欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

好調の兆しと抑圧の影 どこか周りと違う子供

体調は良くなりつつあるけれど、ふと抑圧が顔を出してくる。その原因は、好調によって自分を保とうとしているからだ。立脚点の脆さ、危うさ。「体調が良ければ何でも出来る」と、そう思ってしまう。

それは確かにあるだろう。でも、それを不安定な状況下で拠り所にすると、一喜一憂に陥ってしまう。それは無理のしすぎをもたらし、身体が停滞していく。どうにも大変な身体だ。

 

好調を強く思うと、途端に悪循環の入り口に立つ。それは悪い時に思っても、良い時に思っても同じだ。そうなってしまえば、時の運でしか抜けられなくなる。

後から振り返れば、その時の苦しみは些細な事だったと思える。でも、苦しみの渦中ではそう思えない。とことん悪くなる想像へ傾き、一瞬で処理が行われていく。不安やリスクがどんどん湧き、事態をセンシティブに捉えてしまう。

するとナイーブになり、神経の高ぶりが発生してしまう。それに対抗しようとする結果、無理のしすぎへと繋がっていく。どんどん身体は蝕まれてしまう。

 

悪くなる時はとことんこうだ。それが変わらず長引いている。抜本的になかなか変わらない。

でも、振り返ればなんとか立て直している。一時の不安に押し潰されないこと。落ち着いて事を俯瞰的に把握すること。

そう自分に言い聞かせるように記していく。強風で曇天の空。

動画サイトのコメント欄に、このようなコメントがあった。

「生きているだけで偉い」

「生きていることが特技だと言え。それで良い」

「そういうことではない」とか、「それは綺麗事なのだ」と、そう思いながらも心に留まっている。画面の向こうには楽しそうな人も居るし、きつそうな人もいる。この画面を見ている人はどうだろうか。殆ど誰も見ていないけれど、そんなことを思う。

 

他の人と違うようになったのは、かれこれ9年前からだ。その年の春から体調やらがおかしくなり始めた。

現在2020年。辛くなり始めて10年目だ。小学生年代から早々に周りと枝分かれしてしまった。時を経た今は、もう各々がそれぞれの歩幅で生きているのだろう。そのなかで、どうしても同年代と比べてしまう。

級友たちは、いわゆる普通のステップを踏み、学び舎での出来事を過ごしていたのだろう。その一方で、自分は病院へ罹って入院したりし、明らかに周りと違う日々があった。自分は異質だとどこか思っていたし、出来事は過剰に違っていた。

 

月日を経てその正体が解っても、そこからが始まりにすぎない。その時点から別の道が生まれる。今までの歩みとはまた別の、複雑な前途と困難さ。ようやく立てたスタート地点と、その先の景色と長さ。そして、全ては走り出してからだということ。

マイナスをゼロへ。ゼロからイチへ。そこに達したとしても、まだまだ序の口なのだ。

自分は何年も立ち止まったまま。これからすべてを築いていかなければならない。これまでの何年間で、自分は一体何をしていたのだろう。

ずっと「普通」を羨ましく思っている。それは幻想なのかもしれないけれど、ずっと思っている。

何気なく過ごせるような日々が遠い。それだけが遠い。当たり前に元気で、健康で、大丈夫で、一般的な出来事を過ごしていたい。それが当たり前に通過していくような日々に、自分は届かない。

自分にはずっと元気がない。これがないから何も始まらない。始められない。「それがないから周りの人達に振り回されてきたのだ」という思考がある。これも認知の歪みだ。それによって生み出した立脚点は、とても脆い。無理のしすぎの原因となっている。

歪んだ部分は消えていない。誤魔化して過ごしていく日々の中で、やがて身体に現れてしまう。それが今の日々だ。

 

孤独には耐えられるし、劣等感にも耐えられる。悲しみにも耐えられるだろう。でも、苦しみには耐えられない。それを抱えながら生きていくことは出来ない。それを癒し、弔い、糧を得る瞬間がなければ生きていけない。そうしなければ、その後に発展していくことはない。

それを意識して選択し、自分の力で癒さなければならない。すべては自分次第だ。その過程を踏まずして身体が楽になることはない。それは今までの日々で証明されている。

「美味しい食事を幸せに思おう」とか、「何でも良いからそういうことを見つけよう」ということは染みていかない。それは無理だ。自分には無理なのです。やはり痛みがあるうちは難しい。叶えたいことがある。それが満たされるまでは、幸福感は得られない。

 

平凡で平穏に過ごすことが出来るのは、一種の才能だと思う。小中高、大学、就職活動までに大きなダメージなく歩めたのなら、それは一種の与えられたものだと思う。それはその人の生涯にあり続けるのだろう。それが一番の原資だ。

学校に適応し、教育の恩恵を受け、それで得た武器で戦うのが一番だと思う。それが一番の生き方だろう。羨ましい。自分にはそれが出来ない。

 

自分の人生は、両極端にある二つの道しか歩めないと思う。自分が何者になれるか知ることもなく、苦しみに支配され、それに若くして飲み込まれるか。あるいは生き生きと過ごすための条件を理解し、それを生活に落とし込んで、苦しみの種が楽の実を生むのか。

そのどちらかだと思う。その中間の日々はない。そんな気がする。

何はともあれ、とにかく元気に過ごしたい。美味しくご飯を頂きたい。それだけです。

自分がチャンスを掴めるように、その時に辿り着けるようにすること。

人に会いたい。

 

また明日。

 

参考書籍 :