欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

相応しい認識と選択 内的な日々の先

数日前に病院へと行って以来、これといった刺激のない日々が続いている。それはいつもの事だけれど、改めて必要な行動があるのだと感じている。欠乏欲求を埋めることだ。それだけに注力すれば良い。そこを経れば自ずと日々は展開されていくはず。初歩の欲求の赴くままに日々を費やすこと。それが大切。改めてそう思った。

 

在宅時間が長過ぎてしまうと、内的な基盤が揺らいでくる。内的に日々を費やすという事は大切で、それが在るべき日々の形だと思うけれど、そればかりの日々ではバランスが乱れる。必要な資源が枯渇し、内向直観の不発が起こり得ると思う。外の世界へと出て行き、人と会うことが欠かせない。それがあってフラストレーションは満たされ、必要な資源を得られる。外向感覚(感情)を伴った受信をし、それを経て内的な時間を送ること。それが肝要。それが出来れば何かにも繋がるだろう。その土台を整える。

 

そのためにも初歩の欲求を満たすこと。今の日々では欠乏がある。それが大きなストレスになっていて、由々しき状態に陥っている。身近で親密な人とエネルギーを交わすことが欠かせない。個々人同士でのやり取り。ここから始める。

 

家に居てばかりでは、どうにもストレスが溜まる。そうなると、内的にエネルギーを費やしていても空回りが続く。内と外との折り合いが大切。

 

内的な日々の基盤は、70%位の割合で必要なのではないかと思う。残りの30%で、しっかり外へ出ること。そこで必要なエネルギーを得る。内的な空間で過ごす時間と、親密な人と過ごす時間のバランス。どちらも大切。その絶妙な比重を知ること。それを求めること。

 

でも、それが難題。幼稚園や小学校の頃からその問題にぶつかっていた。その頃から刺激との折り合いの問題があった。適応出来ていた時もあったけれど、それはそのうち崩れていった。進学、クラス替え、新任の教師の赴任、親友の不在、簡単に心身のエネルギーバランスは乱れる。振り返るとそういった原因があった。親密な人が居なくなり、心の資源が失われ、新しい環境に見舞われた時に苦しくなった。

 

これからはその教訓を活かし、1から築いていかなければならない。好ましい生き方を知り、それを叶える素質を得ること。それらを自分の手で構築しないといけない。誰も教えてはくれない。

 

デイケアに通うか、フリースクールに籍を戻すか。それとも、近所を当てもなくさまようか。そのどれかだ。でも、1つしか選択していない。

 

行うべき行動の理解や、その認知認識は得られているはず。でも、一向に踏み出せない。自ら行動しなければ何も変わらないのだろう。確かな限度という言い訳はある。衝動を制御するのは、自己不信感情。

 

これを埋めるためには、前段階を踏めば良いと思っている。そうしたい。集まりに工夫して適応するのではなく、身近な人と過ごす事から始めたい。気兼ねない関係性のなかで正の感情を得たい。それが資源となる。

 

でも、待ち人は来ない。探しても誰も居ない。今は近所をさまようのみ。その中で、バーチャルな空間で生きていこうと試みたり、内的な基盤から作って確かにしようとしている。

 

準備期間と言えばそうでもあるけれど、停滞と言えば停滞している。その間にフラストレーションはあるし、身体は未だ低い水準だ。

 

一番は、一個人と出会う事と、その人との関係を築くこと。それを手繰っていけたら良い。そこでフラストレーションが満たされ、体力も付いてきた場合、そこから生活能力が付いていくかもしれない。最低限の体力。それさえ整えばなんとでもなるはず。そこから集まりに通うということも可能になっていくと思う。心の養生が歯車を回していく。

 

それを求めるのが最近の日々。でも、それがない。その分出来る事を考え、積み重ねてはいる。日々勉強をし、認識に磨きをかけること。どのような原因があるのか、どのように生きていくべきか、それらを考え続けている。内的に日々を過ごしてみようと考え、その過ごし方を試し、それを積み重ねている。勉強、インプット、表現。

 

それらをやった後は、バランスを取る時間が必要。それが解ってきた。それがあってこそ、持ち合わせたエネルギーが威力を発揮すると思う。受信、内省、表現。曖昧な境遇に身を置くのではなく、はっきりとある自分の適所に身を置くこと。そこは定められていて、そこに向かうしかないと思う。

 

初歩的なことでつまずくのは、そういうことなのかもしれない。本来ある適切なエネルギーの使い方があり、可能性を活かす道筋がある。それを知ること。自身のエネルギーを存分に発揮出来ない環境下では、劣勢な機能がネックとして現れる。特性の不発を補おうとするからだ。ただ、それは普段から使いこなせはしない機能。弱い部分だ。そこを開発しなければならない。その開発を可能にする環境に身を置かなければならない。そのためには、その弱さを知り、適切な居場所を知ること。そして、それを構築すること。

 

そこに背いてはいけないのだろう。

 

学校などは、全ての人間に恩恵のある場所ではない。そう思う。万人に施される上からの価値観は逆効果にもなる。画一的な指標による教育。学びの機会の提供や、社会的に必要な資源を獲得させることは理にかなっていると思う。ただ、それに縛られてしまった場合、個々にある唯一無二の創造的可能性が閉ざされてしまう事もあるだろう。

 

本来の可能性を活かすこと。それも、半ば強制的にそうしないといけないのだ思う。やるべき事が決まっていて、それを行うべき人間がいる。成るべき状態があり、そこを辿るべき人間。身体が由々しき状態になり、悲鳴を上げているのであれば、そうかもしれない。

 

可能性と限度。定められたエネルギーの辿る道筋。それが解り、その道のりを歩めば、人はその先で、相応しい生き方を知る。そして、生まれた意味を知る。人は運命を理解する。

 

それは、良くも悪くもだろう。良い部分も悪い部分もある。そこへ向かうまでに不満もあるだろう。でも、それを引っくるめて自分。自分以外の人間には生まれ変わりたくはない。そこでの役目を全うすれば、自ずと最高の幸福が待っているのだと思う。そこを信じれば良い。それだけのこと。

 

 

未来を信じる。信じます。それがあるからこそ今までやってくることが出来た。自分次第。努力次第。

 

 

また明日。

 

 

参考書籍 :