欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

上向いた体調と抑圧 やり過ごす日々

昨日の計測では、また体重が増えていた。でも、また抑圧に傾いてしまっている。無理のしすぎの一部で、良い方へ進んでいる時の抑圧だった。それによってマイナスへ傾いてしまった。

結局、根底にあることは変わってない。やるべきことは残っていて、それを少しづつこなさないといけない。まだまだマニュアルは整っていない。整ってはいるけれど、実行へ移していないからこうなってしまう。

 

同じことの繰り返し。いつまでも同じことを繰り返す。いつも捉え直していた状況が現れて、教訓を活かせるかもしれなかった。それは得ていたはずだけれど、いつもの誤りをしてしまった。絶えず自分を落ち込ませるようなことに、またもはまってしまう。何も変わっていなかった。

身体を上向かせようとすること。身体ばかりケアしようとすること。柔軟に対応できず、外向感情による病的なセンシティブさがある。それが悪く働くと、過去のトラウマとリンクして、ありもしない迷妄に陥ってしまう。

「食べないと悪いことが起こる」

それが結局は染み付いている。最近も考察を更新していたけれど、それが根底にはあった。それが表出されただけ。

悔しい。こうなると刺激追求にも陰りが出てくる。そんなこと悠長に考えていた時が恥ずかしい。一丁前に意欲的になっていたとしても、それは時の運の変動であり、そのなかで上向いただけだった。振り返れば抜本的に変わっていなかったと知る。

 

難しい。やはりそういったことはある。睡眠も食事も、その時の微妙な塩梅ですぐに変動する。タフネスパーソンにとっては些末な事でも、自分はそれに揺らいでしまう。根性無しと思われても仕方ないけれど、細かいことが打撃になる。

一喜一憂とはこのこと。これも捉え直しが出来ていたと思うけれど、抑圧は起こる。

心の不養生と抑圧。これはしょっちゅうあること。本質的な改善策を導いたはずでも、それを実行に移すことは難しい。動かしがたいことがある。人や環境は、手に入れ難いものがある。

 

でも、これもまた時の運。すぐに脱却できるだろう。腹が落ち着くまで少し休む。これもいつものことだ。すぐに乗り越えられるはず

環境はすぐには変えられないし、抑圧も迷妄も起こる。それは多少の変動。仕方のないこと。

全体を俯瞰して見れば、しばらくは忍耐の時期だろう。重荷を背負って歩いていく。それでも大丈夫なはずだ。それが常だし、いずれは変わっていくだろう。自分が切っ掛けを求めればだ。

身体の水準への依存が拭えない。それが一喜一憂へ繋がる。以前は悪く働いた時、その道を辿っていくことが予想できていた。

でも、今回は微妙なところだった。精神的な抑圧の原因は理解しているけれど、身体的に踏むべき道筋もある。身体が上向くに越したことはない。その狭間に身体の揺れ動きやすい状態があった。

今回は意識での選択が最善でなかった。反省と捉え直しで学んだのに、また繰り返してしまっている。それが悔しい。自我を乗っとるトラウマとのリンクや、立脚点の脆弱さがある。

 

最近は、「病的"食べなければ」という思考よりも、身体の水準を下げないようにと考えている。「よく食べておこう」という冷静な判断ではあったと思うけれど、やはり歪みはあった。どうにも難しい。

こうなれば、刺激追求のフラストレーションに愛着が湧く。それが溜まる日々に有り難さを思う。心が別の方向へ向かう時は、明らかな余裕がある。そう感じる。今はやり過ごすしかない。

無理のしすぎの根底には、「楽になりたい」とか、「充実した日々を過ごしたい」という気持ちがある。その宿願と、刺激追求がもたらすフラストレーション。これらを満たせるように頑張ってしまう。脆い立脚点とはこうして生まれる。

これらは誤った努力の仕方だ。人から与えられた人生のマニュアル。それは周囲の誤った接し方から得られたもの。それが強く働けば歪みとなる。それは身体が受け止めてしまう。

そこを和げられたいけれど、どうにも難しい。抜本的に上向かせることが必要で、それがどうしても出来ない。だから結局は変わらない。それが今回のつまずきだ。

 

存続を確かにしてくれる場所や、人の心。それに触れないといけない。心を通わせつつ、いかに人生に処理しているかを感じること。それがあれば良い。

やはり居場所だろう。それは安心安全な場所と、精神的な免罪符。身体的なものと、精神的なもの。健康と自活能力だ。それらがあれば良い。どうにか何かで得られたら良い。自分の軸がほしい。

はてなでもnoteでも、軸をその空間に作ろうとするから苦しくなる。成果を望んでいるため、創作の原点や初心を保持できない。一つのことへ結び付ける過程を経るのがきつくなる。ただ単に「書きたい」とか、そう思いながら創作をしていけたら良かった。

そういうような動機ではなかった。現実で得られない感触を、バーチャルな世界に依存して求めていた。これが苦しみのもと。だから途中で嫌になってくる。純な創作の意欲からは導かれていない。自分は称賛を得たいし、お金が欲しい。

最近よく見る夢を見た。自己実現を叶えているような夢。最近は、改めてカリキュラムを学ぶ道筋が見えてきた。だからそれを叶えようとしているけれど、どうにも難しい。

人生の短さや、時間のなさ、それらを理解しているつもりでも、結局は時間を空費し、無為に過ごしてしまっている。思い描いていた未来へと現実が進み、それが目の前の一日となっている。そしてすぐに日々に押し出される。本来の悲願は取り残されたままだ。

在りたいところへ辿り着けるのだろうか。自分に出来ることとは?難しい。

 

また明日。

 

参考書籍: