欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

一喜一憂の倣い 気丈な受容

今日は久しぶりに曇っている。ここ一週間は暑さが厳しかった。雨が降らず、曇ることもなかった。そのなかで、ようやく過ごしやすい温度に変わった。

夕べは雨が降っていた。寝苦しい夜ではなくなり、朝に目覚めるまで途切れずに眠れた。久しぶりに早く起き、余裕のある朝を迎える。身体は新鮮で、気分も悪くなかった。そして朝食も快調だった。これもかなり久しぶりだった。

ちょうど体調と過ごしやすい天候が重なり、久しぶりに散歩へ出掛けた。一面に白く広がる雲によって、強い日差しは届いていなかった。風が強いなかを歩く。図書館の近くまで行き、そこで家へと折り返す。所用時間は十五分程度だった。

特に消耗した感触なく帰宅する。少し身体が火照った程度で、爽快な気分を感じられたほどだった。その後の昼食では、少し状態が良くなったように思えた。

とても良かった。今回はたまたま運が良かった。不運続きで良い要素が見当たらなかったけれど、少しは風向きが変わる時はある。


いつでも常に変化がある。きっとそうだろう。身体もそうだし、心もそうだ。状況は目まぐるしく変わっていく。未来は不確定だと記していたけれど、その通りだろう。少しくらいは良い方に転がる可能性はある。最近は忍耐の日々が続いていた。その我慢が良い変化をもたらしたのだろう。

天気予報も赤色から青色に変わっている。傘マークが続いていて、気温も猛威を感じる数字ではなくなっている。

これからも良い切っ掛けが湧いてくれたら良い。そんなことを思う。来週の通院日は、今日と同じ曜日の日だ。

最近の体調は、良くもあるけれど悪くもある。良いかと訊かれると首を傾げるし、悪いかと訊かれても同じようにするだろう。全体的に振り返れば、多少は食べられるようになっている。それでも、それは以前の80%くらいの量だろう。ただ、その変化はある。少しずつ変化は起こっている。

でも、先月や春頃と比べれば、まだまだの水準だ。ご飯を一膳食べるのがまだきつい。もっと大口で五・六口は食べられないといけないだろう。ご飯一膳をしっかり盛り、味噌汁一杯、おかず一品、それくらいは食べておきたい。個人的な体調の水準はそうだ。それが最低限の水準になる。それを達成すれば、最低限の基礎的な体力は得られる。欠乏を満たすための原資となる。

胃の持久力も何もかも、まだまだだ。そう思う。食事量もそうだし、運動もそうだ。日々の細かな体調の感触も、以前と比べれば数段下がっている。濃淡のなかで下降しているだけで、以前よりも負の領域へはまっている。それは明確だろう。

食事量だって、客観的に見てしまえば病的なものだ。自分の胃袋は、小学生と同じくらいの容量だろう。中学校の給食は食べられないと思う。その量を見たことはないのだけれど、自分の身長は男性の平均値と同じだ。自分は小柄な女性の体重も下回っている。

でも、強くストイックになってはいけない。良いように諦めることだ。意思の持ちようでは限度がある。自分は病的な気があるのだから、尚更そうだ。抗えない流れというものはある。それに立ち向かおうとしても、かえって逆効果になるだけだ。

ある程度は自然の流れに身を任せ、機を窺いながら工夫をすれば良い。負の領域にいる以上、無理をしても仕方がない。ストレスやフラストレーションはあり続ける。すべきことは、それらを根本から取っ払うことだ。それを第一にする必要がある。

それが叶わないのであれば、一喜一憂の変動に倣っていれば良い。憂があるなら喜があるのだ。そうやって時の運に身を委ねるくらいで良い。

そのなかで出来ることをして、また機を窺えば良い。いつか落ち着く時は来る。その時にすべてを始めれば良い。そこからは、その時に考えれば良い。すべては自分次第だ。


そして、命の有無次第でもあるだろう。命さえあれば何でも出来る。それだけで良い。それで良い。生きてさえいれば、理屈の上では可能性が無限にある。不確定な未来を得られるのだ。それさえあれば、いつか何かになるかもしれない。

死は消滅なのだろうけれど、自分は生を望みます。いや、もはや逃れられないのだろうと思える。何年もこの状態が続いている。楽になりたいと願うことはあまたあっても、実際にすべてを終わらせるようなことはしなかった。

かつてそのような気を持っていた否かは、よく覚えていない。何だか思い出せない。そのなかで、延々とこの命が続いている。生を渇望しているのか、未来への希望があるのか、それはわからない。でも、自分は今も生きている。

すべての出来事は、いつかの自分の糧になる。そう思う。既に自分にしか持ち得ない何かに繋がっている。そんな気がしてくる。それはそうなるだろうし、そうするしかないのかもしれない。そう出来るし、そうした方が良いのだろう。いや、これは希望的観測もあるのだろうか。

か細い風前の灯は、まだ灯っている。いつかそれがふっと消えれば、その時が来たのだと思ってもらいたい。念のためにそう記しておこう。それは自分から灯を消したのではなく、それは灯を支える蝋が尽きたのだと思ってほしい。

強い風が吹く時もある。蝋がなくなる時もある。それでも、誰かが灯した灯は、自分から消えることはない。

母が将来のことを口にした。「これからの年金の更新は、あなたが役所の窓口で記入しないといけなくなるね」と。

そういった現実を考えているのだと知ったし、そのことの現実味も感じた。どうやって通おうかと尋ねると、「タクシーでしょ」と言った。

田舎が恨めしい。夏の猛暑と冬の大雪が恨めしい。それに生活圏に公共の足がない。これは本当に困る。現役の世代には問題がなくても、支えられる側の人間は困る。自分はもう、何年もそちら側の人間だ。


十代が終わったのは大きい。自分はもう、大人の扱いをされている。不登校生ではなくなり、モラトリアムの期間も感じられない。病人としての大人だ。取り残され、何年も孤立してしまった大人。そういった不可逆な現実を突きつけられたようだ。

自分は当たり前の体調管理ができない。食事を普通に摂るということが出来ない。その病的な気がある。それは元来の性に加え、それが招いた存続を阻む体験にもよる。過去の痛手による苦しみ。それによって、不可逆なものが生まれてしまった。

快適にいられる刺激の幅、神経の高ぶり、ストレスとフラストレーション、無理のしすぎという抑圧。たくさんの大きなネックがある。それは容易に解消されるものではない。

以前、年金の申請に使う書類について記した。「自分は身体や知能に不自由がある人間と同等なのか」と、そう感じたのだった。

それはほんの少し前のことだけれど、その時の自分は、いつか一般的で普通に生きられると思っていたのだろう。正常な自分の姿を思い描いていた。そして、それに成れると思っていた。

わずかな時間が経ったなかで、その感情が薄まりつつある。自分が思いもしなかった大人になったのは、抱えきれない不自由があるからだ。それが確かにある。それはあまりにも大きく、生活のすべてを左右している。

それでも、何だかこれからの現実の輪郭が見えてきた。感情が揺さぶられるほどではないような、どこかしっくりと腑に落ちるような感触がある。つじつまが合うような、これまでの確かな認識が得られた気がする。正の領域を生きるための、負の要素を理解することが出来た。そんな気がした。

諦めるべきところは諦め、追い求めるべきところは追い求める。それが良い。新しい日々を創るために、やるべきことの輪郭が浮かびつつある。

これから病院へ向けて、より落ち着けば良い。その気持ちはあるけれど、診察がどうなるかを考えても仕方ない。成るように成る。そうなってしまうのだ。抗えない変動や流れはある。そのなかで、まずは深く思い詰めないことだ。

明るくいないといけない。大人であれば、冷静に努めなければならない。

母はこうも言った。「あなたが苦しそうにしていなければ、それだけで良い」と。

無理にでも明るく振る舞えば良い。それくらいが良い。そんな人間なら良いだろう。恥ずかしい思いもせずに済むと思う。それが良い。それで良い。そのくらいの気持ちを意識的に持っていたい。


これから何が待っているだろうか。

また明日。


参考文献: