欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

ささやかな日々への障壁 現実的な理想

今日は荒天の空模様。無機質で無色透明な光に包まれている。空気がうねって大きな音と共に押し寄せてくる。蒼白の世界。今日は巣籠もりだ。いや、日常で外へ出るのは散歩しかないけれど。

朝からストーブで暖められた部屋に居る。快適ではあるけれど、何かが違う。活動的ではないトーンだからだろうか。屋内に居てばかりでは、人間の命は鮮やかにならないのだろう。やはり外へ出ないといけないな。身体を動かすのが一番で、その次に人と会うこと。

そして、社会的な立場を感じられる集まりや、その場所へ出ること。仕事だ。自分から有意義に感じられる感触を探らないとな。

 

以前は学校がそれだったのだろう。その頃はなんだか大昔のように思える。かつての元気だった頃。社会的な立ち位置は、学校へ通うことで感じられ、そこに友が居たりした。活動をし、日の光を浴び、人と過ごした。この要素が大切だったのだろう。

限られた関係の親密な空間だったのはあると思う。教師、同級生、これらのバランスが良く、充実していたのだろう。エネルギーを得られて、且つ自分からエネルギーを外へと表現し、発揮していた。それが負荷なく行われていた。

刺激でいっぱいいっぱいにならなければ良い。それさえクリアできれば何でも出来る。普通にだってなれる。いや、その頃は普通だった。刺激への耐性はあり、時々刺激が多くともやっていけた。自信があったり、心理的に余裕もあった。外出も、外食も、会食もしていた。同じ空間に様々な人が居ても平気でいられた時間は長かった。

 

心身のバランスが乱れた時は、一時の刺激の氾濫が大きかったのだろう。確かに、今思えばそうだった。特に何か理由があったのではなくフェードアウトしていった。

そう認識していたけれど、様々な理由はあったのだと思う。親密な友達が転校して居なくなり、教師が変わり、クラスも入れ替わっていたかもしれない。そこで心身のエネルギーバランスが乱れ、細かな刺激過多による神経の高ぶりが起きたのだろう。

 

確かにそうだ。そうだ、今思い出した。今考えている事と合点がいく。あの親友は僕を支えていたのだろう。

となると、やはり向かうべき場所はそのような所だろう。人、場所、社会的存続、心身の踊る日々、これらが必要だ。どれか1つでも欠けてはいけないのだろう。それがどうしても必要で、そこからは逃れられない。健康や、日々の満足には欠かせない。

合点がいく。必要な要素と、必要な場所。今の生活の満ち足りない部分が見えてくる。家に居て、バーチャルな世界に社会性や情を求めていても何も生まれない。運動をしても全てが上向くことはないだろう。

 

人との繋がりと、社会的な存在として感じられること。鍵は、人。そこからは離れなれない。さて、どうしよう。

今の病的な身体の中でどこかの接点を持たないといけない。病める身体を癒してから外へ向かうということが出来ない。順番が逆。病めるなりにどこか外側との接点がないといけない。それが難しい。

人の居る場所はある。でも、そこへ向かうには、ある程度は身体の土台が整っていないといけない。ソーシャルとの関わりをはっきりと持つには、まだ順序が整っていない。

 

隣街のフリースクールは、実質は一般の学校と変わらないくらいだった。形式に囚われず運営されていて、一旦の逃避場や、新たな居場所として提供されていた。自分には、その場所は刺激が多かった。

親に連れていってもらうことも負担だった。身体のリズムと合わないことがあるし、個々の関わりよりも大勢との関わりの方が多かった。それが負荷になっていたはず。

でも、それは対処しようと思えば何とかなったのだとは思う。協力を仰ぎ、問題を共有すれば良かった。それだけのこと。でも、やはり負担にはなると思う。もう一度通うということは、なかなか難しくある。ああ、近所にそのような場所があれば良い。ある程度都会であればな。

 

人の居る場所はどこにあるのだろう。人と知り合い、その人と親密になれる場所。病めるなりに通える場所。一般的には、学校やアルバイト先などだろう。でも、そこへ行くには体力も刺激への耐性もない。

まず、人と親密さを取り戻し、英気を養うこと。そして、ソーシャルの場所へと進み、生活力をつける。刺激へ慣れること。学を身に付けたいなら進学をしたりする。

 

一番最初のステップは、個々人同士の会話だ。そこで結び付きを強め、心身の養生をしないといけない。

ただ、そうなればより難しい。どこに見ず知らずの人と親密になっていける場所がある?病めるなりに通える場所で、この不健康な人間と会って話をしてくれる人は、どこに居る?学校も通えず、アルバイトも出来ない。バーチャルに置き換えても中身は乏しい。

図書館学級は終わり、フリースクールには通えず、同級生達はこの町を離れていった。どこに接点がある?誰が自分と話をしてくれる?それが難儀なところ。

 

何年間で一人。部屋の中一人。気が付けば一人。ああ、何年間で遠く離れてしまった。当分はこの生活が続きそう。その認識を持っていた方が良いだろうな。一喜一憂をし、時々抑圧をしてしまうことはある。そう思うこと。

でも、気にするのだろう。いや、している。この生活は、到底満足できないから。それどころか身体が蝕まれてしまうくらい。そこを脱却しようと抑圧もしていたのだった。ストレスを抱え続けては命が削られる。だから抑圧をして掻い潜ろうとしてしまう。ああ、事態は喫緊のことなのにな。

 

どんな生活をしていこうか。実社会でアグレッシブに最前線へ立つのは難しい。一歩引いて、社会へと見えない栄養を与えることなのだろう。タフネスパーソンには出来ないことをすれば良い。

内的に過ごすことは大事。刺激から逃れられ、しばらく遮断できる場所を持つこと。そのなかでも人との交流を閉ざさないこと。

そして自分の出来ることをする。内的でセンシティブな人間だからこそ出来ることを積み上げる。それですぐに成果は現れなくてもやり続けること。いずれ何かになるのかもしれない。

 

大きな額の賃金を得るのは難しいだろうな。それをパートナーにやってもらえたら良いけれど。その分自分は家の事をこなし、余った時間で自分のライフワークをこなしていく。インプットをし、それを文にしたためる。それで人を支援していく。聖職的な事をする。他者の学びや成長を促すこと。

そのような日々が叶えば良いけれどな。ああ。パートナーが居て、猫か犬が居て、自分は内的な日々を尊重されて文を書ける。そんな日々。健康があり、心を通わせられ、エネルギーが満たされていき、ある程度の健康を得られている。そこで小さな人生が創れたら良い。

それが夢なのだけれどな。でも、それくらいのことが起きないと難しいと思うのだけれど。

 

しばらくは停滞をしていくのでしょう。まだ不確定な要素はあって、良い方に転ぶか、悪く転ぶかわからないけれど、行き詰まるのは行き詰まるな。その間に顎には力が加わるのだろう。ぎりぎりと、ぎしぎしと。

ここまでくれば、その先へと進みたい。楽しみにしているから。そこへと進む未来は見えている。

後は、勇気だけ。ああ、後少しなのです。難しいな。

 

また明日。

 

参考書籍 :