欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

認知と日々の過程 ネックとの折り合い

昨日、病院へ行ってきた。先生が親切でとても有難い。人がごった返しているような病院ではないため、刺激に脆い今は助かる。それだけでも有り難く、刺激に対する資源になる。先生も看護師の方も優しいし、そういった些細な要素から拠り所を見出だせる。

ソーシャルな場では、心を保つための資源を携える事が大切だ。それがあれば、刺激を受け止める器になる。

「あそこは怖いところではない。混雑もしていない」と、そう思うことが出来る。自分のなかのナチュラルな反応に対し、あやすように接すること。そのための材料になる。そう意識をし、自分自身で好ましく対処していく。

診察では、身体的なアプローチの方法を教えて下さった。それは今までに知らなかったことで、糧になる認知を得られた。とても有り難かった。

 

普段から考えていることは、素人の入れ知恵によるものだ。それをぐるぐると考え続けている。身体のことについて、プロの知見を得ることが出来たのは有難い。

最近は、HSSのフラストレーションをどうにか満したいと思っていた。でも、その前に身体的なステップを考えようと変わりつつある。

病的な状態と、余裕があれば周りを探索したくなる状態。そしてソーシャルな場へ出て行ける段階と、普通に生きていけるようになる時。それぞれの段階があるなかで、今の現況がある。

HSSは外的なフラストレーションを生み、内側で刺激が生まれる。それらのネックよりも、前提として満たさなければならないものがある。身体の水準だ。ある程度は水準を底上げし、基本的な体調を得たい。それをきちんと整えることが前進に繋がる。

 

在るべき好ましい認識は、少し違うところにあるのだろう。多分そうだ。ある程度は身体を落ち着かせる必要がある。少し無駄な焦りだったのかもしれない。

栄養のアプローチや、食事の摂り方のアプローチがある。それらの好ましい認識を持たなければならない。

やはり勉強は大事だ。それをし続けることが欠かせない。病気というものは、自分の力で治していくべきだ。自分の状態や対処の仕方を知らなければ、ただ路頭に迷うのみ。やがて見えない何かに押し潰されてしまう。

それは、今までがそうだったのだ。今後はどうなるだろう。

好ましくない認識でいると、途端に抑圧に陥る。無理を取り除かない限り、本質的には改善しない。

でも、そこへ取り組みたいけれど、なかなか上手くいかない。結局は不安定な揺れ動きのなかで、些細な身体の変動に振り回されてしまう。これを何とかしたい。

 

一つはやはり、好ましい立脚点を得ることだろう。でも、そのために身体が上向いてほしい。そう思ってしまう。体調ばかりを気にしすぎる呪縛があるけれど、実際に体調が上向いたら立脚点になる。それを望んでいる。それがあるために、強引に無理をしてしまう。そのようにして得ようとしている。

でも、本質的なケアをしない限り、それは得られない。結果が得られる順序は決まっている。選択の順序もだ。

身体の水準に強く依存せず、それは後から付いてくるものとして認識したい。そうやって気楽に考えていられることが必要。そうなった時に付随するものなのだ。それを叶えるのが、一つは緩衝地帯だ。

 

抑圧へ至らないためにも、緩衝地帯を設けること。誰にも邪魔されず、コアな感覚を意識に引き上げ、それを元に本来のリズムで生きること。

それが出来る空間をつくること。それが必要。そうやって気楽に考えていられたら、何にも動じずにやっていけるだろう。「周りの人を喜ばせよう」とか、「安心させたい」という他人中心な事を考えずにいられる。

誰かを助けるために、まず自分を助ける。健康で大丈夫でいられることが、一番の貢献のための要素。

 

今は日々では食事量が足りず、身体的な問題がある。それは数字で現れるため、頻繁に心身への刺激となってしまう。そのなかで、慢性的に身体ばかりを気にしすぎてしまう。

その状況では感情が外側へ持ち出され、過去の出来事やフラストレーションと重なってしまう。すると無理のしすぎに陥り、それがストレスとなって身体の状態が悪くなる。

気楽に考えられず、外側の刺激に加え、内側からくる刺激も受け取ってしまう。体調についての感覚や、日常の水準がセンシティブさを増大させていく。どんどんナイーブになってしまう。

 

まずは身体の病的な水準を脱したい。そこからHSSによる内面の刺激を解決する。そのための行動に出ること。

やはり抑圧は、心の養生を怠ると顔を出す。問題なのは、センシティブさを生む身体についての刺激だ。それが大きい。これを軽減することが必要。

身体についての認知が増えれば、在るべき好ましい認識に近付いていくだろう。段々と有意義なものになっていく気がする。

気持ちよく食べて安心したい。そして活動に向かうこと。フラストレーションが満たされれば、ストレスとなる刺激も減っていくだろう。睡眠も良好になっていくはず。そうなればプラスの循環が生まれ、リズムが良くなっていくと思う。

元気に過ごせるようになれば、色々とやりたいことがある。そんな日々へ辿り着けるだろうか。本をたくさん読み、音楽を聴き、散歩へ出掛けたい。そのなかで人と会いたい。

いきなりソーシャルの刺激過多な場へ飛び込むのではなく、一人一人と穏やかに関係を醸成したい。それを行える場所を見つけたい。

その場所は一体あるのだろうか。

アーロン博士によれば、HSPの任務は「短い仕事をすること」をすることだそう。「自分自身が健康であること」が他人を助ける第一条件だということ。

短い仕事とは一体何があるのだろうか。喜びとニーズだろうけれど、どうなることやら。

 

また明日。

 

参考書籍 :