欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

最低限の有り難み 目の前の課題と理知

祖母宅に居る。2日振りにやって来た。体調が少しずつ上向いている。ここから落ち着いていきたい。まずは自我の制御を強くし、無理をなくして満腹になっていきたい。

大食はしなくても良い。内的に費やせたり、気を遣れるくらいなら良いのだ。新聞を読んだりして、問題なく朝のルーティーンをこなしたりする。インターネットを見たり、本を読む。そこから余裕があれば散歩に出たりする。それだけで良い。それが出来れば磐石なのだ。きっと死ぬことはないだろう。

何も得られなくても良い。その状態まで達したのなら、もう得ている。月並みな体力を追い求めなくても良い。それは難しいのだ。そのような人生を送るのは容易ではない。ある程度は不自由を抱えているのだと自認すること。それが必要だ。今はそれが強くある。

完璧主義でいてしまうのが元凶だ。最低限の日常を送れたら良い。それに喜びを感じること。その喜びを有り難がること。

夕べの食事は食べすぎておらず、それで寝るまでに間食を摂れた。やはり、無理のなさが調子を保ち、維持もしていく。それが大切だ。胃に疾患はないのだし、時が経てば何とかなる。それは無理をしなければよりそうだ。無理さえしなければ、ノイローゼなりの調子を保てる。

気を遣れるくらいであれば良い。女性の栄養失調では、生理が来なくなることが危険を表す。それが深刻さの指標だ。男でも似た要素がある。そんなことに興じられているうちが花。それが健康の鏡となる。

 

ただ、朝食は少し少なめで、昼も同じくらいだった。まだ胃には強度がない。早期膨満感よりも、胃の強さがなかった感じがした。よく食べると危なそうな感じだった。胃があまり動いていない。まだ安静にしておく必要があるのだろう。

昔は公園の展望台へ上がったり、1km先の店まで歩いたときがあった。これはノイローゼなりの最高水準だっただろう。

そんな日々がまた得られたら良い。それさえあれば、公的な居場所にも出ていける。

 

このままの生活を続ければ、このままの日々が続いていく。気が付けば三十路にもなり、不可逆になって取り戻せないものが多くなる。

それを回避するためには、不自由を起点に社会へ出ていく必要がある。その選択をするべき時はやってくる。

でも、今の日々でそれを目指す必要はない。その段階の強度があれば何でも出来る。でも、それは簡単には得られない。得られない時に頑張っても仕方ない。その頑張りは、完璧主義の一部にある。

今は着実に過ごすことが大切だ。内的に費やせたり、散歩をしたり気を遣れたら良い。その程度まで水準が上がり、日常生活に支障がなければ問題はなくなる。そこから少しずつ積み上げていけば良い。話はそこからなのだ。

そこに到達していないのであれば、目の前のことを着実にこなすしかない。理知的に対応し、完璧主義に陥らないこと。それが大切だ。

明けてまた記している。連日雨が続いているけれど、午後になって辺りが明るくなってきた。薄いもやが立ち込めていて、雲間からは白く強い光が差している。

晴れると少し辛くなる。気分は明るくなるけれど、外を歩く体力はない。それがあり、もうしばらくは雨が続いていてほしいと思う。

 

調子は落ち着いている。後はそれを維持し、腹を空かせて快く満腹になること。そしてその回数を増やしていく。それが胃の持久力に繋がり、安定的な食事の摂取にも繋がる。

まだ明確に好調という訳ではない。微妙に食べすぎや飲みすぎがある。すっきりと食欲が湧いてはいない。

昨日の昼食後の間食では、乳製品を飲んだことが誤りだった。まだ胃袋の持久力は付いていなかったし、昼食も最良の摂り方ではなかったのだった。

徐々に胃袋を底上げしていく必要はあって、そのための選択をすることは大切だ。ただ、その時それぞれの状態では、好ましくない判断があったりする。状態を上向かせたいという気持ちにより、そのような選択をしてしまうことが多い。その覚束なさがある。

でも、それは仕方ないだろう。そこまでの影響はなかった。夕食はもっと食べたかったところだけれど、風呂から上がると状態は良くなっていた。それでスポーツドリンクとアイスクリームを胃に収める。そういった栄養補給が出来、安心して眠りに就くことが出来た。

 

翌朝の胃の負債はあまりなかった。状態は最良でなくても、ノイローゼとして見れば許容範囲内だった。それなりにも食べられたし、十分な結果だった。

その後は体力の不安を感じず、ためらわずに内的な作業が出来た。

ただ、それが終わった後に脱力感があった。調子が良ければ散歩へ出ていた時間だったため、現在の状態を思っていた。

腹回りの肉は戻っていないし、まだ飢餓感がある。十分な満腹には遠い。もう少しは胃の強度を上げたい。食事の平均量を底上げすること。

 

でも、その意識を強く持ってはいけない。完璧主義の罠にはまってしまう。

だとすれば、理知的に目の前の食事に取り組めば良い。目の前の食事だけを考えること。無理をせず、連続して食べていくことを意識する。

体力は少しずつ付いている。これで良い。その有り難みを感じること。もっと上を追求しなくても良い。安心して良い。

 

可能ならば、優しいマドンナにでも抱擁してほしい。ギフティッドは繊細なため、その感触を得られると様々なことを感じるそう。人と繋がっているという実感だ。

その安心感があれば、全ては治癒されるのだろう。そんな人が居たのなら、こんな状態にはなっていないのだろうけれど。

母との雰囲気は元に戻った。何も問題なくコミュニケーションを取っている。

未だに前回の診察について語っていないけれど、それは自分で何とかしようか。次の診察で片付ければ良い。自分は一人の大人として診察を受けている。

ただ、親と情報を共有するくらいはあっても良いけれど。

 

次で必ず軌道修正する。それを強く思おう。

 

また明日。

 

参考書籍: