欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

インプットと内省 感情が伴う時

体調は安定しつつあるけれど、未だ同じことを繰り返し考えている。フラストレーションのことや、ストレスのこと。必要な刺激と、在りたい日々の道筋。

確たる認識を築いていると思うけれど、進みはしない。未だ勉強をする段階が続いていく。でも、日々絶えず勉強をすることだろう。それは確かなこと。

より良い認知を得て、それと日々を繰り返し検証し続けていく。それが大切。ただ、そろそろ目に見える進歩がほしいな。でも、この日々でも落ち着いて過ごせているのはある。

 

今の食事量は、一般的な大人の食事量と比べれば60%位だと思う。極端に食事を摂れないという訳ではないけれど、歴としてもっと食べたほうが良い水準。

ただ、病的ではあれど少しの体力はある。でも、一般的な人間と比べれば、到底そこには及ばず病的だ。この狭間にある。これによって行き違う意欲が生まれる。

 

学びを取り戻すか、創造的な可能性に委ねるか、そのどちらにも振りきれない。現実で生きるか、バーチャルで完結させるか。健康になることは必須だけれど、身の丈に合った日々さえ創れたら良いのはある。

でも、在宅で可能性を伸ばそうとしても限度はある。外へ出ていくことが必要で、そこで健康を取り戻さなければならない。それが全ての基礎になる。それはずっと背くことができない道のり。

でも、焦って外側に出て適応しようとしても、そこにも限度はある。その狭間にやり場のない意欲と、宙ぶらりんな日常がある。

 

意識の持ち方によって日々を乗り越えようと試みている。そこまで盲目的に体力を追い求めなくても、今の現況で満足はできないか?という捉え直しをしてみる。

退屈な日々であれば、刺激がネックとなり、身体が応える。そうであっても耐えられる部分はあるのではないか?という考えに至った。ほどほどに体力はある。これがあれば、家族の支えがあるうちは生きていける。それでも良いのではないか、と。

生活や自分の持ち合わせには限度があり、可能性を活かすのには時間がかかる。そう考えると、刺激が足りない日々だったり、自立へ向けて積み重ねられない日常であったとしても、そこまで自責的にならなくても良いだろうと思う。

ある程度の楽はあるし、それなりには過ごせている。すべてを無為に過ごしているのだろうか。体力を追い求めたとしても、その先には何がある?

 

自分のアドバンテージは、有難いことだけれと、病人の水準によって、周りから実社会への適応を迫られることがないこと。ゆっくり自分のペースで歩めること。

その過程で、多少は歪んでいる部分があっても致し方ない。その分可能性を活かすことに注力すること。病を癒すことに専念すること。

ネックは、身体が満足のいく水準ではないことと、宙ぶらりんに日々を空費してしまっていること。そこを脱却しようと踏ん張ってしまいがち。病的な無理のしすぎに陥る。

 

でも、今の生活であっても、未来へ向けての準備はしっかりとされているのかもしれない。日々変化はしている。そのように感じつつある。それだけで良いのかもしれない。病的であっても、それなりの準備をしている。

身の丈に合った人生設計をし、それに伴う自活能力や、生活能力を高めていけば良い。今の日々だって、無価値だとは分からない。

フラストレーションは看過できなくとも、ある程度の水準で維持は出来ていて、身体の痛みも少なくなった。欠如することのできないものはあって、それを手に入れる事が最優先ではあるけれど、工夫次第で満足のいく日々だと思うことはできる。

 

スクリーンタイムが長くても、それは仕方のない部分はあるのだと思う。内向直観は、外側から取り入れ、内省をする機能。その機能は普段からよく使いこなしている。それを用いることが一番の特性になっている。それを活かすためであって、スクリーンから得ようとする働きは、そこまで悪くはないのかもしれない。

それで集中力が病的になくなってしまえば問題で、それ以外に刺激を得ることが必要だけれど、ある程度は欠かせないものなのだと思う。

 

ある程度の体力はある。そこで人と会いたいというフラストレーションはあれど、代替策はたくさん持っていて、寂しくても平気。それと、余っているエネルギーはスクリーンタイムで空費しているのではなく、特性を活かして内省している。

少しの刺激を得られて、そこでエネルギーを充満させられる暁なんて、それは自己実現の日だ。そこには容易に辿り着きはしない。今の日々であっても、それなりにやっている。

 

たまに人と会い、エネルギーを満たすことがすべての下支えになる。それで健康にもなり得る。それを目指しつつ、日々勉強をし、内省をする。それを目指すこと。今の局面はのような段階なのだと思う。

その次に現れる欲求は、バーチャルに委ねるのも良いかもしれない。それがこの文章でもある。創造的な可能性をバーチャルで試す。それと、コアな関係を育むこと。そこに可能性があるはず。

 

現実で社会的なことをするのは難しいと思う。親密な関係のなかで自分を認めてもらい、特性を活かせる作業にいそしむこと。それは、一般的な場所では難しそう。現実の既存の仕事と個性を噛み合わせるか、独自に価値を創造するか、その二つがあると思う。

自分の素質や、身体の限度のなかでの可能性はよく分からないけれど、バーチャルでそれを求めたって良いのだと思う。少なくとも、学を積み、仕事の資格を得て、一般的な仕事にいそしむことは難しいだろう。

小さな人生のための僅かな小銭稼ぎしかできなくても、それで生活の足しになれば良い。大きな影響力を持てなくても良いし、現実の世界で生きていくことになるのかもしれない。そのためにも可能性を知る。

 

圧倒的なポテンシャルで価値を生むか、需要にマッチするパーソナリティーを創るか。

少なくとも、可能性を探すことが大切。どの程度で、どの範囲にそれがあるのか。それを天に教えてもらえたら楽なのにな。

今の日々と、意識認識。常に変化はしている。それだけは確か。きっとどこかに辿り着くさ。

 

また明日。

 

参考書籍 :