欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

稚拙な一喜一憂 完璧な理知のケア

今日は自宅の二階に居る。祖母宅の二階は暖まらないし、癖のある祖母とやり取りをするのに嫌気が差した。後者は夏からやり過ごしてきたけれど、直近で不快感を看過できなくなった。それは何故だろう。体調によるものだろうか。そうでなければ良い。

こちらで過ごせば、丸一日家に居ることになる。そう考えると、あちらに行くだけでも良いのか。母は自分の過ごし方が分かるだろうし、こもっていると感じられたくない。それは祖母宅に行っていても変わらない事実だけれど、何だか嫌だ。

終日家に居てばかりで、月に一度しか出掛けていない。それは通院日のみだ。どこかへ出掛けるということは、久しくない。全くない。その話は家族からあれど、自分が半ば打ち消している。これも慢性的な調子を表しているのだろう。冷蔵庫の食材は減らないし、気を遣ることも減った。歩けなく、出歩けない。

昨日の昼に便通があり、少し脱力をした。その後の夕食前では、胃の状態が良くなかった。まともな間食と、一口のスポーツドリンクのせいだと思う。そんな些細な量に影響を受けてしまう。胃の持久力は付いていなかった。

問題は朝食だった。それまでの日々で最良の調子が続いていたため、無意識に水準を維持しようとしてしまった。理知のケアが届かなかった。

それもほんの数口だったのに、次の昼食は明らかに食べられない。そこで食べすぎることはなかったものの、前述の便通に繋がってしまう。

夕食で食べられる量は少なくなっていた。それに感づいていたものの、少なくなる摂取量を許容できなかった。最低限度の食事量を下回りたくなかった。これもまた数口を食べすぎてしまう。

 

そして入浴前に体重を計測すると、最近で一番痩せていた。大台割りから更に1キログラム痩せる手前だった。腹の肉が一晩ですっかり削げていた。それは便だったのだろうか。一度に数百グラムの減少にショックを受けた。

流石に何かが起こるかもしれない。その深刻さがある。それを母に少し伝えようかと思ったけれど、何も得られなさそうでやめた。そして不安でたまらなくなる。

更に悪夢は続き、翌朝までの補給としてアイスクリームを食べてしまう。夕食で無理をしていたのに、それに追い討ちをかけてしまった。完全な失敗で、それは食べた瞬間にも分かった。そして案の定、翌朝は少ししか食べられなかった。

 

そこで無理をしなかったため、昼食は少し回復する。そこから落ち着いて今に至る。でも、また間食のアイスを食べすぎたかもしれない。母の言葉に影響を受けた。人のせいにはしたくないけれど、それに足を取られた。

祖母宅でも同じように食べているのかと訊かれ、うんと答える。それは好調を示そうとしたものでもあったため、その手前で少ない間食を摂るのがためらわれた。アイスを食べようと手に取った時、その話をしたのだった。一口分は食べない方が良かったのだろう。それを戻すことが出来なかった。

全く状態が上向かない。急転直下で低空飛行になった。これも最近の状態を表しているのだろう。以前も食べすぎることなんてたくさんあった。でも、それが状態を傾けるまでにはならなかった。

何故あの頃は良かったのだろう。調子が長く悪い時はあるのか?この水準で?これくらい長期で?そう思えたとしても、それで果てたらどうなる?解らない。解らない。ここから生き長らえることが出来るのか。それも解らない。

 

次の診察まで一週間だ。完璧な理知のケアをし続けようと思ったのに、こうなってしまう。今の自分はこうだ。こうなのです。そう思っていてほしい。誰かがどこかで覗いているのなら、そう思って下さい。

トラウマによるコンプレックスのダメージを抱え続け、それと格闘してもがく日々。いつ事切れるか解らず、稚拙に一喜一憂を繰り返すのみ。大きな不自由を抱え、それを認めて生きていくしかない。月並みな人生は遠く、病を介して生きていくしかない。

 

抱えている状態が真に重いのならば、専門家に介入されるべきなのだろう。今の状態がそうなのかもしれない。それくらいなのかもしれない。

でも、その人達が必ず救ってくれるとも限らない。出来ることとしても、輸液を注射するくらいなのだ。

状態によれど、人のことは他の人には解らない。人の抱えていることなど、何も解らない。並みの内省能力では解らないし、到底伝えられもしない。

よかったら、今までのエントリーを見てほしい。好都合だ。嗚呼、リライトをすべきだったな。それをまとめて世に解き放ってでもみたかった。

このまま長くもがき続け、それと抱き合わせて朽ち果てるのか。それとも諦めず目線を上げ、突破口に辿り着くのか。その両極端のどちらしかあり得ない。その中間で生きることなど許されない。自分は人とは違う。

解らない。何も解らない。こうやって記せるなら良い方なのかもしれない。それもよく分からない。

言えるのは、後者の気持ちで今まで生き続けたものの、前者のような見えない淵に引きずり込まれ続けている。それが常だ。そのうち良くなったりするものの、それがまたやって来るかなど分からない。

 

また明日。

 

参考書籍:

これから読みたい書籍: