欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

困難と願望の辿る道筋 悲願の果て

夕べは夢を見た。最近はよく夢を見る。といっても、その夢をはっきりと覚えていない。感情に何か鮮烈なインパクトを残し、目覚めた時に思い出すというもの。夢の中ではやはり、感情が発現さているのだと思う。そのなかでもやはり、暴発に近いような叫びがある。

少し前までは、歯が抜け落ちる夢を見ていた。歯がぐらぐらときしみ、最後に抜け落ちる夢。それも歯ぎしりの感触と共に見ていた。ただ、最近はその夢を見ることは減りつつある。

そうなるのはどこか疲れていたり、フラストレーションが溜まっていることが原因だ。そう判明している。それは解っている。でも、それを改善できず、大きな不安を抱え続けている。「それを解決することは難しい」という感情がずっとあり、その気持ちも押さえ込まれている。その感情の叫びは、夢で現れている。

 

最近の夢は、その夢とは少し変わっていた。どこか活動的な夢だったと感じる。家族とどこかへ出掛けたり、理想を叶えようとしてじたばた足掻いている夢だった。そんな自分が夢に居たと思う。家族と出掛けていたり、祖母宅に住んでいたり、そのなかで嫌なことがあったりする夢だ。

明らかに悪い夢の時でも、感情の暴発とは違う時もある。眠る時の身体的な状態や、睡眠状態によって苦しい夢を見ることがある。ただ、最近はそれがなく、どこか積極的な夢を見ていた。

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身体は絶好調ではない。身体の水準が抜本的に上向くことはない。それでも、その日その日の調子ではエネルギーがあったりする。活動が出来る日はある。ただ、それを発散させることには繋げられない。フラストレーションが募る時間の増加によって、二次的な欲求不満が生まれているのだと思う。

フラストレーションを抱えてしまい、それを晴らしたいという気持ちも晴らせずに終わってしまう。再びフラストレーションが生まれ、またその感情も封じ込められてしまう。

日頃の頭の中にあることは、理想のことだったり、ストレス対処だったり、在りたい所へ積み上げたいという気持ちだ。

 

身体について頭を回していたり、そこへ至るためにどうすれば良いかを考えている。日々の内省や、フィードバックによる反省と考察。そしてそれを現実にどう落とし込むか。そういったところだ。

体重についてやストレスへの対処、それを叶えるための理想。逃源郷。どのように生活し、どのように栄養を摂り、どのように生きるか。自分なりのカリキュラムとマニュアルによる行うべきこと。体調と、それを整える内外のバランス。生活環境と対人環境。


細かい煩雑な事が溢れていて、今は足りないことがたくさんある。まだまだだ。今はまだ、人生を基盤を作る準備期間だろう。自己形成の期間だ。人生観、幸福観、職業観、それらを自分なりに考え、行動し、創っていくタイミングだ。

今はそれに専念できる時ではある。それに専念できる環境がある。余裕も今はあり、時間と自由がある。それが自分の大きな財産であり、唯一のアドバンテージだ。宙ぶらりんな日々の中に、励むことが出来る環境を携えている。これを活かすことがやるべき事だろう。

 

まだまだ時間はかかる。そう思う。病的なマイナスの段階から、まずはゼロへ。そしてそこからようやく、イチへ積み上げていける。

今は土台を造る時。まずは内省で困難をクリアに視ること。そしてそれを癒していく。それを経てこそ、その後にゼロから積み上げられる。一から実生活の事を積み上げる。自分なりの素質で、生き方で、日々を創っていく。

ただ、基盤を完成させたとしても、難しい道のりが現れるのだろう。そしてそれはどこまでも続く。生涯困難は降りかかる。

でも、いつかは辿り着ける。そう信じて気持ちを奮わせよう。きっと理想は叶う。少なくとも、切っ掛けを自分が求めれば、何かが生まれるはず。そんなことを思う。

この文を記し始めて二ヶ月が経った。早いようで長いような気もする。依然としてあまり読まれてはいない。もちろん、いきなり江湖の大喝采を浴びられる事はないだろうけれど、何か成果を得たいと思っている。そんなことを思う。

自分のために書いてるのだから、成果は二の次であっても平気なはず。それは意欲の根底においても、成果においてもだ。

でも、欲が出る。自信も湧いてくる。それが魔物だ。はやる気持ちがある。下心と確信。でも、その裏側には劣等感がある。

臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。劣等感情があるのに自信もある。自信があるのだけれど、劣等も思う。前へと進みたい強い気持ちと、ひっそり隠れていたい劣等感。その狭間で、一進一退に発表をするのが今の自分。胸がちぎれそうになったり、悶えたりするように発表をしたりしている。それは、どうしても欲があるからだ。


本当に純にやりたいことがあれば良い。ただひたすら創り、発表をすることに励む事が出来たら良い。その過程にこそ自分の満足があり、その時点で完結させられるだろう。そのメンタリティがあれば、周囲の目を気にせずに努められるはず。そう思う。

でも、「自分はこれで人を救えるのだ」という確信すら持っている。アーロン博士の威を借りているだけなのに、人の胸を打つと確信している。だから自信になる。これが厄介だ。尊大な自尊心。

リアクションを求める気持ちは拭えないだろうけれど、それが強くあると足枷になってしまう。

本当に難しい。ストレスの対処、準備段階の内省、身体のことや環境のこと。そして在りたい理想と、そこへ辿るための道筋。

素人の蛙の入れ知恵です。それをこねくりまわし、もがく過程でもあるのがフィードバックでもある。HSPフィードバック。


これからの人生はどうなるのでしょう。人に訊いても到底解るはずもなく、そんなことを巡らせるのです。

苦しみの種は楽を生むのか、何も生まないのか。そもそも種などないのか。

 

もしも穏やかな心音を保つ要素を獲得し、自分の運命を切り開いていけたのならば、今の日々を慈しんでいてほしい。掛け替えのない日々だったと振り返っていてほしい。

自分の歩みの全てを、この世界の全てを有意義に思っていたい。全てを有り難く思って、日々を噛み締めて過ごしていていたい。最期の一瞬へ向けて、悔いのないように生きていたい。

在りたいところへ辿る道を切り開きたい。身体と、心と、人と、ライフワーク。在るべきところへ歩むこと。

コンセプトは一丁前です。これからどうなるのだろうか。

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ありきたりな今日へ戻ろう。それがすべて。

 

また明日。

 

参考書籍: