欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

自明の選択肢 行動と存在保証

自宅に居る。弱くも雪が降り出して、辺りは白くなった。今日がクリスマス。大晦日までのカウントダウンに入った気がする。そんな気もする一方で、何事もない日常を感じたりもする。

また疫禍が再燃しようとする年末年始。姉が帰省する見込みだ。きちんと予防をしているかが不安だ。狭い家ではプライバシーがなくなるし、あまり喜ばしくない。

かといって、この時期を逃せば感染の波が起こる。それも可哀想だろう。それくらいは許すべきなのか。でも、自分は些細な風邪でもどうにかなってしまう。

夕べはよく食べられる。腹が空いていた訳ではないものの、空腹で迎えられる。ご飯はまともな一膳で、肉もまともな物を四枚、味噌汁はつまむ程度。もう一歩ではあるけれど、一膳は少し多めに盛っている。ほんの少し多く食べられている。

それなりの量は食べているはず。だから結果も安定してほしい。これ以上は食べるのが難しいだろう。生活状況が変わらないと限度も変わらない。

無理をなくせば変わる可能性はある。考察の理想の上ではだ。でも、それも生活を変えないと変わらない。

この辺りが今の限度だろう。それでも、極端に食べられない訳ではない。だから安定してほしい。胃の持久力が付けば良いけれど、それも付かないだろう。これも仕方ないか。それでも悪くはない。体力が落ちたと感じることはない。

 

昼まで運動をしなかった。午前は晴れていたのだし、明日から荒天の予報のため、歩いておけば良かった。

朝のルーティーンの後は、内的に費やした。読書、音声、推敲、リライト。まともな成果はないものの、なぜかそれに忙しく費やしている。どれが省けるのだろう。無意味なものに費やしているのなら、そのぶん人と会うための時間に操作すべきだ。

午後も本を少し読み、娯楽で動画を見る。そこからインターネットでテキストを読んだりし、こう記している。ここから本の読み直しだ。

 

こうも作業を課して意味などあるのか。擬似的な習慣の無理は、詰まるところ欠乏の代償行為。作業には成果がないのだから、それが証しになる。それで病は治らないし、お金を稼げたとしても自立は出来ないだろう。

内的な作業によって自活し、不自由のある小さな人生を歩むか、それとも現実で欠乏を満たし、成長欲求に費やして生きるか。この自明の議論は何回も記してきた。後者がどうにも遠いため、前者に傾くしかない日々だ。

明けてまた記している。午前は日が差して歩いたものの、今はどんどん雪が降っている。速く地面に落ちていて、遠くの景色がよく見えない。圧迫感のある白だ。これが極端になると命に関わる。これは大袈裟ではなく、雪が積もるだけで必ず死人が出る。

本格的な降雪で、積雪にもなるだろう。数年に一度の寒波と言われていて、下手に外出するなと呼び掛けられている。

午前はたまたま青空が見えるくらいだった。そこで歩いた。貴重な時間だっただろう。これから数日は出掛けない方が良さそう。

体調は特に波がない。記したいようなことが浮かばない。これは最近だと珍しい。いま思ったけれど、以前はこういう感じがよくあったのか。

ここ最近は落ち着いているはず。摂取も安定していて、多少は食べすぎても負荷にならない。思い描いていた持久力に近いけれど、果てしてどうだろうか。

こういう状態を求めていたものの、体重や摂取量は増えていない。まともな一膳を安定して食べられる程度だ。それは暫定的な持久力だろうか。腹九部になれるくらいなら良い。

 

何故だか夕べの体重は減っていた。身体の外見も痩せていて、それをはっきりと感じられた。腹の脂肪か便かは判らないものの、腰回りがえぐれていた。かなりまずさのある感触だった。

でも、主観では摂取の安定を思っていた。それと辻褄が合わないのはどうしてか。摂取量についての認知の歪みか、脳のエネルギー消費が多いのか。それとも便や尿の量が影響したのか。

体重が増える程ではないとは解る。でも、落ちるのは困る。そうならないようにしているため、納得が出来なかった。

それは今日の計測次第か。体重は最低限度を維持し、そこを超えるための足掛かりを得ること。体力はあるものの、体重があって損はない。

散歩で消耗はなく、内的に十分費やせている。今日はその他に記すことがない。インプットはあるものの、フィードバックの種にはならない。特に出来事もない。

 

多重知能の書籍を読んでいて、教育についても考えたりしている。その認知は"浮きこぼれ特集"という番組と繋がり、その考えを個人的に記したりした。興味があることを学んでいると、それらはやがて繋がっていく。その体感があるため、何だか知力が隆々になった気がする。

それは何かに用いてこそだけれど、形にしたくはい。ただ、そうしたい気持ちはある。でも、そうすれば誰かを傷つけそうだ。ここでそのような表現はしているものの、それは自分の経験と重なるもののみにしている。それ以外を記して大人に読まれたら、未熟で青臭く思われそう。

 

ファンビジネスやSNSについても学びたい。廃人のうちで稼ぐとなると、それは文章くらいしか思い浮かばない。ユングは「そうやって支援されるのは良くない」と記したようだけれど、やはり自活をして存在を守りたい。

noteの有料記事を買いたいものの、クレジットカードがない。プリペイドで決済できないものか。キャリア決済も出来るらしいけれど、その代金は自分が払うものではない。理由を尋ねられたら何と答えようか。

それらを買って知識を深めたい。いや、まず自分が行動して哲学を作れば良いのか。その方が手っ取り早い気もする。ノウハウがある人はそういう人なのだ。習うより慣れろだろう。せめて行動してから習った方が良い。

心理学によるインプットと、創造的に自活している人の商材。それに行動もあれば良いのだろうな。とにかく並行して進めている。

 

また明日。

 

参考書籍: