欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

HSPの複雑さ 自分のセンシティブさ

一口にHSP、ハイリーセンシティブパーソン(HighIy Sensitive Person)といっても、人それぞれまちまちだと言われている。ただ、根底にある性質は、提唱者のエレイン・N・アーロン博士の自己採点テストにあるようなもので、かなりコアなものがあると思う。そこにタフネスパーソンとの明確な差異があるはず。

個人的な体験だと、今まで自分の感覚をおかしいものだと感じ続けていたり、他の人とは違うな、と思い続けていたりするなど、それに近いような認識があれば、テストの結果を受けて安堵するHSPが多いと思う。

HSPという認識や、その正しい理解が求められる人たちにとっては大事なカテゴライズだ。この認知自体は広まってほしいし、好ましく理解されてほしい。

 

そのなかで、アーロン博士の著書にこう記されていた。敏感さについて話を始めると、周りのみんなが「私も敏感だ」と言いたがる、とのこと。(「ひといちばい敏感な子」 165ページ)

HSP増殖だろうか。これは興味深く、同じような体験をしている。母にHSPの事を伝えたところ、母自身や父、祖父のこと、それぞれのストーリーへと話が波及し、自分自身のことについての理解がかすむと感じたことがある。HSP珍現象だ。

それは、人間の営みにおいて「敏感さ」は必要なものであり、最低限備わっているものの程度の差であるということだそう。タフネスパーソンであろうが、適度に物事を感じ取るということは、HSPに限らず必要不可欠なものだ。

HSPであっても、それぞれ感覚の程度の差がある。工夫次第では刺激に耐えることが出来る人もいれば、病的な状態が生まれてしまい、身体的、精神的に困難を抱える人までまちまちだ。

自分は後者だろう。過去の出来事や、特に身体的な繋がりによる出来事のダメージが大きい。

自分の困難な所を簡潔に表すと、「無理をしすぎる」ということ。「引きこもりすぎる(自分が自分に過保護でいすぎる)」というのもあるけれど、中心にあるのは、

「自分に対してプレッシャーをかけすぎる」ということ。

「子供の頃は元気でいられたのに」

「余りにも身体が脆い」

今もその思考から抜け出すには至っていないけれど、明確な原因はあった。それは自分がHSPだという真実だ。

アーロン博士の本を読むことが一番理解に繋がる。他の関連書籍は読んだことがないけれど、当事者やその家族、周囲の人は、まずアーロン博士の本を読むことが一番だと思う。

 

一番必要だった事は、「正しく理解されること」だった。この認識があれば、自責感情も減りやすくなる。「自分自身におかしい所があるのではない」と、そう思える。「自分の中核ではなく、分離された付随しているようなところが悪いのだ」と、そう思える事は大切だ。

これからは、自分の自我や意識が「親」、養育者となり、改めて自分に対して好ましく対処すれば良い。コアな反応について学び、理解を深めること。そうやって相応しい生き方を教えれば良い。

それは大変なことだけれど、少しずつ変化はもたらされるはず。

もし、自分が実際の親の立場だった場合を考えると、同じように手を焼いていただろう。そう考えると、親は養育者の責務を果たしてくれた。それは今もそうだ。でも、やはり周りの人たちは、自分についての詳細を理解することは難しかった。それがあった。ずっとあった。

それが知能検査や、拉致されるように病院へ罹ることに繋がっていった。摂食障害発達障害の診断、療育手帳の勧めにまで発展してしまった。そして今のすべて、体調至上呪縛のようなものへ繋がっていく―。

これから自分の力で変えていくしかない。

 

タフに生きてくることが出来た人、これからも耐えうる幅が広い人、羨ましい。本当に羨ましくなる時がある。自分の因果な性分が恨めしくなる時がある。依然取り残されたような気持ちのドロップアウト生です。

これからだ。

 

参考書籍 :

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子