欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

目の前の日々と一歩 積み重ねた先の道筋

久し振りに青空の見える今日。鮮やかな日差しで雪化粧が映える。青と白が広がり、美しい命の光が差している。何にも替えがたいような気持ちだ。景色が美しく見えれば良い。そんなことを思ったりした。

散歩をして日の光を浴びた。歩いているなかで、次第に手袋が要らないくらいに温まった。今までの鬱憤を晴らすかのようなまばゆい光。こんな日がずっと続いたら良い。日の光があればどうにでもなりそう。

過去の思い出が蘇ってくる。辛いことや良かったこと、胸一杯の気持ちだったこと。色々な風景とリンクして、記憶の蓋が開く。それらは季節の風情と符合している。光、色、匂い、感触。たくさんのトリガーと様々な記憶がある。

今日は去年のことを思い出した。去年の晴れた日のこと。ピンポイントで思い出していた。同じように白銀世界に色が付いた日。元気だったのかは思い出せないけれど、何だか思っていた。

 

今年は来年から見ればどんな年になるだろう。どんな風に思い起こすのだろうか。少しは良いように思いたい。今年は少しの希望がみられた年。来年はより進展していれば良い。

来年のことを言えば鬼が笑う。まずは一日一日をひたむきに生きること。それだけを根底に抱えて生きていこう。

いつか天が微笑んでくれたら良い。そのために努力をすること。自らを助くる者が助けられるのだとすれば、そうするしかない。自分が切っ掛けを求めること。生き物の第一の務めを忘れないこと。

最近の短い間を考えると、少し苦しみの内容が変わった気がする。いくらかは進展していて、少しづつ局面は変わっていると感じる。

やることはいつも変わらない。いつもここに記しているようなこと。初めの投稿にあるようにやっていくこと。自分なりの癒し方で傷を癒す。新たな素質を得て、新たな生き方で日々を創ること。自分なりのマニュアル・カリキュラムを作り、それを元に認知・認識を刷新していく。そう折り合いを付けること。

 

今年の六月にアーロン博士の本を買い、そこから日々が動き出した。捉え直しをするなかで、様々な不調の原因が見えてきた。

自分についてよく知ること。そのための認知を得ること。自ら動いて博士の本を買ったことで、日々が変わり始めた。

それが大きかった。新たな気付きを経て、より詳しく自分を分析していく。そうすると行動が変わり始めた。認知が変われば認識が変わり、認識が変われば意識が変わる。そして行動も変わっていく。原始的でシンプルなことだけれど、大きな効果があった。

 

今はそこから少し進み、別の局面に入ったと思う。より抜本的に変革を起こす頃。認知や認識に磨きがかかり、更に本質的な事が見えてきている。環境や対人関係などを建設的に積み上げること。

土台は整いつつある。そこから更に強固な骨組みを建てていく。今後の生き方の基盤を構築する。新たな素質を得ること。それもまた、日々の中で磨きをかける。磐石なものにしていく。

絶えず結果の検証と反省の繰り返し。これを続けていかないといけない。人生全般にも渡ることで、その時その時のライフステージで向き合っていくもの。そんな日々を続けていく。

 

来年も進捗を見いだせれば良い。自分なりの歩幅で、自分なりに成長できれば良い。向き合うべきことに懸命に向き合う。それを最低限度として出来れば良い。

それで許されたい。自分なりに世界と向き合い、戦い抜けたら良い。いつか実を結ぶ時を思って歩んでいきたい。

来年はどんな年になるだろう。改めてそんなことを思う。

はてなブログを始めて三ヶ月が経った。早いようでゆっくりだった気もする。それは先月も思っていた。先月から今月は早かった気がする。夏の終わりに積み重ねがほしくて始めたもの。

これも始めの投稿にあるけれど、文は自分の最後の砦だ。自分らしさの最後の場所。自分に何かのパワーがあるとすれば、文くらいだ。日々の言いたいことや、記したいと思う感情はずっとある。苦しみもやたまに気の抜ける日も、いつもそこで浄化されている。ありったけの自分の砦。何かがあれば、いつもそこへ向かう。

自分は特定のものに情熱があるタイプではない。刺激的に面白く感じることはあれど、そのなかで引っ掛かったのは文章くらいだ。それが何になるか分からないけれど、人間の営み記すことは、有意義なことに繋がると思った。

少なくとも、歩みの過程にある物語を思える日がある。そんなことを思う日がある。過程にある価値。これからもそこを信頼して、歩みを進めていけたら良い。

 

これからも絶えず勉強をして、色々なことを知っていきたい。アーロン博士の本もそうだし、世の中のことをもっと深く知りたい。

最近、そのアーロン博士の本を購入した。HSPと恋愛にまつわる本。まだ読んでいる途中だけれど、新たな認知を得られている。

何だかその時は、乱雑な回路の点と点が、発火して結び付くような感触がした。人間の心の奥深くを知ること。その感触に言葉で表せない感覚があった。人の心は複雑で、それでいて単純でありつつ、やはり複雑だ。人の心をまとめて伝えるのは刺激的。

 

自分の長けていることは何だろう。一つの作業に集中して成果をあげれば良い?そのために継続をして、曲がりなりにも生産活動していけば良い?それとも外の世界に適応し、既存の需要とマッチすることを選べば良い?

どうだろう。分からない。自分はどのようにして生きれば良いのか。

 

ある夢を見た。主観から見える視界が狭かったけれど、恐らく学校に居る夢だった。そういった夢はよく見る。自分とその周りに女の子が居て、その子たちと共に何かの問題を解いていた。

自分はその問題を解くことが出来ない。でも、そばの子はすぐに解いていた。自分は恥ずかしくてみっともない気持ちになる。すると自分は、机の引き出しから教科書を出す。その自分の教科書は、新品のように傷もなく綺麗なまま。自分がこう言う。

「僕は何もやっていない。何も分からない。」そこで夢が途切れた。

解りやすい夢ではあった。余裕のある時は、自分が何も携えていないことを思う。勉学も仕事も、健康も何もない。手の平には何もない。その焦りが反映されたのだろう。何かをしたいと思っても、身体が伴っていないから何も始められない。そんなフラストレーションがその夢を見させた。

自分の歩みは途切れたままで、周りとは置いてけぼり。そんな虚しさの日々だ。

 

このブログは何かをしたい気持ちで始めた。それに成果はない。あるとしても、個人のなかで完結するものだけだ。

来年は、このブログと勉強、健康になるための努力をしたい。そこにより励めたら良い。自分なりの日々を創り、そのなかで満足を増やしていきたい。

やるべきことと、やらなくても良いこと。積み上げるべきことと、在りたい場所へと辿ること。勉学、健康、自活、この世界にしっかりと根を下ろし、たくましく生きていたい。自己実現の夢だ。

ここには実直に思いの丈を記している。最近はそのように記せる。当初はどこか着飾ったりしていたけれど、今は少しづつナチュラルになっている。自分らしい実のある感触に近づいている。

過去の全てを肯定できるように、成るべき所へ成りに辿る道筋を記していきたい。あの時あの頃はひた向きであり、その気持ちに報いるために歩んだため、一つの場所に辿り着いたのだ、と。そう思えるように進みたい。

来年は、小さなことで良いから成果の年にしたい。そのための気持ちはある。それだけはある。きっと実行していくだろう。そんな夢を見るなかで、命が続いていくことを祈るばかり。

さよなら、2020。また来年。

 

参考書籍 :