまで長く感じ取れていたか。摂取の大原則はすぐ見失う。それに無理がたたるとかなり傾く。かつてはそれを鎮める手立てがなかった。でも、今ならすぐに死ぬことはないと耐えられる。

それでも、とにかく痩せたくないと思ってしまう。前回の診察でも、ドクターは「大台を割ると筋力が減って体力も落ちますからね」と言っていた。それが気になったのもある。

 

町の広報で小・中学校の給食を見る。個人的な感覚として、最も快く摂れそうな量だった。規定量はそれくらいにすれば良いか。一膳が多いのかもしれない。一膳を軽くし、おかずと味噌汁をもっと摂る。それでちょうど良いのではないか。そこに余裕を持たせ、間食をしっかり摂る。

量ではなく、引き延ばして欠かさないこと。それで体力が落ちなければ良い。余裕が生まれてもっと摂りたくなるなら良い。ただ、調子が落ち着くと好調コンプレックスが湧いてしまう。それがネックだった。

7月30日(土)

今朝の調子は良かった。ただ、小さいバナナ一本でぎりぎりだったか。まだ本調子ではないだろう。体重が戻るには数日かかる。昼食でも食欲を見極め、程よく満腹になりたい。一膳はもっとコンパクトでも良いか。とにかく美味しく食事をするのを心がけたい。

計測では微増していて良かった。昼食後にアイスを摂ろうか迷ったものの、「迷うのならば駄目だ」と思い止まる。摂取の鉄則にも「一口をはやらない」とあったのだった。

それで夕方をフラットに迎えられたものの、今度は夕食で一口のそれがあった。それでほんの少し気分が悪くなったか。ただ、負債がたたる程ではない。

 

今日も特に思考がなく、言語化もなかった。『NATURE FIX』での認知もフィードバックにならないし、ただ読書をするのみだ。他は音楽と動画。これではつまらない。

午前は何か面白いことに費やしたい意欲が強かった。でも、本と画面の中にはそんなものがない。そんな調子であるし、やりたいこともなく、理想の日常も浮かばない。

やりたいことがある人は、生まれつき天から意欲を与えられているはず。それは恵まれていて、後天的にそれを見つけた人は、環境による利点があった。

生きる意欲はあるけれど、解決したい問題や趣味がない。弱みを強みにする努力をしているものの、その強みを誰かに伝えたくはならない。言語と思考は好きでも、完成した何かを伝えたくない。エッセイストやコラムニストでもなく、アフィリエイターにもなれない。

 

ただ、一からブログを作り直すのは面白そう。零から情報・セルフフィードバックメディアを作る。カテゴリーは思い付いていて、エッセイ・コラム、セルフフィードバック、書評、考察などが良いと思う。その大枠の中に「不定愁訴」や「ラベル」の小分けを作れたら良い。

上述の種類をごちゃ混ぜにするのではなく、誰かのための情報をまとめる。その種は今までの格納した記事が生む。それでアフィリエイト、有料コラム、選書、音声などのコンテンツを作るのが面白そう。 いや、商売するならそうやってコンテンツを作るしかない。

 

参考文献

ラベルとの齟齬 概念の浸透

7月26日(火)

今日も寝る前のストレッチのお陰か、歯ぎしりの違和感なく目覚める。というか目覚めが良い。全身の緊張が解ければ良いのか?適当に肩甲骨をぐりぐりして筋肉を伸ばしただけ。

そして珍しく胃の調子も悪くない。寝る前には多少の残留物があったものの、その方がかえって良いのではないか?もちろん、それは程々ならばだ。空きっ腹で快い方がむかつく印象。

 

昨日、誕生日が迫っていたため、祖母からお祝いを貰う。自分の日頃の態度がぶっけらぼうにも関わらず、きちんと贈ってくれたる。その辺りの気性というか性格は有難い。優しくしたいけれど、どうにも難しいのはある。ちょっとした呆けや知性、難聴レベルの聴力。

そのお祝いを貰う時、「何か好きなことを見つけてくれ。それだけだ」と言われる。どうやら心配されているようだ。まともに深い話も出来ないけれど、このタイミングでそう言われた。

こうやって三百ほどの記事を記したけれど、誰にも伝えていない。取りあえず自活のために始めたものだから、誰にも馬鹿にされたくはない。両親はそう思うだろうけれど、まともな結果があれば良い気はする。ただ、もっと恥ずかしくないスタイルでないといけない。今年度も収入が零として扶養に入れてもらう。

 

やりたいことや好きなことがない人間はいる。両親だってそうだろう。それでも生きるために働いている分、自分が偉そうなことは言えない。だけれども、情熱や志がない人間もいるはず。

自分は取りあえず、健康と自活を叶えたい。だけれども、その先には何もない。病める同類を助けたくもないし、そうなると他に何も浮かばない。知識を仕入れ、戸外で折々の野趣を感じ、賑わいや人工的な刺激を楽しんで、音楽を聴く。それくらいしか思い付かない。

仕事はしたいけれど、それは何なのだろうか。個人的な遊びか、人助けの満足か。あるいはゲーム感覚?それらの意欲が情熱や好きなことだ。何も表現したくないのなら、創作を続けるのは難しい。かといって、いま求められている技能を身に付けるのも嫌だ。やるなら言語化が良い。

 

嗚呼、年金を頂けたら良かった。いつまでもそれに頼れるか分からないものの、しばらくはその恩恵に預かれただろう。必要な書籍は存分に買えるし、他のほしいものも手に入れられる。それが生活の足しにもなっただろうし、本当に悔やまれる。

ラベルに適っていないのが齟齬になっただけで、不自由は本物だったはず。家で軽食作りと洗濯しか出来ないのは確か。その条件には適っている。

老齢による不自由には優しい世界。それが昔からの制度であっても、その方がいびつになっているのではないか。貯金がたくさんあったり、まだ働けるような人であっても、リタイアすると基礎的な生活費を支給される。それで「財政が逼迫している」と。その人たちの労働に支えてもらっていたものの、どうにも寂寥だ。

金とは何?労働とは何?それは本当に必要?総人口の半分しか働いていないに?ロボットと労働意欲のある人たちで何とかならないのか。働かない人たちは、そのぶん生活費を下げるしかない。それで良いのではないか。簡単に扶助を支給してもらえたら良い。それだけで社会問題のほとんどが解決されそう。

「働けない」と診断されなくても優遇される人たち。役所に浸透した概念でないと突っぱねられるということ。センシティブさ、社交不安、機能性ディスペプシアと摂食障害。働けないと診断されているのに関わらず、齟齬だけを見られて判断された。ドクターとの意志疎通が甘かったのもあれど、上述のラベル・病名で認められる訳もない。だから何とか稼ぐしかないと苦悶している。

 

昼食ではぎりぎり満腹になったか。ここ直近では間食から遠ざかっている。甘いジュースくらいなら飲めるけれど、それで肥えることはないだろう。

昼は食欲が微妙だったか。それにら散歩できなかった影響もあるか?程よく収めたつもりでいたものの、食後にすぐ胃が楽にならない。それは摂取に問題があったということ。

普通の健康な人ならば、一体どのような摂取をしているだろう。個人的な理想でいえば、朝食はバナナ、ヨーグルト、プロテインで良い。昼食と夕食は一汁三菜。ご飯と味噌汁はしっかりと盛り、おかずもしっかり摂る。そしてすぐにそれを収め、間食を摂る。今はデフレサイズのバニラアイスしか摂れないものの、もっと大きいカップアイスは収めたい。それだけで良いだろう。必要な体力は得られるだろうし、体重も伴う。

そうなるには不定愁訴の緩和が必要で、摂取の工夫だけでは何ともならない。腹側迷走神経の活性化とセロトニンの分泌が重要。副交感神経が働き、神経伝達物質が胃腸のシグナルを正常に送ってくれたら良い。脳腸障害はそれが原因だろう。Webページでもそれらの作用は学べるため、情報を収集しよう。そして最新の科学と絡めて行動に移す。

 

今日の計測では百グラムの減。昼の間食を摂らなかった分、夕方には空腹になったものの、腹があまり膨らまなかった。食欲が微妙で、多少の早期膨満もあった。昼と夕でやや不振。

今月も大台から少し余裕があるだけか。まだまだ食事の満足度が低い。単純に食事を美味しく頂けていない。その満足さえあれば良いのに、それだけがひたすら遠い。

 

今日は特に思考や意見は生まれなかった。こういう時は過去の記事から焼き直せば良いか。そろそろ学びたい書籍が一段落するから、以前に読んだものの再読をしたい。また新たな気付きがあるはず。そこから新しい知見や意見をまとめていく。

何だか朝から何をしたか思い出せない。読書をしていなくて、ブログも完成させていなかった。午前に作業を済ませるのが良いか。午後は眠くなるし、大概やる気がない。午後は勉強と思考、そして言語化。それとブログの下書き作り。

しばらくはそんな生活が続きそう。いや、それ以外には何もないか。とにかく仕事を創りたいだけ。暇人は仕事を求めている。

7月27日(水)

今日も目覚めで歯ぎしりの違和感はなし。本当に肩回りの筋肉をほぐすだけで良いか。それも適当な伸縮運動。気持ち良さを感じるようにしているだけだ。

それに加え、直近では目覚める時間も早く、就寝中の不快感も少ない気がする。悪夢も見なくなったか。かなりの効果があるかもしれない。目覚めは少し悪いものの、かなり良い変化があると思う。

目覚めに関わるのがセロトニンだろう。起床時にしっかり日光を浴びたいところ。それは窓越しでは駄目なのだろうか。隣近所の視線もあるし、家の周りに出るのも気が引ける。そして梅雨が明けて朝から暑い。これは祖母宅ならすぐに解決できる。おまけに土と木もあるし、庭の水やりをすれば規定の時間を過ごせそう。

 

『NATURE FIX』、二章以降の学びはたくさんあるけれど、「そうなのか」と感じる以上にあまり湧かない。浮かぶとしても、「この可能性があるか」くらいで停滞する。感じたことや気付き、思考や意見まで発展しなければ、自分の創作物にならない。ただの要約だといけないし、それはキュレーションでしかない。

最近は発信についての学びより、その著作権についても学んでいる。三百記事ほど記してしまったものの、コピーして転載した程ではない。世の中のWeb上の記事はまだまだ緩いと思う。それを言い訳には出来ないものの、現実としてはそうだろう。営利目的で収益が上がってはいない。

 

今日の計測では増えていた。昼食では食前の状態が良く、早期膨満も薄かった。そして久し振りに間食を摂れる。そこからスポーツドリンクで追わなかったのも良かった気がする。いつもはどんどん補給しようとしていた。

夕食でも早期膨満が薄く、食後の収まりが良かった。計測で脂肪は増えていなかったものの、腹はよく膨らんでいた。この調子が続くのが理想。いや、これが普通の人の普通の調子だ。ここからも快く摂り続け、胃の強さを普通にしていく。するとどんどん胃が伸縮し、体重も増えていくはず。食事も美味しくなるだろう。その当たり前が狂うのが脳腸障害。

―思考のメモ

自分と似た悩み・趣味を持つ人がある程度いれば良いか。その人たちに何か有益な情報を与える。そのためには悩みを解決するか、趣味を極めるしかない。消費、勉強、行動が必要。そうしないとコンテンツは生まれない。

弱みの数だけ強みを持ち得るはず。そして人助けが出来るようになる。必要なのは上述の三つ。そしてそれを分かりやすく伝える表現力。

 

自分の強みは知識と思考、言語化の力か。知識を噛み砕き、経験や行動を元に分かりやすく伝える。そして思考や意見をまとめていく。

自分はどんな人に共感できるか。そこからどんな風に共感してもらえるか考える。コンテンツを買ってもらうにも、SNSでファンになってもらうにもそれが必要か。感情を代弁し、それを癒すような何かを形にする。そうやって未来を変える。

 

そのためにはまず自分が生活を変えないといけない。勉強、消費、行動。そして言語化の癖をつけたい。それが身に付きさえすれば、コンテンツになるのではないか。経験、知識、思考、意見、それらもコンテンツ(情報)になるだろう。伝えたい意欲がなくても、インプットと表現の習慣で何とかならないか。

しっかり思考していないければ、そこで文章や話は滞る。 情報(コンテンツ)を媒介するのは言語であり、テキストコンテンツは思考がないと生まれない。その思考を促すのは情報で、それらを介して生まれるのが独自の言語。つまりそれがコンテンツになる。

無駄な経験を財産にしないといけない。そのために何とか弱みを克服すること。すると似た弱みを持つ人を助けられる。自分と似た悩み・趣味を持つ人と繋がれたら良いはず。

 

参考文献

樹木と土の香り 摂取の大原則

7月21日 (木)

今日は朝の胃がほとんど動いておらず、いつもの規定の量を摂れなかった。かつその規定量が多くなり、何口か頑張って収めてしまう(バナナの一本が少し大きかっだけ)。それで直後から腹が重い。基本エクササイズをすると不快感は取れたものの、昼食はまた規定量を摂れない。

その後は間食を摂れ、夕方には空腹になったものの、夕食では早期膨満がする。強く咀嚼したのか思い出すのも煩わしい。計測では減少していて、入浴中に脂肪が落ちているのが分かった。先月よりも少し痩せている。今日は散歩に出たいような感じがしたものの、消費が嫌でためらった。

何なんだろうか、この人生は。通院が迫っていて、今月はそこまで重圧を感じていないのに、食欲が安定しない。いくら精緻にドクターへ共有したとしても、服薬の布陣が変わることはない。脳腸障害は治らず、祖母宅にも引っ越せず、自然に触れられない。年金も貰えないし、好きに移動できない。

7月22日(金)

今朝は久し振りに散歩へ行ってきた。昨日に引き続き、今朝も身体にそれなりの力があった。図書館まで行って一周するのではなく、近くの川まで歩く。

鬱蒼とした林と川があるのは多きな利点か。NATURE FIXを読んでそう思った。都会なら店は近くにあっても、木々や土は遠いはず。だから恩恵がない訳ではない。田舎で良かった部分はある。

 

『NATURE FIX』からの学びを引用しよう。

この背景にはなにがあるのだろう?鍵を握るのは樹木に違いないと、李は推測した。とくに NK細胞が「芳香性揮発物質」、すなわち樹木が発散するいい香りで活性化するのではないかと考えた。

NATURE FIX P46

匂いが気分に影響するのは、個人的にも体感できるようなもの。それには木の匂いが関わっているか。祖母宅は林の手前にあるものの、少し離れた生家は木が遠い。土の匂いはあるけれど、木の匂いは感じられない。コンクリートの匂いがほとんどを占めるはず。祖母宅の近くのそれとは違う。

このブログのカテゴリーには「自然・叙景」があり、その美しさは生きる上での大きな喜びだ。それは情緒的な作用だけでなく、身体的にも効果があるよう。移動の不自由ささえなければ、この町で良かった部分はあるかもしれない。都会の利点は、生活インフラの有無と移動の便利さ。それはこの町でも克服できないものか?

 

他にも土の匂いについて記されている。

ニ○○ニ年以降、複数の研究により、土壌には放線菌のように人間の健康に貢献する成分が含まれていることがわかってきた。そうした土のにおいを、人間の鼻は一○○○億分の一の濃度でも嗅ぎとることができる。

P46

また、イギリスとアメリカの個別の実験では、どこにでも生息する土壌細菌マイコバクテリウム・バッカエに運良く触れたマウスは、迷路で道に迷いにくく、あまり不安を覚えず、神経伝達物質セロトニンを多く産出することが分かったそう*1

ここでもセロトニンが登場した。それは日光でのみ産出される訳ではないのか。それについても調べてみよう。土も木も身近にはあり、都会に住んでいれば遠いものだったろう。祖母宅には庭があるし、外で突っ立っているだけでも効果がありそう。田舎の中でも恵まれている方。

また、ヒノキのエッセンシャルオイルを嗅ぐだけでも効果があるそう*2。それは試してみたい。屋内でもその効果が得られるのなら吉報。通販で簡単に手に入るのではないか。

 

計測では今日も変わらず。大台を維持するのに余裕がない。昼食で満腹になったのがいけなかった。その後に間食も摂ってしまう始末の悪さ。

それは食欲を感じ取れなかったのが悪いのか、食欲が湧かなかったのを憎むべきか。夕食ではぎりぎり規定量を摂れたものの、腹は膨らんでいない。

体力は落ちていないものの、もっと余裕がほしい。あと二キログラムは必要。それが最低限の水準になる。ただ、不定愁訴が和らがないと到達しないだろう。それが叶うなかで基礎的な摂取をしつつ、胃を膨らませていく。

今の状態だとそれは難しい。以前ならある程度は胃に持久力があり、摂取量を維持できた。今は食欲不振と早期膨満の頻度が高く、その影響が次の摂取に表れる。ある程度の水準に達すれば、多少のきつさはそこまで問題にならない。そこにまず達したい。

7月23日(土)

明け方に目覚めた時、おぼろ気に腰回りを触っていた気がした。暗中でも張り詰めていたのか。トイレに行って寝床に戻ると、ふと胸の辺りに何も感じなかった。意識してみると、心臓の拍動が弱い。そこで指で手首の脈を計ってみると、それはきちんと感じたもの、生の感触がして不気味だった。残存するエネルギーを使いきるような感じがしたか。生命が存在するだけ奇跡的な均衡があるのだろう。いつそれが崩れるかは分からない。気付かないだけで、これまで何度も死神はそばにいたはず。

とにかく一膳を安定して摂りたい。それは美味しくだ。ここ直近はそれがない。昨日に散歩へ出た時、以前もあるブログを読んで川縁に出たのを思い出した。一時の苦しみはすぐに忘れ去られる。月が変わるだけでもそうで、年が変わればもっとだ。去年を思い出すと、苦しみは解決に至っていないものの、幾ばくかは和らいでいる。では、来年はどうなっている?命はどうなる?未来から逆算なんてしても良い?目の前にしか生は存在しない?だからそれに注力すれば良い?生き物なんてただの動物?嗚呼。

 

今日は昼と夕をよく摂れたものの、計測ではわずか百グラムの増だった。多少の脂肪がついた所見だったものの、手応えと呼応していない。ただ、胃はフラットに戻っただろうから、ここから冷静に調子を戻したい。食欲を感じ取り、腹に溜まったら箸を置く。余裕を感じたら少し余分に摂る。

7月24日(日)

朝食の規定量は、小さめのバナナ一本とミニヨーグルト。間食で摂るような小さいバナナは収められるものの、小さめくらいだと全て食べられない。

朝は胃が膨らまないものの、最近は胃の膨満が皆無と言っても良い。『腸と脳』を読む以前のパン食に戻そうか。その方だともっと摂取できていた。嗚呼。

体重・体力がなくて苦しんでいるけれど、逆にそれが満ちたら働かないといけない。そうなれば幸せになれるかもしれないけれど、その現実もある。

どんな仕事をしたいか全く願望がない。働けないのなら、その証明がなされるだけ良いか。今の生活も嫌だけれど、体重が増えた後にしたいことは特にない。

 

今日も川縁へ散歩へ行く。滞在時間は十五分ほど。改めて都会にない利点があるか。町の中心部でさえ味わえないと思う。

祖母宅も絶好の緑や川があるものの、祖母の目があって好きに出られない。縁側もあり、その先は林と庭の土があるというのに。そこでキャンピングチェアなりに座っていたい。

 

今日の昼食では、それなりの食欲と胃の膨らみがあった。午前の涼しい時に散歩へ出たからか?ただ、腹に溜まったのを感じた時、そこで一口を頑張ってしまった。また規定量だ。それでいて、状態の良さによってきつくなっていない。間食は控えたものの、夕方までに空腹になりそうだ。

食欲と早期膨満の程度で摂取の限度が変動する。これはあまり気付いていなかったか。やはり、状態が悪い時に無理をしないこと。

食欲があれば胃を膨らませても良い。これを見極められたら、摂取の加減で胃は膨らんでいくはず。すると問題は食欲だ。それが安定してくれたら良いが、そこが一番の問題だ。

 

絵に描いた普通の幸せな人生はあるのか?貶める意図はなく、誰もがどこかからいびつになるのなら安心できる。仕事、恋愛、健康、家庭、このどれかが普通から逸脱し、それぞれの人生を突きつけられる。それは人生の意味をもたらすのか、誰も慰めてはくれないのか。

嗚呼、また歳を取ってしまう。年相応の体験はしておくべきだと思う。いや、それがいびつな独自の人生か。青春なんてない。ないから皆が渇望しているのではないか。するとそれが相応しい現実のように見えてくる。とにかく青春賛頌は何とかならないものか。

自然が慰めてくれる?大人になってから親愛なる人と出会えたら良い?いや、自立自活の出来ない病人には得られないか。それを努力して得ないと空虚だ。まずは存続を保つための努力。

 

通院を明日に控え、計測ではここ最近で最も良い数字だった。脂肪も確かについていて、夕食では一膳を食べても余裕があった。理知的に摂ることが出来れば、着実に調子は整うか。

昼食では満腹になったものの、我慢して間食を摂らなかった。その結果として、最終的には良い調子を維持している。

 

個人的な摂取の大原則。

・刺激物(脂肪分、塩分、苦味、酸味、カフェイン)を摂らない。

・食欲に応じて摂取量を想定・規定しておく。

・腹に溜まったらもう一口をこらえる

・強く咀嚼しない。

これで調子を整え、早期膨満がなければ腹九部を収められる。そして胃が膨らんでいく。持久力がつく。

7月25日(月)

通院は無事に終了する。滞りなく病院に到着し、それなりの時間を待って、五分程の診察が終わる。そこから店と薬局に寄って帰る。

診察は九時台にしてほしいけれど、患者が増えて叶わなくなったのだろう。ゆっくり起床すれば良いのだけれど、今朝は珍しく早く起きた。寝る前のストレッチが効いたのか?

寝る前の肩と顎の力が抜けない。胃の不定愁訴も影響するのか、身体が本当にリラックスしていないのだろう。ただ、睡眠の質はそこまで悪くない。恥ずかしい話、指先で布団のファスナーをいじくってしまう。それに力を加えるのが好きで、それはかなりぼろぼろだ。そうやって悶々としている毎晩。

夕べは適当に見たことのあるようなストレッチをした。それだけでも効果があったのか、起床後の歯の違和感はなかった。動画で学ぶのも良いけれど、とりあえず関節を回して筋肉を伸ばしてみてそれだ。十分な効果があるのではないか。

 

昼食では失策した。朝食は快く収められたものの、診察が終わってから腹が空かなかった。そして食前の漢方を飲んでも変わらず。

食欲を見極められず、規定の量を定めてしまった。そして早食いの気もある。間食は控えたものの、夕食が思いやられる。

仮に腹が空いても、満腹になってしまうときつい。腹九部は満腹ではない。嗚呼、外食も何も出来ず、美味しいものも頂けない。このままいつまでも変わらないのか。

 

自活と健康。今はそれしか苦しんでいない。悩みではないと言いたいところ。悩むというのは、行動したい気持ちがあるのに、不確定さの負の部分に阻まれる事。やるべきことは選択していると考えたい。

そういえば、誰かと親しくなりたい意欲は薄いか。まずはとにかく自活をしたく、その次に移動を叶え、そこから健康がある。でなければ到達しない。いや、まず現実で誰かと縁を戻すのは難しいし、とにかく自活と移動、自立して生きていく力を身に付けないといけない。そのための最低限の体力はある。だからまずはそれだ。

 

参考文献

*1:NATURAL FIX P46より

*2:NATURAL FIX P47より