欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

理想の過程と限度 現実的な可能性

今日は快晴。薄い上着を着て外を歩いた。体力を付けるために歩く。まだまだな感触があった。以前と比べても、未だ低い水準でいる。身体の数値と感触はリンクしている。それなりの体力はあるけれど、依然として低い水準。好調と不調の狭間の感触。それなりの進歩と大きな壁。着実な成果と変わらない課題。

 

 

昨日、病院へ行った。当日の朝の調子は良く、食事もそれなりに摂れた。緊張することもなく、体力を消耗せずに向かうことが出来た。今までで一番調子が良かったと思う。

 

変わらない体調を報告した。個人的にも確かな感触を伝えられた。健康へは、ひとまず十分な成果は得られていると思う。一年前から比べれば、天と地の差がある。

 

それを伝えた後、先生からデイケアの提案があった。病院の建物内にある施設に通ってみないか、ということ。体力が付いたことを先生に認められ、その次の局面としての提案だった。書類を貰い、その事についての話をしてもらった。

 

滞りなく診察は終了し、帰路に着く。帰りの車の中では色々なことが浮かんだ。体力についてと、建設的な日々について。確かな現状と、変わらない問題点。進歩によって浮かび上がる課題、歩み。これからのことを考えた。

 

 

明けた今日から変わっていくという事はないけれど、改めて色々なことを思う。日頃から考えている課題と可能性。生活の多方面での限度。

 

やはり、フラストレーションは溜まっていく。それが看過できない。それがある限りは病的なままだ。このままの生活を送るか、それとも挑戦をするか、そのどちらか。どちらも賢明な判断ではある。確かな限度がある。進んでも、このままでも。ネックや可能性の限度と、日々の生活の限度。可能性をほどほどに知り、行動に移すこと。外に出すぎず、内にこもりすぎず、その塩梅を上手く調整すること。それが出来ること。

 

今は、過去の失敗からしか思考が回っていない。君子危うきに近寄らずの思考。その考えにも限度がある。そろそろ動き出すべきだし、動きたい。その気持ちはある。でも、守りに入ってしまう。

 

今の生活で基盤を作り、それを軸として小さな人生を構築したくもある。自分が持ち得るエネルギーを知り、それによって生み出せるものを創ること。それをしつつ、初歩の欲求を満たしていき、だんだんと高次の健康へと進むこと。そうすれば、自ずと自立への欲求が表れ、そのステップへ導かれていくはず。それをしたい。

 

内向直観を働かせ、それを活かすこと。その中で健康へと積み重ねること。それをしつつ、健康への要素も集める日々を送りたい。

 

でも、外向感情(感覚)を満たしてくれる人など現れてはくれない。待ち人は来ない。それがある。そのために人と関われる場所がある。それがデイケア。治療のための場がある。有難い病院と、その処方箋。だから、自分は通うのには丁度適しているはず。

 

でも、その先にある目標はない。一般的な人生を歩むことはむずかしいだろうし、その気持ちはない。自分の可能性を過信しているのではなく、ある程度の限度はある。その中で、自分の出来ることで生きていきたい。そのような気持ちでソーシャルの場所に行くことは、メリットはあるのだろうか。

 

フリースクールと同じような場所だ。そこでは、人と関わり、必要であれば勉強をする。その勉強がない場所。そこへ行く事で糧を得られたら良いけれど、どうだろう。フリースクールの二の舞になりそう。

 

自分の中に正の感情による資源がない場合、外向感情を伴う内向直観は、不確かな心象を表すことがある。新しい場面に適応することはとても難しく、負担がある。極端にセンシティブになり、親密な関係を築く前に潰れてしまうかもしれない。それがネック。

 

それに、なんだか恥ずかしい。退行的にも思える。今の段階の日々は、やはり異常で病的なのだな、と思いたくない。それが証明されるようで怖い。恥ずかしい。

 

そう思うのは、自分に可能性があると思っている証だろうな。他の人から良いように思われたいと思っている。それが叶う可能性があると信じている。それにより、欠陥があるという現状を突き付けられることなど容認できない。それは許されないと思っている。それがある。

 

でも、それ以外に可能性はないな。待ち人など来ない。自分に都合の良いところだけを与えてくれる人も居ない。それが大きい。

 

自分の役目を全うしようとする精神性に変わったとしても、やがてフラストレーションは溜まる。昨日出掛けたため、今日は内省と表現に尽くす事が出来るけれど、これが毎日続いていけば辛くなる。それに、それには成果がない。自己満足の域を出ていない。それが悔しい。

 

内省と表現の日々を送りつつ、その傍らで初歩の欲求を満たす。これが理想の形。理想の歩み方。これが出来たら良い。

 

でも、成果はなく、待ち人は来ない。在宅中心に生きるとしても、やはり生活能力の構築には、外の世界へと出ていくことが必須。誰かと親密な関係になり、そこでエネルギーを得て、初歩の欲求を満たす。それが全ての歯車を回すはず。

 

とにかく、何かを積み上げなければ始まらない。引き算ばかりしていてもプラスにはならない。それを強く思う。いつまでも繰り返し思っている。

 

頭打ちになったのであれば、何か変化をしないとな。いつかは自分の足で立ち、自分の手で生きていかないといけない。それが生活の限度。

 

欠乏を満たさない限りは、なにも始まらない。また同じループを繰り返すのみ。そんな日々を送ってばかりいれば、やがて不可逆的な状態にもなり得る。その方が怖い。そうならないようにしたい。

 

 

色々と検討しよう。

 

 

また明日。

 

 

参考書籍 :