欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

認識を整える新たな認知 次の局面への前段階

落ち着いた体調の午後。静かな時間が流れている。変わらず何もやることなく過ごす。画面に没入してばかりの日々で、そこから何とか脱却しようと試みている。

何かに努めて励んでいたい。禁断症状のようなものはないけれど、画面からは脱却が出来たとて、今度はやることがない。浮いた時間で日々を充実させたいけれど、そうはいかないからもどかしい。行き着く考えはいつも同じだ。

 

最近はずっと同じことを記すばかり。次の課題は自分なりに導いていて、それは完了している。でも、そこから先に進むのが難しい。そこが行き詰まれば、やるせない日々に横着したくなる。

自分なりの日々は、この家で創っていけば良いのか?デジタル技術に多くを委ねてやり過ごす?それが自分なりの日々か?そんなことを思う。実際に今はそのように過ごしている。そう考えて試すようにだ。

でも、そのように過ごしても上手くいかない。それが今の暮らしだ。何も改善することはなく、人生が無に帰すのみ。

やはり、切っ掛けを求めるしかないのだろうか。自分から能動的にだ。

健康を保つ要素は、睡眠、運動、そして社会との繋がりや、人との繋がりが必要だ。自分は特にそこに背いてはいけない。きっとそうだろく。そうしないとストレスが拭えない。

今は存続を確かに感じられる要素がない。それどころか大きな脅威がある。だからストレスを発生させ、メッセージを出して生き延びようとしている。

内なる声は発せられている。そこに向き合わない限り、何事もはかどらない。他の要素を充実させられない。看過できないものがある。それに対処するのが喫緊の課題。

 

抜本的で根本的な解決。それが出来ない限り、身体が良くなることはない。時の運で体調が変わるのはこういうこと。対処療法で上向かせようとしても、ほとんど意味はない。それなのに一喜一憂してしまう。そこに振り回されてしまう。

原因の捉え直しは大方済んでいるはず。後は行動することが大事。そういった局面に入っている。

そこで根本から変えようとすれば、やはり認識を変えないといけないのだろう。世界を変えるためには、まずは自分が変わること。そうすれば辺りの見え方も変わる。行動も変わるのだろう。

今は最低限の体力が欲しい。基礎的な体力を得た後で、ようやくその先へ進める。ソーシャルの場に出るにはそれが欠かせない。

ストレスを根本から解消すること。その道筋をどのように導くか。それを改めて考えている。

今は環境に適応するための力が欠けている。前提が整っていない。もともと刺激に耐えうる幅が狭い上に、体力がなければ話が進まない。だからそこに取り組みたい。

 

そこでやるべきことは、ストレスを低減させること。振り返ればそれは、今までの局面で着実に行ってきたことだ。病的にセンシティブにならないよう、原因を捉え直していく。それは大きな作業だった。それと同じように、この状況下でもリラックスすること。

それに必要な要素は、やはり運動なのではないか。それは以前に診察で教えもらっていて、やはりそれが理にかなっているかもしれない。リラックスのために身体のトーンを下げるのではなく、逆に上げる。そういったことが他の書籍にも記されていた。

 

ストレスの低減というステップ。それによって身体が上向けば、活動のための原資が生まれる。それが基礎体力となる。そうなれば次のステップへ進める。着実に次の局面へと進むこと。

行動して根本的に身体を癒す。自分にとって必要なものを与えてあげて、自分なりに傷を癒すこと。そして今までになかった素質を獲得する。そうすれば、それを用いて在りたい日々へと進める。今までの願望を手の平に収められる。

そうしたい。そうすべきだし、その気概はある。それだけは十分にある。だからそれに取り組むこと。今はその途中だ。

その次は何をすべきだろうか。思い浮かぶ要素はある。社会との接点を持ち、人の心に触れること。フリースクール、フリースペースに通うことだ。それが根本治療に必要だろう。現実に落とし込めばそうなってくる。

それ以外に考えれば、どこか人のいる場所に行くこと。自分の年代であれば、学校に行けばそれは簡単だ。そこで人と関わり、絆を結ぶこと。そこで生活の実感を得たり、有意義な作業を見つけること。

外へ出て、人と関わり、身体を動かす。そのように適度に刺激を得る。それが出来れば良い。

 

そのフリースクールでは、一時の刺激の受けすぎがあり、パニックに陥ったことがある。だから今は通っていない。そこは車で通う距離にあり、他の生徒たちもたくさんいた。そこで辛くなって以降、そこを回避している。

そこに再び挑戦した方が良いのは、恐らくその通り。ただ、一概にそれをやったとしても、上手くいくかはわからない。そこはやはり、適応しづらい場所なのかもしれない。あるいは身体の土台が整っていないかもしれない。

外の世界と交わるのは難しい人間かもしれない。それくらいセンシティブなのかもしれない。あるいは、その防御策が足踏みの原因か。刺激追及の意欲はあっても、それが用心を上回ることはない。

 

ソーシャルとの空白は、かれこれ長くなってしまった。そうなると更に厄介になってしまう。それが今になってしまった。それが本当に難儀なところ。

とにもかくにも、身体の土台をそれなりに整えないとといけない。まずはそこに励むこと。それが重要。

そこで結果が出れば良い。元気があれば何でも出来る。それがないから今はきつい。それさえの話。

 

また明日。

 

参考書籍 :