欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

中途半端な日々と免罪符 ちっぽけな課題

冬ごもりの日々が続く。相も変わらずの生活だ。北国は厳寒で、辺りは世界は白い。色のない世界。蛍光灯のような明かりに包まれている。無機質で鋭い光。暖かな日の光を浴びたい。絵に描いたような青を見たい。

同じことは去年にも思っていた。自分は季節が変わったとしても、何も変わっていない。

 

今日も無為。実のない日常。やることは基本ない。何か課されているものはなく、暇がある日々。

そんなことを思える貴重な時間も、それはそれで嫌になってくる。そんな自分に腹が立ってくる。エネルギーを何にも注げず、すべてが宙ぶらりん。中途半端に元気があり、中途半端に病める身体がある。

このまま何も起こらず、どんどん日々が通り過ぎていくだけだろうか。気が付けば年を取っていて、満足をすることも出来ずに朽ちていく。それを待つしかないのではないか?

そんなことがよぎる。気が付けばいくらでも時は過ぎる。今だって既にそうだ。その時になってしまえばすぐだ。その時に振り返れば一瞬だ。喪失は果てしなくあるかもしれない。

今の自分に出来ることは何だろう。いや、こう考えつつも、楽に過ごせる今を受容している。そんな自分もいる。

抑圧もなく、楽でいられる自分。中途半端で頭を抱えつつも、この恩恵に預かっている自分もいる。何かを課されることはない、自分は病人で、それを拠り所にしているところもある。

それは自然なことかもしれないけれど、やはり自分の存続を確かにさせたい。その気持ちがずっとある。それを怠ってはいない。何とか積み上げていきたく、何かで自分なりにもがいている。

 

はてなやnoteでの文、運動、勉強、読書、何かでインプットをし、内省をして捉え直す。これらを何とか形にしようとしている。それはある。自分なりに努めてはいる。

でも、それが実を結んではいない。何の足しにもなっていない。それが悔しい。

自分は今、楽でいられている。少しは楽だ。酷く頭を抱えることも、苦しみの渦中から紡ぎ出す言葉も減っている。それは確かにある。

 

ある程度は着実にステップを踏んでいるはず。自分を知るという段階と、そこを経て行動を変える段階がある。そしてまたそこから認識を刷新し、日々を創っていく段階に進む。

今は中途半端な状態だ。良くなりつつも、まだまだな部分がある。

これからはもう、環境を変えるだけだと思う。刺激を緩和して身体を整え、後は活動をしていく。とてもシンプルなことだ。

自分は何も課されることはない。だから感情の赴くままに人生を操作できる。意識の上ではそうだ。もう頑張りすぎることはない。そうしなくても良い。だから、身の丈に合ったそれなりの日々を創れば良い。それだけで良い。それが良い。

 

いつか引っ越しをして、落ち着ける環境に心身を置く。緩衝地帯のある場所に軸を置くこと。そこで養生をしていく。

それで身体が落ち着けば良い。あと数kgだけでも肥えれば十分。そこで自活も出来たなら、文句無しの生活が出来る。それは大きな免罪符だ。何に費やしても文句は言われない。肩書きや学がなくとも、自分を保つことが出来る。それはすべての支えとなる。

理想の生活を叶えるのは難しくとも、満たせることで満たしていければ十分。孤独で寂しくとも、みすぼらしくとも生きていける。それは人生の及第点だろう。

あともう少し。一歩は進んでいるはず。自分はこれからどうなる? どんなことが降って湧いてくる?

 

環境を変え、刺激を遮断できればかなり上向くと思う。ただ、実際はどうなのだろう。それだけでは変わらないのか。

やはり、ソーシャルとの関わりは必要か。感情型としてのフラストレーションを満たすこと。それが大きな要素だと思う。身体を上向かせるためには不可欠。

ただ、身体の土台は整えておきたい。そうしなければ、その刺激を得るのは難しい。外に出るにはまず内を整えたい。

内側の要素を整え、その暁で外を考えたい。今はまだ、そこに届かない気がする。

 

内側の折り合いが整えば、それだけで生活の大方は解決できるのではないか。ある程度の体力があれば、そこで生活は完結しそうだ。

自分は快適でいられる刺激の幅が狭い。だから折り合いを付けないといけない。それに加え、恐らくは無理して生きなくても良いはず。世の中を回すのはタフネスパーソンに任せ、センシティブパーソンは別に生きる。その住み分けをすること。それは社会にとって益となる。

そうすればもう、健康のための要素を得られたら良い。それ以上を自分が求めなければ良い。そう感じられるはず。自分がとにかく届かないものは、元気でいるということ。いつか大丈夫でいられたら、それだけで十分に満足できるはず。

そこが叶ったとすれば、後は免罪符があれば良い。それさえあれば、孤独や悲しさにも耐えられるはず。

身の丈に合った日々をささやかに作ること。理想は叶わなくとも良い。自分なりに努力して、そこが満たされたら良い。

 

引っ越しや自活の目標には、一朝一夕には到達できないだろう。自分はわがままで、井の中の蛙で、大俗人。そう嫌になる日がある。そんな日。

積みっぱなしの本と、放置したままのnote。懸命に働く家族の傍らで、息抜きにいそしむ自分。そして言いたいことがなくなった。そのはてなでの文。これが自分の砦。

何かの成果を残したい。何かをだ。それは何があるのだろう?

学を積むという存続の意義があれば、そこに励むことが出来るだろうな。それも一つの免罪符だ。そのようなものに自分は届かない。それを目指すことは違うはず。

堂々巡りだ。皆さんに幸あれ。

 

また明日。

 

参考書籍 :