欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

可能性の理屈と展望 日々の満足と限度

ここ数日の直近だと、あまりフラストレーションは溜まっていないと思う。日記帳には、思考の整理を記している。それなりに過ごすことが出来れば十分だと感じつつある。インプットと内省、思考の整理と表現、日記とはてな。読書をし、インプットをして、内的な時間で内省をする。それを整理し、形にしてまとめる。成すべきことを定め、十分にそれをやりきること。これだけでも十分だと思う。そこに社会的な成果があれば良いのだけれど。それが前提となるけれど、それは整っていない。それが残念なところ。

 

でも、自分に出来ることをしていると思う。在宅で過ごし、内省をしたり受信をする。妨害が入らない状態をつくり、そこで何かを生み出す。内的な時間を送り、その分出来ることをする。それが役目ではないかと思う。個人的にも社会的にもそうだと思う。とにかく勉強をし、可能性を活かすために準備をする。個人的にもそれをし続けることが大切なのだと思う。まずは健康へと励むこと。それをする。それを形にもしてみる。その中に、人の役に立ちたいというエッセンスを垂らしてみる。フィードバックブログでそれをしてみる。個人においてでも、社会的にもやるべきこと。それを毎日しているのだ、と納得してみる。意義があれば良い。十分務めているのだと思ってみている。

 

 

孤独な時間はかなり必要だと思う。それはある。そう感じ始めた。ただ、それは相対的に考えた場合にのみ当てはまる。バランスを取るための考えなら賢明で、消極的にいてばかりでは毒になる。欠乏を満たすことが先決。それはすべての前提になる。それを満たし、そこで生まれた成長欲求を育むこと。それが大切。そこから自分の成長のための価値を求め続けること。その一環でこの文を記してみている。

 

生活の基軸としてプライバシーを求めることが大切。人が嫌いなのではなく、一人でいる時間が必要なだけ。周囲を排除したい訳ではない。そのような環境を築き、そこに身を置くことが重要。人と会うことを選択しつつ、生活の基盤に静かな部屋があること。それが大切。ただ、その塩梅が難しい。自分に対しても繊細に接しないといけない。

 

それなりの日々だとは思える。ある種の役目を果たしているのであれば、体力が付いてこなくても良い。ただ、そう思ってはいるけれど、フラストレーションがあるし、喜びも少ない。成果もないし、依然として背いてはいけない道のりがある。そこは、立ち止まりながらもずっと見ている。絶えず葛藤している。健全な人生の道のり。人と会い、健康になり、自立している未来。取るべき行動は、今も棚に上げたまま。

 

それでも前述の事をしている。してみている。まだその程度の事だけれど、取りあえずはやる。それがやるべき事だと信じてやる。健康のために勉強をし、出来ることを積み上げる。それでも十分だと思う。現時点ではそうだろう。そう思おう。それで良い。それが良い。絶えずどこかへエネルギーは向く。

 

誰であってもそうだと思う。その方向は、色々なことを教えてくれる。生きていれば、絶えず変化もしている。いつだって何かを求めている。どこかに答えが転がっているかもしれない。諦めるのはまだ早い。自分で自分を救うこと。それしかない。自分もそれをしている。

 

誰の言葉にも救われはしなかった。だから、今度は自分がそれを創る。自分で生み出し、どこか遠くの同じようなスピリットへ放つ。言いたいことを良い、伝えたいことを添える。コアな共鳴が生まれることを信じる。それが波及して共鳴が続いていけば良い。変わらない最初の目標は、あなただけに伝えたかったのだ、と感じてもらえるように届けること。

 

そんな日が来れば良い。それが成果だろう。それだけで良い。そのためだけにやり続ければ良い。永遠の成果。ほんとうの喜び。ほんとうの価値。それ以外は要らない。

 

孤独を愛しましょう。創造的に生きましょう。何かを産み出せるはず。他の人とは全く違うのであれば、その分何かがあるはず。何かがあるからでしょう。強い劣等があったとしても、その裏側には特性がある。特性を支えるのは弱い性質。特性を存分に活かせずにいると、その対にあたる部分が強く表れてしまう。それがネックになる。特質が強くあるからこそ、それを支える弱点も大きく表れる。それは看過できずに欠陥にもなる。

 

ただ、弱点は色々なことを教えてくれる。

 

ネックがあったとしても、その裏側には特性がある。特性は可能性を示す。可能性の先には道がある。向かうべき唯一の場所がある。どこかにある。相応しい道のりの、相応しい生き方。それがある。それを見つけ、その方策を実践すること。それが大切。自分だけのマニュアルとカリキュラム。

 

自分も、あなたも、きっとある。そこへ行きましょう。

 

どこかの誰かへ。

 

 

 

 

理想の暮らしは、一般的な大人からすれば優雅すぎるような暮らし。それは理想を思い描いているだけだけれど、それくらいの繊細な生き方が必要なのだと思う。家で静養したって健康にはならない。

 

一番の賢い生き方は、タフな人のように生きることなのです。親の生き方です。学を修め、職に就き、生計を立てる。それが一番賢明。それが常に頭にある。どの生き方にも色々な面があると思うけれど、繊細に生きても収入は低いだろう。それは才能の有無で決まる。行動力も必要。それを含めて才能の範囲。

 

HSPフィードバックは、それを込めているけれど、成果がなければ説得力はない。ただの浮世離れした空想家のよう。お金を生んでみたい。生活を順番に構築するのではなく、それを一挙に手繰り寄せてしまえたら良い。でも、才能の世界。行動力も必要。運もだ。ああ、可能性が遠い。

 

それでもやってみるのです。それくらいしか望みなんてない。成れるものなどそれしかない。

 

万人に似通った暮らしをするのが一番だ。社会的に価値のある資本を得ること。それは、人生の序盤で機会を与えられている。有りがたい社会。でも、その道を閉ざすとなると厳しくなる。

 

それなりに過ごす日には、勉強をし、内省し、日常のすべてを表現に尽くすから、その分何かが起これば良い。そんな日が来れば良い。

 

自分を成長へと導く価値は何だろう。そこに導かれないと、延々と欠乏を満たすことに人生を費やすのだろう。延々と不健康なままで、現代の巧妙に仕掛けられた刺激に没入し続けてしまう。あるいは、自分事として自分の成長の欲求を満たし続けるか、それとも低次の欲求の気休めに甘んじるか、そのどちらか。

 

きちんと欠乏を満たし、自己充実へ向けて積み重ねること。行動すれば変わってくる。まだまだわからない。

 

 

これからです。

 

また明日。

 

 

参考書籍 :