欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

可能性の探求 成すべきこと

今日も祖母宅へやって来た。快く晴れている。最近では、すっかり朝晩の冷え込みが強くなった。秋の色がだんだんと強くなっている。

日和の方は、まだ春のような心地よさがする。でも、夕方はすっかり短くなった。日が傾いて眩しくなったと思ったら、すぐに日没になる。その後はぐっと冷える。

季節は濃淡の中で進んでいる。空気も澄んできたようで、すすきがきらきらと揺れている。今がちょうど過ごしやすい頃だろう。

ワクチンの接種日までは、あと三晩だ。その予定が影響を与えているのか、体調が落ち着かない。食べられる時はあっても、それが長続きしないこの頃だ。

主に食べすぎの気がある。歩きすぎるとか、作業を詰めすぎたりもするけれど、やはり食事の無理を繰り返す。

少し前のエントリーの時は、かなり調子が良かった。今になればそう思える。その時は、やはり散歩が功を奏していたのだろう。それなりに胃袋が伸縮していた。

 

その頃は良かった。またそうやって振り返っている。右肩上がりで上向いた頃。一日に二回歩いていて、それが奏功していた。

食べすぎや詰めすぎが頻発すると、やがてコンプレックスが発現してくる。不調コンプレックスもそうだし、好調コンプレックスもそうだ。これ以上悪化したくないし、また上昇軌道に乗っていきたい。その二つの気持ちが噛み合うと、神経が高ぶってしまう。

 

そうなれば、泥沼にはまってしまったりする。小さなつまずきがたたり、より大きなつまずきとなっていく。足元がどんどんほつれ、歩みが覚束なくなる。

調子がより傾けば、また更に内的な刺激が強くなる。それがまた神経を高ぶらせる。そうして不安感が強まっていくと、病気は悪化していく。安全の満足が阻害されると、欠乏症は悪化していく。

 

どうしたものだろうか。ワクチン接種という出来事のせいか、中期的な身体のサイクルによるのか、それが解らない。散歩を少し控えているからなのか、自然な流れで安心材料を失ったのか、これも釈然としない。

散歩もしたいけれど、無理をしてすることではない。だとすれば、身体が落ち着くのを待つしかない。

でも、その時がなかなか来ない。どうしたものか。表面的な工夫はしても、かえって逆効果になったりもする。やれることはほとんどない。

ただ、ノイローゼだから仕方のないことはある。そうやって気丈に受容するのが理想だ。それだけでは意味がないかもしれないけれど、そう思っていられたら良い。不安がなくなれば、気楽にいられる。そうなれば、無理をすることもなくなる。

 

使わない臓器や器官、人間性は萎縮していく。そしてそれは、早晩病をもたらす。それが今の自分だ。

でも、盲目的に無理をしたり、過剰に神経が高ぶることはない。かつてはそのようになり、入院を繰り返していた。

ただ、病が癒えることもない。それは心身に栄養が足りないからだろう。基本的欲求の満足と、可能性の開発。ただそれだけが必要だ。

 

ノイローゼは、人格成長の失敗として現れる。そうなれば、たくさんご飯を食べられなくもなる。勉強も出来なくなり、眠れなくなったりもする。

見方を変えてしまえば、ある種病的であるのが普通になる。基本的欲求の欠乏と言う前提があれば、それが一つの自然となる。

健全ではないけれど、深く思い詰めるほどでもない。後は外に出て、刺激を感じれば良いだけのこと。

自分は外胚葉型という体質もある。それによってたくさん食べられない部分も大きい。消化力も弱く、吸収も弱い。ましてや病的なノイローゼであり、肥えない理由はたくさんある。だとすれば、無理をしても仕方ないだろう。

 

そういう思考に行き着くものの、やはり意識を変えられない。何回もこう記していて、それでも未だに変わっていかない。

問題なのは、ノイローゼに陥ること。いや、それを癒すための努力が出来ないのもある。どちらにも向き合わなければならない。

それらの根底にあるものは同じでも、建設的な日々を送れないのが痛い。様々なコンプレックスがあり、無理をしたり、外の世界の刺激を避けてしまう。

 

神経が高ぶる出来事が待っているからなのか、はたまた別の要因があるのか、不調の原因がよく解らない。来月の通院日はどうなっているのだろう。

またその日にかけてつまずくのか、あるいは復調するのか。それとも気持ちよく帰路に着くのか、溜め息をついてしまうのか。

かつての小学校時代や、図書館学級時代に近い過ごし方をするべきだ。可能性を開花させ、本性を覆うものを取っ払わなければならない。それらが腐敗してしまえば、早晩病に見舞われる。

基本欲求を満たし、土台を整えること。愛、肯定、所属、尊厳、それらを得られる場所に身を置くこと。そうすれば病は癒える。マイナスがゼロになる。負の領域を抜け、ようやく事を始められる。人生が始まる。

後は積極的な健康を維持すること。正の領域を生きることだ。そのためにすることは、能力を開発すること。それをし、天職を見つけること。

 

マズローの簡潔な言葉を引用してみよう。

新しい心理学は、健康と病気についての哲学をもっている。私は何が言いたいのだろうか。つまり、病気は、人間の可能性を否定することから生じるということなのだ。良い人生は、この可能性の探求であり、それが豊かにしてくれる暮らしを日々送っていくということである。

マスローの人間論 未来に贈る人間主義心理学者のエッセイ  155P

基本欲求を粗方満たし、成すべき仕事に献身すること。それしかない。それ以外には何もない。それはどんな病理や悪行にも言えることだろう。とにかく満足し、成すべきことをしていれば良い。人はそれ以外に何を求める。

 ―

隠された本性に光を与えること。その土台と骨組みを整える。それらの中心に幸福がある。

病理も大体が解っている。後はエネルギーを注入すれば良いだけだ。

嗚呼、それがどうにも難しい。

 

また明日。

 

参考文献: