欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

不可避の経験 個人と医学と通念

自宅に居る。通院の行程を終え、晴れていた辺りはうっすら暗くなっている。夕方に向かう午後の時刻。

診察についての日記を書こうかと思っていたら、年金事務所から郵便が届いた。母からそれを知らされ、やけに薄い封筒を開ける。書類が数枚入っているようだった。それについて確認せず、触れていた一枚を広げて内容を見た。

障害年金不支給の通知だった。もう一枚には、その理由が記されていた。

 

今はそのことしか頭にない。今日の診察が重く済まなくて良かった。良いこともあれば悪いこともある。辛いことがたて続かなかったのは僥倖だった。

これ以上難儀なことをしなくて済めば良い。どうなるのだろう。

夕べはよく眠れた方で、今朝はいつもより早く目覚めた。すぐに起きる体勢が整って、食前の漢方を飲んだ。

胃の負債はほとんど感じなかった。それなりに食べられそうな感じがして、実際にそれなりに食べられた。ただ、少し早期膨満感はあって、最後の数口を食べるのをためらったけれど、少し休憩すると食べられそうになった。今度は躊躇なくそれを食べた。それを食べても苦しさはなかった。

家を出発するまで新聞を読んだり、ブログ記事を推敲したりする。その体力があったし、緊張もなかった。先月から比べると、大分調子は上向いたと思う。いま振り返るとそう思える。

病院へ向かう際の道中では、ほとんど吐気を催さなかった。それは胃が楽だったからだろう。社交不安を増幅させるのは、胃の不調の感覚がある時。もしもそれがある場合、社交における不調コンプレックスが発現される。苦しくて空えずきしてしまった過去が蘇る。

 

待合室で少し待つと、診察に呼ばれる。冒頭の調子についての質問に対して、自分は「良くもあり、悪くもあります」というニュアンスで伝えた。それが結果的には良い方へ転がったと思う。ドクターは、「先月からきつい時があったのか」と尋ねてくる。冒頭から心配そうな雰囲気だったため、相談員の方が報告をしてくれたのかもしれない。それは少し思った。

「最近は良いけれど、食べすぎる時があります」と伝える。そこから胃の状態を共有することになった。色々と伝えていくと、問題は胃の動きにあるということだった。改めてそれを確認する。

その胃の動きについての薬は飲んでいて、ドクターはそれでコントロールはされていないのかと悩まれていた。そこで自分は、「無理をしなければ良くなります」と伝えた。その辺りはセルフフィードバックで解っている。

その詳細については割愛、というか話せなかったけれど、以前に服用していた消化薬を飲むことになった。それを頓服のような形で用いるとのこと。

 

ドクターから先月の診察についての話もあった。「居場所についてのプレッシャーを与えてしまった」と言われる。そこでおぼろ気に頷いてしまったかもしれないけれど、気持ちとしては首を横に振っていた。そもそも自分の稚拙さに非があるし、もっと早く対処は出来ていた。今になって振り返ると、こちらの方が申し訳なく思うべきだったろう。

 

もっと正直に伝えていれば良かった。それを単純に思った。そうしていれば、ここまで問題は長引かなかっただろう。自分の至らなさを思った。

話すべき内容を考えていたり、それを話すことの結果を想像していたけれど、そのようにはならなかった。それはドクターの性格なのか、患者を捌くことがあるからなのかは分からない。あるいは、やはり相談員の方の報告があったかもしれない。

いずれにせよ、こういった理知の認識があれば良かった。ドクターに酷く詰められるようなことはない。それがあれば、冷静な対応が出来ていたのだろう。

でも、数か月前にそれはなかった。そのため、コンプレックスによる意識に縛られていた。不調によって味わった苦痛を再現させまいと、傾いた体調を伝えられなかった。

 

たくさんの捉え直しをしてきたけれど、まだまだなのだろう。ほんの一年では足りなかった。学ぶべきことはたくさんある。痛い思いをし、経験を重ねなければならない。

自分の不出来や稚拙さは、まだまだ反省すべき出来事を招く。そこから捉え直しをし、生きる上での資源を獲得しなければならない。

まだまだ成長が足りていない。カリキュラムはこれからも作る必要がある。そしてそれを学ぶ期間も待っている。

そして年金の問題はどうなる?今回届いた書類で分かったことは、自閉スペクトラム症のラベルで申請をしていたということ。それは初めて知った。

その事は懸念していたけれど、それが的中した形か。新しいドクターは、引き続き紹介状通りのラベルを用いている。それは単純に引き継がれたのか、改めて正しいと判断されたのかは分からない。

いや、あるいはそう括らなければ、制度上の関門を潜ることなど出来ないのか。そのどちらも考えられると思う。

そういった事情について、ドクターと話すことがなかった。それが問題だったかもしれない。

 

単純に考えて、『発達障害』『センシティブパーソン』『ギフテッド』の見極めくらい出来るのではないのか?あるいは発達障害の懸念がありつつも、そのようには見えないと感じる瞬間がないのか?何故それを受け止めない?それが出来ないのか?そのための知性がないのか?それとも5分診察だから?生半可な知識の臨床医が、表面を掬っただけのリストを盲信しているから?

発達障害の低い診断率を踏まえ、それを最後の選択肢として考える必要がある。そしてその表層の反応や行動に対し、支障がどの程度か、あらゆる場面において共通しているのかを確認する必要がある。それをするのは厳重な態度や時間が必要だ。

それなのに、自分は混雑する消化器科のドクターに診断をされた。自分にはそう思える。自分にも申し訳ない部分はあれど、面倒な小児に対し、濫用されて久しい概念を持ち出した。

それは厄介な患者を受け止める安易な方法ではなかったか?ラベリングは医療の目的と方法を定めるものなのに、それ自体が問題の解決になっていなかったか?医療や自分の限界を悟り、問題の根を封じ込もうとしなかったか?お手上げだとし、適切な医療はないのだと放棄しなかったか?

 

自分は特別児童扶養手当を支給されていた。それは自分を典型的な自閉スペクトラム症者だと診断し、尊厳を傷付けるような診断書を記したドクターのお陰だろう。今になってそう思える。自分の支障の程度を存分に記したはずだ。

でも、それによって年金の申請に繋がったのは皮肉だ。いや、その出来事がなくてもこの行動は起こしていた。それくらいの支障はある。

そしてその経験は、屈辱にも自分を助けるのかもしれない。こう記している最中に、特別手当の書面を踏まえ、新しい申請をしようという流れが持ち上がった。そうすれば、今度は申請が通るのかもしれない。

 

自分が捉え直した病名は、正式な概念とは違っている。ノイローゼであり欠乏症、トラウマによるコンプレックスとそのサバイブ。

これは素人がすることではないかもしれない。だから、端から見て馬鹿にされるかもしれない。でも、そうすることでここまで辿り着いたのだ。それが明確だ。それをどうにか認めてほしい。その過程はここに記してきた。

ただ、それらを包含する概念がない。病名も薄いだろう。胃の不定愁訴による栄養失調と、社交不安障害。これが制度の概念に組み込まれているのか?

発達障害はないと強く言いたい。そして、センシティブさと多重知能の一部分によるものがラベルだと思っている。

でも、そんなラベリングなど、まともに認められていない。もちろん、一般に濫用もされていない。

 

それらによって助けられたこともあれば、こうやって不自由を抱えることもある。それらが唯一無二の昇華をもたらすかもしれないけれど、不自由や困難も明確にある。それを認められなければ、あるいは健康を掴めなければ、地の底を這いつくばるのみだろう。

戦い済んで日が暮れて。禍福はあざなえる縄のようならば、次は何がある?それを振り返られるときには何がある?

これからの困難が学ぶべき経験なのか?痛い思いはまだしなければならないのか?嗚呼、どうにも恨めしい。

 

また明日。

 

参考書籍:

これから読みたい書籍: