欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

もうひとつの敏感さ 内面からの刺激(HNS)

HSP(=敏感な人)という概念は、人間の正常な気質である「敏感さ」や「繊細さ」をラベリングしている。それらの性質について、ネガティブな先入観や偏見抜きに表現されるべきだということで提唱されたのが「HSP」。そう名称が提唱された。

敏感な特徴や能力は、好ましい知識がないとネガティブに見受けられやすいのだろう。HSPがネックとして働く場合の本質の部分は何か。

アーロン博士の著作、「ささいなことにもすぐに動揺してしまうあなたへ」では次のようなことが記されている。

(中略)

つまり、私たちの神経システムは微妙なものにも反応するように出来ているということだ。そのため、強い刺激を受けると、なかなかそれから回復しないこともあるのだ。

だが、HSPはいつも神経が高ぶっているというわけではない。日常生活や睡眠中において「慢性的に神経が高ぶっている」のではなく、新しい刺激や長引く刺激に対して神経が高ぶりやすいのである。

(中略)

「ささいなことにもすぐに動揺してしまうあなたへ」 56P

刺激を受けやすい性質と、複雑さから刺激を長引かせやすいところ。それらが神経の高ぶりを引き起こし、慢性的な疲弊に繋がってしまう。

本来は、敏感さはいち特性であり、好ましく過ごすことが出来れば受容的でいられることもある。でも、それが実際にネガティブに働いた時、自己否定感情が巻き起こってくる。

そこに至るのであれば、しっかりと折り合いをつける作業をしなければならない。そうしなければ前を向けないと思う。未だ水面下に押し込まれているものや、取り残されている感情に対し、しっかりと丁寧に向き合う必要がある。

更に刺激に対して踏み込んでいくと、別の刺激がある。

巷では、「HSS型HSP」という表現が広まっているかもしれない。ここではアーロン博士の著作に倣い、「HNS (High Novelty Seeking)」言葉を使う。「新奇追求型」という特性だ。(「ひといちばい敏感な子」参照。)

この特性は好奇心が強く、いつもの環境にはすぐに退屈してしまう。ただ、それでいて警戒心も強く持っている。好奇心は強くあるけれど、警戒心を上回る程ではない。そのため、すぐに退屈すると同時にすぐに神経が高ぶりやすい。敏感であるが故に、内的な刺激に対しても敏感なのだ。ただでさえ対外的に活動するのは刺激を受けて応えるのに、落ち着ける環境でさえも刺激を感じてしまう。

こういったことは、アクセルとブレーキでも表される。刺激を求める衝動的な気持ちと、冷静で用心深い気持ち。新しいことを求める気持ちが押さえられない場合も疲れてしまう。

 

HSPであろうがなかろうが、人は適度な刺激を求める。敏感さと刺激追求性が混在していると、外側で過ごせば外界の刺激を受け、内側では内側の刺激が発生してしまう。籠って過ごしても、頑張り過ぎても疲労に陥りやすい。

快適に居られる刺激の幅が極端に狭い。やがて疲れ果てても、また身体を酷使する破滅的なサイクルを繰り返してしまう。

これがHNSのあるHSP。これが自分のつきまとう複雑さだ。難儀なことがたくさんある。

 

敏感さという課題以外にも、他に扱いづらい性質がある。慢性的に神経が高ぶると、体調が安定することはなかなか無い。

自分はこういった基本的な折り合いをつける作業に手こずる。そして、体調のリズムばかり執拗に気にしてしまう部分と重なり、問題が複雑になってしまう。

大事なのは本質的なケア。メンタルのケアだ。でも、それがひたすらに難しい。

それに加え、籠りがちだと世の中の刺激が未知なもので溢れ、刺激に弱くなってしまう。それでいてソーシャルスキルも落ちているため、負の循環から脱出するのは難しい。刺激を避けすぎると、今度はフラストレーションによる刺激過多を起こす。

初歩の段階から始め、少しずつクリアしないといけない。こればかりはそうなのだろう。  

タフネスパーソンが羨ましい。自分の性格は恨めしい。どれほどあがいたとしても、この性分自体は変わることがない。

 

日々勉強です。

 

参考書籍 :

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子