欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

建設的な基軸 受動的な能動性

自宅に居る。午前は晴れていて、今日も歩いた。直近では晴れる時がある。少しでも歩けるような時間があるのは有難い。

本来であれば、もう雪に覆われていてもおかしくない頃だ。それでも今は、地面があらわになっている。ただ、これからの予報には雪だるましか載っていなかった。

 

少し体力が不安だったものの、久しぶりに図書館を中心に一周した。ただそれだけの事だけれど、十分な進展を感じた。

ただ、その一方で「あれほど見慣れた景色を見るのが大変なのか」と思ったりもした。身体の現状がよく見えた。およそ十五分の行程をこなすのに不安がある。それが今の水準の限界だ。

ここから体重が少し増えれば、もう少しまともになる。そこが最低水準だ。二キログラムと少し増えれば、三十分以上は歩けるようになる。それくらいであるのなら十分だ。目指すべき目標はそこにある。

そこに達すれば、その体力が土台となる。都会ならばそれだけで活動できるだろうし、この町でも少しの望みとなる。それだけで生きていけるかもしれない。欠乏を満たすための原資なら、それは十分にあるだろう。居場所へ出るには準備万端だ。

昼食では少し食べすぎたか。またもや不定愁訴に見舞われている。それだけは慣れたものだ。頻繁にひょっこりと現れる。きっと腐れ縁で繋がっているのだろう。

夕べはまともな一膳を食べられる。食欲は強くなかったものの、いつものように最低限は食べられた。それは今の日々なら及第点だ。体重も痩せてはいなかった。

朝の胃に負債はなく、そこでもそれなりに食べられた。食べられる量もを見極められ、無駄に一口を追わせることもなかった。

 

そこから内的に費やすと、少し気分が悪くなった。それは頭の消耗だったろう。でも、そこからすぐに歩きに出られた。そして不安はあったものの、それなりの強度をもって歩けた。

それがあり、散歩が腹に良い刺激となったと思った。実際にそこから状態は良くなり、早めに食前の漢方を飲める程だったものの、そこで調子が鈍った。漢方でかえって腹が動かなくなった。

 

たまにそういう時はある。だから冷静に理知的な対応をすればよかったけれど、そこで好調コンプレックスが湧いた。これも悪しき鎖で繋がれているのだろう。食べられる量の見極めが鈍った。朝食もよく食べられたため、たくさん食べられると思ってしまう。

まともな一膳とおかずを一品、そして味噌汁をつまむ。それなりに食べられたものの、ぎりぎり食べられた感じだ。すんなりとは食べられなかった。最良の調子ではなかったから、そうなると良くないのだろう。

事前に調子を汲めたら良かった。朝はそれが出来るものの、昼と夜は出来ない。朝によく食べられないということは、今までの失敗で染み付いている。それが理知の顕在をもたらすものの、昼と夜でも同じことは起こっていない。

 

食後は吐気がした程ではないものの、腹の重たい滞留感がある。調子が微妙な時によく食べるとこうなる。げっぷもすんなり出ない。これらはあまり良い印ではないだろう。

今は空腹になったと思うけれど、夕食は無理をしない方が良い。きっとよく食べられない。ここで無理をしなければ、明日からまたよく食べられる。その岐路にある。一度の胃の不快感というのは、下手すると数食に渡って影響してしまう。

こもって生きている人のドキュメンタリーを見た。少し前にも似たような番組を見ていて、それと同じような話だった。

いずれも暗くて深刻だった。親と死別し、中年の子供が取り残されるというもの。片方の番組は子供が一人暮らしを始め、片方は栄養失調で亡くなってしまった。

見ていて鬱屈な気持ちとなり、今も暗黒な感情が浮かんできている。それに引きずられている。ヘビーで消化しきれるかと思ったものの、意を決して見た。辛かったし、今も胸に浮き沈みしている。

それでも、見たことは悪くないと思う。そう微かに思っている。

 

子供や親に何があったのか、深くは分からない。ラベルが必要だったのか、地代の波のせいだったのかは分からない。子供の問題なのか、それとも親の接し方が問題だったのか。あるいは社会通念や福祉が間に合わなかったのか、心理学の進展具合も関わっていたのか。

恐らくはどれもあると思う。ラベルも必要だったし、そのためには発展した心理学が必要。時代による打撃は時代が解決しないといけないし、福祉や接し方、社会の価値観を変えないといけない。

それらの問題は根が大きいものの、全ての個人の問題に関わっている。きっとそうだと思う。よく考えて、自分の行動を考えたい。

 

ラベルや心理学、時代と福祉、社会や一個人の価値観。そしてそれらによる接し方と見方。一つ目については深く学び、人生の支えや指針にする。二つ目でいえば、一つ目や三つ目が追い付くのを待つ。それがあれば、世界は変わるし常識も変わる。概念、福祉、価値観、これらが変われば救いは現れるかもしれない。三つ目もそれを同じように待つ。

出来ることとしては、まずは気持ちとして諦めないこと。勉強できる概念を知ることや、福祉を知ること。そしてそれに手を伸ばす。それが出来るか否かで決まると思う。

まずは自己完結で良いから動く。受動的な能動性でも良い。学んで待つこと。そして転機や外的な切っ掛けが湧いた時、それを逃さないこと。全てはそれに懸かっている。

その気持ちがあるかだけで良い。あるならいつか救われるはず。時間を回収できるかもしれないし、幸せにもなれるかもしれない。ただひたすら諦めないこと。

受動的であっても良いから能動性を持つこと。追い詰められたのなら動く。窮じたら振り絞って声を出すこと。動くか声を挙げることだ。

そこまでの魂の準備が出来ていれば、後は進んでいくだけ。進みながらまともな格好になっていくだけだ。

 

そうなる前に何とかしたいのが理想ではある。個人の努力で出来ることをしたい。福祉の支援がなくとも、今は親の支援がある。それを受けて建設的に積み上げていきたい。

一つは居場所に出ること。そこで社交に慣れつつ、少数と親しい関係を築いていく。その活動が出来ているのなら、孤立してこもっているのではなくなる。社会参加にはなる。病的な認定もあるのなら、それで生活の基軸は生まれるだろう。

体力があり、行く場所と会う人が居ること。不自由がありつつも、建設的な未来のために積み上げていく。安全の満足を得て、所属と愛、尊厳を得ること。それがあれば病は癒され、まともに生きていく資源を得られる。

そうなったのなら、後は歩むこと。歩むなかで自立の力を得れば良い。失敗をして学んでいくこと。前提が整えば、その段階に進めるだろう。

 

問題は居場所が遠いことと、この町では生活が完結しないことだ。健康になれたとしても、車の運転は難しいと思う。そして遠くの居場所で親しい関係が得られても、近くではその人に会えないのだろう。

それがネックだ。だから何も変わらない。変わる切っ掛けとなるような選択を取れない。だから不定愁訴を繰り返している。

 

この町で生きることに未来はあるのか。テクノロジーが発展すれば、さしたる問題ではなくなるのだろうか。それは不確定だし、時が経つのを待つしかない。そうしていれば、何かの不可逆が生まれるだろう。

都会に生まれたのなら良かった。交通機関に乗るスキルと体力さえあれば良い。それだけで買う、罹る、行く、会うが可能になる。福祉の手も届きやすく、居場所もあるだろう。その利点しか思い付かない。

何故このような町に住んでいるのか。それを親に訊いてみたい。子供が自立できないとなれば、老いていく親も自立できなくなる。自分達が死んだ後の心配より、長生きした時の自立を考えた方が良い。車も手放して足を失えば、もうまともに生きられなくなる。

その現実は現役世代の時に知るべきなのだ。嗚呼、田舎を潰す政治があれば良い。

 

家の近くに友達が居て、居場所も近くにあり、年金が振り込まれていく。正の感情によってある程度は健康で、仕事はインターネットで内的に積み上げる。

それが都会へ引っ越さない場合の理想だ。年金と貯蓄で生きていき、物を買うには力がある。

これも考えるだけ無駄なのか。とにかく行動し、そこから順次考えていくのが良いのか。

きっとそうだ。健康にならないとまともには生きていけない。でも、車の運転は厳しい。

いつこの生活を失ってしまうのか。とにかく早く動いた方が良い。

 

また明日。

 

参考書籍: