欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

日々の変遷 望ましい選択への糧

それなりの日々を過ごしつつある。自分なりに出来ることをしつつ、それらを積み上げている。その中で、絶えず認識を刷新し続けることが大切。インプットや勉強をし、好ましい過ごし方を知ること。それをまだまだ続けていく。繰り返し検証をし続けること。内省もし、その結晶をまとめて表現する。それらをする内的な日々。

 

その内的に過ごす基盤は構築しつつあるけれど、やはり外の世界へ出ていくことが必要。バランスを取るために欠かせないものだ。それを実行に移したい意欲も湧いている。でも、内的に過ごすことも必要。その板挟みの中にある。生活の基軸は、内的適応を重視した方が良いと思う。内的に過ごしつつ、自分の出来ることや、可能性を最大限発揮できるようにする。成りたいものに成るために励むこと。それが重要だと思う。最低限の自分らしく居られる場所を作ること。その中心を築く。それが大事。それが先決の事。その基盤は作りつつある。それは自分で完結する出来ること。それは整っている。

 

依然として問題なのは、内的に過ごしてばかりだと、やがて心身のエネルギーが乱れること。内と外の刺激のバランスを整えることが求められる。それが永遠の課題。内に居すぎず、外にも居すぎず、その絶妙な中間に居ないといけない。それが大きなネックとしてある。刺激が少ない事が刺激となるし、刺激が多すぎればもちろん辛くなる。回避的ではいけないし、外で頑張りすぎてもいけない。未だそれが生活の全てに横たわっている。

 

でも、病的な無理のしすぎは格段に減っている。"とにかく食べなければ"といった思考からは抜け出せつつある。自分の体調の感覚と周囲の感情がリンクすることで、過去の痛手が蘇ることが問題だった。そこを掻い潜ろうとして無理をしてしまう。抑圧に陥っていた。それは、適切に問題の原因を把握するなかで、だんだんと解消されていった。大方はその思考が低減された。

 

ただ、未だフラストレーションがある。それにより、まだ病的な段階に居る。それは欠乏欲求によるものと、日々の不満によるもの。欠乏を満たしたい気持ちと、自立して好きなように生きていきたい気持ち。それは阻まれたまま。満たされない日々を脱したいという気持ちにより、身体を上向かせようと抑圧をすることがある。過去の痛手がリンクすることはなくなったけれど、未だ体調を頼りにしてしまう。"身体さえ良ければ何とかなるのに"と、一喜一憂してしまっている。

 

その認識を変えようと、内的な日々の基盤を構築した面もある。在宅で過ごし、刺激が少ない中でも日々を完結させようと試みたもの。それで内的な適応は整いつつあると思う。それをすることで、ある程度は精神性が変わった気がする。内的な日々を送ることは大切で、その考えは真っ当な気がしている。

 

ただ、これも限度がある。外側で過ごすには限度があり、その問題はとても大きいけれど、内側で過ごしすぎても限度がある。それが欠乏性の無理のしすぎへと繋がる原因。これもまた捉え直して浮かんだこと。

 

体調だけが上向いたとしても、それだけでは何も始まらない。健全に生きるためには、健全に刺激を得ること。いくら体力があったとしても、刺激の荒波に揉まれては先に進めない。盲目的に体力を求めても仕方がない。それは解っていて、原因もはっきりしている。闇雲に身体を追い求めても仕方ない。理知的な表層の自我では解っている。

 

好ましいステップを踏み、好ましく刺激を得ていくこと。それが全ての歯車を好ましく回す。それが肝要。それをしていくことだ。それが永遠の課題。絶えず続いていく難題だろう。そこに向き合わなくてはいけない。

 

 

デイケアへ通えば良いのか、フリースクールへ通えば良いのか、どうなのだろう。それとも、辺りをさ迷うか、旧交を温めるか。それらが頭に浮かんでいて、日々繰り返し考えている。

 

ほんの少しの満足さえあれば良い。それだけで良い。それだけで歯車は回る。継続的に親密でいられて、そこでエネルギーをやり取り出来たら良い。それだけが全て。そこが整えば可能性は広がっていくと思う。内的な基盤の日々で、欠乏が満たされること。健康があり、活動の幅を広げられること

 

 

自分は、社会や集団に属す気がない。無理だと思っている。そこに挑むことは大変だと思うし、限界をすぐに迎えると思う。刺激への耐性が付いても、それは相当乱れやすい。小学校の時でさえも行き詰まったのだった。進級の時に親密な友人が居なくなり、クラスも変わっていたと思う。それにより、心身のエネルギーの資源がなくなっていった。教師も変わり、新しい環境に見舞われ、刺激にまみれてしまっていた。そして、身体が悲鳴を上げていった ―。

 

社会や集団から独立をしたい。孤立はせず、独立自足的に生きていたい。

 

フリースクールにも通っていたけれど、そこでも心身に負荷が掛かっていった。そこには不特定の人の出入りがあった。小規模な学校と同じだった。それは刺激が多かったし、そこで親密な関係を築くには至らなかった。心身にエネルギーが満ちていなかったために、ただ雑多な刺激として浴び続けてしまっていた。

 

内向を指向する場合、新しい場面では負荷が多くなる。だんだんと慣れるに従って、徐々に自分らしく居られるようになる。自分にとって気の合った親しい環境に居る事が大切。そこで親密な関係を構築することが一番だ。かつて大丈夫だった時は、それがあった。それがあってこそ、それなりの余裕が生まれる。普通にも近付ける。

 

その関係を取り戻したい。ただ、そうしたいけれど、それが叶わない。ずっと待っているけれど、始まらない。何も変わらない。でも、人のいる場所に行くのは気が引ける。その場所で誰かと適応することを元に通いだしたくない。身体に負荷が掛かる可能性があるし、何か一般的な道を歩みたい訳ではない。

 

親の力を借り、遠く離れたデイケアへ通うのが恥ずかしい。それに、自分はメンタルヘルスの初歩から進めたいわけではない。医療のスタッフや、そこに通っている利用者と関わるのが怖い。恥ずかしいし、回避したい。退行的な事から始める必要はないと思っているし、その先で社会復帰をしたい訳ではない。

 

新しい刺激の多い場所へ通う必要はあるのだろうか。そんなことを思う。支援をしてほしいわけではなく、社会復帰もする気はない。内的に過ごしていたい。内的に過ごすための要素さえ得られたら良い。ほんの少しの外的な適応だ。社会復帰を目指すのではなく、出来ることを支えてくれるエネルギーを得たい。

 

そのためにも、やはり親密な人が居れば良い。それだけで良い。近くにさえ居てくれたのなら、それで良い。その前段階が必要。そこを求めたい。それさえあれば、普通に近付くための始めのステップになる。それを経てエネルギーを得られた場合、自ずと次の段階の意欲が湧くだろう。自然と新しい挑戦へと進むことが出来るだろうし、振り返れば自然と進んでいたと感じるはず。初歩的なステップから始めることにより、自ずと心身の水準も上がっていくだろう。

 

それが理想。悲観しすぎず、不安にも思いすぎず、ただやるべき事を捉えること。目の前のステップから始めること。今の段階は、個々人でのやり取りが必要。

 

でも、待ち人は来ず、人が集まる場所など近くにはない。それが大きな壁だ。どうにも越えられない。自分次第で何とかなるものではあると思うけれど、どうにも行動できない。待っていてばかりでは何も変わらないのだろうな。自分から働きかける他ない。自分が切っ掛けを求めるしかない。つまり、病を介して場所や人と交わらなければならないのだろう。

 

内的に過ごしてばかりでは健康でいられないし、満足も出来ない。それがある。それなりの過ごし方であったとしても、ほんとうの満足はない。少し体力があったとしても、それだけで好きに生きていくことは出来ない。

 

どうにも厄介なのです。素知らぬ人と交わることなんて、必要なのだろうか。恥ずかしいし、どうにも気が向かない。

 

 

バーチャルの世界で満たされたら、それだけで変わっていくのだろうか。所属、愛、承認、尊重。バーチャル空間でそれが感じられたのなら、フラストレーションも晴れるのだろうか。そんなことを思う。

 

自分は一体、何をして生きていたいのだろうか。そんなことも浮かぶ。何をすれば満足できる?何の刺激が欠かせないのか?

 

何かの作業にいそしみ、特別に親密なパートナーと過ごしたい。これだけでも欠乏は満たされるはず。外的な適応が整う。それをしていきたい。自然も感じ、賑やかさを感じ、得たい刺激を得る。内的な日々に飽きたら、それらをする。そうなれば、内的なエネルギーも活かされるだろう。

 

可能性はある。刺激に慣れ、継続して挑めば良い。その前提を整える。それさえ出来れば話は簡単なのかもしれない。

 

自分は狂っているのではない。責められるべきでもない。そう思おう。十分可能性はある。

 

自分らしく可能性を存分に発揮すること。思うことは叶えられる。叶えられない事は、頭にも上がらない。叶う可能性があるからこそ思える。

 

今の日々で思うことは、愛情の欲求が一番強い。それが満たされ、心にもエネルギーが届いた時、全てが始まる。それだけで良い。それをし、バーチャルに社会的な可能性を委ねたい。

 

それをしていきたい。そうなれば、内的な基盤が活きる。内と外のバランスが丁度良くなるはず。心身が満足しつつ、存分に可能性を活かすことが出来る暁。

 

そんな日がやってきたら良い。いや、いつかはやってくるのだろう。生き物なら誰でもそうだ。満たす必要があるために、その願いは浮かぶ。自分が道を誤らなければ、それはやってくる。叶える必要があるものなのだ。それは、叶えられるから浮かぶこと。その道筋を選んでいけば良い。それ次第だと思う。

 

 

会いたい人には会うべきですね。いや、会うべきでした。これからどうなるだろう。今の考えでは、道を誤っているのかもしれない。その気配がどんどんしてくる。そんなこの頃。

 

日々常に変化はしている。それは確かだろう。それがある。絶えず何かに向かっている。あがいている。いつか何かに繋がれば良い。いや、それは、繋げないと駄目なのだろうな。そんな気がする。

 

存分に自分らしく、最大限自由に生きるのには、人を愛すことだろう。そこからだな。

 

それらには日々務めているだろう。そう許そう。今日も生きた。

 

 

また明日。

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