欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

体重との格闘 本当に必要なケア

体重は、増えてはいない。増えそうな感触がある時に限って増えていない。良い夢を見させてほしいもの。

この前は、食事の感触と体重がリンクしていた。好調の感覚を印すように増えていた。それだけで歓喜だった。このフラストレーションの溜まる日々であっても身体は上向くのだ!という大きな拠り所。それが確かであれば、今の日々の救いになる。

でも、それに勢いはなかった。やがて夢は醒める。停滞していく。意気消沈。

アーロン博士の本を改めて読んだ。本を繰り返し読むと、以前読んだ時によく頭に入っていなかった部分を見つける。

「食事の時間をゆっくり取ったり、定期的にカラダを動かしたりということをしない」

ゆっくりご飯を頂いて、たまに身体を動かさないといけないということ。これは意外と大事。

実行してみるとよく解った。ゆっくり食べていると、胃の早期膨満感がなかった。これによって好調を感じていたのだった。そして、体重が増えていた ―。

でも、日が変わると、ゆっくり食べていても膨満感があったりした。勢いはしぼんだ。どちらにせよ、体調の波はあり、一般的な水準からは大きく下回っている。どうにも萎えてしまう。意気揚々としていたけれど、げんなりする。結局はさほど変わらなかった。ああ、悔しい。

 

ゆっくり作戦が成功した暁のことを想像していたのに。想定では、どんどん胃が拡張していき、さらに大飯をかきこめたはずだった。そして、自然と体力が得られる。

そうなれば、後は生活の基礎的なスキルが身に付けば良いのだ、という想定があった。必要なものは揃えられ、病院へ罹ることが出来たり、役所などで必要な手続きを出来るようになれば良い。そうすれば、最低限の自立は出来る。経済的に誰かの世話になっていても、それさえ出来るようになるのが第一のこと。

それが整えば、後は創造的に日々を費やし、より高次の欲求の赴くままに健康へと積み重ねていけば良い。時々友人と会ったり、心を通わせてストレスを減らす。そして、HSPフィードバックを記し続けるなり、創造的に生きる。可能性を伸ばす。何かに挑戦し、どこかで賃金が得られるようにやってみること。なるべく早く、日々を無駄にしないように。

 

それなりの体力があり、取りあえずの自立をしていて、後は自分なりに健康と自活へと積み重ねている日々。それが理想。普段からそれを思い描いていて、ゆっくり作戦によってそれがより鮮明になっていた。センシティブパーソンの自立パッケージ。

頓挫です。難しいな。まだまだ勉強だな。本を読もう。とにかく読む。でも、本を買うのにはお金がかかる。いや、取りあえず買おう。有効で探査的な投資の時間。そうすることが、自分の少ない可能性を活かす道筋。それだけはやろう。それしかないから。何にも拘束されていないのだし、やろう。

 

一日二回散歩をしてみる。毎日の習慣になりつつある。少しずつ体力的な苦しさはなくなってきた。その感触があるだけに、数字が付いてくれば良い。上向かないかな。

でも、食事の量なんて、粗食で少食。その水準からも下回っている。病的なライン。そこを脱却したい。

 

それなりの体力はあるけれどな。そこまで不自由はないけれど、もう少しの体力はほしい。それさえあれば良い。この思考が自縄自縛になるのだけれど。

体力があったって何が出来るのだろう。必要なものは、親密な関係だけ。それを今の段階で手に入れられたらすべてが変わるはず。そこを目指している。

大きな人生を生きていけなくても良い。無償の肯定があれば良い。自由になるために、人を愛せ。

 

集団に属するのは辛い。相手が信用に値するかを考える間なんてない。取りあえずコミュニケーションをし、良好に関係を築くことが求められる世界。

少数の人と過ごす事が大切な人間は、どうにも辛い。そのように過ごせる人は少ないから。真に心を通わせられる人は限られる。関係を築くために、集まりへと出ていかないといけない。それがきつい。真っ白な状態から関係を築く事が辛い。

人となりが分からないという段階は、とても刺激が多い。どんな人なのか、何を考えているのか、そこに触れているだけでもきつい。そこから信頼できる人を見つけるのも大変。

 

一度人との結び付きを失った場合、取り戻すのは大変だな。再び築くのは容易ではない。それが厄介。ただ、一人で居続けても何も変わらない。

気が付けば、僕は一人だ。なんてね思ってた。今日も日が沈む。毎日が過ぎていく。

 

また明日。

 

参考書籍 :