欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

在りたい日々に有るべきもの 絆を取り戻すまで

今日は病院へ行った。少し雨が降るなか、久し振りに遠出をした。親に連れていってもらう行き帰り。当日の朝の緊張は少なかった。食事のいつもの朝と同じくらい頂けた。大分楽にいられるようになったと感じた。以前と比べれば落ち着いてきているのだろう。

 

先月から特に変わりはなく、診察はスムーズに終わった。このような時が一番だろう。無駄な薬を減らした。全体的に考えれば、十分前進はしている。今の段階の出来ることは、しっかりと積み上げられている。

帰りにスーパーに寄った。賑わっていて、それだけで刺激的で面白かった。世の中には色々な人が居る。ちゃんと居る。そう当たり前のことを思っていた。身近な世界に人がたくさん居て、皆が自立をしていて、社会がある。そう感じた。

いつかは都会に住んで、自活をして、街を自由に移動できるようになりたい。こう言うと、矮小で恥ずかしい夢だけれど、それは自分の一番の困難であり、でも、それが叶えば幸福の第一条件になると思う。それさえあれば良いと思う。過去の自分が渇望していた状態にありつけたのなら、それだけで幸せで居てほしい。

スーパーを後にする時、何だかそんな日々を生きているような感触を一瞬感じていた気がする。よくわからないけれど、そう感じていたな。

 

社会的な活動をしないとな。それがあって病は癒える。人と関わり、社会的な立ち位置を感じること。それを通じて様々なことを吸収していけば、自ずと進歩していくだろう。

もっと外へ出たい。今の日々では限度はあるけれど、何かのライフワークがあれば良い。何か社会的な意識の持てる作業があれば良い。まずは初歩からだ。

 

今の日々でも楽なのはある。切迫していることはなく、今の活動水準であれば、そこまで問題はない。ただ、もう少し体力がほしい。極端に病的な水準を脱却できれば良い。

それだけでも充分だ。大きな人生は歩めなくても良い。何者にもなれなくて良い。でも、もう少しの体力は得たい。そのなかで、少しづつ自立へ向けて積み重ねられたら良い。人と会おうとしたり、生産活動をすれば良い。それでやりくりすれば良い。

 

今の食事の摂り方で改善していけば良い。意識次第で良くなっていきそうだけれど、それだけだと行き詰まる。フラストレーションが看過できなければストレスになり、そこを脱却しようとして抑圧をしてしまう。それはどうしてもある。

気楽に過ごしていて、ナチュラルにご飯を頂ければ良くなっていくはず。そのために外側との接点が必要なのだけれど、この日々で満足が出来れたらな。

運動と、腹九分目。これで変わっていけば良い。それが難しいのだけれど。

この前、夢を見た。久し振りに熊が出てきた。この熊は以前から夢に出てきていて、大体は捉え直しによってどのような意味の像か解っている。理知的な意識が抑圧をした時のフラストレーションが元になっている。ナチュラルな自我の感情や反発が、熊という存在で発現されている。

祖母の家に居た時の夢だった。熊が出てくる前に、まず、祖母が出てくる。祖母が家の中に居て、自分は外に居た。窓越しに部屋の中の祖母を見ていた。すると、その祖母が、何故か自分が普段から書き続けているノートを持ち出していて、そのノートのページを思い切り見開き、内容が見えるよう自分に向けて見せつけていた。

これは実際にあったようなこと。ノートを勝手に見られていた!

祖母との折り合いがなかなか合わない。仲は悪くないけれど、一緒に生活するのは厳しい。いつかはそこに家族で引っ越しをする。そこはパーソナルスペースを築けるし、住環境が今の家よりも良好だ。そこへは今すぐにでも引っ越しをしたいくらい。

でも、その気持ちは、祖母によって防がれてしまう。祖母と居てはプライバシーがなくなる。それがネックで、それを強く思っている。

 

場面は変わり、自分は家の中に入っていた。二階に上がっていた。すると、そこで窓の外に熊がいるのを見つけた。恐ろしい熊のその動きを見ている自分。すると、姉がそばにやって来ていた。二階へやって来ていた。その姉に、怖じ気付いて「怖い」ということを表現してみたけれど、平気でしょ、と言われる。

でも、熊は、家の裏の林から、家へと飛び移ってきた。部屋から顔を出して覗くと、そこには熊がいる。何故か屋根を貫通し、二階へと上がる階段の所に落っこちてきた。退路が塞がれてしまった自分。でも、何とか逃げなければと思い立った自分は、すごい勢いで階段を降り、脱出しようとする。そこで奇跡的に熊を掻い潜り、家を飛び出すことが出来た。逃げることに成功した。

その後、逃げた先で近くのスーパーに辿り着く。すぐにきびすを返し、そこから家へと戻ろうとする。その際に、姉の携帯電話に電話をかけようとした。置き去りにした姉の安否確認をしようとしていた。でも、何故か自分は電話をかけることが出来ない。そもそも電話をかけるアプリがどうにも見つからないのだ。焦りと恐怖で涙が出てきてしまう。

そこで場面が変わり、自分は、両親と共に車で祖母の家に向かっていた。ほとぼりが冷めた後に落ち着いてそこへ向かっていたのだろう。しかし、到着して飛び込んできたのは、姉と祖母の無惨な姿だった―。

 

支離滅裂な内容だけれど、意味を探ってみるとだんだんと解ってくる。まず、祖母は精神的な脅威になっている。でも、自分は祖母宅へ居たい。現れた熊は、自分を封じ込める自分。

去年の夏の間に通っていたけれど、そこに居ては駄目だ、と、現在は自制するようになった。自分の気持ちに蓋をした時の感情が熊の形になっている。ナチュラルな自分の感情を圧し殺す自分。

そこに現れた姉は、脅威ではないから二階へ上がっていたのだと思う。そして、そこに居てはいけないと熊がやって来て、自分は飛び出して逃げる。

その後、電話をかけても繋がらなかったのは、普段の表層の意識が、姉と距離を取ろうとしているためだろう。姉と繋がりたくても繋がらない。本当は繋がりたい。そのもどかしさがある。そうこうしていると、二人は熊に殺されてしまっていた。

 

祖母宅に居たい自分を圧し殺す自分。ネックになる祖母と、連絡をしたい姉。関係を豊かにしたいけれどどうにも難しい。それが現れていた。その狭間にいて、普段から抑圧をしていると、やがて抑圧をする熊(自分)によって、二人は無惨にもこの世から消え去ってしまう。もう会えなくなってしまった。

姉が熊を見て、「大丈夫」と言ったのは、よく解らないけれども、弟と疎遠になったとしても平気で居られるよ、という想像を自分がしているから、それがその言葉になったのだろう。

 

実際の流れは、たまに意識のレベルへと上がっている。言いたいことや叶えたいことを満たせずにいれば、やがて不可逆的な事になりかねないぞ、という不安。願い。

それは普段からよく思っていたのだろう。ナチュラルな意識はずっとあり、それを阻む意識もある。

無垢な自分を痛め付けては駄目だ。その部分を育んでこそ先の未来に進める。

 

色々な本当の内なる声は上がってくる。不安、恐怖、願望、葛藤。この声を受け止めることが、心からの幸福に繋がるのだろう。後悔のない日々へと繋がるはず。それが一番のこと。身近な人が一番。絆を取り戻すこと。

夢の詳細が解らないような夢ではない。以前は、身体が凝固しているなかで狙撃されたりして恐ろしかった。恐怖や怒りでいっぱいではない夢だった。

 

好ましく生きられたら夢は見なくなるはず。後は、その日々へと進めば良い。祖母宅に住み、姉とも関係を温めれば良い。今の自分を縛る拘束衣は、もう少しで脱ぎ捨てられるはずだ。

程よく外出をし、刺激を得て、心地よい住みかに身を置き、豊かな関係のある人たちと暮らしていく。後悔のないように。取り戻せるものも取り戻したい。それは、人しかないだろう。家族、同級生、かつての知り合った人たち。また会いたくなる人はいっぱいいる。

不可逆的な状態になるまでに間に合えば良い。外的な要因によって、叶えられなくなる場合もるはず。

 

後悔のないように生きることだ。それが何よりも大切。それが幸福度を決めるのだろう。それだけで良い。その日まで間に合えば良い。

どうなるだろう。

 

また明日。

 

参考書籍 :