欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

捉え直しと新たな気付き フィードバックのその先

今日は快晴。小春日和だ。クレヨンで塗ったような青が広がっている。そのなかで終日家に居た。ガラス越しに世界を見ていた。依然まだまだな身体の水準だ。でも、意欲は湧いている。ただ、それを全く活かせない。

HSSの強いフラストレーションは、それを溜め続けると身体に支障が出てしまう。それがネックだ。現状打破のステップは浮かんでくるものの、それを実行するまでには至らない。「他の人がこう思うよな」とか、「それを選択して大丈夫なのか」、などと考えてしまう。

理想が浮かび、現実に即した実行案は浮かぶものの、それを実践することはためらってしまう。ひとまずは、出来ることから整えていきたい。でも、それが色々と難しい。

 

身体を気にしすぎてしまうけれど、本当にすべき事はメンタルのケアなのだ。するべきケアを怠っていて、別のところをケアし続けてしまっている。メンタルのケアが大事なのに、フィジカルの事ばかり気にしてしまう。本質的な改善策を取らないと変わらない。でも、それがやはり難しい。

自分の感情が外側で使われないようにすること。人を喜ばせようとしすぎたり、安心させようとしすぎないこと。自分のペースやテンポで生きていく。それを優先させること。そうせざるを得ない。これが大事だ。でも、どうにも難しい。

 

食事や体調について考えない日はない。それに加え、HSSによるフラストレーションも強い。その苦境から脱却しようとすると、よくない立脚点を持ってしまう。それが抑圧に繋がってしまう。「食べなければ」 とか、「体調が良ければ」 などの気持ちしか浮かばない。

体調を頼りにするしか策がない。そう思ってしまうため、やがて無理をしてしまう。このようにならないために、本質的な原因を見つけ出さなければならない。根本的に対処しなければ変化はない。それがメンタルのケアであり、緩衝地帯をつくる必要性にリンクしてくる。

 

でも、家族と同居している以上、その家族と自分の感情を切り離すことは難しい。家族を安心させようとしたり、喜ばせようとしてしまう。するとありのままのペースが失われ、センシティブさを生む。それが抑圧の切っ掛けになる。

このネックに足を取られると、途端に悪循環のどつぼにはまる。そこにHSSのフラストレーションが加われば、更に抑圧が加速していく。より体調が悪くなれば、不安や焦燥から生まれる内側の刺激を受け取ってしまう。それが更に抑圧を生み、ますます状況が傾いてしまう。

 

まずは内側の刺激を減らすこと。緩衝地帯をつくり、自分の感情を意識して過ごすこと。そして相手から刺激を受けすぎないようにする。それらを叶えることだ。それを経てこそ、次のステップへ進める。

これは外側との折り合いと繋がっている。内を守るために外へ繰り出すこと。近くではそれが家族だったり、先の段階ではソーシャルの場だったりする。外側から身を守るために内側を整え、内側を守るために外側を整える必要がある。色々の面が表裏一体でリンクしている。

 

緩衝地帯をつくるとすれば、なかなか現実的ではないことが多い。精神的な境界線でも、空間としての境界線でも難しい。身体について悩むとと余裕が無くなり、長引く刺激に繋がりやすい。

とても複雑だ。でも、HSPの認知を得てからは、いくらか変化が起こっている。

いつかはHSPの特質を活かせたら良い。"DOES"で表されているような、鋭敏な所が活きるライフワークを得たい。ネックとなるような、人を喜ばせたいという面を活かしたい。それが良いところで重なれば、素晴らしいものに昇華されていくと思う。

エネルギーの性向は、MBTI診断によれば感情を伴う直観タイプであるそう。それもプラスの事柄として捉えていきたい。嫌でも過剰に人の心を感じてしまうのならば、そういう才覚が求められることをすれば良いだろう。心理師とか、カウンセラーとか、人の心を感じ取らなければならない仕事だ。

誰かの心をまとめること。教育とか、ヒーリングとか、そういったことで好ましく満足感を得たい。

これが叶えば、苦しみの種が楽を生んでいくはず。大きなリターンはある。

穏やかな日々を素晴らしく思いたいけれど、HSSによって満足から遠ざかってしまう。そうなってしまうのが残念。

でも、それは何かを生む立派なものだと思うし、前述の目標を設定している。そこへと希望を持ってやっていくしかない。

やはり、人と会う他ない星の下に生まれてきている。そのような人間だ。人と会いたい。

鍛練です。

 

また明日。

 

参考書籍 :