HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

不自由の足跡 健全なラベル

自宅に居る。下腹部の荒れた感じと、肛門にも同じ感じがする。酷く消耗している訳ではないけれど、かといって元気でもない。

午前に二回の便通があり、二回目は下した。それで少し消耗し、午前は歩けなかった。少し脱力してしまった感じだ。でも、その分腹が空いた。それは良かったし、その後者の方が強かった。

昼食はよく食べられる。そこから内的に費やし、今度は歩きに出る。図書館を中心に一周して、無事に帰宅する。でも、その直後にまた腹を下す。それは流石に応えたか。ただ、今はこうやって記している。それなりに体力はあるだろう。

夕べはそれなりに食べる。腹が空いていたかは覚えていない。ご飯の並盛を一膳、まともな肉を五枚、味噌汁は数口。入浴前の身体チェックでは、腹に少しの肉が付いていた気がした。

この水準が最低基準であれば良い。体重も大台にあと一歩というところ。これより食べられないと、最低限の摂取ではなくなる。つまり痩せていく。それは流石に病的に思える。

少し盛り盛りの一膳、まともな肉を五・六枚、味噌汁を一杯分、これが真の最低水準だ。これでぎりぎり少食といえる。小柄な女性の満腹がこれくらいか。健康な人には心配されるだろうけれど、個人的には大した量になる。

もう一段底上げされたら良い。そうなれば安全圏に入る。

散歩の効果も微妙だ。それによって明確に腹が空く訳でもない。消化力もさして変わらないし、食欲も明暗が分かれるところ。

それはやはり、無理をしてしまうからだろうか。それをなくすべきであっても、どうにも難しい。それを歩きの効果で帳消しにしたい。ストレスの軽減により、食欲増進と消化力増加を期待している。

 

当たり前の事だろうけれど、毎食食欲が湧かないと太らない。腹が快く膨らませる必要がある。それは入浴前に分かる。腹が完全に空いた時は、胃がぐんぐん伸びていく。それによって腹はぼんと膨らむ。

高い頻度でそうなりたいところ。それに加えて無理もなくなれば、それは健康な人と変わらないだろう。腹が空いて無理もしない。それが当たり前の事だ。胃袋は伸縮していく。

 

体力は何故かある。歩くことは出来ている。それが出来る分は食べているのだろうか。でも、もっと安定した活力がほしい。安定性や余裕がない。

障害年金の申請のための書類が届いた。それは特別児童手当の申請書類だ。それを改めて提出し、参照してもらうことになる。その書類を役所から取り寄せてもらった。

ぼろ糞に自閉スペクトラムと診断された書類だ。関係ないけれど、字が下手糞だった。なんの品も感じられない。

そして意味不明な病像が切り取られていた。生活パターンが同じだとか、恣意的にしか思えない。自分はロボットと接していたのか。それにまつわる事情はあれど、堪らなくなって目を通すのをやめた。

 

きっと医学の現在は、発達障害を見るための眼鏡が大量に作られ、丹精に磨かれているのだろう。マズローがそのような例えをしていた記憶がある。制度もそれに伴っているはずだ。

そのような眼鏡が溢れている。それを見るためのものだから、何の変哲もない事柄がそう見えてしまう。

 

自閉的かどうかなど、入院でもすれば簡単に分かるものだと思うが。人と関わりを拒んでいるなど、明らかに事実ではない。そうであるのなら、親や教師が真っ先に気づく。それも早期にだ。

親しくなった同類がいたではないか。疾患がない場合は、生まれつき人と関わることを望んでいる。

病像はあったとしても、それはただ自尊心が傷付けられていただけだ。そのような悪態をついていたとしても、自分にはそれを制御することなど出来なかった。

 

もう自分を責めたくない。いや、だんだんとそういう気持ちが薄れてきている。罪悪感など、その時の心理を認知すれば消えていく。

その行程をし終えたのなら、誰かに責めを問うのは止めたい。ドクターが誤診したのは辛かったけれど、その時の主体は親だった。親が自分をそこに罹らせた。ドクターは親に委ねられただけだ。

そう思っても誰も償ってくれない。形だけそうしてくれたとしても、過去は変わらない。だから愚痴愚痴と呪詛を持ち続けている。それは今も尾を引いているからだ。

最後に一言を言わせてもらえば、自閉スペクトラムのラベルで安堵したことはないし、それを深く学ぼうとは思わなかった。それには助けられなかった。それによって有効な治療を施してもらったとも思わない。自分で適切なラベルを見つけた時、それを深く知ろうと思えた。それに安堵し、助けられた。その時を迎えたから今がある。

その事実は確かだ。これは誰も否定など出来ない。

 

その誤ったラベルを用い、さらに摂食障害も用いることになるだろう。ここまでするのだから通ってほしい。そのラベルを使うことは批判されそうだけれど、それ以外に不自由を証明する術がない。だからそれを用いる。他にあればそれを使っていた。それだけだ。

今の生活スケールと照合すれば、自閉スペクトラムとは認められなさそうだ。その可能性がある。これもまた、適切なラベルがないことの害だろう。

でも、働けないのは確かだ。納めるものも納められない。それくらい認めておくれ。

 

自閉スペクトラムの診断には信憑性があるのだろう。それは恐らく完全なものだ。そうやって特別手当は貰っている。

だけれども、それを踏まえて今の生活と照らし合わせた場合、辻褄が会わなくなりそう。そうなってしまえば終了だ。二十歳になってからの未納金を納めなければならない。それはかなりの額だ。そしてそれ以降も毎月の支払いがある。

ここまでの不自由があり、長い年月を闘病に費やしてきた。どうかそれを認めてほしい。それを表すような書面の重みはあると思う。

もうこれで終わりにしたい。いや、もう終わるのだろう。次で審判は下される。それでもうきっぱりだ。それ以上は抵抗できないだろう。

 

また明日。

 

参考書籍: