欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

治癒への階層 前提までの再試行

自宅に居る。辺りは曇っている。これから雨が降り出す模様。午前に歩いたため、午後はゆっくりしておこう。

いや、それはいつものことか。まともでない日々が変わらない。本を読み、インターネットを見、定期的に何かを形にする。それしかしていない。

でも、その内的な作業に成果はない。稼ぎを生んでいる訳でもないため、欠乏を埋めるための代償となっている。それをするくらいなら、現実を生きた方が良い。そうしなければならない。

 

生活に必要なことは家族に任せ、自分は何もしていない。病人という免罪符はあれど、その人たちを失ったら全てが終わる。

二十四時間は自在に操作可能で、食事はどんどん補充されていく。働いていなければ、家事もしていない。それでも生きていける。

栄養失調や社交の困難はある。だからろくに生きられない。その事実や現実がある。家族以外とは誰も関われず、幸せではない。力が足りないし、しょっちゅう身体が辛い。自分の力では生きていけない。

夕べは腹が空かなかった。昼食後にスポーツドリンクを飲みすぎただろうか。いや、それが出来るくらいの状態があった。昼は腹が空いていたし、食後の収まりも良かった。

夕飯はそれでも食べられた方だ。最近の最低限の水準には達していた。流石にスポーツドリンクで負債を抱えることはなかった。

夕飯を大体食べ終えた時、喉が渇いた感覚を捉えた。その時に十分な量を食べられていたため、その時点で薬を飲んだ。それが良かったと思う。いつもはそこから数口を食べていた。だから文字通りの満腹になり、辛くなることが多かったのだろう。そう思った。

今はノイローゼ中であり、大食をするのは難しい。食後の状態も良く、そして翌朝の調子も良かった。これは偶然ではないはず。

 

朝食では食べられる量を見極め、その量を食べた。ただ、便通の後に不快感がしたため、食べられる量を見誤ったのかと思った。調子が良いと感じ、いつもより食べられると思っていた。

でも、散歩に出たことで治まった。明らかに食べすぎた訳ではなかったため、歩いたことで上向いたのだろう。昼食ははっきりと腹が空いた。

 

散歩では少し長く歩いた。色々あって遠回りをしてしまったものの、それで辛くはならなかった。図書館を中心にほぼ一周する。

それが良い方に転がった。体力がどれ程かを感じられた。臥せっている時からすれば、相当な体力がついていると思う。悪くなるとそう振り返ったりする。「あれ程のことをするのには相当な力が必要だ」と、そう感嘆したのは最近だ。それを覚えている。

そう考えると、もう十分といって良いほどの力が満ちているのだろうか。

 

でも、体重はほとんど増えていない。未だ低水準にあって、そこを維持するのが精一杯だ。その事実はあると思う。つまり食事量は増えていない。

そう考えると、何故その状態で歩けるのかは不明だ。いつか急に駄目になるのか、あるいはこの水準でもそれなりに生きていけるのだろうか。

 

以前はするするとよく食べられ、間食もほぼ毎日食べられていた。その頃は今よりも2kgは体重があった。そこまで食事量には差がないかもしれないけれど、食欲や胃の持久力、運動量に明確な差はあった。一般成人並みの摂取まではいかなくても、力が満ちるのには十分だった。

その事と比べると、今とは一段か二段の差がある。今はそこまでの強度はない。

最近では、数口の摂取が無理の範囲に入ったりして、すぐに食欲の波が生まれてしまう。それは好調時になかった。その差が今の調子に繋がっているのだろう。胃の持久力は付いていない。そして体重も増えたりなどしない。

やはり安全の満足を得ることだ。それが胃の状態によって得られたら、コンプレックスが発現することは少なくなる。そもそも胃の持久力があれば、すぐに食べられなくなることなど減る。そして体重も一段上がっていくのだろう。それによって得られる安全感が必要だ。

そこまでに達したい。そうなれば、エネルギーが余って暇を思う。ここからは所属と愛を満たせば良い。その時にそれを始めること。そこに達してようやく始められるのだ。安全の満足があってその段階に進める。

その前提が整った場合、社交不安における神経の高ぶりはコントロールしやすくなる。極度に高ぶる可能性は低くなるだろう。

そして高次の欠乏が満たされた時、ノイローゼは本質的に治癒される。食欲が正常に湧き、胃を一般成人並みの弾力にすることが出来る。そのための工夫が功を奏すのは、ノイローゼが治癒された時。所属と愛、尊敬や自尊が満たされた時だ。

 

運動がもたらす効果により、今の状態における天井を突き破りたい。それを可能にするのが運動だと思う。

ある程度は根本から食欲を湧かせないといけない。食事のうわべの工夫だけでは限界がある。食欲を促進させ、かつストレスを減らすこと。それが運動に期待できる。たくさん食べられ、数字が変わっていけば上向くはず。

 

ノイローゼを癒すとすれば、所属と愛が欠かせない。ただ、それには前述の前提がないといけない。そのためには運動を少しずつし、徐々に体力を底上げすること。そうやって安全の満足に繋がれば、日々を変えていくに必要な原資を得られる。

運動によって安全感を得て、居場所に出て所属と愛を得る。そこまで進めば、次第に尊厳が得られたり、仕事を見つけられたりもするだろう。

この階層的な段階を経れば健康になる。それに加え、喪失や苦しみがなかった頃には持ち得なかった人生が得られる。

春頃に上向いた理由を考えれば、アーロン博士の言葉への信頼があった。

「身体は動けば動くほど楽になる」

その言葉を改めて拠り所とし、調子を良くしていきたい。

 

また明日。

 

参考書籍: