欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

日々の意欲と次へのステップ 外側へのエネルギー

身体は落ち着いていて、刺激追求の気がある今。つまずきから元に戻って楽に過ごせている。

部屋の中から覗く午後の空。曇天だ。白く鋭い光が差している。やはり暇になった。それがある。今日はそれを浮かべられる。良い日ではあるけれど、代わり映えのない日に飽き飽きしてくる。それはそれで辛い。今日はそんな日だ。

本当は時間を有意義に使いたいけれど、結局は好きなことであったり、楽なことに費やしてしまう。それが嫌になってくる。それは仕方のないことかもしれないけれど、進捗がなく、どうにも宙ぶらりんだ。時に追い越されていくばかり。

 

一日の中で、まずは勉強をしたい。そのために本を用意しているけれど、それに手が伸びない。ジャンクな画面の中へ没入してしまう。そこへ刺激を求めてしまう。

どんな健康な人でも、忙しすぎては疲れる。かといって暇すぎても嫌になる。自分にもそれがあるけれど、自分はやりたいことや、やるべきことへエネルギーが向かない。病的だからそこへ向かわないのだけれど、結局は楽をしているという面もある。

そう思っても改善できないことが嫌になる。結局は気楽でいられて、やるべきこともやっていない。それは誰かにやらせているだけ。そんな人間が暇だ暇だと言っている。そんな自分に嫌気がさしてくる。

 

でも、実際は身体が病的で、病人の本分はある。そのなかで、やりたいことと在りたい願望の狭間にいる。中途半端に元気でありつつも、願望は叶えられない。境目で宙ぶらりんに過ごしてしまう日々。

自立をして、自分なりの日々を創っていきたい。どんどん勉強をして、満たしたいことを満たしていく。それが夢だ。

そこにはなかなか届かない。健康に必要な要素はたくさんあって、それらは複雑に絡み合っている。それらを上手くほどき、一本に整えないといけない。

健康に必要なことと、在りたい願望を叶える要素。取りあえず元気でいられるということはない。

バーチャルな世界に依存していくのみ。その世界の刺激を求めてしまう。単に面白いことの刺激や、人との繋がりなど、それは刺激追求から自己実現に関するフラストレーションまでだ。

自分に軸があれば良い。その世界での感触に浸ることは、自分には向いていないだろう。どうしても現実の刺激でないと満足できないはず。

そこから離れたいのだけれど、どうにも上手くいかない。結局は面白いことを探してさまよい、画面に誘い込まれてしまう。

そこから脱却したい。現実での軸を持って、バーチャル世界との程よい距離を保ちたい。

 

病人ではあるけれど、元気がある。そんな日はきつくもある。何か活動して積み上げていければ良いだろうけれど、そこには病人の水準がある。そこは立派な病人だ。でも、元気ではある。何か自分に出来ることを積み重ねたいけれど、成果は乏しい。

肩書きもなく、精神的な支えもなく、人に頼りきりで力がない。それを自覚をしていて、それは解っている。でも、病人としてやるべきことは、なかなか容易ではない。すぐには動かせないものがある。環境という限度だ。

 

本来は、身の丈に合った生活を創った後で、自己実現の道筋を考えれば良いのだろう。ただ、今それを考えている。身体の底上げという喫緊の課題があるけれど、そこへエネルギーを注げない。それで総合的な未来を考えている。

やるせなく日々が過ぎてしまう。学生なら学業をすれば良い。社会人は仕事をすれば良い。それぞれの本分と肩書きがあって、それが自分の軸になると思う。

自分は社会的なものは何もない。そして世の中からは取るに足らない存在。でも、何かをしたい。

 

自立をしたいし、社会の歯車として生きていたい。免罪符を得たいし、お金を生み出したい。そしてその先で、幸せになるための悲願を叶えたい。人と過ごし、話し、過ごしがいのある作業や出来事に触れていたい。存続を確かにしてくれるような何かを見つけたい。それらがすべてだ。

今はそれらが何もない。手の平には何もない。悔しい。

 

第一にやるべきことは、環境を整えて身体を底上げすること。そしてその次に、ソーシャルの場へ出ること。刺激のある場所に出て、そこで平気にいられるようにしないといけない。

刺激への耐性を得ること。そしてそこでフラストレーションを満たす。心の本質的な養生をすることだ。

穏やかでいられる場所があり、周りとの緩衝地帯もあること。そこで身体が上向けば外へ出られる。そして身体を抜本的に上向かせられる。

ここからは身の丈に合う日々を創るのみ。それはかなり難しい作業だと思うけれど、どうなるだろう。

緩衝地帯のある環境、ソーシャルとの関わり、短い時間での仕事。どこに活路があるのだろうか。解らない。

 

以前に通っていたフリースクールは刺激が多すぎた。そこへ再び行けば良い?身体が整えば乗り越えられるのか?いずれは適応するために好ましい努力をすべきだ。でも、それはそこへ行くのが相応しいのか?

どれも不完全だ。環境も、身体も、ソーシャルスキルも。肩書きもなく、自活能力もない。全てが宙ぶらりんだ。

 

一日を過ごすなかで、社会的な作業による感触があれば軸になるはず。そこでの感触は、存続を保つ要素となる。その基軸があれば、些細なことで揺れ動かず、確固たる生活を築けるような気がする。

バーチャルな世界への没入において、その欲していることを持ち出すから辛くなる。真に必要な刺激はそこから得られない。本当の満足を得ること。仕事による作業や、人の温かな心を感じること。軽い気持ちで継続するのは難しい。やがて辛くなってくる。

現実での満足感があれば良い。どうにも難しい。

 

また明日。

 

参考書籍 :