HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

遠い安全 相応の不自由

自宅に居る。多少の雨が降っている。しとしとといった感じで、小雨の範囲だろう。午前には曇った隙間があったため、歩きに出た。ただ、直近の胃炎や前日の摂取量を考え、少し短めにした。図書館を折り返して帰った。

行程は十五分ほどで、結果的にはそこまで消耗しなかった。でも、寒さやその不安によって早歩きになり、心臓に負荷がかかっていないか心配だった。栄養状態も万全とは言い難かったし、体重も減少傾向だった。

結果的には問題なかったものの、多少は頑張って歩いただろう。その影響が怖かった。

夕べはまたも食べられなかった。そんな日が多くなってきた。昼食では負債などなかったのに、あまり腹が空かなかった。胃が動いていなかった。

連続して満腹になれなかった。これは打撃だ。便だったのかは分からないけれど、いつもは膨らんでいた腹がえぐれていた。自分でも気持ちの悪さがあるくらいで、かなりまずいと思った。

ふと腕を見た時も、かなり細く感じられた。それに病的さを思った。ワクチン摂取の時も思ったけれど、骨が浮き出るような細さだった。肉の層はなく、薄い脂肪分が付着している程度のもの。人体模型に油紙を貼ったようなものだ。

 

そのくらいの摂取だとまずい。それは自分でも分かった。でも、そう考えると、もう少し食べられたらそれで良いのか?最低限の満腹になれたら、ある程度は歩ける。体重も減ることはない。それはちょうど呼応している。それで十分なのか?

夕べはまともな一膳を食べられず、薄い肉が五枚、味噌汁もほとんど食べられなかった。これではいけない。痩せてしまえば上述のようにはいかなくなる。現状を維持することが欠かせない。

 

まともで少し多く盛った一膳と、薄い肉なら六・七枚、大きい肉なら五枚、味噌汁は一杯分を食べる。その領域に達したい。

そこまでいくような状態は、今の生活での最高水準だろう。この今と比べたら、かなり状態に違いがあると思う。明確に腹が空いているだろうし、消化も滞りがなくなっているはず。

あるいはそこまで達せずとも、前述の水準に戻れば良い。多少は歩けるなら良い。体重も最低水準を維持し、それによって生死が脅かされない水準。

そこが安全圏なのかもしれない。そこへ運によって達し、そこから運動で最高水準に底上げしたい。

でも、そうなっていないのが最近だ。少しの綱渡りをしている。

 

朝は胃の負債がなく、少しは状態が良かった。夕べの時点でこうなる気配はしていた。夕べは食べられなかったけれど、そのぶん眠る前に胃が空いた。一晩眠るとはいえ、胃の状態は地続きだ。

そして今日も理知が働き、食べられる限度を見極められた。昼までの負債はほぼなかった。

 

ただ、昼はあまり腹が空かなかった。何故だろう、散歩もしたし、朝に負債は抱えていなかったのにだ。こうなる時が最近は多い。食欲不振や早期膨満、腹九部で食べ過ぎに当たるのが多い。

漢方が少し効き、それなりには食べられたものの、多少コンプレックスが湧いたと思う。まともな一膳を食べ終えた後、数口を追って食べた。それは無理ではなく、腹九部を意識していたと思う。

でも、結果として今の胃は重い。夕べの結果を踏まえ、早く軌道修正をしようとしていたのはある。

それだけで食べすぎになるのは辛すぎる。食べようとして食べた数口は、ほとんどが負荷となってしまう。そういう胃薬のコマーシャルを思い出した。

 

これも不定愁訴だから仕方ないのか。歩けるようになれば問題はないのか?それで死ぬことはない?そう考えたりはするものの、いかんせん体重が増えていない。その現実がある。

その現実が確かに上向かない限り、コンプレックスは沈静化しない。安全は体重と満腹から得られる。

それにしても食欲が湧かず、少しのことで食べすぎとなってしまう。そして運動に効果はない。解決策がなかなか現れない。

このまま良くならず、朽ちて果てるのかもしれない。そんな不安がよぎる。

母に年金事務所へ行ってもらい、基礎年金の再申請をすることになった。少し前に委任状を書いたため、母に経緯の代筆をしてもらう。自分ですれば良いのだけれど、年金事務所へ通うのは大変だった。ただ、それが出来ないのは支障の証明にもなる。

ただ児童手当の書類を提出するのではなく、不支給に対する不服の理由も記さねばならない。改めて取得した児童手当の書類と、支障を加味させた不服申立書を送付する。

 

自閉スペクトラム症摂食障害、そして日常の不自由。ラベルによる支障は手当に証明されるだろう。それと生活を参照してもらう。

新旧のドクターによる診断と、母が記した生活の限度、そして新たに加える不服内容。認定されるか否かは半々だ。確率としてはそうなのだけれど、心理としては五分と五分だ。

基礎年金に該当する状態は、

必ずしも他人の助けを借りる必要はなくても、日常生活は極めて困難で、労働によって収入を得ることができないほどの障害です。例えば家庭内で軽食を作るなどの軽い活動はできても、それ以上の重い活動はできない方(または行うことを制限されている方)、入院や在宅で、活動の範囲が病院内、家屋内に限られるような方が二級に相当します。

障害年金ガイド   令和三年度版

だそう。自分は歩くことは出来ていて、他人の助けを借りる必要は必ずしもない。それでも日常生活は極めて困難だし、労働で収入は得られない。家庭内で軽食は作れるけれど、働くことは出来ない。活動の範囲は家屋内に限られていて、内的に費やすしかない。

状態としては万全といえる。とにかく働けないのだ。生活もまともではない。それは明らかだ。それなのに義務を負わされても困る。それよりも助けてほしいくらいだ。

 

不支給の通知によれば、"自閉スペクトラム症にしては、そこまで支障の程度が大きくないように見える"とのことだった。確かにそのラベルではそう思われそうだ。何故ならそれは本質を付いていないから。詳しくは割愛するとしても、とにかく働けないのだから無理をさせないでほしい。

障害の程度の一覧を見ていると、身体の不自由が代表的なのが分かる。そして、精神の障害については詳しく記されていない。記されているのは、「精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められる程度のもの」とある。前各号とは身体の不自由だ。精神に加えて身体にも障害があるとしても、これまた前各号と同程度以上であるべきだそう。

不服の理由としては、「いかに生活が困難を極めているか」を記すべきだろう。ラベルには自尊心を傷付けられるものの、それによって支障は明確であると証明できるはず。だから必要なのは、生活がまともでないという強調だ。とにかく働けないし、社会人の義務を負うことなど出来ない。

 

それがもし認めてもらえなければ、次は年金税の支払い免除を申請をしよう。それが出来ると母が聞いたそうだ。

血税を貰えるまでにはならなくとも、払う能力がないと認められるだけでも十分だ。もしそうなれば、かなり助かると思う。

まだ闘いは続きそうだ。煩雑なことに振り回されなければ良い。すべきことは健康に努めること。いつかは公的扶助に頼らざる得なくなっても、それはまだ先のことだ。今はそれを考える時ではない。

でも、それ相応の公的な認定はほしい。それによって生活を確かにしたい。不自由を認めてもらえたら、無理をしなくても良いと言われるようなものだ。その免罪符があるかないかは大きい。

健闘を祈る。

 

また明日。

 

参考書籍: