欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

好循環へと導く些細な要素 必要な歯車

全く実がなかったと振り返る夕方。何日も同じことを繰り返してしまう。もう少しで先の局面へ進めそうなのに、どうにも進めない。悔しい。浮かんでくる言葉も同じだ。もはやうんざりもしなくなってくる。どうしたものか。

 

昨日と今日と、朝からやることもなく、ただ無為に費やしてしまった。そのことは朝の時点で予感していた。朝のルーティーンが終わった後、何もすることがない。心から自分を費やせるものなどない。それを思っていた。

でも、何もしないということは出来ないし、何かをする。すると取りあえず画面を見る一日が始まる。そしてそれだけで終わる。最近はずっとそれの繰り返しだ。

ある程度の水準で身体は落ち着いているけれど、どうにもエネルギーに行き場がない。ブログを記しているけれど、そこにやりがいを感じない。

日常こそ充実すれば良い。このフィードバックブログも、書かずにいられたら充実しているのだろう。そういったものだ。充実している過程を検証をしていたい。

今は辛くもなく、充実もせず、中途半端だ。

― 

「人はちょうど良い刺激を求める」

「どのように自分の調整や適応を可能にしているかが解る作業」

「自分の存続を確かにしてくれる活動」

今の頭に浮かぶキーワードだ。これらを見つけたいけれど、それを選択するための前提がない。やはり、根本的に身体を上向かせることが重要。

ストレスを対処するスキルがないといけない。刺激の折り合いをつけ、社会的な活動をしていく。それらの問題の事柄は、奥深くで複雑に入り組んでいる。刺激の制御には環境と対外活動があり、環境にはストレスの対処がある。一つ一つが独立したものではなく、絡み合っている。

すべてが行き詰まれば全体も停滞する。内と外との環境をコントロールすること。それがストレスの対処になる。

 

人生は、どのようにストレスを対処するかが全てに近い。そのストレスと折り合いがつかない今は、フラストレーションがどんどん積もるばかり。満足がいかず、看過できないものを看過してしまっている。そうなれば歪みが生まれ、身体に現れる。そのせいで人生そのものが行き詰まる。

この状態にあって望むものは、健康に必要な要素がほしいということ。それだけだ。健康にさえなれたら良い。

環境と人だ。それらによって健康に辿り着きたい。努力をするための土台を得て、その後にやりがいのあることを探したい。

 

そのやりがいのあることも、健康になってから身に付けるのではなく、健康になる過程で身に付くものなのかもしれない。そう思った。健康のための要素として、きっとそれがあるのだろう。それも見つけてから健康がある。そう思う。

そう思うのには、やはり刺激追及の部分がある。それは厄介な性質で、一朝一夕には健康の土台は得られない。必要なものを見つけ出し、それを手繰り寄せないといけない。

今はそこが足りていないため、充実感がないのは仕方ない。その分、その間にやれることを積み上げたいけれど、何も実になっていない。

 

健康に届かなくとも、束縛はなく、時間がたくさんある。世俗の慣習に身を任せなくても良い。それで苦しくなることもあるけれど、物事を考える時間は豊富にある。

センシティブパーソンの不利なものはあれど、それは仕方がない。そこに生まれついた以上、背負うべき重荷はある。そこについてはもう、何とも思わない。ただ生きるだけ。それだけのこと。

今はそれを思う。家族が健在で余裕のある今は、それを浮かべられる。だから、今のうちに何かに励めたら良い。

 ―

退屈な日々を過ごしていれば、フラストレーションによって内側から刺激が生まれる。それがあると慢性的に疲れてしまう。鍵になるものは、刺激の折り合い。でも、それがとにかく難しい。

刺激をコントロールすること。まず、疲労が溜まらないような環境を作る。そして、自分なりに出来ることや、自分を活かせるようなことに費やすこと。それによって満足しつつ、刺激でいっぱいにならないようにする。

快適な刺激を得て、その環境下でやりがいのあることに費やす。それで自活自立をする。それが最後の目標だ。

 

今の低い水準の身体に必要なことは、好ましい刺激を得ること。刺激を遮りつつも、適度な刺激を得る。

ただ、そうするには外へ出ないといけない。どのように外の世界へ適応するかが課題だ。どこにその場所があり、どのように適応するか。

そこに複雑な問題の根が絡んでいる。ストレスの対処が必要で、そのストレスの根本には刺激がある。刺激の鍵は外側にあり、外側に向かえないことがストレスとなる。それがまた自分の中の刺激となり、ストレスとなって疲弊する。するとまた外の刺激が必要になる。初めのストレス対処へと戻る。

この堂々巡りだ。今の環境下では同じことを繰り返すのみ。

 ―

やはり忍耐をせざるを得ない。そんな時が続いていくのだろう。それは準備の期間であると思う。勉強をし、考えを深め、必要なものを手に入れていく。

健康という夢は、一番の夢。それは容易く完成しないだろうし、遠くにある必要な要素が不可欠だ。となると、この状況は仕方なくあるのだろうな。

下積み期間のようなものか。決まりきった状態を目指しているのではないし、自己実現という大きな状態を目指している。それは仕方なくあるのだろう。そう言い聞かせよう。そう思って今に意義を生もう。

― 

自分の存続を確かにしてくれる作業、活動。それは何だろう。それをこの文に委ねているけれど、どうなのだろうか。

まずは磨きをかけないといけない。そうやって認知の母数を広げる過程を踏む。

まだまだです。

 

また明日。

 

参考書籍 :