欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

無理のしすぎ 過去の人と緩衝地帯

午前から曇っていたけれど、午後になって雨が降り出した。灰色の閉ざされたような雰囲気で、気分も下降していく。ここから晴れてくれたら良い。そうなれば、それだけで心に光が差して明るくなる。

暖房の効いた部屋と厚着した体。秋や冬にも風情はあるけれど、昔の苦い記憶もイメージされてくる。空気の感触や色合い、風、匂い、光、日の長さ、季節ごとの日常とその移ろい。細かな要素の中で、何が浮かんでどう振り返るか。その時の気分で変わってくる。この頃はどうだろう。良くもあり、悪くもある。

夜の寝ている間、どうも歯ぎしりをしてしまっている。夕べは歯が抜け落ちる夢を見た。ありありとした感触の夢だった。歯がぐらぐらしている感触を、確かに感じていたのだった。怖くて涙が出るなか、最後にぐらぐらの歯が抜け落ちてしまう。だらだらと血が流れ出すなか、口を開け、顔を崩して涙を流していた。そんな怖い夢だった。

日頃から感情を抑え込んでいたり、抑え込んだことで生まれる感情すらも抑え込むと悪夢に繋がるそう。そうアーロン博士の本に記されていた。HSPは悪夢にうなされることが多いとのこと。

何かの行動ではなく、ただただ涙が出るくらいに怖がっていて、ぐらぐらの歯が抜けたところで夢が醒める―。

何の原因があるかは定かに閃かない。ただ、何かのフラストレーションが悪夢を引き起こすのは確か。それを表層の自我は理解していて、日頃からそれは認識されている。だから恐らくは、

(あの夢を見るということはフラストレーションが溜まっている。それは解る。それがある。でも、現状はそれを理解しているけれど、何も改善をすることが出来ない。なかなか変われない。変わりたいのに変われない。悔しい。どうすれば良い?どうすれば変わっていく?このまま朽ち果てていくのか?

そう思っている。フラストレーションを晴らそうということが叶わず、それすらもフラストレーションとなってしまっている。無垢な自我は抑え込まれ、見えない所で泣き叫んでいる。焦燥、不安、孤独、暗闇。取り残された感情は、未だに取り残されたままだ。

ずっと人の気持ちばかり感じ取って優先し、その人を喜ばせようとしていた。些末な言葉や言動が頭に残り、それによって意識を左右される。引いては過去の人まで喜ばせようとしていたHSPの認知を得た後、こういったものがあったのだと知った。残像の過ぎ去りし人が離れず、その人の願いをひたすら叶えようとしていた。

答えるべきメッセージはたくさん湧いてくる。内なるものと、それをかき消す周りからくるもの。HSPのことを知り、成されるべきことを理解しても、日頃の癖は大きい。容易には変えがたい事がある。認識が病的に歪んでしまっている。

 

個性の個性化、盤石化が必要。無意識のナチュラルな反応を受け止め、意識のレベルへと押し上げる必要がある。言いたいことは言い、伝えたいことは事前に伝えること。無理なものは遮断し、叶えるべきことは叶える。当たり前の折り合いをつけることだ。そうしなければ、絶えず身体がダメージを受け続けてしまう。

自分の感情を外面に持ち出しすぎることが問題だ。そうなれば、本来の自分の感情が取り残される。それらは歪みとして、身体や心が受け止める。それが由々しき症状として現れてしまう。

きちんと緩衝地帯を設けることが必要。誰かの心音や、雑音が入らないような時間を取ること。自分の感情を意識に引き上げられるようにすること。そうやってバランスを取らなければならない。

これらが出来たら良い。そうしたいし、そうしないといけない。

親を責めることは出来ないけれど、未だに自分は何年も前の親を喜ばせようとしている。親の行動は、自分の中で痛手として刻まれた。親が対処したのは、あるいは対処出来たようなことは、自分の体調を気にすることぐらいだった。

今ならHSPというものに本質的な要因があると解る。でも、以前は解らなかった。自分だけではなく、親も周りも解らなかった。自分自身も、親も、教師も、ドクターも、誰もそんなことを知らなかった。そのなかで歪みはわかりやすく体調に表れ、フォーカスが当たった。

先細る体調のなか、きちんと対応してくれたのは有難いことだった。それは感謝するしかない。でも、それでしかなかった。体調の悪化など、行動の最前線の表面でしかなかった。体調よりも、根本にある大きな問題を見つけてほしかった。自分には、苦しさの原因なんて到底解らなかった。

 

なかば強制的に入院する事にもなった。辛かったし、恥ずかしくて堪らなかった。何とかしたくても何も出来ず、耐えるしかなかった。大きな困難があった。これが今の自分を左右している。強いストレスの原体験だ。

「体調が悪ければ辛いことになってしまう」と、そういった気持ちになっていた。それがずっとあった。恥ずかしいことばかりで誤解だらけ。でも、説明のしようがなかった。学校に行けなくなり、病院に行かざるを得なくなった。でも、正しく診てはもらえない。何も改善することはない。

その中でずっと思っていたことは、本質に何があろうが、「とにかく元気があれば良いのだ」ということだった。元気でいられたら困難に太刀打ち出来た。それがないから何もかも払拭出来ないのだ、と、そう思った。それが自分なりの立脚点だった。生きていくための、自分なりの教訓だった。

親の行動は、こういった感情と相まり、「体調に対してきちんとケアすべきなのだ」という思考に揺れ動いた。そう染み付いてしまった。それは苦しさから脱却したい気持ちと相まり、「体調を上向かせないといけないのだ」というプレッシャー思考に変化した。

 

体調至上思考。良くなるように、悪くならないように、無理をして踏ん張ろうとしてしまう。身体の水準にセンシティブになり、病的に身体の感覚にナイーブになってしまう。とにかく、"食べなければ"、"良くしなければ"、と、そのように無理をしてしまう。そのように身体を治そうとしていた。

その呪縛にがんじがらめになっていた。無理をしてしまい、一喜一憂をし、また無理のしすぎに陥る。その循環から抜け出せずにいた。身体へプレッシャーをかけ続け、ひたすら体調を上向かせようとし続けてしまっていた。

生活の中心に体調はあり、日々は健康という原資の下支えがあってのもの。焦りや不安、フラストレーションなど、体調にまつわる感覚はいつでも顔を出す。悪循環はすぐにやってくる。ナイーブになるセンシティブループ。

身体は破滅への一途を辿るのみだった。ずっと呪縛のようだと思っていた。狂っているようでおかしいと思っていた。

 

それは今、認知が得られてかなり変わっている。でも、なかなか変わらないものもある。

すべきことは、まず一人の時間を設けること。とにかく静かで落ち着ける場所を設け、そこで心のバランスを取ること。それをする必要がある。そこでエネルギーを整えること。

そうすれば、穏やかな心で家族と接したり、元気に活動出来るはず。それが整えば何でも出来る。過去の人という大きな刺激との緩衝地帯を設けること。そこからが始まりだ。そうしないとどうにもならない。

ただただ普通に、元気で、大丈夫でいたい。それだけが望みだ。

健康でいるためには、適当な休息では足りないのだろう。センシティブパーソンのやるべき仕事を完成させないと、生活の基礎は整わない。生きていく上のネックを解消させること。

そして、その先にもたくさんのやるべきことがある。自然と健康になるのではなく、必要な要素を集めること。そうしなければ健康に辿り着かない。

 

そこにいつかは辿り着くだろうか?

すべては自分次第。努力するしかない。

 

参考書籍:

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子