欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

局面の変化と新たな要素 認識の刷新

代わり映えのない日々が続く。辺りは雪が降り積もる。自分は微妙な日々を送っていく。雪かきの仕事は自分には負えない。

自分は全てが中途半端だ。負い目がある。でも、少しは元気があるから外へ出たりする。それが申し訳ない。雪に覆われた街を歩き、せめて自分の出来ることをしている。それは記すことだけれど、一番は身体を治すべきなのだろう。

でも、それは上手くいかない。最近は特段の意識がなくても落ち着いていた。でも、今度はそれが停滞に変わりつつある。

こう言葉を当てはめていると、大体は同じようなことを繰り返している。同じような周期があり、そうやって身体のリズムが巡っている。良くも悪くも視えてくる。

改めて身体について考えた。まだまだ不調には原因が隠れている。それは解っていたつもりでも、また捉え直しをすれば別の原因が視えてくる。少しづつ局面が変わるなかで、また要素が変わっているのだと思う。

最近の頭にあることは、運動のこと。これはドクターに助言され、それを意識して過ごすことが多かった。改めて先月の病院の辺りで意識し始めた。

運動は、確かに必要なことだと思う。日の光を浴びて身体を動かさなければ、身体のリズムは悪くなる。それは確かなことだと感じた。

でも、今の自分にとって一番に必要なことだろうか。そう思ったりもする。少なくとも運動は大切だけれど、自分はそれを義務的に意識したり、そうやって身体を上向かせようとしがちだ。

身体についてセンシティブになりがちなのは明確。そう考えると、必ずしも結果には結び付かないと思う。では、改めて自分は何をすべきなのだろうか。

 

今までの捉え直しでは、まずは土台を整えることが必要だと認識していた。それはやはり必要なことだと思う。恐らく運動は、全ての土台が磐石にになった時に効果がある。それを改めて思った。

まだまだ身体は脆弱。無理はしなくても良い。無意識下で頑張りすぎてしまうし、意識的に踏ん張らなくても良い。

自分は相も変わらず、刺激追求のフラストレーションが多い。それが内面の刺激になるため厄介だ。外側での刺激の他に、内側での感覚も刺激となる。快適に居られる幅が極端に狭い。

刺激への敏感さと、太りずらい体質、そしてネックとなるセンシティブさ。これらの性質から起こる現状は、一朝一夕には動かせない。動かそうとしても、自分や外的環境に厄介なことがある。

 

刺激には脆いけれど、新しいことは求めたい。対人関係を築こうとは思うものの、いざその場に行くとなると大変だ。そこに慣れるまでが大変。その場所に適応しようとすれば、時間も手間もかかる。だから今はそれを選べない。身体の土台も不安定だ。

でも、目新しいことに触れたい。環境や人の刺激を得たい。その気持ちとネックが混在すると難儀だ。内にも外にも刺激があり、塩梅の難しいどっち付かずの日々になってしまう。

慢性的で破滅的なサイクルに陥りがち。敏感さと並立して、刺激追求の性質も研究されているのは、こういった問題が生まれるからだろう。

 

今の自分は、こもりすぎによって不調が起こっている。でも、それが確かな原因なのか。ぼんやりとしていて解らない。それがはっきり解れば良いけれど、それは難しい。

そういったことが全ての原初なのだろうか。刺激追求にまつわることをタフな人に打ち明けたら、それは難解に映るだのろうな。にわかには理解されないと思う。

とにもかくにも状況を変えていかなければならない。ただ、刺激のコントロールは簡単でない。快適な刺激の幅を生むこと。内側での場所と、外側での場所。それを作るのが難しい。

 

普段から思っていることは、外へ出て人と会い、話をしたり、存続を確かに感じられる作業に費やしたいということ。それを思っている。内なる声はそこを指している。それをどう実現していくかだ。

内側でのフラストレーションがあれば、身体を上向かせようとして無理をしてしまう。そこでよく身体のリズムが狂う。そうならないように外側で刺激を得たい。それは本質的な養生に繋がるはず。

運動よりもそれだろう。だからまずそれを考えるべき。では、そこがうまく立ち行かなければどうしよう。今がそうだ。そのため停滞に繋がっている。そして慢性的な周期に落ち込んでしまう。

 

肌の荒れ方のようなもので、適度な水分や油分が必要だ。そのなかで、外的にも内的にもバランスが乱れる時がある。

それは時の運でもある。ちょうど良く吹き出物がないタイミングは、そうそうないだろう。そのような身体のリズムがある。

まとめれば、今は忍耐の時か。きちんと改善へ向けていきたい。取りあえず今は時機を待ちたい。

微妙な停滞の時。そんなことを思った。

まだまだ身体が低い。それをクリアするのが大切だ。食事も一般的な標準量を下回っている。それ故の妥当な結果がある。

それをクリアに認識できなければ、好ましくない立脚点を生み出して過ごしてしまう。それが自分のセンシティブさを生んでいく。無理のしすぎだ。

常に捉え直しをしていくことが重要。

 

また明日。

 

参考書籍 :