欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

受けた痛手と振り返る今 病気と病院

今日は午後から久し振りに晴れた。綺麗な光が差してくる。青空と黄金色の光。温みのある光に心地よい風。美しくて天国に居るようだ。ススキが揺れる夕方の景色。

ぼんやりと以前の通院を思い出した。その時の帰り道を思い出す。少し前の記憶だ。一昨年かそれより前のこと。その頃は、屈辱にまみれて泣きながら帰ることもあった。

そのなかで思い出したのは、穏やかな気持ちで帰ることが出来た日。良い心持ちだった時の事が浮かぶ。

診察前とは打って変わり、取り越し苦労で済んだ診察後。落ち着いた心で過ごす待合室。全てが終わって自動ドアを出ると、気持ちの良い秋風が吹いてくる。車に乗り、病院を出る。西日が差し込む帰りの車窓。晴れた空と晴れた心。夕方のラジオと夕方の風景。毎月の道中。

もっときつくて悲しいことがあった。でも、今は心が軽いからそれが浮かばないのだろう。良い時もあり、悪い時もある。それぞれの心象風景がある。

自分の「無理のしすぎ」は、体調とリンクして働き、プレッシャーとなった。「食べなければならない」という呪縛になり、身体を休ませることは選択できなくなった。それが持続され、身体の生活レベルや、消化機能が下がっていく。食べるときつくなり、それによって怖くなる。ひたすら「食べなきゃ」と、ひたすら「食べれない」が続く。

ドクターへこの事を伝えても、その二つで表現すれば誤解に繋がるだけだった。すると「摂食障害」という診断が下った。ドクターからすれば、どうにも厄介な患者だったと思う。

自分では何も解らなかった。HSPの事を知っている人など一人もいなかった。自分は無知で、無気力で、人任せで、全てを諦めていた。でも、それはどうしようもなかったと思う。

 

入院もしたし、薬の初期反応が大変だったりした。下降していく体調をずばっと評価されたり、待合室に患者が溢れていたりもした。その病院では、幾度となく神経の高ぶりに見舞われた。それがいくつも発生するような場所だった。体調を悪くさせるために通っているような気持ちだった。

検査しても異常がある訳ではなく、メンタルのドクターと話しても変わらなかった。それどころか、発達障害療育手帳について勧められ、その方面へと繋がってしまった。

 

今となって思うことがある。病気を治すということは、患者本人の治す力次第であり、治す気がなければ始まらないということだ。それを後になって理解した。自分について知り、自分で治すこと。それが本質にあるのだろう。

科学療法が必要なら、そのための薬を処方してもらえば良い。そのニーズを自分で理解し、自分で主体的に求めること。それが大切だ。それは当たり前の事だけれど、それが解らなかった。メンタルの事は、特に自分の力次第だった。

小児科年代の終了により、その小児病院に罹るのは辞めた。今は別の病院に通っている。

 

抜本的に生活が上向くことはない。それは今も難しい。依然として、今も表層は同じだ。根本の思考や、呪縛のようなものから抜け出せていない。そこの整理を日々しているけれど、一朝一夕には変わっていかない。

でも、少しずつ進捗があると信じ、日々を何とか過ごしている。

日が傾いて光のトーンが落ちてきた。辺りの活動のエネルギーが穏やかになっている。そのように感じられる。雰囲気のトーンが落ちた。街の人たちは家路に就く。

自分も同じように外へ出て、充実した日々を送りたい。そのなかで、季節の移ろいを感じられたら良い。

 

社会的な活動や、自分の存続を確かにしてくれる活動に費やしたい。それは一体何があるのだろう。何かに励んで生活を営めたら、それだけで十分だと思う。そんな日がやって来れば儲けものだ。大きなリターンとなる。

健康でいられる時は、それに必要な要素が集っている。それは恵まれた瞬間なのだろう。快適な環境があり、自分のペースで生活が出来て、自己実現へ向けて歩んでいく。そんな日があれば良い。

理想は思うだけ自由だ。

 

また明日。

 

参考書籍:

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子