欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

磐石な日々に必要な要素 結果と捉え直し

最近の体調は安定しつつある。あまり抑圧もせず、刺激過多にも陥っていないと感じる。そのなかで身体が上向いて、そこからリズムが生まれてくれたら良い。

でも、それがない。ほんの少し上向くものの、そこから停滞をしている。良く言えば安定していても、悪く言えば停滞している。ただ、体重が下がっていないのは安定の兆しだ。そう捉えても良いだろう。

 

家の中の環境は、快適に築きつつある。以前は一人になりたいという気持ちが強く、家族を避けようとする言動をしてしまっていた。好ましくなく外の刺激を遮っていた。

それが精一杯だったのはある。でも、そうやって大切なものも遮っていたため、どんどん孤立していった。孤立した人間は、他人との関係を拒んでいる。

でも、今はそれがない。好ましく遮断したい刺激を遮っている。その対象が家族であっても、一人になったり、緩衝地帯が必要なのだということを説明している。自分はただ一人になりたいだけで、人を排除したくはない。他人との関係も拒んでいない。

それを理解してくれていると思う。そうやって安らぎを得つつある。以前と比べれば、格段に良くなった。

適切に問題を把握すること。それは充分できている。

 

あとは身体を上向かせるための養生が必要。HSSの意欲も最近は強かったけれど、今は身体をどう上向かせるかを考えている。

病的な状態から身体を治し、上向かせ、意欲を満たしていく。そのステップがあるなかで、今は身体の底上げをすべき時だ。よく言えば安定、悪く言えば停滞のなかで、何が必要なのかを考えている。

普段の表層の意識、心の声、それと夢のメッセージりこれらを考えれば、フラストレーションがあるのは解る。身体の水準としては、もうワンステップ、ツーステップが必要。

体力の底上げ、体重の増加、これらを整える必要がある。そうしなければ次へ進めないと思う。フラストレーションとの折り合いを付けつつ、もうワンステップ身体を上向かせたい。そこから次へと進みたい。

 

ただ、いかんせん外へ出たりすることには不安がある。身体は病的だし、こもりすぎによって神経が鋭くなっている。そのなかでの外の活動は、リスクでもある。

無理をして外へ出ても意味がなく、身体が悲鳴を上げてしまう可能性が高い。そうならないような折り合いや、小さなスローステップを踏めたら良い。そう思っている。

でも、その場所や機会がないのが辛い。家にいるしかなく、画面とにらめっこするのみ。安定しつつも停滞していく。フラストレーションは溜まりゆくのみ。これがどうにも難しい。

まずは刺激を緩和することだ。病的なセンシティブさを生まないにする。身体に応えないようにしたり、慢性的な疲労に繋がらないようにすること。これがすべての土台となる。これが一番必要で、すべての前提だ。

そこから食事の摂り方の工夫や、運動などをしたりする。そのように少しづつ身体の養生をし、そこから心の養生をしていく。

 

今はどの辺りだろう。刺激で身体の土台が乱れたり、ほんの少し抑圧に陥ることもある。それは厄介だ。そうなってしまえば、事が全く進まなくなってしまう。心の養生へと繋がらないことが多い。

理想は身体の土台を整え、体力を確保し、そこから外側へ出ていって刺激を得ること。でも、それがなかなか上手くいかない。

それなりに楽ではあるけれど、身体が抜本的に上向かないのがネックだ。やはり食事量が大きく関係しているだろう。それは明確にある。

日々のなかで、恐らく少しづつ抑圧に至ったり、疲労が溜まっているのだと思う。ありのままの声を形にすることが出来ていない。食事、睡眠、運動、活動、それらのどこかに歪みがあり、ダメージとなっている。

それは見過ごせないけれど、どこかでだましだましやり過ごそうとしている。それがあり、身体の状態に影響を与えているのだと思う。

今の環境で過ごしていれば、改善は難しいのだろうか。悩ましい。こればかりは動かしがたいことがある。それがなかなか大変だ。

刺激の緩和、ストレスと疲労の低減、センシティブさからの解放。それらを経て、ナチュラルな日常を営む。

そしてフラストレーションを晴らすために外へ出ていく。緩やかなステップを踏み、本質的な養生をする。人と会って話をしたり、外へ出ること。それによって得られた状態を糧に、更に好循環のリズムを作る。

この細かなプロセスを踏むことだ。そうしなければならない。

 

それが難しい。難儀だ。こういったことの細かい折り合いを付けなければ、日々の土台が崩れる。繊細な対処が求められる。

この過程をきちんと経てこそ、この世界に適応するためのパーソナリティーを作る作業に進める。ただ、そこに到達したとしても、更に努力は必要だ。そこからが人生の始まりだ。

どう生きるか。どう糧を得るか。今はまだまだだ。長い道のりです。

刺激を減らすだけで身体が楽になれば良い。現環境でもやれることに励みたい。それが何かの糧になれば良い。

心身の栄養とは、他者からの肯定。そして日々を確固たるものにする作業。自分の存続を感じられる作業。

いつも有形無形に求めているのです。間接的にも求めている。それがこの文章にも大きく含まれている。見えない栄養が足りないから、こうやって探し求めている。

無償の肯定。それを願い、半ば確信する時もあるから欲が出る。それが一喜一憂をもたらす。これは創作の悪い動機。

 

穏やかでいられるような、存続が満たされる場所で過ごすことが必要。誰にも侵害されず、否定もされない場所が必要だ。身体的にも精神的にも、その場所にいること。それがあれば、フラストレーションを創作に持ち込む必要はなくなるだろう。

そのなかで、ただがむしゃらに積み上げたいことをやり続ければ良い。それがあれば良い。人の評価を気にせずにやっていくメンタリティ。それがあれば良い。

 

病人の本分と、自分なりに出来ること。それは一体なんだろう。そこへ辿る道は、一体どこか。

今日も終わり行く。明日は外へ出る。病院へ行く。

 

また明日。

 

参考文献: