欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

独立した日々の糧 健全な繋がり

今日は雨が降っている。散歩をするのはやめて、身体を動かさずに家に居る。穏やかな心持ちで過ごしている。晴耕雨読のような感覚だ。しとしとと雨が降るなかで、落ち着いた時間が流れている。本を読み、文を記す。耕してはいないから、晴歩雨読だろうか。晴れた日は歩き、雨の日は読書をする。たまには静かな身体のリズムの日があっても良い。今日はそんな日だろう。

 

自分は、身体にむちを打ってしまいがちだ。心身へのプレッシャーの掛け方は知っていて、どうにも無理のしすぎに陥りがちだ。身体のリズムを保つために、厳密なルーティーンを築いてしまう。それに縛られがちで、がちがちに自分を束縛してしまう。

 

誰かのせいにはしたくはないけれど、アーロン博士の著作によるとこうらしい。自分の身体を他者がどう扱ったかによって、今の自分の身体の扱い方は決まるそう。自分の健康や幸せ、寿命にまで影響を及ぼすものは、過去の人の態度によって決まる。とても大事な深い教訓は、周囲の行いによるものの可能性があるそう。

 

今の自分にも思い当たる節はある。どのような認知の歪みがあるのだろうか。親を喜ばせたいから?それとも、自分の軟弱さを非難されたくないから?どちらだろう?

 

どちらもあると思う。体調によるものの原体験は染み付いているし、それと紐付く様々な感情がある。体調コンプレックスだろう。体調が悪いことで、様々な出来事が発生してしまった。それは確かなことだと思う。自己においても、他者においても、何も期待に応えられなかった。

 

もっとやれるのに、と思っていた。こんな水準で収まるものではないのだ、と、そう感じていたはず。簡潔に言えば、屈辱だったし恥ずかしかった。何とかして覆したいと思っていた。

 

その時の自分に足りなかったことは、一体何だろうか。一つは好ましい扱い方だろう。外の世界との緩衝地帯が必要だったのだ。子供の頃の他者の扱いを、今の自分も同じように繰り返している。歴史は繰り返す。身体でさえもそうだ。過去の人達がやったようなやり方で、自分にプレッシャーをかけてしまう。

 

自分の身体に対して、もっと優しく接することだ。自分の内なる声に耳を傾けること。それが出来ること。そのために刺激を遮ること。それを改めて体得すること。そのために必要なことを知ること。

 

環境的な要因は大きかった。周囲の人達は、身体などの表層の事しか感じ取ってくれなかった。それが屈辱をもたらしたために、それさえ克服すれば良いだろうと感じていた。それが一番の原因。"身体さえ良ければ"という思考。

 

根本にあるものは、誰にも責められたくないという気持ちだろうな。否定されるのが怖い。怖いのは否定されること。馬鹿にされたくもないし、その状況に甘んじている自分に対しても嫌になる。やりたいことや、叶えたいことはたくさんある。そこに常に没頭していたい。その気持ちを実際に叶えるために、身体を拠り所としてしまっている。身体にプレッシャーをかけ、無理をしてしまう。それが救いの本質だと勘違いしているのだ。未だにそれは続いている。それを解く必要がある。本質的な改善は、未だ未達成だ。

 

外からの緩衝地帯を設け、心身の養生をし、エネルギーを得ること。それだろうな。誰にも責められない環境下に居て、存続の意義を確かに感じること。それがあれば無理をしなくても良い。自ずと体調も良くなり、束縛から解放されているはず。

 

それがマニュアルだろう。今までの体験から導くことが出来る、自分にしか作れない教訓。マニュアルであり、カリキュラム。守るべき事と、やるべき事。

 

緩衝地帯だけを設けても変わっていかない。それが完了して、ある程度の体力を得たのなら、次は外へ出ることだ。欠乏を満たし、ほんとうの自由を得ること。

 

 

もっと気楽に生きていたい。気ままな暮らしを構築したい。寝食を好きなように加減し、好きな時に食べ、好きな時に寝たい。

 

好きな時に遊び、好きな時にそれを昇華させたい。趣味と仕事の超越。自分のためにすることが、人のためになること。遊びは成長のためになり、その成長のために費やせば、自ずと報酬が得られる人。遊びと仕事の二分が超越されている人。それが気ままな暮らしを生むのだろう。これもまた超越されている。

 

それを目指したくある。少なくとも、自分の身体に対して丁寧に接しないといけない。すぐに悲鳴を上げてしまうし、すぐに限度を迎えるような体質だ。無理をしがちなのは前述の通り。そうであるのなら、繊細に生きていかなければならないだろう。色々な工夫をすること。それらを引っくるめて、独創的に生きること。

 

在宅で静かに静養したとしても、それだけで身体は癒されないのです。もっと繊細な扱いを施していかないといけない。外に出つつ、内にも居なければならない。その塩梅を加減する事。それができる生活を構築したい。

 

そのために、一番の社会的な糧を得たい。そう思うことが多い。全ての免罪符になるだろう。一番健全な場合だと、自らの力で金銭を得ることだ。それが全てだ。そうやって生きていけば、誰からも何も口出しはされない。そう思う。手っ取り早く存続を確かに感じるのには、それが一番の要素だろう。

 

納めるものを納めれば、いつかの権利にもなる。かつて税金を納めていれば、心身を壊した時の富を分配してもらう権利になる。そのように自分を保てる。そう思える。確かな拠り所にもなるはず。社会的な務めを果たしていれば、何も責められることはない。健全な社会に支えてもらうことも可能だ。その立脚点になる。

 

あるいは、歴として病的な心身を拠り所とするかだ。歴とした状態であるのならば、誰かに支えてもらえるだろう。家族を頼ったりし、ひとまずはそうしていく。それに社会は、社会的な活動が出来ないような人間に酷い仕打ちをしない社会だ。少しの支援もしてくれる。それを頼ること。有り難く受け入れること。そして、その中でやれることをやる。経済的な切迫が少ないうちに、自由に自己形成をすること。そこでなにかを生むに至るまで励むこと。

 

一番の理想の形は、独立自足的に生きること。供給源に頼らず、依存もしないこと。自分の力で生きていく糧を得る。

 

供給源が定まっていたりすると、そこに大勢が集まり、集団が出来る。餌付けされた猿山がそのようなものだ。そこでは縄張りが生まれ、その供給源に依存し、そこに頼ることで生活を守ろうとする。そうなると、集まりの中で力関係や格差が生まれ、規範が生まれる。それに従順になることなどが求められる。更には共同体意識が生まれ、常に敵が想定される。ただ、集団の外にライバルは居ない。敵の想定は、集団の仲間に対して向けられるのだ。一部では繋がりが強化される一方で、それはいじめに繋がっていく。

 

そこでは価値基準が定まっているのだ。学校などもそのように思える。そこへ通うべきだという束縛。そこでは、生きていく糧をどのように得るかについて、一つの価値基準しか想定していないはず。創造的に可能性を伸ばすことよりも、基本的な学力の施しに重点が置かれている。そのように運営されるなかで、社会性も身に付けていくことも求められる。

 

そこから外れるような人間は、一定数存在するはず。仲間外れにされたり、そこで心身が壊れて居られなくなるような人間だ。

そのような人間は、場所を変えるか、自分の手で糧を得なくてはならないと思う。独立自足的に生きること。自らの手で糧を手にし、親密な人間同士で歩むこと。それが平穏を生むはず。

 

可能性がある人間か、場所と人次第な場合か、そのどちらかの人間は居るはず。

 

環境をどう構築し、どのように生きていくか。欠乏を満たし、どうやって存分に自分らしく居るか。それが大切。

 

 

そのような日々は、誰にも責められず、何のしがらみもない日々だろう。どうにかして存続を確かにしたい。刺激を得て、心身の資源を獲得し、存続の意義を得ること。それが目標。そんな日々を迎えたい。そんな日々で、身体に負担なく生きていたい。今はどうしても身体が応えるのです。

 

精神的な交流さえ満たせたら良いはず。愛情や肯定で心身を整え、所属と尊重で存続の意義を満たす。これがやるべき事。新たに学ぶべき事。ゼロから構築すべき事。

 

欲求は能力らしい。今のフラストレーションは、人を愛し、愛され、優れたものを生産したいということ。愛と、尊重と、承認。これらが満たされたら良い。満たされなければ、平穏で居られない。

 

平穏で居るためには、最大限自分自身であることだ。自己の可能性を存分に活かすこと。その鍵が欲求だ。それが満たされなければ不健康になる。

 

最大限の可能性の実現には、それらの欠乏欲求を満たすことだろうな。それさえあれば、超越的な、理想的で現実的な日々に近付くのだろう。それが一番の課題。健康になるという壁を越えることに、全ての課題が込められている。

 

低次の欲求は、いくつか満たされてはいるはず。でも、その満足を噛み締めているだけでは幸せにはならない。より高次の目標を叶えたい。そうしなければ満足など出来ない。安全と生理の確保より、繋がりや尊重がほしい。それがある。

 

 

それがあるということは、叶えられるということだろう。そう信じよう。叶えるしかないのだ。破滅へと辿りたくはない。そこを背くことはできない。

 

よりやるべき事の輪郭は見えてきている。

 

日々の結果が付いてくれば良い。喜びを見つけること。

 

内から外へと環境を広げていくことだ。それが出来なければ、誰かに助けてもらい、提供してもらうことだろうな。

 

 

在宅で満足が出来れば良い。そんな理想。

 

日々努力。

 

 

また明日。

 

 

 参考文献:

完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの

完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの

 
いじめとひきこもりの人類史 (新潮新書)

いじめとひきこもりの人類史 (新潮新書)

  • 作者:正高 信男
  • 発売日: 2020/10/17
  • メディア: 新書