欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

刺激のバランス 人の心と目新しさ

今日も晴れ。部屋の中が暖かい。服が重くて分厚く感じる。身ごろもをほどいてどこかへ出掛けたくなる日和。家で静かに過ごしていることが嫌になってくる。

結局画面を見るしかない毎日。そんな日常。言いたいことだけはある。日々の満足度に反して、日記帳に書き付ける量は増えていく。生活そのものが豊かになれば良い。

散歩もしているけれど、どうにも面白くない。運動は大切だし、全く苦ではないけれど、同じ道のりを歩いていると嫌になってくる。

自分次第ではあるけれど、どうにもやるせない。少し遠くへ足を伸ばしたいけれど、そこまで体力に自信がない。変わらない景色を歩く。

 

やはり、人生を何かに割きたい。そう思う。特に社会的な存在として何かをしていたい。外へ出て、人が居るところへ行き、何かに費やす。それを掛け替えのないルーティーンとして生きていたい。家事をし、外へ出て、社会的な作業にいそしみ、それにゆったりとした時間も持っていること。

贅沢な話だけれど、そう思った。でも、それくらいの事をしなければならないのだろう。創造的に生きていけたらそれも叶うのか。それは、自活さえ出来ていれば誰にも口出しはされないはず。それを叶えたい。でも、それが一番の壁。世間知らずで、浮世離れした人から脱したい。なかなか叶わないだろうけれど。

 

ただ、健康を目指せば自ずと付いてくると思う。より豊かな健康を手繰ること。それを満たしていけば変わる。生活の圧迫がない間、創造的に色々と試すこと。創作したり、自分を知る。

お金を稼ぎたい。それと同時進行で、実生活スキルを身に付けたい。何かの手続きのために外へ出たり、買い出しをしたり、身体を病んだら病院に罹ること。健康を損なわないように生きる。

その中に対人スキルや、ソーシャルの場との関わりがある。それに触れてこそ、より高次の欲求が満たされ、健康になる。そして、そこで自活能力も付いてくれば良い。それが理想。

 

創作は、はてなで試してみている。成果があれば良い。でも、自分の記していることに自信が持てない。井の中の蛙が何を偉そうに、と思うことがある。過去の投稿になかなか目を通せない。客観的に見ることができるから苦しくなる。それがある。

それでいて自信があるから厄介。そこには才能を誇示しようとする心理が働いているのがある。アーロン博士の著作に記されていた。自分の価値を示そうとして才能を誇示しようとする場合がある、と。自己否定に陥るとそうなるケースもあるらしい。

INFJ性向としての理由もあるけれど、それがある。細かに。お金も生み出したいし。でも、そうなると辛い。確かなプラスの感情の得ることが必要だろう。現実の誰かから。ほんとうの心から。

 

自分の発信局を持ちたい。色々と発信を細分化してみたい。ソーシャルメディア。もっと分化させていけば、楽に記すことが出来るはず。

HSPフィードバックは、少し書くことが辛くなることもある。理想があるから。型を決めてやり始めているため苦しくなる。好きに表現していって、それが自然な形となれば良い。その逆は苦しい。

このブログには、日記要素と、エッセイと、コラムと、HSPフィードバック要素を込めている。それが全部入り混ざっている文が理想で、今もそれを思っている。でも、コラム風で終わりたい時や、日記要素しかない時もある。書きたくなるようなフラストレーションが溜まっていないと苦しくなる。理想を下回れないから。それを解消していきたい。

 

ブログと他のソーシャルメディアの使い分けがよくわからない。ブログの強みとか、スタイルもよくわからない。エネルギーのあるブロガーは、どのように力が付いていったのだろう。いまいち解らない。

それは、好きにずっと表現し続けた人なのだと思う。エネルギー性向として、アウトプットが性に合っていて、そこで自分の持ち合わせたエネルギーとが融合した時、大きな爆発力が生まれる。注目を集められる人と、問題を解決してくれる人が強い。

自分は、いつか都会に住んでみたい。都会というより、賑やかさを感じられる場所であればどこでも良い。賑やかさを感じられることも大切な要素。刺激の調整の一環としてある要素だと思う。

刺激を遮ることと、刺激を得ること。静か過ぎる刺激のない日々では健康でいられない。それは大きい。雄大な自然と、生きた心と、活動の波長を感じていたい。それは案外大きな夢。

 

HSS(刺激追求)の意欲は、アーロン博士の著作のチェックリストで判定できる。刺激に弱くなる面があるのに、刺激を求めたい部分がある。快適に居られる幅が極端に狭くなるのが厄介なところ。

特に、変わらない環境と、心を通わせられないフラストレーションが溜まり続けると長引く刺激になってしまう。これがあると健康を害してしまう。嘘のような本当の話。

変わらない日々や、刺激の少ない日々に嫌気が差し、そのフラストレーションを晴らせずにいると、内側のからくる刺激となってしまう。それすらもセンシティブに感じ取ってしまう。

 

賑やかな場所に身を置きつつ、静かに居られる場所もあることが大事。人と会い、社会的な存続の意義もあること。自然も感じること。

それは自己実現の暁で得られるような目標だけれど、どうなるのだろう。それは夢として持っておく。理想は理想。思い描くだけは自由。

そのような環境に身を置き、健康で居て、バーチャルの世界で創造的に生きていたい。それが出来たら至高の日々だろうな。自分のソーシャルメディアがあり、支援的な活動が出来る。センシティブパーソンの問題解決に一役買いたい。それも夢。小さく有名になりたい。健康になり、自活をしている日々。

 

まだ遠いな。

 

参考書籍 :