欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

目の前の目標 現況での限度

今日も祖母宅に居る。列島には低気圧が近付いていて、この辺りも荒天の予報がされている。ただ、そこまでは荒れていない。祖母宅へ来るのには支障がなかった。

予報にも雪だるまのマークが載るようになった。まもなく初雪が降るのだろう。遠くの山並みは黒っぽくなっている。紅葉もすっかり落ちてしまい、厳しい冬に向かっている。晩秋の候。

 

この歩けないような天候を幸運と思ってしまっている。そこまで調子を崩してはいないものの、少しペースが鈍っている。それが続いてしまっていて、僅かに食事量が傾いた。

それを夕べの計測で知らされた。体重が減るのは、明らかな理由があるから。理知的に捉え直すと、その理由が判る。

 

小さな無理が祟っている。それを認識しているのに、どうしても改善することが出来ない。理知は食事を前にして吹き飛ぶ。一食一食を大切にしようと思っていても、それはあっという間に崩れ去る。

ノイローゼの身体では、食欲不振が常になる。胃の状態は常に良い訳ではない。それに加え、小さな無理をしてしまうと更に悪くなっていく。胃袋の強度は得られず、些細な限度超えをすると調子が悪くなってしまう。

ただ、例外はある。やはり無理さえしなければ良い。それがあれば、たくさん食べられはしないものの、ある程度は食べられる。その状態を維持することが大切だ。ノイローゼに見舞われていても、食事量のある程度の底上げは可能だ。

それが可能になれば、ある程度は体重が上向くだろう。多少はたくさん食べられるし、体力も付いて活動できようになる。

 

無理さえ取っ払えたら良い。それも胃の持久力が付くまでだ。そこまで達すれば、多少の無理に耐えることが出来る。少しの無理であるのなら、それが頻発しても影響が少なくなる。生存に欠かせない補給は維持できるし、すぐにまた食べられるようになる。そうなれば、総合的には右肩上がりで推移するだろう。

それがないのが今の日々だ。安全の満足が得られず、それを得ようとして無理を重ねてしまう。これがほんの少しの間なくなれば、体重は上向いていくはず。そうなれば、胃に持久力が付く。そこまでの壁を越えていきたい。

今の体重の推移が示すのは、胃に持久力がないということ。本当の最低限の補給は出来ているものの、安全圏に入ってはいない。それなりの体力や余裕を持つことは、コンプレックスによる意思でなくても重要だ。病的な状態にあるのは好ましくない。

 

理知では解っているものの、心身を保とうとするエネルギーは強い。コンプレックスも強く発現していて、どうしてもたくさん食べておきたいと思ってしまう。

これも捉え直しによる弊害なのか。それが鮮明に練り上げられるほど、コンプレックスの発現具合が増していると思う。

でも、どうすれば良い?これも欠かせない過程なのか?魂の成熟には欠かせないものか?

分からない。このまま好転せずに朽ちるのかもしれない。その怖さがどこかにある。だから何とか生の地に立とうとしている。死の淵を這い上がりきれない。このまま力尽きてしまうのだろうか。

 

胃の持久力を付けるには、最低でも一週間程度、長くて二週間くらいは完璧な理知のケアをしたい。無理をせず、着実に食べていく。そして胃に力が付けば、ある程度はたくさん食べられる。身体を上向かせるための下地は整うだろう。そして安心することが出来る。

その暁を迎え、安全の満足を得たい。欠乏症を悪化させないためには、安全の満足を得ること。それが得られたら、だんだんと意欲も湧いてくるのだろう。暇を思うようになり、活動もしたくなる。自立するためにはどうすれば良いかも考えられる。

それらを思えるのは、最低限の体力があるから。それを最近になって理解した。今は生存における最低限の体力しかない。まともに生きていくとすれば、これよりも一段か二段は底上げしていきたい。

 

無理を重ねれば、食欲は湧かない。食事量も太るまでにはならない。自然とたくさん食べられるようになった時、これが普通かと思うようになる。すっきりしている時にちょうどよく食べてこそ、腹は自然とよく膨らむ。それが持続されたら、胃の持久力はより付いていく。

ご飯一膳を盛り盛りにする必要はなくても、並みの一膳を食べるだけで苦しくなってはいけない。そこからは脱する必要がある。

 

数日前に歩いた時は、少し長く歩くことが出来た。今の食事量であっても、強く悲観することはない。それは並みの量とは離れていても、個人的にはそれなりの量になっているはずだ。自分の身体では、飢餓状態における生理状態になっているだろう。そこまで消耗している訳ではない。

そう考えれば、一膳をたくさん食べられなくても良い。そのために気張る必要はない。それなりで良いのだ。それで歩いたりも出来るし、その時を享受していれば良い。完璧主義はいけない。

 

並みの一膳を盛り、味噌汁を一杯分、そしておかずは一品だけは摂る。その水準で良いのだと思う。それで体力はそれなりに満ちる。

それで安心感が強まれば、そこから考えれば良い。コンプレックスが弱まっているのなら、可能な範囲でより食べていけばよい。精神状態に呼応させること。体力を欠乏欲求の満足のための原資にすれば、それを満たせるようになるかもしれない。その時を迎えられたのなら、本質的に食べられるようになるのだろう。ステップは段階的にある。

今すべきことは、着実に積み上げていくことだ。大きな目標を持つには早い。可能な範囲で限度を底上げしていくこと。焦ってはならないのだ。

言い聞かせるように記していく。何とか状態を整えたい。通院日まで時間がある今はそうだ。

 

また明日。

 

参考書籍: