欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

完璧主義の残滓 真の脱却

今日も祖母宅に居る。雨が降ったり止んだりしている。今は止んでいて、辺りが少し明るくなった。

昼下がりだ。内的な作業は終わった。読書にそれなりに費やした。午前と午後に2回読む。まとまった時間を読んでいたと思う。以前の調子を思い出した。その時と同じくらいの体力が付き始めただろうか。そうであったら良い。頭の体力からだんだんと積み上がっている。

 

ギフテッドの誤診についての著作を読み終えた。その色々な特性や特徴が記されていて、自分と重なる部分が色々とあった。類似している部分もあれば、今の状況と重なる例も見つけた。少なくない知見を得られた思う。

自分も少しギフテッドの気があるのかもしれない。突出した知能はないだろうけれど、繊細さや激しさ、完璧主義や生理的な反応などは似通っていた。センシティブさも特質であるだろうし、重なる性質は多いと思う。それは別のギフテッドの著作で考えていきたいところ。

食事は十分摂れているだろう。夕べは直近で一番よく食べられた。胃がすっきりとしていれば、もっと食べられたと思う。あれくらいを食べられていれば、より状態は安定していくと思う。

このままの状態を安定させたい。そしてほんの少し体重を底上げしたい。その最低限の水準は維持したいところだ。そのたっての希望がある。

それが叶ったとすれば、安心に繋がる。欠乏症において、安全の満足があれば悪化はしない。無理をしてしまうことが少なくなるはずだ。より胃袋の強度も増していくだろう。その安定圏に入りたい。

 

少しずつ上向いている気はするけれど、まだまだだ。散歩へ出られるような気はしない。それはこれからだろう。内的に費やしてみても、少し疲労感はあった。それが正直なところだ。朝昼と本を読むと、少し頭が疲れた。すぐに日記を書いたりは出来たものの、強度はまだない。

 

ここまで記していると、どうにも完璧主義の気配を感じる。それは何回でも認識しておきたい。夕べの食事を見れば、十分な回復はある。胃の負債もないのだし、無理さえしなければ良い。調子を落としさえしなければ、やがて平均は上向いていく。

その事を考えた方が良い。一食で大食しようとせず、中期的によく食べること。それが大切だ。無理をしてしまうから元気がなくなるのだ。

 

数ヵ月前のブログを読んでみたところ、食べられないと記していたのに出来は良かった。筆致は確かで頑丈であり、文章量も多かった。食べられていない割には十分な体力があったと思う。

それで良いと思った。その時に戻れば良い。不自由を抱えつつ、それなりの状態を維持すること。極端に悪くならなければ良い。内的に費やせさえすれば良い。それが出来るというのは、十分な体力があることを示している。それを有り難く思う必要がある。完璧主義になりすぎてはいけない。

明けてまた祖母宅にやって来た。午後になって晴れている。朝晩は冬の冷え込みがあるけれど、日が出てくるとまだ暖かくなる。それを感じた。

眩しい日光を浴びた時、久しぶりだ感じた。雨が続いていたのもあったけれど、単純に籠る日が続いていた。日光を浴びるのが久しぶりだった。

部屋に光が差して明るくなった時、ふと気持ちが軽くなっていた。外へ出ようかと思えて、僅かにそんな気持ちになっていた。でも、また便通があって気持ちは消えた。日も陰ったこともあり、行かなくて済んでいる。

そう好都合に思ってしまうのがやるせない。早く元通りの生活をしたい。散歩へ出られ、内的に費やせられ、肉体の存続の危機がない日々。そんな日を早く迎えたい。そして居場所へ出ていきたい。それを思っている。そうしなければ、人生が変わることなどない。

 

夕べの食事では、ほんの少し無理をしてしまっていた。状態はそれなりに良く、たくさん食べたいと思えたものの、そこには義務が混ざっていた。一食になるべく詰めようとしていた。その気があった。

これが完璧主義だ。早く好調に弾みをつけたいという呪縛。腹九分目の意識もあったと思うけれど、コンプレックスの断片があった。

寝る前の時点で反省をしていた。入浴後にスポーツドリンクを飲むと、嫌な感じで腹に溜まった。腹の底に滞留し、すぐに消えていかない。消え始めたと感じても、げっぷは爽快に出ない。胃の動きが止まってしまう。寝る前にもう一度飲んでみても、更に嫌な状態になってしまった。

 

これは完全なる無理のしすぎだった。それがなければアイスクリームでも食べられ、心地よく眠りにも就けた。そして翌朝の状態も良かったのだろう。何事もなく食べられただろうし、それなりに力は満ちる。ほんの数口を食べていなければだ。

翌朝の状態は良くなく、夕べの負債だと分かる状態だった。やはりたくさん食べられず、力が満ちなかった。無理をすれば大変なことになると解っていたため、少し食べてすぐ止めにした。

それで状態はフラットになったものの、ただ負債を返し終わっただけだ。理想を言えば、前日にアイスを食べられたかもしれないし、朝食もよく食べられていただろう。その事を思うと堪らなくなる。でも、このマイナスを受け入れるしかない。それが一番後々の負荷を減らす。

そこから力は満ちなかったものの、すぐに腹は空いた。これがある。これを理解していたのは大きい。すぐに空きすぎてしまうのだけれど、スポードリンクで腹を収めつつ、早めに食事を摂った。これで元通りにはなる。

 

どうにも恨めしい身体だ。胃袋の許容範囲が狭く、すぐに負荷が祟る。少しでも満腹になるといけない。大概は無理のしすぎの範囲に入ってしまう。

ほとんど胃はすっきりしていないし、食欲も湧いていない。胃に多少の負荷があるのが常だ。そこで少しでも頑張ってしまえば、その分が次の食事で差し引かれる。

 

まだ散歩へ出られる程の力はない。食事の摂取がいまいち安定しない。どこかで調子が鈍ってしまう。

それは無理をしてしまうからだろう。無理をしなければ身体は整う。その事実はあると思う。

 

何もしていないのに無理をしてしまう。いや、何もしていないから無理をするのだろうか。今の日々でどうすれば状態が安定するのだろう。一喜一憂に倣っていれば良いのだろうか。でも、それが真に出来ないから困っている。

やはり行き着くのは、ノイローゼから本質的に脱却しなければならないということ。でも、それは今の日々では叶わない。だとすれば、どうすれば良い?時が経てば何とかなる?それしか浮かばない。それしかない。時に流されるしかないのか。これも流されていけるなら良いのだけれど。

いつになれば報われるのだろう。それは来ないのだろうか。それとも、自分の力で手繰る必要があるのか。

ああ、自分がいつまで持つのかを知りたい。いつどこに果てがあるのだろう。

幸運を祈る。

 

参考書籍: