欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

運動の効用 無理とセルフ・ネグレクト

今日は晴れている。でも、これから雨雲が流れてくるよう。それで荒れるようだ。せっかく歩いたけれど、明日は歩けないのだろう。

残念だ。毎日少しでも歩いた方が良い。いや、歩かなければならない。そう思った。「身体は動けば動くほど楽になる」と、アーロン博士の言葉を信じて外へ出た。

 

午前と午後で二回歩いた。それくらいの力が青空によって湧いた。心も晴れる日和に誘われた。

今は消耗していない。でも、帰宅した直後は胸がどくどくした。それは収まったから良いだろう。寝込むほどの状態にはならなかった。

これが調子に良く働いたと思う。朝食を食べすぎたのか、昼の状態は良くならないだろうと思っていた。でも、歩いたことで少し楽になった。よく食べられた。そう感じられた。状態が少し和らぎ、以前と同じくらい食べられた。

 

夕べもそれなりに食べた。まともな量ではなかったかもしれないけれど、少しは回復を感じられた。まだ回復途上にあるのだろう。そこから翌朝を良い状態で迎えられたし、良い摂り方はしていたと思う。

目覚めて胸が苦しくもなく、少し元気な感じがした。身体が戻ってきたと思った。朝食もいつも通り食べられ、便通も良い。朝のルーティーンの後には作業が出来、本をまともに読めた。そこで辛くならず、散歩にも出られる。

ここから安全圏に入っていきたい。気楽に過ごし、体力を余らせたい。欠乏を満たすための原資を得たい。

 

不自由も抱えているのだし、気楽に生きれば良い。好きに食べて、寝て、エネルギーが満ちたら外へ出る。インターネットの時間、作業、散歩、あるいは居場所へ出ること、それらをしていくには何の束縛もない。ハンディインカムすら得られるのかもしれない。だから、セルフ・ネグレクトなんかせず、のうのうと生きていけたら良い。

無理のしすぎもそれに当たるのだろうか。そうなるのか。でも、本人に全ての責めがある訳ではない。何らかの理由によって支障を抱えているのだ。

ただのうのうといられたら、エネルギーは満ちるだろう。それを発散していったら良い。それだけだ。春頃はそうなっていたと思う。安全の満足があり、高次欲求が湧いていた。それを発散していくような日々だった。

これからもそうなれば良い。思い付く切っ掛けとなるものは、歩くこと、正直に診察をすること。心の澱をなくし、ストレスを軽減させること。それによって変えていきたい。

 

また明日。

 

参考書籍: