欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

刺激の折り合いのその先 エネルギーの行き着く場所

気が付けば夜になっている。日が沈んで辺りは暗くなった。町は活動のトーンが落ちていく。それに呼応して身体のトーンも落ちる。夜の態勢に入ったような感触。そのなかで文を記そうと思った。少し嫌な気分になったため、文の意欲が湧いた。そうやって日常を記録する文を書く。

皮肉な話で、一日が充実しているのなら、この文や現実のノートに記すことは少なくなる。日常こそが最適な行動記録のそのものだ。それが短く終わるのなら、それに越したことはない。

過剰なまで文に意欲が回れば、それはどこかに異状があるのかもしれない。胸に手を当てて考えてみる。嗚呼、その言葉は自分に返ってくる。

 

ブログや運動、読書にも費やしていなかった今日。それを思っていた。そのなかで少しブログの意欲が湧いた。後付けの大義名分。「せめてこれに費やしていた」という免罪符。それにはならないのだけれど、後でそう付け足すのは可能。

本当は建設的なものに費やしたいけれど、どうにもそこへ意欲が出ない。体たらくに言ってしまえば、それらは何も面白くないし、すぐ飽きてしまう。それに励むのは義務感でしかないし、苦痛を感じてしまう。それに、そういったことを今は求めていない。

気を抜けばそんなことを思ってしまう愚鈍さ。中途半端に元気でありつつ、病人でもある。半端で邪な意欲が邪魔をする。

 

刺激追求の性質がなければ、こういったことにならなかっただろう。静かで穏やかにいられたかもしれない。自分は強く刺激を受け取ってしまうけれど、刺激を求めたくもある。今はそれを求めたくあるけれど、保守的に身構えてしまう。

守りを固めようとする気持ちを、刺激追及の気持ちが上回ることは少ない。すぐに退屈し、すぐに神経が高ぶる。

この性質がなければ、もっと楽にいられたかもしれない。運命という言葉のように、最初から定められた道筋は変わっていたかもしれない。シンプルなライフスタイルを求めていたかもしれない。

 

自分は、人と会って何かを形にするタイプに生まれついたと思う。だけれども、そこに鋭敏さと混在していれば大変だ。大きなファクターは「刺激」。これが本当に厄介。

刺激追求が強く働くけれど、刺激には脆い。これはある種の矛盾に思える。それは原始時代の生活と今のそれが違うからか。快適でいられる幅が狭く、行き違うエネルギーの狭間で身体が応える。刺激のコントロールは難航し、破滅的なサイクルに陥りがちだ。

これらの性質は、人間において最も病めるタイプだと思う。ただ、社会には必要な人材かもしれない。根拠は思い付かないものの、生産や社会維持とは違う価値を生む人間が必要だ。そのなかで、社会に出ることも必要になる。そこで役割を身につけるのが最適で、そうすれば楽になれる人間。

自分のことを置いておくとそう思う。感情型のセンシティブパーソンだ。

 

自分自身で刺激をコントロールしなければならない。内的にそれを確かにし、集まりの場でも同じようにする。周囲に対して適切な認識を持ち、相手方にも自分への適切な認識を持ってもらう。

でも、自分でその場所を作ったり、見つけ出すのが大変だ。それがいつまでも出来ず、ただ破滅への一途を辿ってしまう。

最適な刺激の幅。これをどのように見つけ出すかだ。当分の課題。

 

基本的に人は適切な刺激を求める。忙しすぎればストレスが溜まり、退屈すぎても嫌になる。そのなかで心地良いバランスを求めている。

その中核には、自分の役割や愛情なども求めているはず。存続を確かに感じられるものを探している。テレビの画面やバーチャルの刺激、楽曲や色々な散文にでもだ。どこかに何かを求めていると思う。面白いことから自分の救いまで。自分はそうだ。自分だけかもしれないけれど。

 

自分の中の軸が育まれたら良い。存続の根幹を成す性質に光が当たれば良い。このブログでそれを期待している。自分の持って生まれた性質やエネルギー、被った痛手、それらの過程を辿る命運の先。それらの要素の中で、文章と相性が合ったりしないだろうか。それを試すものでもある。

生活の直接的な糧を得られたら、それは立派なものだろう。ただ、そことは少し違う気もする。別の軸が育まれたら良い。自己実現に結び付くような、生存の根幹を確かにしてくれる作業。直接的なものとは違う、みえない自信のような何か。

ありのままの根幹に光が差して、自分が備えている種が成長すれば良い。時には雨が降ったり、風が吹き付けたりしても、そこを成長させていけたら良い。今がその途上の時であることを祈る。

今も絶えず成長し続けていてくれたら良い。どこかへ意味が繋がっていれば良い。そんなことを思う。

適度な刺激があるなかで、何かに励む。せっかく時間はあるのだし、何かに縛られることもない。物事を考えられる時間もあるし、今はまだ余裕がある。だから、この期間に何かを見つけたい。

そこに苦心しているけれど、エネルギーは外側に向けられず、内側でやるせなく辟易するのみ。宙ぶらりんだ。

 

何か成果を得てしまえば、それで全てが磐石になるか。日々の成り行きのなかで、どこかに繋がれば良い。

既存のシステムに適応するのは難しい。良くも悪くも、自分なりの生き方をすべきだ。ただ、暗闇の中を進まないといけない。

普通に生きていけたら良い。一般的に生きることの有意義さ、賢さ。その道のりで幸福感が得られたら、人間万々歳だと思う。普通の大人になっていく人が羨ましい。

ソーシャルとの一線が大きくなっていく。それをどうやって取り戻していくか。それが今の一番の課題。

どうにかならないだろうか。切っ掛けは求めているけれど、変われない。難しい。

 

頑張ろう。また明日。

 

参考書籍