欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

恥と不出来と齟齬 見えない果て

今日は自宅に居る。午前に病院へ行ってきた。通院日でも午後には祖母宅へ行っていたけれど、今日は行っていない。行かないのはワクチンの接種後以来だ。

それ以外では初めてか。悲しいものだ。これ程までに自分は報われないのかと思った。ある漫画の登場人物がそう思っていて、自分もそれを浮かべて思った。何がこの状況を生んだのか、何だかもうよく解らない。

過去によるコンプレックスか、あるいは純な自我による意識か?自責をすれば良い?それとも他責?あるいは賢明に前を向く?それで報われる?その果てまで生きている?

夕べの食事は良好だった。ただ、それが悪くなかったために、寝る前にスポーツドリンクを飲み、アイスクリームも一口を食べてしまった。それが悪く働いてしまった。

夕食は文字通り夕方に摂っていたし、翌朝までの時間が空きすぎていた。その影響を考慮していた。夕食後の状態も悪くなかったし、色々なことを勘案して、少し物を摂る判断をした。

でも、それが悪影響を与えたのだろう。翌朝である今朝はよく食べられなかった。胃がほとんど動いていなかった。負債と呼べるもので、ほとんど食べられなかった。低栄養の状態で家を発った。

 

診察では、まず最近の過ごし方を尋ねられる。

「調子の良い時は散歩をしたり、本を読んでいます」

と言った。それは事実でもあり、少し事実ではない。含みを持たせて言った。

今になって思えば、そう言ってしまった。正直になりたいと思っていたのに、正直に言えなかった。直近で大きくつまずいているのに。

すると、ドクターが少し前のめりにこう切り出した。

「歩けてもいるし、寝込んでもいないのであれば、人の居る所へ出て慣らしていった方が良いですね」

そう言いながら、まとめてあった資料を持ち、公的な居場所について説明をされた。少し長くドクターが話した。

 

直近では歩けていないし、寝込みに近いような時もある。それなのに、大々的な情報共有の齟齬が起きてしまった。それに打ちのめされながら、怖くなりながら説明を聞く。ここ数ヵ月で数kgは体重が落ちているのに、こんな話が出てきてしまった。

そこで何とか話を打ち消そうとし、社交不安についてのネックを伝える。

「居場所へ行くよりも、まずは身近な親しい関係を築きたい。フリースクールでは失敗をしたことがあります」

そう伝えるも、そのネックを解消するために通えば良いと言われる。それもそうか。ドクターとしては、社会的な処方箋を出すことに意義がある。体調は良いのだし、こもっていても仕方がない。そう確認したのだから。

 

診察が終わると、看護師や相談員からも居場所の説明があった。母は直近の自分の状態を知っているのに、建設的な日々のための話が出てきたことに驚いていた。診察は自分一人でドクターに向かうため、母はどんな話があったかを知らない。最近の診察のことは一人で抱えているので、詳しく話をしていない。いや、話せない。

母親は、相談員へ最近の事情を話す。傍らの自分は元気もないし、意気消沈していた。会話を母親にしてもらおうと思っていた。

「ここまで来るのにも大変で、今は体調が落ち着くのを第一にしたいと思っています」

そう母が言うと、相談員は驚いていた。自分の目を見て体調を尋ねてくれたけれど、自分は言葉が出ない。頭が回らないし、診察の結果や成り行きに動揺していた。唸るだけで会話が出来ず、相談員は心配していた。

 

診察まで少し時間がかかったのもあり、いつも通りに店に寄って帰る体力がなかった。母に寄れないことを言おうかと思ったけれど、不調を悟られそうで嫌だった。少し経って母から尋ねられたので、家に直帰してくれと言った。

 

ドクターは、自分が自分のことを自分で管理できていると思っている。以前に「セルフケアでやっていきます」というようなことを言った時があった。初診の時だ。

鞍替え前の病院時代であれば、こうはならなかったのだろう。でも、厳重に体調を管理されていた。それが怖い。それが嫌だった。それで自尊心を傷つけられたため、ドクターに不調を告げるのが未だに怖い。自尊心にまつわる病院コンプレックスがある。それが尾を引いている。

相談員の方がドクターに話を通してくれたら良い。そうして次の診察でドクターから切り出してほしい。カンファレンスというものがあるだろうか。それで共有がなされてほしい。そうなっていれば、その方を神のように思うだろう。

帰りの道中は辛かった。晩秋の秋晴れが爽やかなのに、何も慈しめなかった。心が憂鬱で、何にも感動できなかった。身体も辛いし、恥があった。この歳になってもこんな稚拙なことをしてしまうのか、と。それに打ちのめされ、一連の流れを不出来に思った。軽快な車内のラジオが虚しく聞こえた。

またこんな気持ちになるのかと思っていた。こんな恥や不出来は、鞍替え前の病院時代で終わったと思っていた。それをまたも繰り返してしまう。言葉にならない。母の心理は、呆れが心配を上回っているような気がした。

 

母との雰囲気も悪い。通院日の前日の不調の際、「薬ではどうにもならないのだから、『ドクターに相談を』とか、『薬をもらえ』とかの連呼を止めてくれ」と言っていた。

それは穏やかな会話でもあったけれど、少し遺恨が残っただろう。自分が不調の際、それを母に告げるとそう言われ続けた。それが苦痛だった。どうしようもない心配と、ケアに対する無知。

 

薬ではどうにもならない。それがあるならとっくに治っている。ノイローゼに付ける薬はない。あるなら優しい包容くらいだ。本質的には、友達と集まりと尊厳を与えてくれ。胃袋に疾患はないし、欠乏症は対人関係で治療しなければならない。

治すとしても一時的なもの。時間をかけて状態を治め、食欲を徐々に取り戻すしかない。水分が摂れなくなれば、入院して静脈注射をする。それをしながら状態を治していく。

口から水分を摂れる場合、何もすることはない。それを摂り続け、胃の状態が良くなるのを待つこと。時間の経過を待ち、少しずつ物を摂っていく。

それしかないのだ。それを母に知ってもらいたかった。すると、雰囲気が少し悪くなった。

どうしてここまで陥るのだろう。分からない。分からない。何かの大きな才能があるからか?その代償を背負わされているのか?だとすれば、その事を誰かに証明してほしい。そうだと告げてほしい。

 

次の診察では、曖昧な事実を含ませては駄目だ。それでは伝わらない。言わなければ伝わらない。事実を伝え、病院コンプレックスを伝えるしかない。責められることはないだろう。こちらが責めなければ良い。

「居場所に向かうのは難しい。それは体力がないからです」

そう言えたら良い。そうするしかない。太るためのフィードバックと、死の淵はどこにあるのかということ。

 

また明日。

 

参考書籍: