欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

生活と創作の動機 在りたい日々の道のり

段々と師走の雰囲気を感じられる頃。十二月月の特別感を感じる。お祭りに近いような気分がする。

いつもの土日も平日も、いつもと違うように見えてくる。そんな気がする。自分の生活に変わりはないけれど、クリスマスにかけて街のムードが変わっていく。年末年始のテレビの仕様も変わる。そしてお正月がやってきて、年賀状が届く。しんしんと雪が降るなかで、厚着した身体で冬ごもりをする。そんな季節の風情。

今年はどのように迎えられるのだろう。そして来年へどのように向かうのか。どんな年になるだろう。

夕べは夢を見た。近所の散策路での夢。以前と同じ夢ような夢で、自分の主観は小学生か中学生くらいだった。そのはずだ。周囲の人たちもそれくらいだった気がする

図書館の近くに男の子がいて、高い木に木登りをしていた。自分はその危なっかしさに怯えている。

その後、色々とおぼろ気ななかで、一人の女の子を見つけた。その子が普通に歩いていくなか、自分は後を追いかけた。そうやってその子に追い付こうとしたけれど、一向に追い付かない。それどころか普通に歩くこともままならず、何故かバランスを崩してしまう。何とか体勢を立て直して付いていくと、不意にその子がこちらへ振り向いた。そして笑いかけてくれる。そしてその子は歩き出す。自分も何とかまた付いていく。そうして夢は途切れていく。

 

届きそうで届かなかった。まるで課されたものが足かせとなっている現状を反映しているよう。在りたい道のりを歩みたいけれど、どうにも歩き方は拙いままで、周りとは遅れてしまう。遠くにや高いところにいる皆。

あの子は振り返ってくれた。笑いかけてくれた。ああ、そんな人が現れてくれたら良い。現実でいてくれたら良い。

現実ではどんどん世界との距離が離れている。置いてきぼりだ。自分からアクションを起こさないといけないのだろう。きっとそうだ。

現実の自分は、途切れた夢の先へ進んでいけるのだろうか。それを自分なりに創っていけるだろうか。

今日は休日。平日と休日は、どこか感覚に変化がある。平日に慌ただしく活動していた人たちは、休日になると別の活動のモードになる。そんな感じがする。世の中の雰囲気が変わる。平日には平日の居心地の良さがあり、またその悪さもある。休日もまた、それらが同じようにある。個人的な感覚だ。見える世界は定点観測で、いつも同じなのだけれど。

昨日は心地よく眠れた方で、食事もよく摂れた。暇を覚えられる状態だった。でも、何もエネルギーを注げない。注ぐものがない。それが悔しい。何にも費やせない。

本当にやりたいことは、元気にならないとやれないことだ。やれることや出来ることは、こう文を記してみたり、自由自在に思考を広げることくらい。悔しい。

 

創作をもう少し楽しめたら良い。今は「上質なコンテンツを」ということに縛られている。だから継続するのが辛い。人からの高評価を得たく、そのため動機が不純になる。それが厄介。楽しみながらコンテンツを定めたり、磨きをかけることに集中できなない。それがある。

noteで投稿をしてみたけれど、それらのことで嫌になり、今は放置している。主にこのセルフフィードバックを転載していた。特に自手応えのあるものを載せていた。それによってハードルが上がってしまった。気楽に継続するための要素が吹き飛んだ。

更に有難いことに、それらの投稿をフォローして下さる方が現れた。それは嬉しくて有難かったけれど、その後は肩に力が入ってしまった。この表現は胸に響くのでは?などと想像しながら文を記していた。

 

今はここで記している。個人的にはてなブログの良いところは、閉ざされた空間であるということ。良い意味で人に見られない。そうなると、肩肘張らずに思いの丈を言いやすい。それがあり、ここでメインの文を記そうと方向修正した。コアな自分の文を書くとすれば、noteは応えてしまった。

でも、時間が経てば気持ちが変わってくる。今度は誰かに見てほしくなったり、目に見える成果が欲しくなっている。可能性や進展など、今度はその下心が湧いてくる。どうにもこうにもだ。

 

日々の進展として、何かの成果が欲しい。そう思う。宙ぶらりんな日々にある何か。たとえそれが生産的ではなくとも、自分らしく出来ることを積み重ねていたい。そう思っている。生活と創作と動機と。

大きな動機で励んでも、結局は尻すぼみになっていく。続けられる人は、それが単に純に好きなことだったり、ただ指標を追い求めただけだったりする。それが最終的に実になったのだろう。

 

評価というのは人それぞれ。良く思ってくれる人もいれば、それが状況が左右されたりする。

その中でも"認知の母数を広げること"が大半を占めると思う。そのために創作を継続できるか否か。それに懸かっている。そもそも知られないと話にならない。その後でもコアなファンになってもらえるかは分からない。

そうなれば、ただひたすらに継続をして、作品の完成度を上げることに専念するしかない。それを高めるために集中をする。最初はそれだけで良いはず。

それが本質的ではないか。それを支えるのがプラットフォームの機能であったりする。それがnoteでは分からなかった。途中で嫌になってしまった。

 

今ならやり方や意識を変えていけば、継続していけそうではある。でも、どうなのだろう。なかなか難しい。現実に精神的なフラストレーションのはけ口がないため、それを創作に含めてしまう。そうなると厄介だ。依存的になったり、一喜一憂に陥る。どうにもこうにもだ。

存続を確かにしてくれる作業や感触。それをいつでも求めているのです。在りたい道のりと、生活、創作、動機。

世の中が懸命に動いているなかで、自分は自分なりに課題に取り組んでいる。そう認めてもらいたい。ちっぽけな目標でも、それは携えている。

 

また明日。

 

参考書籍 :