欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

確かな立脚点のその先 カリキュラムの実行

荒天が予報されている北国。自然の猛威は容赦なく人を覆い尽くす。だんだんと痛ましい報道がされていく。それは他人事でない。猛威に飲み込まれた人たちは、当たり前の日々が続くことを疑っていなかったと思う。ニュースを見てそう思った。

去年もそのように思っていた。何が起こるかは分からない。日常が当たり前に続くと思っている。そう改めて突き付けられる。きっとその人たちもそうだっただろう。常に良いように先を思い巡らせていた。生きていることは奇跡。陳腐にもそんな言葉が浮かぶ。

 

いつ消え行くかわからない命。全てが消えてしまえば、何も思い巡らせることは出来ないだろう。そうならば、無念も後悔も消えてなくなる。では、まるで何事もなかったかのように消えゆくのか?生があった過ぎ去りし日のことなど、後悔の中で意識が薄れても、全てが無に帰して解放されるのか?

そうだとしても、やはり生きている間に満足したい。生を後悔で終えたくはない。それには長生きが必要だけれど、なるべく全てを解き放っていたい。それを思う。

生者の内に自らの魂を弔うこと。魂を昇華、浄化して、この世界に感謝できるようになりたい。この世から消えてしまうのは怖いけれど、せめて心から満足すれば、安らかに眠れるはず。生まれたことを肯定したい。自分の努力を慈しみたい。

そんなことを思う。冬籠もりの日。

自分のペースで散歩へ出掛けたりしている。多少は義務感があっても、最終的には内なる声に耳を傾けている。本当の内側の声を聴くこと。

表層の自我意識と、潜在的な自己からの声。混合した行き違う声に対し、意識して立ち止まる必要がある。あるべきことを理知的に考え、選択を誤らないこと。抑圧から生まれた声と、ナチュラルな声。その中間にある自我と意識。

やるべきことの答えが見えてきた気がする。後はそれを実行するだけだ。その局面が続いている。それがしばらく出来ていないけれど。

 

体重も上向いてきたか。自分の感覚と、現実の結果が噛み合うようになってきた。以前は最善の行動が結果に結び付かなかった。そうして一喜一憂に陥っていた。

夕べは食事における現実的な指標と、身体で感じたものがリンクしていた。運動、食事量、身体の感覚、それらの見立てと結果が揃った。

この先は段々と現状が視えてくるはず。理想の水準に必要な量と、そこに至る日。そこに至らない時であっても、捉え直しによって原因を洗いだすことだ。少しづつ現状が視えつつある。

 

刺激の低減と、良質な刺激の感受。それで身体の土台を整える。行動を変え、環境を変える。そうすれば、自ずと身体の土台は強固になる。

そしてそれと並行して、フラストレーションを溜めないようにする。それが溜まってしまえば抑圧の蓋が開く。そうならないよう、最適な刺激の環境下で日々を送る。刺激を抑えつつ、フラストレーションは充たすこと。

理想はそのようなもの。くっきりと視えてきた。

そのなかでも、やはり大きなネックがある。外側の刺激を遮ることよりも、どのようにプラスの刺激を得るかだ。

そこがやはり大きい。養分としての刺激が得られれば、身体は上向くだろう。そうなれば、また更に身体を上向かせるためのエネルギーが生まれる。それを外側で発散できれば、また更に上向く。そのような好循環のリズムが作れそう。

その逆を持続させたのが今までだ。今は少し違うはず。少しでも確かな進展がある。原因と対処の仕方が解れば、行動を変えられるだろう。認知が変われば認識が変わり、認識が変われば意識が変わる。そして行動が変わるはず。今が山場だと思う。

 

今までの反省からマニュアルとカリキュラムを作り、一から歩むこと。成されるべきだったことや、守らなければいけないものを知る。そして自ら行わなければならないことをする。そこでも絶えず結果を検証し続け、現実を学んでいく。

やるべきことに向き合い、やらなくても良いことは遮る。それがなかなか行き詰まっている。それはしばらくは仕方ないか。ある程度は時機を待つこと。

 

この家の中は、それなりに落ち着ける環境になった。以前は自分が劣悪な環境にしてしまったけれど、今は変わった。長引く刺激は少ない。頭が一杯になることも少ない。

そうなると、やはり今度は外側での刺激が重要だ。どうにもこれがネック。その根底にあるものは、感情型のフラストレーション。それが大きい。

知り合いと交流することはない。それがなくても生きていけるだろうけれど、どこかに喪失感がある。心にすきま風が吹いている。それを補おうとジャンクな画面の刺激にのめり込んでしまう。

それが今の悩みどころ。でも、知人と疎くなることは誰でもあるはず。その日々で皆はどうしているのか。

やはり、人との接点を失って身体が乱れている。正常な日々を過ごすことが出来ていない。やはり人との交流は不可欠だろう。それをどうするかが問題。

 

目新しいものに触れたい欲求と、感情に触れたい欲求。これをどうにかして満たしたい。それが全て。それがあれば多くは望まない。それだけはどうか切っ掛けが湧いてほしい。どうにもやるせない。

自分なりの日々を創っていきたい。一般的な通例のステップはあれど、その先はサバイバルだろう。歩き方も自分で見つけ出すしかない。自分はもう、何にも縛られなくて良い。それはもう良いのだ。まずはそう許すことだ。

 

何かで自分なりに励んでいたい。そんな作業を見つけられたら良い。そしてそれが何かに繋がれば良い。でも、それは遠い先のことか。欲が出る。出来ることをして世の中に組み込まれたい。

そして人生のパートナーが居れば良い。女性的にも男性的にもだ。それだけで良いのだろう。それと健康に過ごせる環境があれば良い。そこで健康第一の生活を創りたい 。

自活をして、ただただ平凡に日々を営みたい。存続を確かに感じられるものと場所、そして人。

人生の大きな試練の時期に思える。一度に人生の全てに取り組んでいるさえ感じる。

主観的な見方なだけだけれど。とにかく平凡に日々を歩めたら良い。幸せの目標はそれだけ。自己実現の欲求はそのつど湧いてくると思うけれど、ここで記している課題がクリアされたら良い。この大きな壁を取っ払えたら良い。苦の種が実ったなら良い。

そんな夢を見る。とにかく歩もう。人生は何が起こるかわからない。とにかくそれだけだ。

 

また明日。

 

参考書籍 :