欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

意識的な認識 不確定な未来

夏の風情を感じられない程の天候になっている。まだ七月にも関わらず、夏の盛りのような日和だ。梅雨明けしたばかりなのに、猛烈に晴れている。その頃には晴れが続くという表現もあるらしいけれど、極端な気候になっている。いきなりの酷暑だ。

今はまだ、身体の調節機能が追い付いていない。それが得られていない内の脅威だ。

束の間の休みも与えられない連日連夜。なかなか険しいものがある。天気予報では強いメッセージが発せられている。もはや天気予報士に当たり散らしたくなってくる。適切に冷房を使えと言われても、それが無い家はどうすれば良いのだ。誰しもが裕福なわけではない。

どんどん気持ちが煽られてしまう。これも人間のせいではないけれど、そんな気持ちになってくる。嗚呼、恨めしや

 

暑さが続くなかで、身体の調子が鈍化してくる。心身に余裕がないなかで、その影響はとても大きい。これだけ体調について要注意と触れ回られると、個人的な体調コンプレックスと反応してしまう。

ただでさえ体調の維持が難しいというのに、暑さに対する不安が生まれている。日常の安全感が失われるということは、病気の悪化を意味する。安全の満足が損なわれると、それは人を病気にさせ、衰弱させる。

 

何かで不安感が巻き起これば、些細な体調の変動に対して敏感になったりする。直近の日々で言えば暑さだ。その不安があるなかで体調が傾けば、体調コンプレックスが顕在化されてしまう。

そうなれば、不安を払拭しようと無理をしてしまう。食事を頑張って摂ることだ。かつて体調が悪かったことで苦しい思いをしたし、成り得る自分からはかけ離れてしまったのだった。

不調は安全を奪うし、自尊心も奪う。病的にそう思ってしまう。その難から逃れようとして、ありのままの心の声を抑圧をしてしまう。無理をして存続を確かにしようとしてしまう。すると、また更に身体の状態が悪くなってしまう。

今の自分は、まだまだ過去が現実を生きている。

 

微細な抑圧をしたりもするし、胃袋の状態が良くない時もある。それは誰でもあることだろう。でも、自分は体調コンプレックスと反応してしまう。

そうなってしまえば苦しくなる。過去の苦しみが蘇ると感じた時や、安全や自尊心を傷つけられると思った時など、その苦痛を何とか掻い潜ろうとし、無理をしてしまう。

 

最近は余裕のない日々が続いていたため、特に体調コンプレックスが不安と結び付いてしまった。暑さの不安がある前も、体重意識による体調の停滞があった。その不安があり、身体を元に戻したいと思い続けていたのだった。その意識は身体の停滞を生む。

その余裕がない時に、また新たに生まれてしまった不安。それは容赦なく身体を覆う。やがて全てが覆い潰されるのかもしれない。その不安がある。それもまた神経を高ぶらせる。

 

腹の肉が少なくなっている。一度食べられなくなると、とたんに腹の盛り上りがなくなる。下腹部はぺたんこになり、腰骨の浮き彫りが深くなる。顎を下げてそれを見ていると、悲しくなるような、寂しくなるような気持ちになる。そう脱衣室で落胆し、暗い顔で浴室へ向かう。腹が泣いているようだ。いや、自分が泣いているのだろう。

 

また低調の深みへとはまってしまいそうだ。そんな気がしてくる。外的な刺激に対し、神経を高ぶらせてしまうとそうなりやすい。先月の体調不良がそうだった。些細な出来事から不調が持続してしまい、安全が失われるまで進行してしまったのだった。

体調が悪くなったり、体力を失うということは一大事だ。今はそのように考えてしまう。少しでも好調に陰りが出れば、それを鋭く感じ取って抑圧をしてしまう。生身の身体の声は、すぐさま水面下に押し込まれる。

身体を底上げしなければらならいと、強迫的に思ってしまう。それをしなければ、存続が危ぶまれると思うのだ。

 

体重こそは増えなかったけれど、先々月の受診の後は好調を取り戻していた。それによって、前回の受診は快く終えられたのだった。それがあった。一番の落ち込みからは、一段上向いていたのだと思う。回復軌道へと持ち込むことが出来ていたのだった。

辛くなったときに振り返れば、その事が解る、いや、その時も気付いていたのだけれど、後になればより詳細に認識することが出来る。

不調に陥れば、好調時の感触を羨む。それを毎回繰り返している。

また満腹が減っているのだろう。そう思う。直近の日々では、胃袋の早期膨満感が続いている。それを感じるのであれば、まとまった満腹には繋がらない。それが続いてしまえば、段々と身体は先細っていく。不調に傾いている認識を持てず、体重計の示す事実に首をかしげる。これを毎回繰り返している。

食間が長くなりつつある。もっと一食が弾んでいれば、次の食事まで十分耐えられる。空腹時の体力を左右するのは、日頃の栄養状態だ。微妙な感触を覚えるのであれば、満腹の回数が減っているのだろう。そうなってしまえば、胃袋の持久力も落ちてしまう。

最低限の水準を維持するためには、一膳強のご飯と味噌汁一杯、それとおかずをしっかり食べること。それが最低条件だ。それがあってこそ、それなりの生活は生まれる。自分にとってはそうだ。それが今の自分の限度だ。

その水準に落ち着く必要がある。それにさえ達しない日が増えてきている。そうなってしまえば、明らかな栄養失調に陥るだろう。気楽に考えようと意識するばかりに、そういった現実を受け止められない時が多々ある。

調子が良かった時の事が、何だか思い出せない。どのようにして好調を得たのかが解らないのだ。それを忘れてしまう。何故格段に良い塩梅でいられたのか、振り返っても解らない。最近はそのように思うことが多い。つい最近の好調時でさえもそうだ。

時の運でたまたま良くなっていたのか、あるいは何かの意識をしていたのか、そのどちらかなのだろうか。それが釈然としない。はたまた別の要因があったのか、考察が行き届かない。

体調というのは、良くなれば中期的に持続されていく。それが今年の春の辺りだった。

それは気楽でいられたからそうなったのだろう。体調についての安全を得ていて、体調コンプレックスは潜在化されていた。食事を無理して摂ることもなくなり、継続して満腹になることが出来た。

すると胃袋の持久力が上がる。その持久力を得てしまえば、多少の負荷できつくなることはなくなる。少し食べすぎたとしても、許容範囲内に収まることが多くなるのだ。

 

先々月辺りから停滞しているのは、暑くなったことで運動量が減ったことと、体重の低下によるストレスが消えなかったからだ。体調コンプレックスが顕現され続け、無理をしすぎたり、胃袋の持久力を得ることが難しくなっている。

それに加え、直近の不調の引き金は暑さだ。それに伴う不安感によるもの。それまでの余裕がないという意識に反応し、不安がより強まりつつある。

自分はすぐパニックになりやすい。安心安全が損なわれるような状況に触れると、とたんに過敏反応を起こす。自尊心コンプレックスや、体調コンプレックスが働く時がそうだ。対人関係や外的な場面もそう。過去の痛手が蘇るような場面や、不慣れな状況に遭遇する可能性が高い時などは、極度にセンシティブになることがある。

「余裕を持ちたい」とか、「暑さにやられないように」といった思考によって、無理をしすぎてしまう。どうにも足を取られている。

不調が続いたとしても、望みは捨てないことだ。先月の通院は問題がなかったように、いつかは不調のトンネルを抜けるのだ。苦しい時が続いても、いつかは救いがやってくる。自分の欠乏症についてはそうだ。それを意識的に認識すること。そのような教訓は得ているのだ。

たとえ絶望的に思ってしまったとしても、その状態は続かないと思えるようになること。それが大切だ。

身体は常に、生理的な反応を繰り返している。自分にとっては胃袋がそうだ。壊滅的な状態に陥ったとしても、時が経てばいつか良くなる。永遠に苦しむことはないのだ。それは途切れるから今日まで生き延びている。その事実はあるのだ。

不確定な未来を信じること。それを忘れずにいたい。そうやって過ごしている。

つい最近自分が書いたブログに、気付きとなる文章があった。

ある程度意識的に、連続して満腹になることだろうか。そんな気がしてくる。抑圧をしないように、丁寧に意識をして食べる。良いように変動した場合、身体の状態は落ち着くだろう。そこからそれを維持すること。始めは腹八分を意識しながら食べる。そして、そこから余裕が生まれた時には、以前よりも少し多く食べて満腹になる。それは少しで良い。徐々に少しづつ上限を底上げすること。

このやり方が好ましいと思えてきた。振り返ってみれば、ドクターにもこの工夫をアドバイスしてもらっていた。

この文章では、個人的な問題点も把握している。そのなかで、こういった工夫の効果が表れないのは、状態が悪い場合という例外があるからだ。

満腹になった後、一口や二口を食べるということ。それは状態が良い時に行うべきだ。胃の調子が良くない時にそれをすれば、かえって負荷となってしまう。それは無理のしすぎとなる。

そうならないようにする工夫も考えていた。まずは丁寧に満腹になること。それを意識的に持続させていけば、胃の状態も落ち着く。その壁を乗り越えること。そうやって前提を整えた後で、また意識的に満腹になること。無理なく胃袋を伸縮させることだ。そうやってやりくりしていけば、段々と上向いていくのだろう。

 

過去の自分が参考になったりする。振り返れば、同じことを繰り返していると落胆したりするけれど、安堵したりもする。そこから学びを得られたりもする。

未だ全快の日々へは遠いけれど、何とかやっています。まだまだやるべきことは残っている。

半人前です。試行錯誤の日々。

また明日。

 

参考文献: