欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

自分なりの癒し方 新たに得るべき素質

最近は、特に大きな困難はなくなりつつある。ただ、まだまだ身体の事やHSS、対外的な事がある。避けられない要素はまだたくさんだ。

でも、極端に苦しい状態からは抜け出せている。依然きついこともあるけれど、いくばくかは楽になっている。

今の自分は、何もする事がない。こう言うと贅沢な話だと思う。身の回りの事は家族がやってくれ、自分は暇でいられる。それは端から見れば羨ましがられるだろ。でも、どこかがきつい。どこか満足ができない。

それでも、今は病的な段階ではある。何かを課されることはないし、そのぶん病を癒すために励むことだ。それが第一の仕事だ。そうやって割り切り、気楽に考えるべきだろう。そうやって過ごすことだ。

 

でも、それは難しい。それが出来れば楽になるだろうけれど、そうはいかない。HSSの好奇心もあるし、それが満たされず強くあり続ける。すると、自己の内側にフラストレーションが募る。敏感すぎるが故に、内的な感覚でさえも刺激となってしまう。

その長引く刺激により、神経が高ぶってしまう。すると大きなストレスが生まれてしまう。それは抑圧を生む。

 

外の世界には刺激が多い。今は刺激に対して回避的でいてしまっている。積極的に外へ出ても、外的なセンシティブさによって疲弊してしまう。

だけれども、内にこもりすぎてもフラストレーションが溜まる。どちらにせよ、由々しき状態に繋がりやすい。快適にいられる環境が、あまりにもない。

 

自立して生きていきたい気持ちがずっとある。それは辛くとも思える。でも、それらを叶えるには、外へ出て少しずつステップを踏むしかない。それがとても難しい。

外へ出て、徐々に刺激に慣れること。その初歩的な段階を経ていくことが出来ない。ソーシャルの場は、今の自分にとって刺激が多い。

日々やっていることは、文を記す事ぐらいだ。内側の刺激に対するセンシティブさと、対外的な場面でのセンシティブさ。その二重のネックがある。そして、外側へと向かえない身体の水準。

 

理想としては、本を読んだり勉強をして、ネットワーキングなどで自活をしていたい。今の状態であっても、やれることをしたい。

でも、それは容易ではない。それに、そういったことには集中出来ないだろう。一番満たしたい要素はそれではない。たとえお金があったとしても、自分は健康になれない。

ただ、何かのライフワークがあるのなら、それに努めていたい。それが成果に繋がれば良い。そう思って文を記しているけれど、意味はあるのだろうか。

 

絶えずもどかしく、ずっと申し訳ない思いがある。現状を変えたい自分は居て、何とか日々を動かしたていきたい。でも、なかなか変わらない。

今の自分は病気がある。それに対峙するのが第一のこと。でも、それもまた難しいのです。

今の自分には、心身に栄養が必要だと思う。本質にある問題点は、フィジカルにあるのではない。画面の中から救いを得ようとしても無意味だ。

本当の救いになるのは、人の感情だ。感情型人間として、人の心に触れることが一番の栄養になるだろう。皮肉にも、それとセンシティブさが相まって感情に苦しんでいるものの、その部分に自分らしさがある。そこから目を背け続ければ、一向に変化はなくなる。

人と会うこと。人と話すこと。これらが一番必要なことだろう。HSSの行動的な部分も、こういう事で満たしていくことが大事。

でも、一体どこにそれを満たす切っ掛けがあるのだろうか。そこが一番難しい。

 

HSSの衝動的なところと、自分の困難を引き起こすセンシティブさ。そして身体の水準と、対外的な対人スキルのつくり直し。これらの歯車が噛み合う時はあるだろうか。

自分なりの癒し方で傷を癒し、問題がなかった時には得られなかったであろう素質を獲得すること。そして、そうやって得た糧で日々を創ること。そのように過ごし、そこでも日々の結果を検証し続けていくこと。

一体素質とは何だろう。人と接する上での経験? 内省による認識?臆さないメンタリティー?必要な要素は解っているつもりだけれど、実践の場までは進んでいない。それが悔しい。

病的なセンシティブさからは脱出しつつある。それがあるのだから、そこからプラスの栄養を得れば良い。そうすれば良くなっていくはず。

 

とにかく外に出ることだ。人と会って喋り、話を聴いてもらうこと。そして、外側と内側のバランスを取るための時間をつくる。外的な時間の後には、内的に過ごすことだ。

そうやって体調が上向けば、身体のエネルギーも湧いてくるだろう。そのように活動的になり、更に外的なステップを踏んでいくこと。そうすれば好循環のリズムが生まれるだろう。

そうなれば良い。いや、そうしていきたい。

かけがえのないライフワークを見つけられたら良い。センシティブさや感情にまつわることを役立たせ、何かに励んでいたい。

心に触れて、癒したり、励ましたり、導きたい。この文もその一端を担っていたら良い。理想は理想としてだ。成果はあまりないけれど、表現活動をしていきたい。

 

喜びに従うこと。経験が無く、それが何なのか解らないけれど、感情にまつわることだと思う。在りたいことと情熱、好きなこと。それらの中央にあるもの。

そのためにまずは目の前のこと。人の心に触れたい。

 

また明日。

 

参考文献: