欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

行き違う意欲の狭間 立ち往生の日々

依然として体調は波があり、どんどん右肩上がりに進んでいくことはないな。特にここ数日はそう思うことが多い。低調な身体を上向かせようと抑圧気味だ。

工夫を加えて改善しようと試みているのだけれど、本質的な養生ではないから効果はない。それどころか抑圧をしてしまう。エネルギーバランスは乱れがちなのかもしれない。

少し前の好調に上振れた時に、エネルギーの余りが多くなったのだろう。フラストレーションが溜まるのは、裏を返せば身体は安定していたと考えられる。でも、それを活かせず終いだったから問題になる。どうにも一喜一憂に傾く。

 

最近は、精神的な欲求が強くなっている気がする。それは、普段の外へと向かおうとして生まれるフラストレーションにあるものだけれど、その片隅にある意欲に、"精神的"な欲求がある。

それは対人関係の欲求であって、親密な関係を築きたいというものに大体が含まれているけれど、その中に少し違うものがあると思う。このブログに込めているような気持ちで、「誰かと思考や認識を共有したい」という意欲だと思う。その共有から得たい感触がある。

その意欲を満たせないフラストレーションも、かなり心身に影響を与えるのではないかと感じた。

 

親密な人からの肯定や承認が必要で、それも欠かせない心の資源だろうけれど、外側へと能動的に表現したい意欲も重要なのだと思う。そこにも承認や、所属が関わっている。

外側に放ち、反応を得たいという気持ち。受動的に与えられたいというものと、働き掛けて与えられたいという気持ち。

欲求の階層で言うところの、「所属と愛の欲求」だろう。その回復が病気を治す。今は、生理的欲求と安全の欲求は満たしているはず。その次の段階の欲求を満たそうとしている。その中に精神的な意欲もあるのだと思う。

 

組織や集団、共同体の一員となりたい意欲。今はバーチャルにしか求められないけれど、与えたり、与えてもらったりする関係性。これが病を癒す。そこで承認をしてもらった場合、それが自己実現へと繋がるのだろう。

そこでの感触を得られるように意欲が出てきているのだろう。それを日々のこの文章に求めているのだけれど、成果はない。

この文章にエネルギーがあれば良いけれど、どうなのだろう。努力次第で認知を広げられるのだろうか。それをすべき?それを怠って嘆いているのであれば、それをすれば良い?

 

でも、ある程度閉鎖的な場所でなければ辛くなるはず。独立した自分の空間を持ち、そこで肩肘を張らずに記していくことが重要になる。それがやっと実現してきたのだけれど、ここから拡大的にしていくのには自信がない。

自分には正の感情の持ち合わせがない。負の感情の持ち合わせしかないために、創作の場が広がっても辛くなる。相手も自分に対して否定的に思っているのでは?と、考えてしまう。

でも、自分の可能性を充分信頼しているから厄介。その気持ちがある。進みたい気持ちと、守りに構えたい気持ち。保守的な気持ちを、衝動的な気持ちが上回ることは少ない。それによって、この精神的な欲求を晴らすことが難しくなる。一向に変化していかない。

これも内側からくる刺激になる。叶えたくても叶えられず、日々を無為に消費してしまう。じりじりと身体は蝕まれていく。

 

もし、その感触をバーチャルな空間から得られたら、何かが変わるかもしれない。その期待もある。どうにかして日々の脱却の糧を得たい。

喫緊の課題。エネルギーは余っている。基礎的な体力は構築した。後は、理想は人の集まりに出ていき、どこかのコミュニティに所属して、温かな関係を築くこと。それが大切。

それと、社会的な存続の意義を感じられること。それらを支える心のエネルギーを得たい。それをバーチャルに置き換えても良いのもしれないと思っていた。

 

今の生活では、どうにも満たされない。どんどん時が自分を追い越していく。自分にスピードはない。何も動いておらず、空虚に朽ちていき、時に押し出されていくのみ。それを何とかしたい。

この街で、この体力で、何を得られるか。それは限られていると思う。自分が可能性を閉じ込めている部分はあると思うけれど、どうにも動かしがたいことはある。その中で何とか日々の確かな感触、満足があれば良い。

 

外向感情が厄介だ。これがなければさくっと全快していたのかもしれない。いや、なければこのような生活へと辿っていなかっただろうけれど。ああ、ネックが果てしない。

内に居すぎても、外に居すぎてもいけない。内の時間が大切だし、外の時間も大切。快適に居られる幅が極端に狭い。そう、極端だ。

今の自分の望みは、わがままに映るかもしれない。世の大人は、生きるためにとにかく働なければならない。そんな中で、「自分は友達やパートナーを求めなければいけない!」と、記し続けている。申し訳ないし、情けないというか、馬鹿みたいだ。

 

どんどん日が経っていく。この病的な段階を、まず越えていかないと話が進まない。それはある。それが一番の仕事。けれども、個人の努力では何ともしがたい事がある。人が必要だ。それも、この病的な段階で、人と会い、関係を築くことが必要。

でも、そんな人など都合よく現れてはくれないのだ。いつまでもストレスに蝕まれ、病的な段階を脱するに至らない。恥ずかしい、恥ずかしい。いつまでも食事の摂り方が下手くそだ。無理をしたりしてしまう。順調に胃袋を拡張できない。

 

もう十代が終わる。僕は何も伴っていない。まだ弱いところに向き合いきれていないのか?バーチャルに求めるなど逃げの一策か?

直近の日々は、同じことばかり繰り返し考えている。捉え直しは進んだけれど、一向にプラスの要素を集められない。体調も、日々も、宙ぶらりんだ。

意欲のやり場や、フラストレーションの逃げ場はなく、踏ん張って身体を上向かせれば良いのだ、と、抑圧の蓋が開く。そして床へ就いても、まだじりじりと意欲が残っている。もう寝るしかなくなっても、まだエネルギーは余っている。

 

色々な考察が、色々な要素に絡んでいるのが解る。体調、意欲、メンタルのケア、創作でのネック、すべて一つの要素が得られたら変わっていくはず。それがどうにも行き詰まる。

目を背けてはいけない。でも、背けてしまうのには理由がある。衝動が教訓を上回ることはなく、結果宙ぶらりんに何もしていない一日になる。

 

体調の行き詰まりを感じてこのような思考になった。自分は、どうするべきなのか。大きな問い。前進して背けているものに向き合うか、時機がくるまで忍耐をして待っているか、逃げの一手を実践するか。

どれも正しいのかもしれない。前進したり、待ったり、欲をなしに積み重ねたり、それぞれを行っていけば良いのかも知れない。今までそうしてきたのだとも思う。時にそれぞれをしていたはず。

 

解決に近くなったからこその苦しさがある。あと一歩が届かない。豊かな人間関係、親密な関係下の所属先。パーソナルな時間の確保。等々。

普通は遠いな。容易に変わることはないと思う。しばらくは忍耐なのだろうか。でも、あと少しだ。ああ、もどかしい。この気持ちは拭えない。どうにも。だから、ストレスになる。

欲が出る。でも、心の声は、空虚な刺激よりも現実を求めている。些細な満足さえあればな。

 

また明日。

 

参考書籍 :