欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

日々の積み重ねと意味 変化と進展

今日も変わらず同じ景色の中を歩く。この町にも春がやってきた。分厚い服装で歩いていると汗ばむくらいの日の光。春の風情を感じられる。色、光、匂い、感触、風景、様々な刺激を感じる。これは良い刺激。リラックスにもなる。

 

町には色がつく。そろそろ桜の咲く頃。年度が変わり、日々が新しく変わっていく。そんな頃合にあっても、自分は変わらずここに居る。同じ世界が目の前にある。同じ場所、同じ日々。春の陽気と少しの意欲。未だ変われずに居るよ。


でも、自分は自分だ。自分は別のところで闘っているのです。そう思いつつある。通例の人生を羨む気持ちが半分で、自分を受容している気持ちがもう半分。いつか誰かに胸を張って伝えてみたい。自分に自負を持っていたい。自分は自分を生き、それが掛け替えのない財産になったのだ、と。いつの日か迎えてみたい。

 

 

人間の身体は、動けば動くほど楽になっていくらしい。そうアーロン博士の本に記されていた。日々歩いているなかで、少しづつ歩く距離を伸ばしてみたりしている。そうすると、段々と歩くことが負担にならなくなってくる。記されていた事と、自分の感触がリンクしてきた。その実感がある。

 

シンプルなことだけれど、意外と効果はある。日々の生活は、食事、睡眠、運動、活動など、色々な要素があるけれど、運動から始めてみることが良いと思う。一番ストレスに効くのは、やはり運動。そこから健康の歯車は回りだす。まだ抜本的な解決に至っていないけれど、それだけで大分楽になっている。

 

 

それなりの体力を得て、それなりの日々を送っている。勉強をして内省をし、それを表現していく。それが何かに繋がれば良いけれど、それは難しい話。社会的な成果や肩書きがなく、意欲がやるせなく無に帰すのみ。

 

在宅でも出来る事をしたいけれど、それがどうにもない。フィードバックブログを記しているけれど、成果はない。

 

自立と自活。それなりの体力を得て、それで身の回りの事を出来るようになれば、ある程度は自立に近くなる。必要最低限の事。そのためには欠乏を埋めることが大切だけれど、運動でもある程度は補える。それをしつつ、初歩の欲求を満たしていく。それが大切。

 

そのなかでやれることをやる。出来ることを積み重ねる。世の中で生きていくには、世の中に出ていくこと。そうすると、やはり神経が高ぶる場面に遭遇してしまう。それがどうしてもあり、明らかな限度がある。世の中を回す最前線の仕事には、タフな人に就いてもらおう。アーロン博士はこうも言っている。実際あなたの任務は、「もっと短い仕事をすること」だ、と。「自分が健康であること」が他人を助ける第一条件だという。

 

それを信じても良い。全線に立つ人を支えるか、全線の人には出来ないような事をすれば良い。世の中を支える。世の中を回す人とは違う部分があるのだろうから、それを全うすれば良い。言葉に出来ない栄養を社会へ与える。一歩引いてやれることをやる。そうやって何かをしたい。そう生きていたい。

 

そのためにも、バランスを整えるために欠乏を埋めることだ。欠乏動機に支配されていては苦しくなる。フラストレーションにもなるし、よりセンシティブになる。創作をして生きるのだとすれば、それを人に見せることは避けられない。そうした時に日々の敏感さが厄介になることがある。刺激の少ない孤独な日々と、公衆の面前へと姿を表す事が耐えられなくなることがある。それについても欠乏を埋めることが重要。内向直観の暴発によって迷妄に陥ってしまいがちだ。それを防ぐこと。それには資源が必要。それを得る。

 

創造的に何かを生み出すことと、健康のために必要な行いをすること。それを同時進行で進めていきたい。

 

でも、欠乏を満たせず宙ぶらりんの日々だ。デイケアにも行く気になれず、当てもなく周囲をさ迷うのみ。成果も出ず、無為に日々が霧散してしまう。未だレベルの低い病人のまま。そこを脱却したいと日々考え続けている。運動をしたり、出来ることに励んだり、勉強をしている。ただ、目に見える成長はない。でも、少しの変化はある。それが何かの萌芽に繋がりそうな気もするけれど、それは遠いな。雪解けはまだ。春はまだ遠い。

 

 

人生はいつまで続くのだろう。いつか意味のある日々へ繋がるのだろうか。それを信じているけれど、その日までに事切れるかもしれない。誰にでも通じることだ。中途半端に終わりたくない。いつかどこかへ辿り着きたい。それをよく思っている。

 

でも、そんな事を考えても意味がない。日々を生きて積み重ねるだけ。やるべき第一の事をするしかない。それしかない。

 

出来ることは、これ位の事しかない。

 

 

"自分の時間を、より有効な探査的な投資の時間に解放すれば、それは自分の富に繋がる"

 

フィードバックブログには、日々の全てが込められている。体調、不満、フラストレーション、願望、希望、内省、勉強、アウトプット、表現。日々の要素の結集がここにある。内向直観や、INFJが求める成長の価値など、それらも込めている。生存と存続の義務が日々の全て。それは遊びの形をとったりするし、一見すると意味のないものに見える。それらを何かに昇華したい。個人的にはそれをしているつもりだけれど、そればかりでは意義はない。何かに繋げたい。読む、知る、考える、書く。日々の過ごし方も何もかも。

 

それに意味があると信じる。全ての日々の過ごし方に意味を持たせたい。そのために何かをするしかない。それをやる。ひたすらやる。求めているものとその先に、何かがあると信じよう。日々の遊びや何もかもに意味はある。どこかへと通じようと試みている。それを叶えられたら良い。

 

文を書く位しかやれることなどないな。自分にやれることなど、それしかない。突き動かされる何かは、それしかない。それにすがるしかない。恥ずかしくともやる。

 

自分の求める価値のままに、自分を救いましょう。自分の成長のために生きる。誰かの目に留まれば良い。

 

 

また明日。

 

 

参考書籍 :