欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

喜ばせたがり屋な子供の傷 内的な傷を癒す仕事

ここ最近は、刺激追求性によるフラストレーションが浮かんでいる。体力が有り余ってはいないけれど、毎日が代わり映えなく過ぎると嫌になってくる。それがネックだ。その気持ちが強くなると、内的な刺激となってしまう。

生活に必要なことは家族がやってくれ、自分は好きなことをやっていられる。そうであるのなら、存分にそれを享受すれば良いのだろう。病を癒すことや、出来ることに励めば良い。

でも、画面の向こうにも、本の中にも正解はない。やはり、どこか満足が出来ない。どうにも上手くいかない。

センシティブさと刺激追求性。敏感さと好奇心旺盛さ。ソーシャルの場へ出ていきたいけれど、刺激に対してセンシティブすぎる。ただ、それでいて活発な意欲がある。外でも疲れてしまうし、内側のフラストレーションによっても疲弊してしまう。

刺激に耐えうる幅が極端に狭い。外からの刺激にも脆いし、内側で守りを固めてもきつくなる。自分の欲求や感覚が刺激になってしまう程だ。

適度な刺激を求めるなかで、外へ出たくなるし、冒険をしたくなる時もある。でも、そこでためらってしまったり、外で実際に負荷が掛かってしまったりする。

 

仮にネットワーキングによって自活が出来たとしても、本当の満足には至らないだろう。健康には過ごせないはず。やはり、外へ出ないと本当の改善はない。

それをどうするかという日々。夢の中であっても、誰かと会いたい気持ちと、それを遮断する気持ちがせめぎあっていた。その葛藤は、身体へと現れてしまっている。それを何とかしたい。

 

とはいえ、ソーシャルな場はどこにあるのだろうか。何年間で一人になってしまったし、フリースクールは刺激が多すぎた。それは学校と同じくらいの刺激の量だった。ソフトな学校であっても適応できなかったのだから、もうそういった所へは行けないと思う。

いや、最早そこへは行かなくても良いとすら思える。そもそも無理な話だったのだろう。そこへ行くなどして、いわゆる普通のステップを踏むことは出来ない。そういった人生を歩むのは、自分の性分だと無理だ。恐らくはそうで、自分は幼稚園からつまずきがあったくらいだ。学校へ行き、進学をして、会社へ行く。そういった生き方に無理がある人間なのだ。

となると、好きに日々を切り開くしかない。そうすれば良い。

 

でも、どうしても家に居てばかりの日々だ。それでは身体が良くならない。それは誰であっても同じで、ずっと家に居続ければ心身は病むのだろう。

それに加え、特に刺激追求の気がある場合、外へ出ざるを得ない。それは約束事になっているのだと思う。皮肉にも、外側の刺激によって厭世的になってしまっても、それを脱するには外との繋がりが必要だということ。

そのなかでも必要な刺激は、やはり人との関わりによるものだ。それは常々思っていること。一日中それが頭に浮かぶくらいの人間だ。

アーロン博士の著書には、ユングやタイプ論についても記されている。いわゆるMBTI診断だ。人には「情報の取り入れ方」があり、それは感覚か直観か、思考か感情かのそれぞれがあるそう。

この中でどれが秀でているかは、「自分のもっとも不得意とする機能を観察すればわかる」とのこと。いつも自分を情けない気分にさせる機能を見ればいいとのこと。

このなかで情けなく思ってしまうことは、「感情」にまつわることだ。過去の人を思い浮かべて気にしては、その残像の中の人を喜ばせようとしてしまう。無理をして身体へプレッシャーをかけ、負荷が掛かって苦しくなってしまう。そんな自分が嫌になる。そういったことが繰り返されている。

 

こういうことから解ることは、良くも悪くも、感情にまつわることから逃れられないということ。感情型は、感情に基づいて決定を下す。個人的な経験や、自分や自分が大切に思う人にとって良いことかどうかで判断をする。

病的に人を喜ばせようとすることや、些細な心理を感じ取ってしまうのはその通りだ。そして、引いては過去の人を喜ばせようとしてしまう。

その性質は、普段なら良好な関係構築に役立つだろう。「DOES」で表される特質であり、素晴らしいものだ。ただ、何かのトリガーが介在すれば、とたんに悪く働いてしまう。

心身に現れる傷を癒すこと。根底の願望を叶えるために折り合いを付ける。いつか在るべき所へ辿り着くことが最終目標だ。その行程を怠れば、歪みがどこかに現れ続ける。いま向き合うべ事はそれだろう。

いつかは人と穏やかに関係を醸成をしたい。愛情や友情に触れたい。それが生きていく上での大事な栄養なのだろう。感情型であれば、そこから目を背けると歪みが生まれてしまう。

そのエネルギーの方向へ正すこと。それをしなければ、身体へとダメージが現れてしまう。事が全く進まなくなってしまう。

 

ただ、解ってはいるけれど、行動していくのは難しい。切っ掛けはどこにあるのだろう。どこに何があるのだろうか。

いつかはその感情型の思考を活かしたい。それを活かすべき作業を見つけたい。教育とか、ヒーリングとか、人の心と接する役割を持ちたい。その価値を創れたら良い。導いたり、促したりしたい。

でも、そのようなことは、遠い先で考えるべきなのだろう。

 

在りたいこと、情熱のあること、得意なこと、好きなこと、そして感情を活かすこと。それらがベストマッチする作業は何だろう。何があるのだろう。

カウンセラーとか、教師とか、介護士とか、色々あるけれど、既存の仕事は勤められないだろうな。どうすれば良いのだろうか。

自活と自立の目標。遠い遠い目途。この文が何かに繋がれば良いけれど、難しそうだ。

どんどん時間が過ぎていく。気が付けば一日を空費してしまう。

 

また明日。

 

参考文献: